表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
109/171

「壊れかけた心」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。


 「壊れかけた心」




その日は雨が降っていた。

雨のせいか、少し肌寒い火曜日。

京子は授業を終えて、自分の家へと向かっていた。


半袖のセーラー服から覗く腕には、鳥肌が立っている。

つい最近まで暑くて仕方がなかったのに、いつの間にか夏が終わり、すっかり秋になっていた。

山の木々は、赤や黄色に染まり、色とりどりに紅葉を始める。

稲穂が黄金に色付き、風に煽られ揺れる。

風が強い。そういえば、台風が近づいてきているんだっけ。


昨日は、バイトが休みだったから、日向と顔を合わせることはなかった。

どんな顔をして日向に会えばいいかわからなかったから、ちょうどよかったと思う。

日曜日にバイト先に誠が訪れてから、心の中は動揺と不安でいっぱいいっぱいだった。


「会いたくなっちゃった」彼方は、電話で切なそうに言った。

きっと月曜日も家で待っていると思ったが、昨日彼方は現れなかった。

毎日毎日、飽きもせずに自分に会いに来ていたのに。

たまたま、忙しかっただけなのだろうか。

ずっと待っていたのに。色々話したいことがあったのに。

会えないと、少しだけ寂しいと感じてしまう。

ああ、すっかり自分は、彼方に絆されてしまっている。


彼方のことが好きだと気付いてから、元々素直じゃない自分が、更にあまのじゃくになる。

心の中では悔しがるし、言葉では冷たく否定してしまう。

態度では、いつも以上に素っ気なくしたり、妙に積極的になったり。

口が滑っても、「好き」だとは言えない。

心の中では認めてしまっても、口に出すのが、怖かった。



家に着いて、玄関を開けると、彼方の靴があった。

いつも通り雑に脱ぎ散らかされていて、傘立てには、まだ水滴が滴るビニール傘が差さっていた。


―彼方が来ている。


京子は安心したような、嬉しいような、そんな気持ちになった。

けれど、そんな自分の感情を自覚すると同時に、悔しくもなる。

いつの間にか、彼方がいることが当たり前になっていて、いないと寂しいと思ってしまうなんて、本人には言えない。


やけに静かだ。

いつもは玄関までテレビの音が聞こえていて、自分が帰るとリビングから顔を覗かせるのに。

この激しい雨音のせいで、自分が帰ったことに気付いていないのか。


京子は不審に思いながらも、靴を脱いで家に上がる。

キッチンを通り抜けて部屋に扉を開けると、彼方の姿が見えた。

彼方はベッドの上で子供のように身を丸めて、自分の布団を抱きしめるようにして眠っていた。

近付いてみると、仄かに服や髪が湿っている。


「彼方さん、起きてください。」


京子は、彼方を起こそうと肩を揺さぶる。

雨のせいか、彼方の体はすっかり冷えていた。


「ん…京子ちゃん?」


彼方は薄らと目を開けた。


「体、濡れてるじゃないですか。風邪ひきますよ。」


「ごめんね。勝手に寝てた。」


ごしごしと目を擦って、彼方は大きな欠伸を一つ。

そして、もう一度布団をギュッと抱きしめて、言った。


「…京子ちゃんのベッドは、なんだか落ち着くねえ。京子ちゃんの匂いがする。」


「その台詞、なんだか変態っぽいですよ。」


「そうかな?」


「そうですよ。」


彼方はふふっ、と笑って、身を起こす。


なんだかいつもと違う気がする。

ほんの少しだけ、何かが変わった気がする。なんだろう。

京子は、彼方の顔をじーっと見つめる。

彼方は不思議そうに首を傾げた。


「髪、切りました?」


「…うん。優樹さんに、美容室連れてってもらった。」


やっぱりそうか。

ほんの少しだけれど、髪が短くなっている。

プリンになっていた髪も、綺麗に染め直されていた。


「前より、いいじゃないですか。」


少し恥ずかしいけれど、たまには素直に褒めてやろうかと思った。

お世辞なんかじゃなく、以前よりサッパリした茶髪は似合っている。

悔しいけれど、カッコいいと思った。彼方は、カッコいい。


「似合ってますよ。」


照れているのを悟られないように、わざと素っ気なく言う。

けれど、彼方は表情を曇らせた。


「…本気で言ってるの?」


苛立ちが混じった、低い声。


「え?」


意味がわからず、京子は戸惑った声を上げる。

彼方はハッとした様子で、首を振った。


「…ごめん、なんでもない。」


