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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「牽制」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波さん 看護師


 「牽制」




趣味は、ドライブ。

愛車は、黒の日産エクストレイル。

自身の体のように、厳つく大きな車が好きだった。

車高の高い運転席から見下ろす景色が気持ちいい。

この町は、自分の住んでいる街とは違って、山や海に溢れていて、ドライブするにはもってこいだった。

田舎の大自然の中、紅葉の木々に、潮の匂い。あまり舗装がされていないテコボコな道は、さながらダートトライアルだ。


誠は片田舎のアパートの脇に車を止めて、ある人物の帰りを待っていた。

洋風な赤煉瓦のアパート。そこに住んでるのは、自分の尊敬していた男の妹。

いつも将悟が帰ってくる時間から計算して、あと一時間もすれば目的の人間が帰ってくる。


以前、将悟と共に、日向のバイト先へと顔を出した。

見せつけるように日向と談笑して、その女の表情が凍ったのを見た。

けれど、何の動きもない。あんなに揺さぶったのに、どうして。

日向も将悟も、彼方を探すために動いた形跡はない。


雨のバス停で、ずぶ濡れの日向を拾った夜に呟いた言葉。

―彼方君じゃないよ。

あれは、うっかりなんかじゃない。

わかりやすくヒントを出してやったんだ。



人通りのない、静かな田舎道。

することもなく、車のスピーカーから流れる音楽に耳を傾ける。

ふいに、サイドミラーに人影が見えた。

こちらに向かってくる見覚えのある顔。

大きな白い箱を抱えた、自分が嫌いな顔。

その男も、見覚えのあるはずの自分の車とナンバーに、驚いた顔をした。


―どうして、ここに彼方が。


こんなところで彼方に会うなんて。

ここは京子のアパートの前だ。

京子に会いに来たのか?それともただの通り道?

彼方の地元も、この辺りだと聞いた記憶がある。


運転席のウィンドウを下げて、誠は顔を覗かせる。


「やあ、彼方君。」


笑顔を作って、いつものように軽く挨拶を一つ。


「あ…誠さん。」


彼方はわずかに動揺したが、すぐに微笑んだ。

また、あの薄気味悪い仮面だ。


「こんなとこで何やってんの?」


こちらも『みんなのお兄ちゃん』の仮面を被って、微笑んで見せる。


「ちょっと…実家に顔だそうと思って。」


「そうなんだ。乗りなよ、送ってあげる。」


「え…いいですよ。悪いし…。」


彼方にとっては、都合が悪いのだろう。

薄気味悪い仮面が、わずかに曇る。

その困ったような微笑みを、剥がしてやりたい。

 

優樹には『彼方にちょっかいだすな』と言われたけれど、もうこの際どうでもいい。

周りが動かないのなら、自分が牽制してやろう。


「いいからいいから。ほら、遠慮しないで。」


そう言って、半ば強引に彼方を車へと勧める。

助手席に座った彼方は、少し落ち着かない様子だった。

優樹は、自分が彼方を嫌っていることを彼方はわかっていないと言っていたが、どうだか。

それとも、自分が仕事に行かなくなってから、優樹が言ってしまったのか。

いや、こいつは自分で薄々気づいていたな。

嘘を吐く人間は、他人の嘘にも敏感だ。


彼方から自宅への方向を聞いて、車を走らせる。


「電車で来たんでしょ?駅から反対方向だねえ。もしかして京子ちゃんに会いにきたの?」


「優樹さんから、京子ちゃんに渡してほしいものがあるって預かってきたんです。」


「じゃあ俺が渡しとくよ。どうせ京子ちゃんに会うつもりだったし。」


そんなのウソだろ。ただのおつかいなんかじゃないだろ。

逃げ道なんて、与えてやらない。


「いや…えっと、大事なものらしいので…それはちょっと…。」


「ふうん。そうなんだ。」


大事なもの、ね。

手に持っているのは、街の駅前の洋菓子店の菓子箱にしか見えないけれど。

よくもまあペラペラと嘘ばかり飛び出すものだ。

当然か。こいつは嘘吐きの天才なのだから。


その菓子で京子を釣るつもりだったのだろうか。

彼方は甘いお菓子と言葉巧みに、京子を操っているんだろうか。

いや、京子は甘いものが好きでも、菓子で釣られるような安い女じゃない。

じゃあどうして京子は、彼方と秘密の共有をしているんだ。


「京子ちゃんと、どういう関係なわけ?

