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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
138/171

「お揃い」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎医師 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波沙織 看護師

高橋奈津子 日向の母親


 「お揃い」




十月二十二日木曜日。

京子は朝から気合を入れて化粧をした。

今日の服は、白のチュニックに黒のミニスカート。

いつも黒のワンピースばかりで、あまり着る機会がなかった服だ。

それでも、やっぱり着ないともったいないから、この機会に袖を通した。

この服だって、彼方が気に入って買ってくれたものだ。


化粧も着替えもバッチリだ。後は彼方を待つだけ。

自分は平日は学校があるから、彼方が何時から家で待っているのかは知らない。

彼方は何時くらいに家に訪れるのだろう。


時計を見ると、午前十時前。

さすがに早すぎる時間だ。せめて午前中だけでも学校に行くべきだったか。

けれど、今日は大切な日だ。彼方を待たせるなんてできない。

一番可愛い姿で、一番可愛い笑顔で、彼方を迎えてあげたい。

一番におめでとうと言ってあげたい。


そんなことを考えていると、玄関の鍵が開く音がした。

この家の合鍵を持っているのは、一人しかいない。

彼方が来た。こんな早い時間に。


京子が玄関の方へ足を運ぶと、扉を開けた彼方が驚いた顔をしていた。

まさか自分がこの時間に家にいるとは思わなかったのだろう。


「あれ?京子ちゃん、学校は?」


「サボりです。」


それを聞いて、彼方は悪戯っ子のような顔で、ニヤリと笑った。


「僕のために?」


「そんなわけないでしょう。寝坊したから、遅刻するくらいならと思ってサボったんです。」


「ふふっ、そっかあ。じゃあ、今日はいつもより長く一緒にいられるね。」


自分は素直になりきれずに、いつもの素っ気ない態度を取ってしまう。

けれど彼方は、気にもせずにいつもの柔らかい笑みで笑う。


本当は彼方のために学校をサボったんだ。寝坊なんてしていない。むしろ、いつもよりも早く目が覚めた。

最初におめでとうを言おうと思ったのに。この厄介な天邪鬼な性格が邪魔をする。

今日だけは素直にならないといけないと思ったのに。

イメージトレーニングだっていっぱいしたのに。やっぱり上手くいかない。


けれど、これからだ。

まだ一日は始まったばかり。


「…どこか、出掛けないんですか?」


「京子ちゃん、行きたいところあるの?」


靴を脱ぎかけていた彼方が振り返る。


「…水族館なら、近いしいいと思ったんですけど。」


遠出ができないのは知っていたから、一番近い水族館へ行こうと考えていた。

ここからはバスを乗り継いで一時間程度。充分日帰りができる距離だ。

彼方も動物が好きだと言っていたし、ちょどいいと思った。


「水族館?いいね、行こう行こう!ペンギンとかイルカとかいるかなあ?」


彼方の表情が、ぱっと明るくなる。


「当たり前でしょう。水族館ですよ?」


「楽しみだなあ。ラッコとかシャチとかもいるかな?」


「ラッコ…はわからないですけど、シャチはいない水族館の方が多いですよ。」


「へえ。そうなんだ。ねえ、早く行こうよ!」