そう言って、彼方はすぐに取り繕って、不器用に笑った。

無意識だったのだろうか。取り繕うのが、わざとらしい。

そう思ったけれど、京子は何も言えなかった。


「それよりさあ、僕、ちゃんと禁煙してるよ。」


「本当に、禁煙始めてくれたんですか?」


「うん。あれから一本も煙草吸ってないよ。禁煙三日目。」


「頑張ってるじゃないですか。」


「でしょ?…ね、口寂しいなあ。」


可愛らしく首を傾げて、彼方は甘えた声で言う。

唇に指を添えて、キスを強請るような仕草だ。


京子は土曜日のことを思い出して、恥ずかしくなった。

ああ、自分はどうして、あんなことをしてしまったのだろう。

どうして、あんなに積極的になれたのだろう。


「…しませんよ。」


照れ隠しで、言葉が素っ気なくなる。

あんなこと、何度もできるわけがない。


「えー、してくれないの?」


「ええ。」


「…そっか。残念。」


そう言って、彼方はしょんぼりと肩を落とす。

残念そうにする姿は、本当に子供のようだった。



それから、タオルで濡れた体を拭かせて、自分も着替えた。

いつもの兄にもらった部屋着ではなく、彼方に買ってもらった白いチュニックと黒いミニスカート。

変な意味はないけれど、せっかく買ってもらったし、こんな服を着る機会なんてないから、彼方の前だけ、彼方の選んだ服を着る。

そんな自分の姿を見て、彼方も嬉しそうに笑ってくれたから、いいだろう。

彼方に笑顔を向けられるのは、悪い気がしない。


今日の彼方の貢物は、可愛らしいモンブラン。

いつものように、ソファーに腰掛けて、テレビを見ながら食べた。

いつもと違うのは、今日は少しだけ二人の距離が近いこと。

ピッタリとくっつくわけではないが、以前のようにソファーの端と端ではなく、少しだけ、ほんの少しだけ二人の距離は縮まった。


「ちゃんと首輪もつけてくれてるんだ。」


珍しく、棒のついた飴を舐めながら、彼方は言う。

本当に禁煙を始めたのか。

それにしても、煙草の代わりに飴だなんて、なんだか可愛らしい。


「首輪って言い方やめてくださいよ。」


京子はモンブランを頬張りながら、むっとした表情で答える。

首輪だなんて、まるで彼女じゃなくて、ペットみたいじゃないか。


「ふふっ、いいじゃない。学校でもつけてくれてるの?」


嬉しそうに、彼方は笑う。

その笑顔を向けられると、嬉しい反面、なんだか気恥ずかしくなる。


「…お風呂入る時以外は、ずっとつけてますよ。」


「ホント?京子ちゃん、あんまりアクセサリーつけないって言ってたのに。」


「せっかく貰ったんだから、使ってあげているだけです。」


照れ隠しに、上から目線になる。

けれど、京子の胸元には、銀のネックレスが輝いていた。

毎日肌身離さずつけている、猫と月のネックレス。

自分を縛り付けようとする、彼方の独占欲の証。



テレビからは夕方のニュースが流れていた。

年間の自殺者が増えているとかいう、どうでもいいニュース。

彼方は静かにテレビを見つめていたが、やがて京子の肩に頭をコテンと乗せて、凭れかかってきた。

突然のことに、京子は驚いて彼方を見たが、彼方は目を閉じて京子に体重を預けていた。

まだ髪は、仄かに湿っている。短くなった髪が、首元を掠めてくすぐったい。


「どうしたんですか、突然…。」


彼方は何も言わない。

何もせず、何も言わず、ただ静かに自分に凭れかかっている。

まるで、自分の体温を確かめているようだった。

何を考えているのだろうか。長い睫毛の先の瞳は閉じられていて、わからない。


しばらくして、彼方はポツリと呟いた。


「ねえ、京子ちゃん。僕、もう疲れちゃった。」


消え入りそうな、小さな声。

その声は、切なさと悲しさを含んでいた。


「やっぱり僕、死んだ方がいいよねえ。」


その言葉に、京子は嫌な寒気を覚えた。

「死ぬ」だなんて、一体何を言いだすんだ。

なんだか、今日の彼方は、情緒不安定だ。


「なんですか…突然。」


「こんな僕なんて、生きてる価値、ないよね…。」


笑ったり、苛立ったり、甘えてきたり、切なそうにしたり。

今日の彼方は、感情の起伏が激しくて、不安定だ。


「もう…死んじゃいたい。」


ポツリ、ポツリと、彼方は小さく言葉を零す。

今日の彼方は、様子がおかしい。

最近は、少しだけ元気そうに見えていたのに。


「…何か、あったんですか?」


そう京子が聞いても、彼方は目を閉じたまま、答えない。

何の反応もない彼方が怖くなって、京子はそっと彼方の手を握る。

彼方は一瞬だけ目を薄らと開けて、京子の手を握り返した。

