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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「きみがたいせつ」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波さん 看護師



 「きみがたいせつ」




「貴方が…好きだからに、決まってるじゃないですか!」


京子は、精一杯の気持ちを口にした。


心臓がバクバクする。

気を抜いたら、涙が溢れてしまいそうだ。

それでも、目を逸らすものか。

伝われ。ちゃんと伝われ、自分の気持ち。

この人の心へ、届け。


けれど、彼方は辛そうに目を逸らした。


「…いや…無理しなくていいから。

 京子ちゃんは…優樹さんのことが好きだって、ちゃんとわかってるし…。

 それに、『好き』なんて…僕が言わせたようなものじゃん…。」


自信無さげに、彼方は拙く言葉を紡ぐ。


「いいんだよ、別に。優樹さんのことが好きなまんまでも…いいんだ。」


京子は唇を噛んだ。


「だから、違うって言ってるでしょう!」


「違わないでしょ?京子ちゃんは、優樹さんが好きなんだ。」


吐き捨てるように、彼方は言う。


どうして伝わらないんだ。

もどかしい。どんな言葉なら、彼方に伝わるんだ。

一言で気持ちが伝わる魔法の言葉はないのだろうか。


『好き』?『愛している』?

いや、ダメだ。そんな言葉じゃ、彼方に伝わらない。

その言葉は、今まで彼方がいろんな女たちに吐いてきた薄っぺらい言葉だ。

何の意味も持たない、ただの言葉だ。この言葉じゃダメだ。


でも自分は不器用だから、それ以上の言葉が浮かばない。

恥ずかしい愛のセリフなんて、言えない。

じゃあ、どうすれば―。


京子は覚悟を決めたように、奥歯を噛み締めた。

自分の頬を撫でる彼方の手を、包み込む。


「京子ちゃん…?」


彼方は、不思議そうに首を傾げる。


「ほら、わかります?熱いんですよ。貴方のせいで、こんなに熱くなっちゃうんです!」


激しい鼓動は、自分自身でもわかるくらいだった。

彼方の声、手の平、体温。全てが自分を高揚させる。

頬も、手も、体中が、触れた指先から、炎を纏ったように体が熱くなる。


そして、彼方の手を取り、自分の胸に押し当てる。


彼方は戸惑って、手を引っ込めようとする。

でも、させるものか。ちゃんと伝えてやる。

恥ずかしがるのは、後でいい。


「ほら、ドキドキしてるんですよ。

 貴方といると、心臓が苦しくて仕方がない!

 貴方が好きだから、こんなにドキドキしちゃうんですよ…!

