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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「手掛かり」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波さん 看護師



 「手掛かり」




九月も終わりに差し掛かり、少しずつ肌寒い日が多くなってきた。

日も短くなり、どんよりとした曇り空が広がる日が増えた。

母親が事故に遭ってから、一週間と少し。

まだ、意識は戻らない。


日向は、二日に一回ほど、病院に顔を出していた。

別に何をするわけでもなく、静かに眠る母親の顔を見るだけ。

医師や看護師の険しい顔とは裏腹に、自分は胸の内で安堵していた。

このまま、一生母親の意識が戻らなくてもいい。

その方が、平和で幸せなのに。


静かな病室で眠る母親の顔は、穏やかだった。

まるで、死んでいるように眠っている。

事故当時に付けられていた呼吸器や、何に使うかよくわからないチューブなどは外され、母親の細い腕には、規則的に滴る点滴だけが繋がれていた。

これは病状が安定している証拠。

自力で呼吸もできるし、心臓も動かせる。

死んだように眠っていても、この女は生きている。



母親が事故に遭ったことは、百合と将悟に話した。

二人とも、心配そうに自分を気にかけてくれた。

心配かけるのは申し訳ないけれど、何も言わない方が余計に二人を心配させるとわかっていたから。


母親が事故に遭ってから、自分はバイトを減らして、以前より百合との時間を大切にするようになった。

甘く穏やかで幸せな時間。この時間が、いつ壊れるかもわからない。

貪るように、惜しむように、百合との時間を過ごした。


将悟には、「彼方に伝えなくていいのか」と言われた。

そんなこと言われたって、彼方の居場所も連絡先も知らない。

それに、伝えたところで、彼方は戻って来ないことを、わかっていた。

彼方は自分よりも、母親を嫌っていた。

家を出て、いっそ清々したのではないかと思う。

虐待を受けるのは、自分一人でいい。


そして、もう一人。母親が事故に遭ったことを伝えた人間がいる。

同じ高校の二年、竹内京子。

バイト先も同じで、最近よく話すようになった女の子。


彼女に伝えたのは、千秋の言葉があったからだ。

千秋によると、夏休みに街の方の大きな花火大会で、京子が彼方と歩いていたらしい。

本当かどうかはわからない。けれど、千秋が自分に嘘を吐く理由はない。

いや、もしかしたら千秋の見間違いかもしれないけれど。

だって、京子に彼方のことを聞いた時、知らないと言っていた。

京子が嘘を吐いているのか。誤魔化しているのか。



 ―噂では、女の子百人切りらしいっすよ。


彼方には、おかしな噂がある。

火のない所に煙は立たない。

噂と呼ぶには、あまりにも現実的なものだけれど。

もしかしたら、京子も彼方に遊ばれた女の内の一人なのかもしれない。

だから、彼方のことに触れてほしくなかったのかもしれない。


でも、千秋が二人を見たのは夏休みだと言っていた。

クラスの女子たちは、誰も彼方の連絡先は知らないと言っていたのに。

誰も夏休みに彼方に会っていないと言っていたのに。


偶然二人が街の花火大会で会ったとは、考えにくい。

たまたま会って、たまたまデートをしたなんて、有り得ない。

だとしたら、京子は彼方の連絡先を知っているのではないか。

二人で待ち合わせて、花火へ出掛けたのではないのか。

だったら、京子は今も彼方と連絡を取り合っているのではないか。


でも京子は彼氏がいると言うし、彼方とデートをしていただなんて、有り得ない…と思う。

彼方が京子の彼氏だとしたら?いや、そっちの方が有り得ない。

彼方は自分に恋心を向けていた。


やっぱり千秋の見間違いなんじゃないか。

そう思っても、疑念は消えなかった。


だから、京子に母親が事故に遭ったことを告げた。

