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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「居場所」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎医師 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波沙織 看護師

高橋奈津子 日向の母親


 「居場所」




優樹のマンションに帰って、リビングを開けると優樹はキッチンに立っていた。

優樹は自分の顔を見て、少し驚いた顔をして、笑った。


「おかえり、彼方。」


「…ただいまです。」


なんだかいい香りがする。

珍しく、料理をしているのか。


「もーすぐできるから座って待ってろ。今日は特別に俺が美味いの食わせてやるからよ。」


「手伝いましょうか?」


「いーよ。お前、料理全然ダメだろ。俺に任せとけって。」


そう言って、優樹はいつもの勝気な笑みを見せる。

彼方は大人しくソファーに座った。


昨日のこともあって、少しだけ気まずい。

年齢のことが優樹にバレてしまったし、それでも自分に優しくしてくれる優樹に、なんだか居心地の悪さを覚えた。

辞めた方がいいと思っていながら、他に居場所がないことと、京子に言われたことを思い出して、踏ん切りがつかない状態になっていた。


死んだ弟に似ているだなんて、そんなことを言われたらどうしていいかわからなくなる。

だって、自分は優樹の弟ではないのだから。

優樹だって、わかっているはずだ。

自分は大樹じゃない。どう足掻いても、大樹にはなれない。

それは、優樹も知っていることだ。


辞めないと。これ以上優樹に迷惑はかけられない。

こんなに自分に優しくしてくれる人を、貶めてはいけない。

今まで優しくしてくれた、それだけでもう充分じゃないか。

今日で終わりにしよう。もう辞めると言おう。それが、一番いいはずだ。


そう意を決して口を開こうとしたとき、優樹がキッチンから声を掛けてきた。


「なー、お前って高三だったよな?十七?十八?」


少し間の抜けた声。

優樹は自分に背を向けて、フライパンを振っていた。


「十七です。」


「誕生日は?いつだ?」


「再来週ですけど…。」


「再来週か。じゃあそんなに問題じゃないな。十八になったらセーフだもんな。」


優樹は振り返って壁に掛けられたカレンダーを見る。


「何日?」


「二十二日です。」


「木曜か。」


曜日を確認して、優樹はフライパンに視線を戻す。

そして、器用に片手でフライパンを振る。


「どーする?いつも通り出勤してもいいし、誕生日まで休みとってもいいぞ。」


「えっと…」


言わないと。これ以上甘えるわけにはいかない。

けれど、なかなか思いが言葉にならなかった。

だって優樹は、自分をここに置いてくれることを前提で話している。

その気持ちを裏切るのは、心が痛い。


言い淀んでいると、優樹が横目で自分を見ていることに気付いた。

その自分を窺っているような目つきに、彼方は言葉を飲み込んだ。


「まあ、お前が辞めたいっつーなら、俺は止めないけど。無理してこういう仕事するもんじゃないしな。」


そう言って、優樹はコンロの火を止める。

そして、用意してあった皿にチャーハンを盛り始めた。


「でもな、前も言ったけどさ、俺はお前がいてくれてよかったと思ってるぞ。」


その言葉に、彼方は目を伏せた。


自分がいてくれてよかった、だなんて。

そんな言葉、今まで誰にだって言われたことなかった。

親にも、日向にも、誰にも。

自分を必要としてくれている人なんて、何処にもいなかったのに。

どうして優樹は、自分を必要としてくれるのだろう。

