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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「嵐の前の静けさ」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。

美波さん 看護師


 「嵐の前の静けさ」




蒸し蒸しとした雨上がり。

昨日までの大雨が、嘘みたいに晴れ渡っていた。

肌寒かった昨日とは違って、夏が戻ってきたみたいに蒸し暑い。

ガランとした電車の中、百合はいつものように学校に向かっていた。


朝一番に日向から「もう大丈夫」とメールが来た。

昨日どうして休んだのか、気にはなったけれど、それ以上は何の説明もなかった。

会ってから聞けばいいかと思って、百合は深くは考えなかった。

日向は、いつもどおり駅に迎えに来てくれるというし、きっと、昨日は少しだけ体調を崩しただけだろう。


昨日、日向が休んだことで、また何かあったのではないかと、百合は大騒ぎをした。

三年生の教室まで出向いて、亮太と将悟に事情を話した。

けれど、途中から将悟は亮太を遠ざけて、「アイツは、日向の家のこと知らねえんだ」と言った。

驚いた。てっきり亮太にも、事情を話していると思ったのに。

将悟が言うには、日向の家の事情を知っているのは、自分と将悟と誠だけらしい。

「日向も大事にしたくないだろうし、他の奴には黙っとこう。」そう、将悟は言った。

自分も、うっかり亮太に話したりしないように気を付けないと。


放課後になり、「何かあったら困るから」そう言う将悟に着いてきてもらって、一緒に日向の家へ向かった。

けれど、何度玄関のチャイムを鳴らしても、日向は出てこなかった。

玄関の前で将悟は日向に電話をしていたが、日向は出なかった。

家からは物音一つしないし、外から見える日向の部屋はカーテンが閉められていた。

寝込んでいるのだろう、と言うことで、スーパーで買ったゼリーとスポーツドリンクを玄関のドアノブに掛けて、その日は帰った。


帰って日向にメールを送っても、返事はなかった。

連絡がないのが、不安だった。

起き上がれないくらい体調が悪いのか、もしかしたら倒れているんじゃないかとか、いろんなことを考えた。

また、母親が帰ってきてるんじゃないか、とさえ思った。

また家出をして、どこかで倒れているんじゃないかと思った。


その日は、不安でなかなか眠れなかった。

夜中になっても日向から連絡はないし、雨は次第に強くなっていた。

なんだか悪いことが起きそうな、そんな予感がした。


けれど、朝に日向からメールが来て、溜め息が出た。

日向から連絡が来て、嬉しかった。日向の無事を確認して、安心した。

一日会わないだけで、こんなにも寂しく思うなんて。不安になるなんて。

自分は、やっぱり日向のことが大好きだ。

早く会いたい。



ガタンゴトンと電車が揺れる。

そして、田舎の無人駅でゆっくりと停車した。

百合は逸る気持ちを隠して、駅へと降り立つ。

いつものように、日向がホームのベンチに座って待っていた。


「百合、おはよ。」


そう言った日向は、制服を着ていなかった。

前開きの黒の長袖パーカーに紺のTシャツ、細身のデニム。

ラフな私服姿だ。


「あれ?どうしたんですか?」


「あのさ…今日、学校サボらない?」


「え?でも…。」


日向は立ち上がり、百合の両手を取る。


「お願い。今日だけ。…午前中だけでもいいから。」


そう言った日向の目は、なんだか寂しそうで、百合は頷くことしかできなかった。


駅を出て、学校とは反対方向の日向の家へと向かう。

そういえば、自分は病欠以外で、学校をサボったことなんてない。

途中、同じ学校の生徒と思われる制服姿の学生とすれ違って、なんだか悪いことをしている気分になった。

背徳感でドキドキする。隣を歩く日向を見て見ると、日向は何かを考えるかのように、ぼーっとしていた。

考える時に口がへの字になるのは、日向の癖だ。


「もう大丈夫」そう言いながら、やっぱり何かあったんだ。

こういう時の日向は、いつも以上に無口になる。遠くを見つめて、ぼーっとする。

けれど、繋いだ手はギュッと握って、離さない。

日向は何も言わないが、自分を必要としてくれている。


日向の家に着くと、日向は冷たいミルクティーを用意してくれた。

ミルクたっぷりで甘いのが、百合のお気に入り。


「で、学校サボってどうしたんですか?」


そう聞くと、日向は黙って百合を抱きしめた。

そして、耳元で小さく呟く。


「…甘えたい。」


「何か…ありました?」


「後でちゃんと話すから…今は、甘やかして。」