どんな反応をするのかと、京子を試した。

けれど、京子は何も言わなかった。

代わりに、探るような視線を向けてきた。


あの沈黙と視線は、どちらだろうか。

何も知らないのから、自分の意図を探ったのだろうか。

知っているからこそ、押し黙って沈黙を守ったのか。

わからない。確信が持てない。


けれど、京子が彼方の居場所を知っていたとしても、簡単に口を割らないだろう。

彼方も口止めしているだろうし、京子は頑固そうだ。

ああいう気が強そうな女は苦手だ。どうしていいかわからない。

京子が本当に何も知らないのなら、それでいいのだけれど。


もし京子が彼方と繋がっているのなら、この話は彼方に伝わるはずだ。

この話を聞いて、彼方がどんな反応をするのかはわからない。

けれど、何らかの反応があるだろう。


いや、そもそも自分は、どうして京子にそんなことを言ったのだろう。

京子を揺さぶって、何がしたいのだろう。

もう彼方を探さないと決めたのに。

別々の人生を歩むと決めたのに。


将悟は、誠が彼方の何かを知っているかもしれないと言っていた。

誠の話を聞きたくなったら、家に来いと言われた。

けれど、将悟が聞いても誤魔化されるのなら、自分が聞いたって同じだろう。

そもそも、何をどう聞けばいいと言うのだ。

誠が誤魔化すのは、きっと触れられたくないから。触れてはいけないことだから。

聞けるわけがない。聞く気もない。聞いたって意味がない。

聞いても、自分にはどうにもできない。


手掛かりは、たくさんある。

けれど、踏み出す勇気がなかった。


矛盾だらけだ。言い訳だらけだ。

本当は心の底で、彼方を探したいと思っているのか。

やっと見つけた彼方への手掛かりに、縋りつきたいと思っているのか。

そんなはずない。そんなことがあっていいはずがない。


彼方を探して連れ戻すなんて、お互いによくないことだと思う。

彼方は望んで家を出ていったし、自分にもう会いたくないはずだ。

百合のことを思うと、自分もこのままでいいと思っていた。

もう二人は、分かり合えない。


みっともなく彼方を追うのは、止めないといけないのに。

無意識に、その手掛かりに手を伸ばしてしまう。

自分は、まだ彼方との日々を望んでいるのか。

わからない。

自分の気持ちがわからない。

自分がどうしたいかなんて、わからない。

もう彼方を探さないと、自分で決めて納得したはずなのに。


日向は、やりきれない気持ちを溜息にして吐き出した。




これはいつの記憶だろう。

自分たちが中学に上がってすぐくらいだっただろうか。


その頃は、いつもより長く母親が家に滞在していた。

当然のように暴力は毎日続いたし、自分も彼方も日に日に疲弊していった。

特に、彼方の憔悴具合は目も当てられないほどだった。


それでも、彼方は二人きりの時は自分に笑いかける。

無理して笑う笑顔が、痛々しかった。


ある夜、二人で隠れたベッドの中で、彼方は小さく零した。


「もういっそ、死んじゃいたい。」


それはきっと、心の底からの言葉だったのだと思う。

自分も同じことを考えていた。

このまま生きていくくらいなら、いっそ死んだ方がマシだ。

終わりのない虐待の日々に、疲れたんだ。

どうせ自分たちには、人並みの幸せすら与えられない。

なら、もう終わってしまった方が、幸せだ。


今まで抵抗をしなかったわけじゃない。

何度も嫌がった。何度も抵抗した。

けれど子供だった自分たちには、できることは限られていた。

力では押し負けてしまうし、稚拙な言葉では、余計に母親を怒らせるだけだった。

逃げ出す場所なんてなかったし、どう足掻いても、この家が自分たちと母親の帰る家。

誰も助けれはくれない。誰にも頼れない。

逃げ場のない檻のような家だった。


次の日も虐待は続いた。

そこで、自分は母親に口答えをした。

逆上されてもいい。もうどうなったっていい。このまま終わりたかった。


「産んでほしいなんて誰が言った。産んだのは母さんだろ!