そうして二人はバスを三本乗り継いで、水族館へと向かった。

バスに揺られる間、彼方はウキウキと落ち着きなくイルカやラッコのことを語った。

それは全部、テレビで見た知識らしい。初めて行く水族館に興奮が隠せない様子だった。

首からは、ちゃかりカメラを提げている。

すぐ飽きると思っていたのに、今ではすっかり彼方のお気に入りだ。


バスを降りて、水族館に着いた。

平日の昼間と言うこともあり、人の入りは多いとは言えなかった。

けれど、逆に都合がいいのかもしれない。

客が少なければ、それだけ誰にも邪魔されずに、ゆっくりと見て回れる。


彼方と二人きりで出かけるのは、三度目だ。

一度目は、街のショッピングビルで服を買ってもらったとき。

二度目は、街の家電量販店でカメラを買うのを付き合ったとき。

そして三度目は、彼方の誕生日を祝うために、この水族館へ来た。

今日は、彼方との三度目のデートだ。


「イルカショー、十一時半からですって。」


受付で入場券と引き換えにもらったパンフレットを見ながら、京子は言う。

パンフレットには水族館の地図や、イベントの時間が細密に書かれてる。

この水族館は、一日五回、一時間半毎にイルカショーあるらしい。

他にもペンギンのお散歩タイムやラッコのお食事タイム、アザラシとのふれあい体験なんてものもあるようだ。


「へー。…あ!今十一時二十分じゃん!」


彼方は携帯電話で時間を確認して、慌てた様子で自分の手を掴んだ。


「京子ちゃん行こう!イルカショーどこ?」


「ちょ、ちょっと、他のところ見ないんですか?」


「後、後!イルカショーが先!」


そう言って、彼方は京子と手を繋いで早足に歩き出す。

イルカショーの会場は、水族館の一番奥らしい。

地図を見ながら本来の順路とは違う近道を見つけて、水族館の中を駆けていく。

途中、ガラス張りのペンギンが飼育されているプールが見えた。

彼方は「わあ!ペンギンだ!」と目を輝かせたが、「後でゆっくり見よう」と言って、時間が迫るイルカショーを優先して歩みを進めた。


「やっぱり水族館の主役と言えば、イルカだよね。」


「アシカもイルカと一緒にショーするんですって。」


「僕アシカも見たことない!どんなショーするんだろ。」


そんなことを言いながら、イルカショーの会場に着いた。

楕円形のプールの前に、映画館のように段差がついた扇型の客席が用意されている。

水族館に入った時にも思ったが、客足は少ないようだ。

おかげで、ど真ん中の前から三列目という好ポジションに座れた。

座ると同時に、これからイルカショーが始まると言うアナウンスが流れて、プールの奥のステージに飼育員の女性が現れた。

どうやら、間に合ったみたいだ。


観客席は半分以上空いていた。

座っているのも、若いカップルや熟年夫婦ばかりだ。

子供の姿ない。平日なのだから、当然だろう。

お世辞にも、大盛況とは言えなかった。

けれど、ステージに立つ飼育員は気にする様子もなく、明るく場を盛り上げようとする。

軽快なトークで観客の視線を集める。周りの客は既にステージに注目していた。

さすがはプロだ。自分もなんだかわくわくしてきた。

ステージに立った女性が挨拶を済ませ、ホイッスルを吹く。

すると、プールの奥の方から次々とイルカが現れた。


「うわあ、うわあ!京子ちゃん、見て見て!イルカだあ!」


優雅に泳ぐイルカを見て、彼方は目をキラキラと輝かせる。