こんな自分なんかを、どうして。


チャーハンが乗った皿を二つ持って、優樹はキッチンから出てくる。

そして、彼方の前へ置いた。


「ほらよ。」


「あ…。ありがとうございます。」


出来立てのチャーハンのいい香りがする。見た目も綺麗に盛り付けられている。

意外と料理できる人なんだなと、彼方は優樹の知らない一面を見た気がした。


優樹は彼方の対面のソファーに座って、自らの前にもチャーハンの皿を置いた。

そして、彼方を真っ直ぐに見つめて言った。


「なあ彼方。ここはお前の居場所にはならないか?」


優樹の真っ直ぐで真剣な目が見れなくて、彼方は俯いた。


「居場所…だなんて。優樹さんこそ、僕がここに居たら迷惑なんじゃないですか。」


「アホか。迷惑なんて思ってねえよ。お前は気を遣いすぎだ。もっとワガママになってもいいくらいだろ。」


「これ以上、ワガママなんて言えないですよ。今まですっごく良くしてもらったし・・・。」


仕事も、住む場所も、携帯電話も、仕事着のスーツや美容院代でさえも、全部優樹が与えてくれたものだ。

優樹は無償で今の自分が生活できる場所を与えてくれた。

何の不自由もない生活。本当に、充分すぎるくらいだった。


「そう思うんなら、これからも一緒に仕事続けてほしいと思うけどな。」


優樹は腕組みをしてソファーに凭れかかる。


「仕事、嫌になったか?」


「嫌になったわけじゃないですけど…。」


彼方は俯いて、自分の痩せた膝を見ていた。


「ずっと騙してたのに優樹さん怒りもしないし、仕事続けてもいいって言われても…なんか…その…。」


「気まずいか?」


彼方は無言でこくりと頷いた。


「まあ、そーだわな。俺も、もうお前が帰って来ないかと思った。」


優樹は、ククッと低く笑った。


「俺も言わなきゃよかったって、ちょっと後悔したんだよ。お前に気まずい思いさせたなーって。」


「悪いのは、ずっと嘘吐いてた僕ですよ。」


「だから、そんなこと怒ってねえって。…でも、ま、ちゃんと帰ってきてくれてよかったよ。」


そう言って、優樹は優しい微笑みを見せた。


「まあ、食えよ。それなりに美味いと思うぞ。」


勧められるままチャーハンを一口食べると、なんだか泣きたくなった。

料理は作る人の人柄が出ると聞いたことがある。

歪な形に切られたネギやウインナー。盛り付けも少し雑だ。

けれど、優樹の不器用な優しさと同じように、暖かくて優しい味だった。


「美味いか?」


「はい。…美味しいです。」


本心だった。相変わらず食欲はないけれど、優樹が作ってくれたチャーハンは本当に美味しかった。

優樹は満足そうに笑って、自分もチャーハンを口に入れた。


「お前がうちに来てからさ、家の中が明るくなって、賑やかになって、アイツ…京子もよく笑うようになってさ。…感謝してるんだよ、お前に。」


「京子ちゃん、結構笑うじゃないですか。」


「いーや?俺の前だと全然。ずーっと不機嫌そうな仏頂面だよ。まあ、歳が離れてるから話す話題もないんだけどさ。」


京子が優樹に素っ気なかったのは、恋をしていたからだろう。

素直じゃない京子のことだ。意識すればするほど、正反対の態度を取ってしまう。

きっと、優樹への恋心が京子を仏頂面にさせたのだ。


「一人暮らしって結構寂しいもんでさ、朝起きても誰もいない、仕事から帰ってきても誰もいない、おはようもおやすみも言う相手もいなくてさ、結構しんどいんだよ。京子もあっちで生活してるし。」


目を伏せて、優樹が言う。


「だからさ、もうちょいここに居てくれたら、俺は嬉しいんだけど。」


「でも…。」


「まあ、無理にとは言わない。お前の意思を尊重するよ。俺のワガママでお前の人生を滅茶苦茶にしたくないしな。」


自分の人生は、とうに滅茶苦茶になっている。

家を出た時から?あの子を傷付けた時から?日向にキスをした時から?