 俺たちが要らないのなら、いっそを殺せばいいだろ!母さんなんて…大嫌いだ…っ!」


その言葉に、母親は涙を流した。


「なんで…そんなこと言うの…。貴方たちまで…なんで…。私だって辛いのに…。死にたいのは、こっちの方なのに…。」


酒臭い息でそう言って、子供のように泣き崩れた。

体中痣だらけ傷だらけの息子を前に、被害者面する母親に腹が立った。

まるで自分だけが不幸だと思っている母親に、嫌気がさした。


「じゃあ、お前が死ねばいいだろ…っ!」


そう苛立ちのまま、言い放った。

溜まっていた鬱憤を、吐き出した。

あの時の自分は、ひどく興奮していた。

冷静でいられないのは、無理もない。

自分だって、毎日続く虐待に疲弊していたんだ。

救われないことをわかっていたから、どうなってもよかった。

そのまま、泣き崩れる母親を置いて、彼方を連れて部屋に篭った。


部屋に戻っても、興奮は治まらなかった。

しばらく動機が治まらなくて、呼吸が荒かったのを覚えている。

言った。やっと言えた。言ってやった。

自分たちを殺さないのなら、母親なんて死んでしまえばいいんだ。

あんな母親いらない。消えてしまえばいい。死んでしまえばいいんだ。

そうすれば、楽になれる。


そのまま、布団を被って不貞寝をした。

食事も取らず、シャワーも浴びずに、惰眠を貪った。

彼方に起こされたのは真夜中で、その時の彼方は酷く取り乱した様子だった。

彼方は泣きじゃくりながら「母さんが…母さんが…」と震える声で言った。

手を引かれるまま、リビングに行くと、その光景に目を瞠った。


真っ暗な部屋で、母親が腕から大量に血を流して、倒れていた。

壊れた人形のように、床に手足を投げ出して、真っ赤な水たまりを作っていた。

その姿を見た時、足が竦んで腰が抜けた。

あまりの恐怖に奥歯がガチガチと震えて、吐き気がした。

母親の傍には血まみれの包丁が落ちていて、瞬時に何が起きたかを悟った。


母親は、自殺しようとしたのだ。


罪悪感と後悔が押し寄せる。

母親をこんな姿にしたのは、自分だ。

自分のせいだ。自分が殺したようなものだ。

あんなこと、言わなければよかった。

自分の言葉が、母親を殺したんだ。


「どうしよう…どうしよう…」と泣きじゃくる彼方。

自分は、何も言えなくなっていた。動くことすら、ままならない。

体がガタガタと震えて、呼吸すら上手く紡げなかった。


どのくらいそうしていたかはわからない。

長い時間だったような気もするし、短い時間だったような気もする。


気が付いたら、母親は救急車で病院に運ばれた。

彼方が、救急車を呼んだのだろうか。

救急隊員が担架に母親を乗せる時、だらりと腕が宙に揺れた。

それが、意思を持たない壊れた人形のようで、ひどく恐ろしかったのを覚えている。


処置が早く、幸い母親の命に別状はなかった。

けれど、真っ赤な血が飛び散った部屋と、倒れている母親の姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