初めて見るイルカを指さして、無邪気な子供のような笑みを見せた。


イルカが輪を潜ったり、高くジャンプするたびに、彼方は声を上げて子供のようにはしゃぐ。

アシカが飼育員のお姉さんの投げた輪を受け止めてみたり、ボールを鼻先で回したりするたびに、感心したように両手を叩く。

時々客席にまで降りかかる水しぶきなんて気にもしない。

せっかく持ってきたカメラも、今は彼方の膝の上に置かれたままだった。

それくらい、彼方はイルカショーに夢中になってた。


イルカショーは二十五分ほどで終わった。

彼方は満足した様子でニコニコと「次は何見ようか。」とパンフレットを眺めた。


「この後、十二時半からラッコの『お食事タイム』ですって。」


「ラッコ?やっぱりお腹の上でカンカンってするのかなあ?」


そう言って、彼方は石で貝を割るラッコの真似をするように、両手を腹の前で軽く叩くフリをしてみせる。


「そりゃするでしょう、ラッコなんだから。」


「そっか、楽しみだなあ。でも、まだ時間あるよね。せっかくだし、戻って入り口の方から順番に回ろうよ。」


二人は来た時と同じ近道を使って、入口へと戻った。

順路通りに進むとなると、最初は入り口の横の別館のようだ。

別館の入り口を潜ると、辺りは映画館のように薄暗かった。

その中に、壁一面に広がる大きな水槽が青く浮かぶ。

横幅はゆうに十メートルは超えるだろう。天井までの高さは五メートル以上もありそうだ。見上げると首が痛くなる。

その中には、様々な魚が泳いでいた。


平べったい体をしたエイや、テレビでよく見る狂暴そうに見える鮫、黄色い小さな魚もいる。

そして、その中でも一際目を引くのは、とても大きな口を開けたジンベエザメ。

一見相容れないように見えるたくさんの魚が、青い光に照らされて悠々と泳いでいる。

青い照明が魚の体に反射してキラキラと光り、とても幻想的だ。

ガラス越しの青の世界。なんだか異世界にでも来た気分だ。


京子が水槽に手を付いて魚たちに見蕩れていると、ふいに後ろでシャッターを切る音がした。

振り向けば、彼方がカメラを構えていた。


「…綺麗。まるで、人魚姫みたい。」


カメラから顔を離して、彼方は溜息を吐くように、切ない声を洩らす。

その言葉に、京子は以前彼方が話した人魚姫のことを思い出した。

―好きな人のために死ねるなんて、凄く素敵なことじゃない?


「…私は、泡になんてなりませんよ。」


「わかってるよ。でも、綺麗。」


カメラのディスプレイを覗いて、彼方は満足そうに笑う。

「ほら。」そう言って、京子にも今撮った写真を見せてくれた。

ディスプレイに映るのは、大きな水槽の中の魚たちと中央に立つ自分。

けれど、逆光で自分のシルエットだけが影のように浮かび上がっていた。

まるで、絵本の一ページみたいだ。


「ね?綺麗でしょ。」


「これ…私が映らない方がよかったんじゃないんですか?影になってるし。」


「それがいいんじゃない。本当にお姫様みたいだ。」


愛おしそうに、彼方はカメラを指でなぞる。


「この写真、一番のお気に入りかも。」


そう言って、柔らかい微笑みを見せた。


それからペンギンを見て、ラッコを見て、ヒトデやクラゲ、様々な魚も見て回った。

ペンギンを見れば「ねえねえ見て!あのペンギン京子ちゃんみたい!ほら、あのあっち向いてツーンとしてる子!」とはしゃいでみたり、ラッコを見て「やっぱり可愛いねえ。あの小っちゃい手が凄く可愛い。」と微笑んでみたり、すっかり彼方は、年相応の少年のようになっていた。