いや、生まれた時から既に滅茶苦茶だったのかもしれない。

そして、滅茶苦茶なまま、この人生を終えることもわかっていた。


「なあ、彼方。お前はどうしたいんだ?」


そう言って視線を上げた優樹の瞳は、なんだか切ないものだった。


「僕は…。」


辞めなきゃいけないと思うのに、まだここに居たくなる。

自分を必要としてくれる優樹を、裏切りたくないと思ってしまう。

いや、もう裏切ってしまっているのに、この場所に縋りたくなる。

居場所がないからじゃない。必要とされていることが、泣きたいくらい嬉しかったのだ。


「辞めたくない…です。」


意を決して、小さく呟くと、優樹はふっと笑った。


「そうか。じゃあ、これからもよろしくな。」


そう言って、優樹は右手を差し出した。


「…はい。よろしくお願いします。」


自分も右手を差し出して握手を交わす。

力強いその手の暖かさに、涙が出た。


「おい泣くなよ。男だろ?」


「ごめんなさい…。なんか…嬉しくて。」


堰を切ったように、ポロポロと涙が溢れてくる。

嬉しかった。嘘が暴かれてもここにいられることに。必要とされていて求められていることに。

初めてこんなどうしようもない自分が、生きていていいと認められた気がした。


優樹は困った顔をして、それから笑って、少し乱暴に自分の頭を撫でた。

その優しさに、また涙が止まらくなった。


京子が優樹のことを好きになったのが、少しだけわかる気がする。

優樹は不器用だけどこんなにも優しくて、しっかりとした頼りがいのある大人だ。

とても自分じゃ敵わない。優樹は本当に大きい。こんな大人になりたいと思った。




その日、智美は再び優樹の店に訪れようと思った。


やっぱり彼方のことが心配だったのだ。

あの時の彼方の苛立ったような、怒ったような顔が目に焼き付いて離れない。

あんな顔、初めて見た。いつも彼方はニコニコと笑っていて、とても可愛らしい青年だったのだから。

自分が彼方を怒らせた。彼方の触れられたくない部分に触れてしまったのだ。

あんな喧嘩別れのような形になってしまって、後味が悪かった。

ちゃんと彼方の顔を見て謝りたかった。


ああ、でも、少し怖い。

きっと彼方だって、もう自分に会いたくないだろう。

あの時のように、冷たく拒絶されるのが怖かった。


優樹の店があるのは、スクランブル交差点のすぐそばにあるビルの5階。

この大きなビルには、キャバクラ、クラブ、ラウンジ、バーなど様々な店が入っている。

北側の一番隅の派手な赤い扉。そこに、優樹の店はあった。


扉の前で、智美は深呼吸する。

そして、店の扉を開けた。

自分が店の中を覗くと同時に、カウンターに立っていた彼方と目が合った。

彼方は自分を見て一瞬驚いたような顔をして、そしてふっと笑った。


「いらっしゃい。智美さん。」


いつもの、優しい微笑みだった。

怒っていると思ったのに、冷たく突き放されると思ったのに、なんだか、拍子抜けだ。


「座ってよ。何がいい?いつもの?」


入り口に立ったままの自分に、彼方はカウンター席を勧める。


「あ…うん、いつもの。」


まだ早い時間だからか、店内はガランとしていた。

奥のボックス席に団体客がいるだけだ。優樹はその団体客の傍に立って談笑している。こちらには、気付いていないようだ。


智美は彼方に勧められるまま、カウンター席に座った。


「この間も、僕が休みの日に来てくれたんだってね。」


彼方は、氷の入ったグラスにカンパリを注ぎながら言う。


「うん。…余計なことしちゃった?」


「いや?優樹さんに変なこと言ってないんでしょ?なら、いいよ。」


そう言って、彼方はグラスに炭酸水を入れて軽くステアした。

手付きがやけに手馴れているのは、いつも智美がこの酒をここで飲んでいたからだ。


「どうぞ。」


自分の前に差し出されたのは、カンパリソーダ。

アマロ系のリキュールベースのカクテルだ。

鮮やかな赤い色に炭酸の気泡が浮かぶ。


「ありがとう。」


智美は差し出されたカンパリソーダに口を付ける。

爽やかな苦みとしゅわしゅわとした炭酸が口の中に広がった。


花言葉と同じように、カクテルにも意味が秘められている。

カンパリソーダのカクテル言葉は、「ドライな関係」。

その名の通り、彼方と自分は店の従業員とただの客。

彼方との夜だって、金で買った一時の夢だ。

けれど、そのドライな関係から、自分は彼方に惹かれていった。


「でも、びっくりしたなあ。また智美さんが来てくれるなんて。