自分が殺そうとしたのだ。自分が、殺人犯だ。


死んでほしいと思ったけれど、実際に自殺未遂の現場を目にすると、恐怖で体震えた。

情けないくらい、足腰が立たなくなって、へたり込んだ。

言葉を発せられないほどに震えて、体が凍り付いたように動かなくなった。

人が死ぬのは、こんなにも恐ろしいことだったんだ。

それを実感した時、自分を責めた。

責めて責めて、責めつくした。


「日向のせいじゃない。日向のせいじゃないよ。」


慰めるように、彼方は自分に言い聞かせた。

けれど、そんなのただの気休めだ。

紛れもなく、自分のせいじゃないか。


母親は数日で退院して、無事に生きて帰ってきた。

そして、酒に酔い、また自分たちに虐待を繰り返した。


その時から、自分は口を閉ざすようになった。

抵抗も、止めた。されるがまま、殴られ、蹴られた。

それでも、自分は何も言わなかった。

自分の口は、誰かをひどく傷付ける。

何も言わなければ、どうにもならない。

どうにもならなければ、それでいい。

もう、誰かを傷付けるのは、嫌だ。

自分が傷つく方が、何倍もマシだ。

心を閉ざすことを覚えた春だった。




「日向君。日向君、起きて。」


優しい声と共に、肩を揺さぶられる。

重たい瞼を開けると、白いシーツが見えた。

自分はベットに俯せて、眠っていたのか。

顔を上げると、看護師の美波が隣に立っていた。


「…美波さん。」


美波はニッコリと微笑む。


「今日はもう遅いから、帰った方がいいんじゃないかな?」


そう言われて窓の外を覗くと、辺りは真っ暗だった。

どれくらい眠っていたのだろう。ほんの少しの間だと思ったのに。

視線をベッドに戻すと、母親はまだ死んだように眠っていた。

安堵の溜息が洩れる。


「心配しなくても、お母さんは大丈夫よ。」


大丈夫、大丈夫と、美波は自分を元気づけるように言う。

けれど、自分にはその言葉が、呪いのように聞こえた。

美波には、自分が親孝行な息子にでも見えているのだろうか。

お見舞いのつもりで来ているんじゃない。心配だから来ているんじゃない。

母親が目を覚まさないことを、確認しに来ているだけだ。


人の死を見るのは、怖い。

脳裏に焼き付く光景が、フラッシュバックしそうだ。

できればこのまま、目を覚まさず、一生を終えてほしい。

それができなのなら、せめて自分が成人するまで、一人で生きていけるようになるまで。

そんな都合のいいことなど、ありえるのだろうか。


「あの…。」


日向は、ポツリと小さく呟く。


「このまま、…一生目を覚まさないってことも…ありえますか?」


美波は少し困ったような顔になり、自分を慰めるようにトントンと肩を優しく叩いた。


「…大丈夫よ。お母さんはきっと目を覚ますわ。きっと、必ず。絶対に。ね?」


力強く、曖昧な言葉。

慰めが聞きたいわけじゃないのに。

励ましてほしいわけでもないのに。

けれど、胸の内で考えていることを、言えるわけがなかった。







「あーもう、全然わかんねえ!」


亮太はシャーペンを投げ捨てるように机の上に置いて、溜息を吐いた。

ノートはほとんど真っ白なくせに、スナック菓子の袋は既に空っぽ。

新しく買った参考書は、全ての文字が蛍光ペンでなぞられていた。これじゃあ、どこが大事なところかもわからない。


「ちょっと、全然進んでないじゃないの!」


「少しだけ休憩ー。」


そう言って、亮太は床に寝転がる。

足元には漫画やゲームが散乱していて、相変わらず足の踏み場もない部屋だ。

亮太は手近な漫画を手に取り、読み始める。


「さっき休憩したばっかりでしょ!そんなことしてたら、大学受からないわよ!」


呆れて、真紀は亮太を咎める。


「だって、全然わかんねーんだもん。」


亮太はつまらなそうに唇を尖らせて、漫画のページを捲る。


「アンタがちゃんと授業聞いてないからでしょ。」


真紀は溜息を吐いて、ズレた眼鏡を掛け直した。

受験勉強のために、先週買ったばかりの掛け慣れない眼鏡。

母親が選んだ、赤いフレームのお洒落眼鏡だ。


真紀は、亮太の部屋で受験勉強をしていた。

けして綺麗とは言えない、男子高校生の部屋。幼いころは毎日のように訪れた部屋。

中学へ進学して部活が忙しくなってから、あまり訪れることがなかった部屋。

大学進学を決めてから、毎日のように二人は亮太の部屋で勉強会をしていた。


正直自分は、大学進学なんて、どうでもよかった。

高卒で就職しても、フリーターになるという手もある。

どうせ自分は女だし、将来結婚して家庭に入れば、学歴など関係がなくなると思っていた。

それでも、大学進学を決意したのは、亮太とのこの関係をまだ続けていたいと思ったからだ。