雨に濡れたせいか、彼方の体温がやけに冷たくて、京子は余計に怖くなった。


「電車とかに飛び込んだら、死ねるかなあ。」


自分の手を握ったまま、静かに呟く。

曖昧な言葉だけれど、彼方は、本気で自殺を考えている。

どうして、そんなことを。日向の傍にいられないからって、どうして。


思い返せば、予兆はあった。


―煙草ってさ、ゆっくり自殺するのと同じなんだって。


煙草を吸い始めた時、彼方はそう言った。

最初から、彼方は死ぬつもりだったのか。

日向の傍を離れて、一人で死ぬつもりだったのか。


そんなこと、させない。させてたまるか。

勝手に首輪をつけておいて、勝手に死ぬなんて、許さない。

まだ好きだとさえ、伝えられていないんだ。


京子は、彼方の手をギュッと、力強く握った。

自殺なんて、馬鹿な真似は絶対にさせない。


「…飛び込みは、鉄道会社から残った遺族に、ウン千万単位で損害賠償を請求されるらしいですよ。払えるんですか?」


京子は平静を装って、わざとデメリットを挙げる。

自殺したっていいことなんてない。そう思わせなければ。

なんとか考え直させて、生きていてもらわなければ。


「それは困るねえ。ウン千万なんて払えないや。それに、日向に迷惑はかけられない。

 じゃあ、首吊りでも…してみようかなあ。」


彼方は目を瞑ったまま、表情を変えずに呟く。

声に抑揚がないから、どこまで本気かわからない。

冗談だとしても、タチが悪い。


「首吊りは、糞尿垂れ流しになるらしいですよ。それに、死ねなかったら、後遺症が残ったり、一生植物人間ですって。」


「うーん…死に損なったら大変だねえ。じゃあ高いところから飛び降りちゃおうかな。一瞬で死ねそうだし。」


「それも土地の所有者から、損害賠償取られますよ。」


「そうなんだ…。じゃあ、切腹でもしてみようかな。武士みたいに。」


まるで、なんでもない世間話のように、物騒なことを話す彼方。

その顔には、笑みも恐れも何もない。

ただただ、無表情だった。


「できるんですか?臆病者のくせに。」


「京子ちゃんは厳しいなあ。」


そう言って、彼方は薄く笑う。

やっと彼方の表情が綻んだ。

けれど、翳りは消えないままだった。


「…本気で自殺するつもりですか?」


「駄目かな?」


「駄目です。許しませんよ。」


厳しい口調で、京子は咎める。

離さないように、爪が食い込むほど強く、彼方の手を握った。

情けないくらいに、痛いのも、怖いのも、苦手なくせに。

そんないつもの臆病な彼方であってほしかった。

自分で命を絶つことなんて、しないでほしかった。


彼方はゆっくりと目を開けて、繋いだ手を見つめた。

爪が食い込んで、僅かに血が滲んでいる。

けれど彼方は、痛いだなんて、言わなかった。


「一回ね、日向に首を絞められそうになったことがあるんだ。」


抑揚のない声で、ポツリと彼方は呟く。

その言葉に、京子は目を瞠った。


「…されてないよ?されそうになっただけ。日向は優しいから、そんなことできない。

 でも…あの時、ちゃんと僕を殺してくれたらよかったのに。そうしたら、お互い幸せだったのに。」


そう言って、彼方は顔を上げて、笑った。

切なさと悲しみを含んだその笑顔は、今にも崩れ去りそうだった。

ただただ、儚く、脆く、曖昧な笑みだった。


「どうせなら、日向に殺されたかった。」


その笑顔が、なんだか怖くて、京子は鳥肌が立った。

このまま彼方が消えてしまう気がした。

本当に、命を絶ってしまう気がした。


京子は、無意識に彼方を抱きしめた。

痩せ細った肩を抱き、その冷たい体に体温を分け与える。

その冷たい心が溶けるように。寂しい心が埋まるように。


自分は日向の代わりには、なれない。

けれど、自分は彼方の彼女だ。

代わりなんかじゃなくていい。

彼女として、この脆く弱いこの人を、守りたくなった。


彼方は京子の腕の中で、微動だにしなかった。

されるがまま、京子の腕の中に閉じこもる。


「ねえ、京子ちゃん。僕、生きてていいのかなあ。」


「生きて…生きてください。」


彼方を抱きしめる腕に、力が籠る。


「ああ、京子ちゃんは暖かいねえ。」


彼方も京子を抱きしめて、体温を貪った。


「ねえ、僕のこと好き?」


辛くなるほど切ない瞳で、彼方は自分を見つめる。

光のない目は、まるで壊れた人形のようだった。



「嘘でいい。嘘でいいから、好きって言ってよ。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