 普通あんなこと言われたらもう来ないでしょ、普通。」


身を乗り出して、彼方はカウンターに頬杖をつく。


「あのまま別れるのは嫌だったから…。」


グッと近づいた彼方との距離に、智美はなんだか気まずさと恥ずかしい気持ちで、目を伏せた。


「ああいうことしてる私が言うべきことじゃなかったって思ってる。

 でも、私は彼方君にもっと自分のことを大事にしてほしいと思って…。

 他の女の人とも寝てるんでしょ?だから嫌になって…。」


言いかけた言葉は、彼方に遮られた。


「ストップ。」


内緒、とでもいうように、唇に彼方の人差し指が当てられる。


「…店の中で、その話は困るなあ。」


そう言って、彼方は苦笑する。

そして、優樹の方をチラリと盗み見た。

優樹は団体客と談笑したまま、こちらにはまだ気付いていないようだ。

彼方は安心したように目を伏せると、自分の唇から指を離した。


「ああ、リップついちゃった。ごめんね。」


顔の前で手を合わせて、彼方は首を傾げて謝った。

そして、おしぼりを取り出して指に付いたリップを拭いながら、声を潜めて言う。


「…僕さ、もう誰とも寝ないことにしたんだ。」


「え?」


「だから、もうああいうこと、やめようと思って。」


彼方は優しい微笑みを作る。

その顔は、なんだかいつもよりスッキリとしているような気がした。


「…うん、それがいいと思うよ。」


そう口にはしたが、智美の中では複雑な思いが渦巻いた。


「この間は本当にごめんね。でも、これからもお店に飲みに来てくれたら嬉しいな。」


「もちろんよ。私こそ、変なこと言ってごめんね。」


彼方の言ったことは、正しいと思う。

自傷をするくらい追い詰められるのなら、売春なんてしない方がいい。

けれど、それは、自分との夜でさえも、もう二度とないと言うことだ。


ああ、今更何なんだ。

最初から、わかっていたじゃないか。

彼方は、自分のことを恋愛対象になんて見ていない。

二人は体だけの関係。金で一夜の夢を買う。それだけの関係だ。

なのに、今更、彼方との夜が惜しくなるなんて。


自分は、彼方のことが好きだったのだろうか。

叶わないとわかっていて、恋をしていたのだろうか。

それとも、情が湧いてしまっただけか。

それは、わからない。けれど、何故か胸が締め付けられた。


「彼方君も何か飲んだら?」


智美は自嘲気味な笑みを浮かべる。


「ありがとう。」


そう言って、彼方は微笑む。

この可愛らしい笑顔が、好きだった。


「何にしようかな。最近ちょっとカクテルに凝ってるんだよね。」


彼方は振り返って、カウンターの奥の棚にまるでインテリアのように並べられている様々な酒の瓶を眺める。

その後姿を見ながら、智美は小さく溜息を吐いた。


なんだか自分が滑稽に思えた。

カンパリソーダのような関係に、酔っていたんだ。

自分は、どうしようもなく馬鹿な女だ。


彼方はタンブラーに氷を入れて、ウォッカ、ライム・ジュース、ジンジャー・エールを注いでステアする。

スライスしたライムを乗せれば、モスコミュールの完成だ。

彼方はカクテル言葉を知っていて、この酒を作ったのだろうか。


「ねえ、彼方君、知ってる?カクテルって花言葉と同じように意味があるのよ。」


「意味?」


彼方は不思議そうに首を傾げる。


「モスコミュールのカクテル言葉はね、『喧嘩をしたらその日のうちに仲直りをする。』

 まあ、その日のうちには仲直りできなかったけどね。」


智美は苦笑が零れた。


「へえ。そうなんだ。じゃあ、智美さんのソレはどういう意味?」


彼方は、興味深そうに智美のグラスを指さす。


「これは…内緒。」


そっと、グラスの縁を指でなぞる。

カンパリソーダのカクテル言葉は、秘密にしておこう。

知らない方が、きっと幸せだ。


「でも、次から『いつもの』変えようかなあ。」


「てことは、あんまりいい意味じゃないんだ。」


「まあね。でも好きなの、カンパリソーダ。」


「ふぅん。まあ良くないと思ってても、好きになることってあるよね。」


「ホントホント、どうしようもないのよね。」


そう言って、二人で笑い合う。


愚かな男と、愚かな女。

それ以上の関係でも、それ以下の関係でもない。

けれど、まだこの関係に酔っていたいと智美は思った。


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