そうって、日向は百合の肩口に顔を埋める。

日向は周りからはクールだなんて言われているけれど、自分の前ではこんなにも甘えん坊になる。

母親から与えられなかった愛情を埋めようとしているのか、愛に飢えている。


確かめるように温もりを貪る日向を見て、百合は優しくその髪を撫でる。

まるで、おっきな子供だ。自分にだけ甘えてくる、大きな子供。


「ね、名前呼んで。」


ポツリと、日向が呟く。

百合は言われるまま、日向の耳元で日向の名前を呼ぶ。


「日向先輩。」


「そうじゃなくって…先輩とか、いいから。」


「えっと…日向…さん?」


「さんもいらない。」


「…日向。」


「うん。」


日向は、嬉しそうに百合を抱き寄せる。


「もっと呼んで。」


そう言って、日向は満足そうに微笑む。

でも、なんだろう。なんだか恥ずかしい。

いつも日向先輩と呼んでいたからか、呼び捨てにするのは、なんだかくすぐったいような気持ちになる。

違和感が凄い。言いなれた「日向先輩」の方がしっくりくる。


「やっぱり、なんか恥ずかしいです。」


「俺も百合って呼んでるだろ?」


「それはそうですけど…。」


やっぱり恥ずかしい。年上の男の人の名前を呼び捨てにするなんて。

何か他に呼び方はないだろうか。呼びやすくて、恥ずかしくない呼び方は―。

百合は首を傾げて、うーんと唸りながら、考える。


「うーんと、うーんと…あ!『ひーくん』とか駄目ですか?」


「ひーくん…?」


日向は顔を上げて、首を傾げる。


「いいじゃないですか!『ひーくん』なら呼びやすいし!『ひーくん』にしましょ!」


「えー…。なんか…恥ずかしい。」


そう言いながら、日向は手で口元を覆う。

恥ずかしい時の、いつもの癖だ。

けれど、恥ずかしいけど嬉しいのだろうか。

指の隙間から覗く口元が、弧を描いている。


「ひーくん。顔、ニヤけてますよ。」


「…気のせい。」


恥ずかしさに耐えられなくなったのか、日向は再び百合の肩口に顔を埋める。

表情は見えないが、耳まで真っ赤だ。きっと、照れているのだろう。

些細なことで照れる、恥ずかしがりな日向。その姿が、なんだか可愛らしい。

そんな日向を見て、百合の心の中に悪戯心が芽生える。


「ひーくん。」


「…はい。」


耳元で囁くと、日向は顔を上げないまま、小さく返事をする。

「はい」だなんて、丁寧な言葉が、なんだかおかしい。

照れている顔を見られたくないのか。


「ひーくん。」


「…何?」


「ひーくん。」


「…もうやめて…。」


恥ずかしさに耐えかねて、日向はギュウっと百合を抱きしめる。

なんだか子供みたいで、本当に可愛い。


「呼んでほしいって言ったのは、ひーくんですよ!」


「それは…そうだけど…。」


そう言って、日向はごにょごにょと口ごもる。

そして、チラッと目だけを覗かせて、恥ずかしそうに呟いた。


「なんか…バカップルみたいだろ。」


「あら。私たち、自他共に認めるバカップルですよ?」


「…俺は認めてない。」


日向の真っ赤な頬に、百合はクスクスと笑う。

日向の照れてる顔や、拗ねてる顔、困ったような表情が、愛おしい。

自分だけに見せる甘えん坊な仕草や、愛おしそうな瞳が、嬉しい。

この人を、自分の手で、声で、全てで、散々甘やかしてあげたい。


日向は百合にピッタリとくっついたまま、甘えるような瞳を向ける。

構ってほしい猫みたいだ。日向は猫っぽいと思う。

そんな日向が可愛らしく見えて、百合は猫をじゃらすように日向の顎の下を撫でた。

日向はくすぐったそうに眼を細める。本当に猫みたいだ。


「なんだか、にゃんこみたいですね。」


「じゃあ、百合が…飼い主?」


「そうですね、ご主人様です。」


満更でもなさそうに、日向は照れて俯く。


なんだかんだ言って、日向は自分のワガママを全て聞いてくれる。

自分に忠実すぎるというか、支配されるのが好きそうというか。

日向は少し忠犬っぽい。いや、猫っぽいから、忠犬ならぬ忠猫だろうか。

そんな日向を、少しだけからかってみたいと思う自分は、意地悪だろうか。


「ねえねえ、にゃあって言ってみてください!にゃあ、って!」


百合は日向の顎の下を撫でながら、言う。

日向はくすぐったいのか、首を振って百合の手から逃れる。

そして、百合の肩口に顔を埋めて、ポツリと呟いた。


「…やだよ、恥ずかしい…。」


「なんでですか!ほら、にゃあ、って!」


「…恥ずかしいってば。」


子供のようにイヤイヤと首を振りながら、ピッタリとくっつく日向。

百合はそんな日向の髪を撫でで、耳元で囁く。


「ご主人様の命令は絶対ですよ?」


「う…。」


少し意地悪な百合の言葉に、恥ずかしいから嫌だという日向の気持ちが揺らぐ。