想いを伝えられないまま、高校を卒業して離れ離れになるのは嫌だった。

なら想いを伝えればいいと言われそうだが、自分には、その勇気がない。


亮太とは、生まれた時からずっと一緒だった。

幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も。

ずっと亮太の傍にいた。傍にいるのが、当たり前だった。

ずっと一緒に、兄妹のように育ってきた。

だから、告白をして、フラれるのが怖い。

今更この関係を壊すのは、怖い。

今まで当たり前に傍にいたのに、自分の恋心を告げて、傍にいられなくなるのが、怖い。

長年続いた幼馴染と言う関係は、厄介だ。


それなら恋心を隠して、亮太の傍にいる方が気が楽だ。

幸い亮太は自分の気持ちに気付いていないし、こうやって受験勉強を口実に亮太を独り占めできる。

当の本人は、全然やる気がないみたいだけれど。


「やっぱ俺も専門行こうかなー。」


ゴロゴロと寝転がりながら、亮太は言う。


「はあ?なんでよ。受験勉強が嫌になったわけ?」


「それもあるけどさー…。」


漫画を読みながら、亮太は手近にあったチョコレート菓子の袋を開ける。

中からチョコレートを一つまみし、口に入れた。


「最近、俺ばっかり仲間はずれだし。」


亮太は、ポツリと寂しそうに呟いた。


「は?仲間はずれ?」


意味がわからず、真紀は訝しげに亮太を見る。


「将悟も日向も専門だから、最近あの二人仲良いし、よく二人で喋ってるんだけど、俺が会話に混ざろうとしたら、遠ざけられることが多くなったっつーか、なんか秘密でもあるみたいっつーか、お前は受験勉強に専念しろって言われるわけ。」


とりとめなく、たどたどしい言葉で亮太は言う。

亮太は難しい話が苦手だ。それを人に話すのも苦手。

わかりにくい亮太の言葉を掻い摘んで言うと、受験勉強があるから二人の輪に入れない、ということだろうか。


「それで寂しいと?」


机に頬杖を付いて、真紀が言う。


「寂しいっつーか、俺の知らないところで二人がなんかしてるみたいで羨ましいっつーか…うーん、なんなんだろうな。」


自分でもよくわかっていないみたいだ。

亮太は首を傾げて、マヌケな顔で宙を見上げる。


「そんなこと言ったって、今更志望校変えるわけにはいかないでしょ。」


「まあ、そうだけどさ…。」


亮太は不満そうな顔で、唇を尖らせる。


「仕方ないでしょ。あの二人もきっと気を遣ってるのよ。アンタが全然勉強できないから。」


そう言いながら、真紀はノートにシャーペンを走らせる。

志望校は、けして偏差値が高い方ではないし、自分の成績では余裕だけれど、念のため。


「とにかく、今のアンタにできることは、ちゃんと受験勉強して大学に受かること。

 変なこと気にしてないで、勉強に集中しなさい。遊ぶのは、受験終わってからよ。」


二人同時に受からなければ、意味がない。

自分が進学を選択したのは、亮太とずっと一緒にいるためなのだから。


「…アンタが大学に受からないと、困る人だっているんだから。」


ボソッと、真紀は小声で呟く。


頬に熱が籠ったのを感じた。

平静を装ってはみたものの、変に力が入りすぎてシャーペンの芯が折れた。

こんなわかりやすい言葉では、いくら鈍い亮太でも、自分の想いに気付くだろうか。

いっそ伝わってしまえば、楽になるだろうか。


恐る恐る顔を上げて亮太を見れば、亮太は自分をじっと見つめていた。


「…な、何よ?」


伝わってしまったのだろうか。

いや、ありえない。鈍い亮太がこんな言葉で気付くわけがない。

緊張で心臓がドキドキと脈打つ。変な汗が出てきた。

ありえないありえないありえない。今伝えるつもりなんてないのに。


「いや、その眼鏡エロイなーと思って。女教師ものだと、やっぱ赤眼鏡は定番だよなあ。」


その言葉に、拍子抜けした。肩の力が抜ける。

同時に、呆れと怒りが込み上げてきた。

この男は、鈍いだけではなく、デリカシーがない。


「何の話してんのよ!変態!」


そう言って、真紀は消しゴムを亮太に投げつけた。


「いたっ!…なにすんだよー。」


消しゴムは亮太の額に命中して、亮太は痛そうに額を覆う。

心配して損をした。けれど、長太の鈍さに、安堵した。


自分が亮太に想いを伝えるのは、まだ先になりそうだ。

亮太が自分の想いに気付くのも、きっとずっと先のこと。

それでいい。急ぐことはない。

ゆっくり幼馴染と言う関係から抜け出せたらいい。

今はまだ、この関係で、この距離感に浸っていたい。


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