 お兄ちゃんじゃ、こんなんにならないんですよ!貴方だけなんです…っ!」


彼方は、驚いたように口をポカンと開けた。


「好きなんですよ…。貴方が、好きなんです。これじゃ、伝わりませんか…?」


ポロポロと、涙が零れる。

これは、悲しい涙じゃない。辛い涙なんかじゃない。

愛しさが、涙となって溢れる。


「京子ちゃん…。」


彼方は自分を抱きしめたまま、胸に顔を埋めた。

そして、自分の体温と、鼓動を、確かめるように目を瞑った。


「…本当だね。…すごく、ドキドキしてる。熱い…ね。」


傷んだ茶髪が皮膚を掠めて、くすぐったい。

彼方の体温に触れると、一層心臓が激しく脈打つ。

けれど、その体温が自分の心を落ち着けるのも事実だった。


「ねえ…本当に、僕でいいの…?」


小さな声で、彼方は呟く。

しっかりと自分の胸元に顔を押し付けていて、その表情は見えない。


「…貴方じゃないと、駄目なんですよ。」


そう言って、京子は彼方の短い髪の毛を撫でる。


「…そっか。」


鼻を啜る音が聞こえる。

生暖かいものが、胸元に落ちた。


「…好き。京子ちゃんが、好き。」


彼方は、涙声で言った。

ああ、やっと通じ合えた。やっと伝わった。

やっと二人は、本当の恋人になれた。

お互いの体を抱きしめて、噛み締めるように、泣いた。




「ふふっ。僕、あんなに情熱的な告白は初めてだったなあ。」


さっきまでの涙が嘘みたいに、彼方はご機嫌な様子で自分の髪を梳く。

指先で髪を遊ばせて、満足そうに笑う。


「…忘れてください。」


自分は、恥ずかしさで消えてしまいたくなった。

今は、彼方の胸に隠れていたい。

真っ赤になった顔も、潤んだ瞳も、見られたくない。

自分は天邪鬼で、プライドが高くて、不器用な人間なんだ。


「忘れないよー。ああ、京子ちゃん可愛かったなー。ねえ、そろそろ顔上げてよ。」


「…嫌です。」


せめて、顔の火照りがなくなるまで。瞳が乾くまで。

こんな顔を、彼方に見せられない。


「そっかあ。じゃあ、まだしばらくこのままだね。」


そう言って、彼方は自分をギュッと抱きしめる。

規則的なリズムを刻む彼方の心臓の音が、心地いい。

このまま、彼方に抱かれたまま、微睡んでしまいそうだ。

温かい。優しい体温。

寂しい人。けれど、暖かい人。


「京子ちゃんはさ、僕が夜の仕事してるの、嫌じゃない?」


自分の髪を梳きながら、彼方は言う。

彼方は自分の髪が好きみたいだ。

ペットを可愛がるように、指先でクルクルと自分の短い黒髪を遊ばせる。


「別に…なんとも思いませんけど。」


「普通は、嫌がるものじゃないの?」


「だって、お兄ちゃんもおんなじことしてるし。」


夜の仕事。ボーイズバー。

兄が店を始めた時には誤解したけれど、兄は自分にこう言った。


―店員が全員男で、楽しく馬鹿騒ぎするだけの普通のバーだよ。

 別にホストじゃねえし、変なことはしてないって。

 媚びは売るけど、色は使わねえ。客の飲み相手になるだけの健全なバーだ。


実際に、カウンター越しに酒を作ったり、一緒に酒を飲みながら接客するだけだという。

それくらいなら、何も心配する必要はない。

まあ、自分以外の女に媚を売っているのは、面白くないけれど。

それも仕事なら、自分がどうこう言ったって仕方がない。


「止めてくれないんだ。」


「止めてほしいんですか?」


「うーん、どうだろ。」


そう言って、彼方は困ったように首を傾げて笑う。


「辞めたところで、どうやって生活するんです?」


「収入がないと困るよねえ。あ、いっそ京子ちゃんのヒモになろうかな。」


「馬鹿言わないでください。」


「やっぱり駄目かあ。」


「当たり前です。」


冗談めかして笑い合う。

けれど、彼方は軽く言うが、仕事のことをどう思っているのだろう。

暗に、辞めたいと言っているようにも聞こえる。

辞めたいなら辞めてしまえばいいし、止める道理もない。

けれど、彼方がそうしないのは、その仕事以外で生きていく術がないのだろう。


「…お兄ちゃんと、上手くいってないんですか?」


彼方の胸に顔を埋めたまま、京子はポツリと零す。


「え?どうして?」


「最近、私のところばっかり来てるから…家に居辛いのかな、って思って。」


「そんなことないよ。優樹さんは優しいし。まあ…怒られた時は怖かったけど。

 でも、大丈夫。僕が京子ちゃんに会いたいから来てるだけ。優樹さんとも、仲良くやってるよ。」


そう言って、彼方は自分の髪を撫でる。

まるで、自分が慰められているみたいだ。


「なら、いいんですけど…。

 毎日来てくれるのは嬉しいんですけど、彼方さんが辛くないかな、って思って。」


片道二時間近く。快速なんてない、各駅停車のローカル路線。

往復すると四時間近くも電車に揺られることになる。

そんな遠い距離を毎日通うなんて、彼方にも負担が大きいだろう。


「ふふっ、僕は平気だよ。でも、ごめんね。昨日会いに来れなくて。…大丈夫だった?」


「別に、一日くらい会えなくても…平気ですよ。」


これは、嘘。ただの強がりだ。

少しだけ、寂しかった。

なんて、言ってやらないけれど。


「そうじゃなくって…誠さんに何か言われた?」


「え?どうして誠さん?」


意味がわからずに、京子は涙で赤い目のまま、顔を上げる。

彼方は、不思議そうな顔で自分を見つめていた。


「誠さんに会ってないの?」


どうして、誠の話が出てくるんだ。


「ええ。昨日は学校が終わったら、すぐにバイト行きましたし。」


「そっか。…なら、いいんだ。」


少し腑に落ちないような表情で、彼方は首を振った。

何か、あったのだろうか。


最近の誠の様子は、おかしい。

優樹の店で無断欠勤を続けていたり、自分のバイト先に現れたり、日向と談笑したり。

誠の目的はわからないが、不吉な予感がする。