大人びている彼方ばかり見てきたから、彼方が見せる無邪気な少年の顔に京子は驚いた。

そして、それと同時になんだか安心した。


こっちの方がずっと自然だ。

無理に大人ぶって余裕の笑みを浮かべているより、ずっといい。

今日の彼方はとても自然で、無理をしている素振りなんてない。

無邪気な笑みを零して、心底楽しんでいるようだ。

今日ここに彼方を連れてきてよかった。そう京子は思った。


水族館を一周回ったころ、パンフレットを眺めていた彼方は「ねえ、お腹すかない?」と言った。


「奥にレストランがあるみたいだし、お昼ご飯食べようよ。」


時計を見ると、14時を超えていた。

自分も丁度お腹がすいていたし、二人で遅い昼食を取ることにした。

レストランに入って、自分は魚介のドリア、彼方はハンバーグ定食を注文した。

窓際からは海が一望できる開放的なレストランだった。


彼方から食事をしようなんて誘うのは、珍しい。

いつも家で食事を出しても、彼方はほとんど手を付けずに食べ残すからだ。

それどころか、食事を出すだけでも憂鬱そうな顔をする。

本人は秋になっても「夏バテで食欲がない」と言っていたが、精神的なことから食欲が低下しているのだと京子は思っていた。


けれど、今日の彼方は違った。

結構なボリュームのあるハンバーグ定食を、ペロリと平らげたのだ。

お皿の上には、ご飯粒一つでさえ残っていない。


「…今日は、全部食べるんですね。」


自分が作った食事は、ほとんど食べないくせに。

そんな嫌味でも言ってやろうかと思ったが、やめた。


「だって、お腹すいてたんだもん。はしゃぎすぎちゃったのかな。」


食事を食べ終え、彼方は煙草をふかしながら言う。

甘い香りの紫煙が宙を舞う。京子はその煙で咽て咳き込んだ。


「ああ、ごめん。煙たかった?」


彼方は、慌てて煙草を灰皿に押し付けて揉み消す。


「全然禁煙する気ないじゃないですか。」


唇を尖らせて京子は言う。


「これでも、結構頑張って減らしてるんだよ?少なくとも、京子ちゃんの前では、ほとんど吸ってないでしょ?」


「減らすだけじゃダメです。完全に禁煙してくださいよ。そう約束したじゃないですか。」


「うう…まあ、わかってるんだけどさー。禁煙って大変なんだよねえ。」


「なら、最初から吸わなきゃよかったのに。大体、貴方は、いつも後先考えなさすぎるんですよ。」


「はあ…返す言葉もございませーん。」


溜息を吐いて、少し困った顔をして彼方は両手を挙げる。お手上げのポーズだ。

本当に反省しているのかどうか怪しい。いつだって彼方は、口達者なのだから。


「それよりさー、もう一回イルカショー見ない?」


京子のお説教が続くと思ったのか、彼方は急に話題を切り替える。

彼方曰く、先程のイルカショーは、夢中になりすぎて写真を一枚も撮ってなかったらしい。

せっかく誕生日に初めて水族館に来たのだから、どうしても撮っておきたと言う。

時計とパンフレットを見比べると、次のショーは十五分後から始まるみたいだ。


断る理由もないし、今日くらいは彼方のワガママを聞いてやろうと、京子はそれを了承した。

イルカショーが始まると、先程と同じく彼方は、キラキラと目を輝かせて、熱い声援をイルカに送ったり、褒め称えるように満足そうに拍手をしていた。

また夢中になっている。さっきもそれで写真を撮れなかったんじゃないのか。


京子は彼方を肘で小突く。「彼方さん、カメラ。」

そう小声で呟くと、彼方はあっ、としたような表情をして、慌ててカメラを手に取った。

また、写真を撮ることも忘れるくらい夢中になっていたらしい。


本当に彼方は、動物が好きなようだ。

今日一日、水族館にいる間、彼方の笑顔が絶えたことはない。

ずっと水槽やプールを見つめて、ニコニコしているのだ。


今だって、夢中でファインダーを覗いてシャッターを切っている。口元には笑みが浮かんでいる。

その視線の先には、彼方のお気に入りのイルカたち。

午前のショーと同じくバンドウイルカの親子が高く飛び跳ねている。


彼方は歓声を上げながら、忙しなくシャッターを切る。

今日一日で何枚、何十枚、いや何百枚の写真を撮ったのだろう。

思い出を残したいと言って買った、デジタル一眼レフ。

そのカメラの中の思い出は、今も増え続けている。


ショーが終わり、そろそろ家に帰ろう水族館を出ようとする途中、彼方は「あ!」と言って立ち止まった。

そのまま自分の手を引き、水族館入口の横の土産物屋を覗く。

お土産の定番、クッキーやせんべい、ぬいぐるみやキーホルダーなどが見えた。


「ねえねえ、初水族館記念に何かお土産買っていこうよ!」


「お土産って…何買うんですか?」