 ただの知り合い…なんかじゃないよね?付き合ってるの?」


張り付いた笑顔で、カマをかけてみる。


「いいえ。優樹さんの妹に、手を出すわけないじゃないですか。」


そう言って、彼方は笑う。

そこら中の女に手を出しているくせに、よく言えるものだ。

作った笑顔が引きつる。どうもこの男の白々しい嘘が、気に入らない。

誠は苛立ちを押し込めるために、煙草に火を点けた。


「そういえば、優樹さんが心配してましたよ。」


彼方はすっかり動揺も消え、いつも通りの涼しい微笑で言う。

心配するフリ。気遣うフリ。本当はなんとも思っていないくせに。

この技で優樹にも取り入ったのだろうか。

でも、彼方のペースにはさせない。


「そう。その割には優樹君から連絡来てないけど。」


誠は、わざと素っ気なく答える。


「どうして喧嘩したんですか?」


どうして、だなんて。

原因の張本人は、知らないフリをするのか。

もういっそ、言ってしまおうか。

全部言ってしまえば、こいつも本性を見せるだろうか。

暴いてやる。その笑顔の仮面の下に隠した、醜い本性を。


「…嫌いなんだよねえ。」


ポツリと、誠は呟く。


「お前のこと。」


嫌い、という言葉は強い。

まるで、心臓にナイフを突き刺すみたいな言葉だ。

この言葉を言われて、動揺しない人間はいないだろう。

誰もが戸惑い、動揺し、傷付く言葉。


「最初に会った時から気に入らない。お前のその、胡散臭い笑顔。」


そう言って、煙草の煙を吐き出す。

わずかに、重たい沈黙が流れた。

重たい沈黙?いや、言いきった自分は優越感に浸っている。


「…知ってます。僕、あんまり人には好かれないから。」


気にする様子もなく、彼方は笑う。

もっと傷付いた顔でもすればいいのに。

どうしてこいつは、笑うんだ。どうして笑えるんだ。

彼方の薄気味の悪さに、誠は戸惑う。


「お前、高三だろ?いいのかよ、あんなことしてて。」


もはや、嫌悪や苛立ちは隠さなかった。

微笑む彼方とは対照的に、自分の顔からは笑みが消えている。

笑みとはほど遠い、険しい顔になっていた。

言葉遣いも、素の自分に戻っていた。


「…バレちゃいました?」


否定することもなく、彼方は可愛らしく首を傾げてみせる。

悪びれる様子なんてまるでない。

その仕草ですら、気に障る。


「日向君に会った。双子なんだってな。」


「…はい。日向は、僕とは全然違うけど。」


微笑みを浮かべたまま、彼方は素直に認めた。

さすがに、これ以上は嘘を吐けないと判断したのか。


「お前が枕営業してるのも知ってる。客とホテルから出てくるのを、何度も見た。」


それでも、彼方の微笑みは、崩れない。


「…それ、京子ちゃんだけには、黙っていてくれませんかね?」


「優樹君の妹には手を出さないんじゃなかったのかよ。」


何も答えずに、彼方はにっこりと微笑む。

やっぱり京子も、彼方に抱きこまれているのか。

本当に、狡猾で、抜かりのない男だ。


「お前が今すぐ仕事を辞めるなら、黙っていてやってもいい。」


「それは…ちょっと困りますね。仕事も、住むところも、無くなっちゃう。」


彼方は、わざとおどけて、肩を竦めてみせる。

そのわざとらしい仕草に、苛つく。

自分も『みんなのお兄さん』を演じている時に、こういう風に見えているのかと思うと、吐き気がした。

滑稽だ。道化だ。ただの、ピエロじゃないか。


「俺が警察にタレこんだら、お前なんか一発だぞ。」


「でも、誠さんはしないですよね。そんなことしたら、優樹さんの大切なお店が潰れちゃう。

 誠さんは優樹さんのことが大切だから、優樹さんが困るようなことは、できないですよね?」


彼方は、余裕ぶって微笑む。

痛いところを突かれた。

彼方は、自分の弱点が優樹だとわかっていて、強気に振る舞っているのだ。


「…お前、本当に嫌な奴だな。」


「よく言われます。」


どこまで肝が据わっている男だろう。

その完璧に被った仮面は、崩れることはなかった。


「誠さんは…優樹さんのこと、好きなんですね。」


ポツリと彼方が呟く。


「好きだよ。あの人は、俺の憧れだ。優樹君の邪魔をする奴は、俺が許さない。

 あの人の隣は俺の居場所だ。それを奪う奴も、許さない。」


「だから、こうやって牽制してるんですか?」


「優樹君には、お前にちょっかい出すなって言われたけどな。

 それがなかったら、今頃お前をボコボコにしてるところだ。」


「ふふっ、怖いなあ。」


緊張感もなく、彼方はクスクスと笑う。


「優樹君、お前に何も言わなかったのかよ。お前の年齢のこと。」