誠が日向に彼方の居場所や仕事を伝えていたって、おかしくない。

自分と彼方の関係を伝えていたって、おかしくない。


そうだ、すっかり忘れていた。

昨日、日向だって自分に疑いを向けてきた。

きっと、日向に秘密を洩らしたのは誠だ。


「そういえば…昨日、日向さんが、変なこと言ってたんですけど…。」


京子は、躊躇いがちに切り出した。


「変なこと?」


「お母さんが、事故に遭ったって。」


その言葉に、彼方の表情は険しくなる。


「…死んだの?」


冷たい、低い声。

彼方の顔から、笑みは消えていた。


「入院してるって言ってたから…生きてるんじゃないんですか?」


「…そっか。」


彼方は目を伏せ、気持ちを落ち着けるように、小さく息を吐く。

そして、真っ直ぐな瞳で京子を見つめて言った。


「その話、さり気なくもっと日向から聞き出してよ。

 あと、日向の様子が変じゃないかとか、怪我してないかとか、注意深く見てて。」


「…でも、下手したら日向さんに、私と彼方さんの関係が勘繰られちゃいますよ。

 ただでさえ、誠さんが日向さんに何か吹き込んだかもしれないのに…。

 日向さん、みんなには誤魔化したのに、私にだけお母さんのこと話してくれたんですよ?変でしょう?」


日向から情報を聞き出すなんて、リスクが大きすぎる。

ただでさえ、日向は自分を疑っているのに。

余計な詮索なんて、自らクロだと言っているようなものだ。


「最悪、バレたって構わない。…僕らの母さんがどんな人かは、言ったでしょ?」


彼方の目は真剣だった。


「…日向は、僕が守らなきゃ。」


そう言って、悲しい笑顔を見せた。







学校から帰って、将悟は庭の花の世話をしていた。


花壇には、サルビアとアスターが綺麗に咲いていた。

赤、青、白、ピンク。派手な花弁が華やかに広い庭を彩る。

もうすぐコスモスも咲きそうだ。


誠には「似合わない趣味だ」と言われるけれど、自分は顔に似合わず花が好きなのだから、仕方がない。

学校の美化委員は夏休み前で終わったが、今でも自分で植えた花をたまに眺めに行く。

自分の家の庭でも、春夏秋冬、いつでもいろんな花が咲くように、時期を調整して、種類を調整して、手を掛けて花を育てていた。

この広くて寂しい家が、少しでも賑やかになるように。


自分が中学に上がった時から、祖母と二人暮らしになった。

父親は仕事の都合でドイツへ転勤になってしまったし、母親も父親に付いていった。

自分も一緒に行こうと思えば行けたけれど、いつも戻って来れるかもわからない、言葉も違う異国に行くのは、躊躇われた。

その頃、歳の離れた兄は、東京で一人暮らしをして大学へ通っていたし、そのまま大学を卒業して東京で就職した。

だから、もう長い間、祖母と二人きりだった。


忙しい家族が全員集まるのは、正月くらい。

最初は静かな家が寂しいと思ったけれど、慣れとは怖いもので、すっかりこの生活が染み付いた。

可愛い猫も三匹いるし、ギターも弾き放題。庭だって自分の好きなように彩れる。

何の不自由もない。自由気ままな生活。


それに、今は誠もいるから、いつもより賑やかだ。

誠が自分の家に来て、もうすぐ一ヶ月。

どうやら、まだ優樹と仲直りできないらしい。


一ヶ月も仕事をせずに、生活は大丈夫なのかと疑問に思う。

けれど、誠がいると音楽の話や、好きなバンドの話を毎日できるので、それはそれで楽しい。

曲作りの相談もできるし、他愛のない誠の話は面白い。

たまに、誠のマシンガントークが煩わしく感じる時はあるけれど。

なんだかんだ言って、誠との相性はいいと思う。


自分が学校へ行っている間は、祖母の畑の手伝いをしているらしい。

祖母はすっかり誠を自分の孫のように可愛がり、誠もまた、自分の祖母のように無邪気に接していた。

誠が家に来てから、祖母の笑顔が多くなった。

やっぱり祖母も、自分と二人暮らしでは寂しかったのだと思う。

そういう意味では、誠に感謝だ。


けれど、疑念がある。


―彼方君じゃないよ。


あの言葉は、彼方を知っている人間しか言えない言葉だ。

確信は持てない。けれど、誠は彼方のことを知っている。…気がする。

そう思って、何度も何度も誠に問い質した。

けれど、誠はいつも冗談めかして笑って、「知らないよ」と軽くあしらう。

誤魔化されて、それ以上、問い詰められなくなる。

誠は、本当のことを自分には言ってはくれない。


でも、誠が彼方を知っていたとして、二人はどういう関係なのだろう。

彼方は自分と違ってバンドをやっているわけでもないし、楽器を弾いているわけでもない。


そんなことを考えていると、ふいに玄関の方から声が聞こえた。

誠の声だ。誰かと話しているのだろうか。

将悟は身を潜めて、声のする方を覗く。


玄関先で誠は一人で煙草を吸っていた。

耳元にスマートフォンを押し当てている。

どうやら、誰かと電話をしているらしい。


「だから、それは無理だって言ってんだろ。絶対に無理。

 ていうか、なんでアイツにだけ甘いわけ?意味わかんないんだけど。」


いつもの緩んだ表情とは違う、険し顔。

口調だって、柔らかいものではなく、少し厳しさがあるものだった。

不穏な空気だ。あんな誠、見たことない。


将悟は身を潜めて、耳を澄ます。

誠はこちらには気付かず、電話口の相手に文句を言っていた。

一体誰と電話をしているのだろう。


「優樹君さあ、そればっかりじゃん。そういうところが気に入らない。

 ていうか、そう思うんなら、夜仕事なんてさせなきゃいいじゃん。

 とっととクビにして、追い出した方がマシでしょ。」


そう言って、苛立った様子で、紫煙を吐き出す。

電話の相手は優樹だろうか。


「とにかく、彼方君が仕事辞めるまで、俺は戻るつもりないから。」


その言葉で、将悟の疑問は確信に変わった。


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