「うーん、せっかくだからさ、お揃いのストラップなんてどう?」


そう言って彼方は、店の中に入り、ストラップコーナーを見て回る。

イルカ、ペンギン、アシカにアザラシ、ラッコや様々な動物をモチーフにしたストラップがたくさん並んでいる。

イルカのストラップの上には、「人気ナンバーワン」とポップが掲げられていた。

彼方は、イルカのストラップを手に取った。


「これなんかどう?」


どうやら彼方は、相当イルカが気に入ったらしい。

ニコニコと手に取ったイルカのストラップを京子に差し出して見せる。

けれど、京子はイルカよりもペンギンの方が好きだった。


「んー、私はペンギンの方が好きです。」


「えー、ペンギン?僕、イルカがいいんだけど。」


彼方は、不満そうに唇を尖らせる。

そして、ペンギンのストラップも手に取り、イルカのストラップと見比べた。

「やっぱり、イルカの方が可愛いじゃない。」そう言って、ペンギンのストラップを棚に戻した。


「それなら彼方さんは、イルカにすればいいじゃないですか。私ペンギンにしますし。」


「こういうのは、お揃いじゃないと意味ないの。」


彼方は不満そうにしながらも、イルカのストラップも棚に戻した。

そして、「じゃんけんしよう」と言った。


結局、じゃんけんに勝ったのは京子だった。

彼方は名残惜しそうにイルカのストラップを見ていたが、「ま、いいや。」と言って、ペンギンのストラップを二つ購入した。

彼方がレジで会計を済ませる後姿を見て、京子は少しだけ後悔していた。

彼方の誕生日なのだから、自分が譲ればよかった。しかも、いつものように彼方に支払いを任せてしまっている。

それどころか、ここまでのバス代も、水族館の入場料も、ランチも、全部彼方が支払ってくれた。


せっかく彼方の誕生日なのだから、自分が喜ばせてあげようと思っていたのに。

ああ、そう言えば、まだ一度も彼方におめでとうと言えていない。

一番最初に言おうと思ったのに、それを逃したらなかなかタイミングが掴めない。

素直に笑顔の一つでも向けてやりたいと思うのに、恥ずかしさが邪魔をして、それもできない。

こんな天邪鬼な女とデートをして、彼方は楽しいのだろうか。愛想を尽かされなければいいのだけれど。



帰りのバスに乗ると、彼方はさっそくさっき買ったストラップを袋から取り出した。

一つを京子に差し出して、もう一つを自分に携帯電話に取り付けた。


「まあ、ペンギンも可愛かったよねえ。ちょこちょこ近づいてくるところとか、コテンって転んじゃうところとか、凄い可愛かった。」


指先でストラップを弄びながら、彼方は言う。

京子は貰ったストラップを携帯には付けずに、手に持っていた。


「京子ちゃんは付けないの?」


「携帯に付けると邪魔だから、学校の鞄にでも付けます。」


「そっか。ちゃんと付けてよ?お揃いなんだから。」


お揃い、その言葉を強調して、彼方は微笑む。

そう言われると、なんだか気恥ずかしくて、京子は目を逸らした。

その視線の先には、彼方が買ってくれたお揃いのストラップ。

バスが進む振動で、可愛らしいペンギンが揺れた。


でもよく考えたら、彼方に与えられたものは多いけれど、二人でお揃いの物を持つのは初めてだ。

それも、彼方の誕生日に水族館デートをした記念のストラップなんて。

本当の恋人みたいだ。いや、本当の恋人なのだけれど。


いつもは家で他愛のない話をして過ごすだけで、こういうデートに行くのは、数えるほどしかない。

恋人らしいことなんてほとんどしないから、なんだか不思議な気分だ。


ふいに、彼方は甘えるように京子の肩に凭れかかってきた。


「ちょっと、彼方さん。こんなところで…。」


「いいじゃない、少しくらい。誰も見てないよ。」


平日の昼間のバスには、他の乗客はいない。

運転手は真っ直ぐ前だけを見ている。

彼方が言うように、誰も自分たちのことを気にしてはいなかった。


吐息がかかりそうなほど、近い距離。

彼方に触れる肩が、熱を持ったように熱くなるのを感じた。


「ねえ、京子ちゃん。」


耳元で、彼方は囁く。


「今日すっごく楽しかったよ。ありがとう。最高の誕生日だった。」


目を細めて嬉しそうに微笑む。心底嬉しそうな子供の顔。

その笑顔を見て、京子も満たされた。

自分の好きな、彼方の笑顔。


よかった。

今日学校を休んでよかった。

特別な日に、彼方が自分といることを望んでくれてよかった。

彼方と水族館でデートができてよかった。

彼方が喜んでくれて、本当によかった。


後は、自分の口からちゃんと「おめでとう」を言うだけだ。


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