微かに顔を上げた日向は、おずおずと窺うような視線を百合に向けた。


「ほらほら、言ってください。」


意地悪にそう言うと、日向は上目で百合を見つめる。

恥ずかしそうに見つめたり、目を逸らしたり。

そして、真っ赤になった顔を隠すように俯いて、言った。


「…にゃあ。」


小さな小さな、可愛らしい声。

言った後に更に恥ずかしくなったのか、日向は口元を覆って、抱きしめるように、自分の肩口に顔を押し付けて隠れる。

恥ずかしいのに、ご主人様の命令には逆らわないなんて。

やっぱり、日向にはマゾっ気がある、と思う。


そんな日向が愛おしくて、百合はクスクスと笑う。


「ふふっ、ひーくんったら、かーわーいーいー!」


そう言いながら、日向の髪を撫でる。

頬も耳も真っ赤だ。元々肌の色が白いから、余計に目立つ。

本当に、自分たちは自他共に認めるバカップルだと思う。

けれど、こうしてじゃれあう時間が、幸せで仕方がないんだ。


「よしよーし、可愛いにゃんこですねー。」


百合は日向の髪を撫でながら、茶化して微笑む。

子供をあやすように。猫とじゃれ合うように。

甘えん坊の日向を、甘やかす。


「…もう。」


からかいすぎたのか、顔を上げた日向は、むすっとした顔をした。


一瞬の出来事だった。

長い指が自分の肩を掴んで、グイッと後ろに押される。


「わっ!」


百合は驚いて、ギュッと目を瞑った。

背中にソファーの柔らかい感触がする。体が傾いた気がする。

ゆっくりと目を開けると、視線の先に日向と天井が見えた。

自分は、日向に押し倒されたんだ。


「…俺だって、オオカミかもしれないだろ。」


百合を組み敷いて、日向は言う。

怖いだとか、嫌だとか、そんな感情はなかった。

だって、日向は顔を真っ赤にして、恥ずかしさと緊張でいっぱいいっぱいな様子で、手が震えている。

自分を見つめる瞳も、揺れている。今にも逸らしてしまいそうだ。

そんな強がりがなんだか可笑しくて、百合は噴き出すように笑ってしまう。


「ひーくん、顔真っ赤。」


笑う百合を見て、日向は拗ねるように唇を尖らせる。


「…笑うなよ…。」


「だって、ひーくん可愛いんだもん。」


百合は両手で顔を覆って、クスクスと笑う。

笑いを堪えようとしても、可笑しくて止まらない。

恥ずかしいのを堪えていっぱいいっぱいになっている日向が、愛くるしくて仕方がない。


百合が笑うたびに、日向はむすっとむくれる。

そんな子供っぽい仕草ですら、愛おしい。


「ほ…本当に…する…かもよ…?」


声が震えている。

そんな気など、ないくせに。


「できるんですか?」


挑発的に、百合は微笑む。

根比べのように、二人はお互いを見つめ合う。

しばらくして、日向は諦めたように、溜息を吐いた。


「…無理。」


そう言って、日向は力なく百合に傾れ込む。

押し倒されて、少しだけ驚いたけれど、日向はそんな強引なことはしないし、できない。

それは、自分がよくわかってる。日向は、優しいし、臆病な人なんだ。


「百合のこと、傷つけたくないし…嫌われるのも嫌だし…。

 それに…俺…そんなこと、したことないもん…。」


自分を抱きしめながら、日向は弱弱しく呟く。

そんな情けない日向が愛おしくて、百合は日向の背中を撫でる。


「…俺のこと、ヘタレだって思ってるだろ。」


「いーえ?思ってませんよ?」


ちょっとだけ、そう思っているけれど。

そんなこと、百合は口には出さなかった。

こんな情けないところも含めて、日向が好きだから。


抱きしめ合ったまま、キスをした。

何度も何度も、愛を確かめ合うように、唇を重ねた。

唇が離れるたび、恥ずかしそうに目を逸らしたり、はにかんで笑ったり、愛おしそうに抱きしめたり。

じゃれて、寄り添って、体温を確かめ合う。

こうして日向と過ごす時間が、幸せで仕方がなかった。


「…幸せだな。」


耳元で日向は愛おしそうに囁く。

そして、自分を強く抱きしめて、切ない溜息を零した。


「あのさ、…しばらく、こういうこと…できなくなるかもしれない。」


「…え?どういうこと、ですか…?」


それから日向は、ポツリポツリと話してくれた。

母親が事故に遭ったこと。意識不明の重体だと言われて、昨日病院へ行ったこと。

実際には、左腕を骨折したくらいで、怪我はたいしたことなく、意識さえ戻ればすぐ退院できること。

きっと、しばらくは、家に帰ってくるであろうということ。

また虐待されるかもしれないということ。


そして最後に、


「いっそ…死んでくれたら、よかったのに。」


そう日向は吐き捨てた。


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