その言葉に、彼方の微笑みは消えた。

驚いたように目を瞠る。


「…優樹さん、知ってたんですか?」


余裕ぶっていたのは、優樹にバレていないと思っていたからか。


「ああ。俺が言った。

 優樹君は、お前が高校生だって知っても、クビにする気はないってさ。

 お前のことを贔屓目で見てるんだよ。それも、ムカつく。」


誠は真っ直ぐに前を見たまま、吐き捨てるように言う。


「…そっか。もうバレちゃってるんだ…。」


彼方は俯いて、そう静かに零した。

それは、まるで独り言のような呟きだった。


「でも、僕は辞める気ないですよ。もう帰る家ないし。」


微笑みを失った彼方は、誠を見据えて強い声で言う。


「日向君のとこ戻ればいいだろ。」


「…戻れないんですよ。」


曇った表情を歪めて、彼方は儚い笑みを浮かべた。


「僕には、もう…戻る場所なんて、ないんです。」


どういう意味だろう。

母親が虐待を繰り返すからか。それとも、日向と不仲なのだろうか。

そもそも、どうして彼方は夜の仕事を始めたのだろう。


「お前、なんで夜の仕事してんの?」


「他に…行く場所がないからです。」


彼方は小さく呟く。

それはさっき聞いた。何度も聞いた。

帰れない理由なんて、どうでもいい。


「そうじゃなくて。何で、夜の仕事始めたわけ?バイトなら、いくらでもあるだろ。」


そう聞くと、彼方は考えるように宙を見つめた。


「どうしてだろう…。」


微笑みが消えた彼方の表情は大人びていて、最初に会った頃と随分印象が変わったと思う。

最初は無邪気。いい意味でも、悪い意味でも、子供の顔をしていた。

今の彼方は、大人びたというよりは、疲れ切った顔に見える。

人生に疲れ切った、死人のような顔。

そんな顔をするくらいなら、早く辞めてしまえばいいのに。


しばらく考えて、答えが見つからずに諦めたのか、彼方は溜息を吐いた。

いや、本当に答えは見つからなかったのだろうか。

言えないような理由なのかもしれない。

彼方は一体何を企んでいるのだ。


「…心配しなくても、誠さんの居場所はちゃんと返しますよ。

 でも、もう少しだけ、あそこにいさせてください。」


「…どういう意味だ?」


意味がわからず、誠は怪訝そうに眉を顰める。


「どのまんまの意味ですよ。仕事、戻ってきたいなら、戻ってくればいいじゃないですか。僕は誠さんの邪魔なんてしませんよ。」


これ以上、何を聞いても、何を言っても無駄な気がした。

こいつは自分の心の内を明かさない。その心を覗かせようともしない。

きっとこいつは、誰に対しても、自分自身すら、偽り続ける男なのだ。

こいつに、何を言っても無駄だ。


それから迂回して、彼方の家には行かずに、駅の前まで彼方を送った。

車を降りた後、彼方は意味ありげに誠を見つめた。


「…何?」


不機嫌そうに誠が聞くと、彼方は躊躇いがちに切り出した。


「あの…京子ちゃんは何も悪くないんです。…悪いのは全部、僕だから。

 だから、京子ちゃんは責めないであげてください。」


ここまできて、共犯である京子を庇うなんて。


「…やっぱデキてんの?」


彼方は何も言わずに、曖昧に笑った。

肯定も否定もしない。ただ、曖昧に。


「ま、俺は、君と京子ちゃんがデキていようが、そうじゃなかろうが、どうでもいいけど。

 …でも、優樹君が京子ちゃんのことを大事にしてるのは、忘れんなよ。」


「わかっています。京子ちゃんだって、僕なんかより、優樹さんの方が好きなんですよ。」


つくづく掴めない男だ。

手駒にしている女なんて、たくさんいるだろうに。

どうして京子だけに拘るのか。

それは、京子が彼方の共犯者であり、恋人だからか。

恋人にしては、やけに自信無さげだけれど。


「あっそ。別にどうでもいいけど。じゃ。」


そう吐き捨てるように言って、誠は不機嫌を隠すことなく、少し乱暴にアクセルを踏んだ。


サイドミラーに映る彼方が、どんどん小さくなっていく。

誠は苛立ちを収めるように、煙草に火を点けた。


本当は京子に会いに行くつもりだったけれど、今日は止めておこう。

別に彼方に絆されたわけじゃない。まだ、時ではないと思っただけだ。

さて、彼方は仕事を辞める気はないようだし、どう排除するべきか。

ああ、面倒だな。自分は、あまり頭を使うことには、向いていない。

一度帰って作戦を練り直すか。将悟の方にも、何か動きがあるかもしれない。


誠は京子の家には戻らず、将悟の家へと車を走らせた。


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