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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「掻き乱す音」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。


 「掻き乱す音」




放課後。百合を駅まで送り、日向は帰路に着いていた。

携帯電話で時刻を確認すると、バイトまで一時間はある。

一度家に帰って着替えて、ついでに洗濯物も取り込んでしまおう。


自分の持つこの携帯電話は、彼方が与えたものだった。

未成年の彼方が、一人で携帯電話を契約できるわけがない。

きっと彼方の傍には、誰か成人がいるはずだ。その人の家に転がり込んでいるのだろう。

でも、どこでそんな人と知り合うのだろう。

知り合ったとしても、簡単に携帯を与えてもらえるものだろうか。

携帯電話を使いだして、二ヶ月近く経っているけれど、一度も通話料の請求が来たこともない。

彼方か、その成人が支払っているのだろうか。


どう考えても、おかしい。彼方にとって、都合がよすぎる。

住むところも、仕事も、携帯も与えてもらえるなんて、そんな都合のいい話があるものか。

もしかしたら、彼方は、誰かに唆されているのではないか。

上手く操られているだけなのではないか。

上手く操られて、犯罪の片棒を担がされているのではないか。


将悟は、誠が何か知っていると言った。

そんなの全く気にならない。そう言えば、嘘になる。

本当は凄く気になる。あの場で、将悟に問いただしたかった。

どうして誠は、彼方のことを知っているのか。彼方とはどういう関係なのか。彼方はどこにいるのか。彼方は無事なのか。


けれど、自分にそんな資格なんてない。

自分は百合を選んだ。百合だけを選んだ。

もう彼方のことを、忘れないと―。



見晴らしがいい海沿いの閑散とした田舎道。

変わり映えのないこの景色は、毎日彼方と歩いてきた道のりだ。

見下ろせば青い海、見上げれば歪な段々畑が見渡せる。

空と海が交わる水平線。風よけの背の高い木々。潮の匂いと、名前も知らない小さな花。

とても商店街と呼べないような、古びたシャッター街。

その中に、ポツリポツリと昔ながらの八百屋や魚屋が並ぶ。

いつもこの商店街は、閑古鳥が鳴いている。

小さいけれど、近くにスーパーがあるため、こんなところに来る人間は、ほとんどいないだろう。


その小さな商店街を通り抜けて、日向は足早に家路を急ぐ。


「日向君!」


ふいに、後ろから声を掛けられる。

振り向けば、千秋が商店街からひょっこりと顔を覗かせていた。


「ごめんね、待ち伏せみたいなことしちゃって。でも、どうしても日向君とお話ししたかったの。

 学校じゃ、いつも他の子に囲まれてるから…。」


そう言って、千秋は遠慮がちに日向に近寄ってくる。


「あの…日向君に彼女いるの知ってるし、その…変な話するつもりじゃないんだけど…えっと…あ、やっぱりちょっと変な話かもしれない…。でも、そういうのじゃなくてね、…えーっと、その…。」


もじもじと言い辛そうに、千秋は言葉を探す。

なんだか気まずい。自分は一度千秋をフッている。


「…話って、何?」


日向がそう聞くと、千秋はぎこちない笑顔を浮かべる。

思えば、夏休みにスーパーで会った時以来、口を聞いていない。

夏祭りも断ってしまったし、気まずいのはお互い様のようだ。

告白されて、フッた側とフラれた側だと、尚更だ。


「えっとね…彼方君が体調崩してるって、本当?」


千秋はギュッとスカートの裾を握って、躊躇いがちに切り出した。

自分を前にして緊張しているのか、俯いて、上目がちに自分を窺っていた。


「ああ…うん。」


「いつから?」


「夏休み…くらいから。」


ああ、今日はなんて日だろう。

忘れようとしていた彼方の話ばかりだ。

将悟も千秋も、どうして今になって彼方のことを蒸し返すのだろう。

せっかく皆が忘れかけてきた頃だったのに。


「それって七月?八月?」


「えっと…八月入ってから…。」


質問が具体的になってきた。

そこまで詳しいことは考えていなかったから、日向は心の中で焦る。

本当のことなんて、言えない。言えるはずがない。

日向は必死に頭を働かせて、付け焼刃の嘘を重ねる。


「…嘘だよね?」


千秋は小さく呟く。

そして、もう一度スカートの裾をギュッと握り直して、顔を上げる。

日向を見つめて、千秋はハッキリとした口調で言った。


「知ってた?日向君、嘘吐くとき目を逸らすの。

 私、ずっと日向君を見ていたから、わかるよ。日向君は、嘘を吐いてる。」


千秋に言われて、自分の視線が泳いでいたことに気付く。

日向は慌てて取り繕おうと、千秋を見据える。

けれど、その真っ直ぐな強い瞳に怯んで、反射的に目を逸らしてしまう。


「…嘘なんか、吐いてない。」


声が、震えた。

言葉とは裏腹に、態度は嘘を肯定している。

誤魔化さないといけないのに。彼方がいないことを、隠さないといけないのに。


「本当は、彼方君…体調崩してなんかいないんじゃないの?

 ねえ、どうして彼方君は学校に来ないの?彼方君は何をしているの?

 何かあったの?何があったの?どうして日向君は、嘘を吐くの?」


「だから…体調崩して寝込んでるだけだって…。」


畳みかけるような千秋の質問に、口先だけで、必死に誤魔化す。

意識と反して、視線が忙しなく泳ぐ。

 

「じゃあ何の病気なの?なんで寝込んでるの?

 もう学校始まって三週間だよ?ただの風邪とかじゃないよね?」


千秋は一歩踏み出して、日向に詰め寄る。

日向は、反射的に三歩後退った。


「それは…。」


上手い言葉が見つからず、口ごもる。

それでも、必死に答えを探して、視線は地を彷徨う。

けれど、その視線は、千秋に捉えられた。


「ほら、嘘だよ。ねえ、日向君。嘘吐くのは、もうやめて。」


強い瞳が、自分を見つめる。

千秋は、勘だけで言っているんじゃない気がした。

それでも、本当のことなど言えない。言えるわけない。言ってはいけない。


「本当だって…彼方は体調崩して寝込んでて…それで…。」


言っていて、どんどん声が小さくなる。

下手な嘘に、自信がなくなる。

さっきから同じことしか言えていない。

もっと上手く誤魔化さないといけないのに、言葉が出てこない。


「あのね、日向君。」


千秋は、少し悲しそうな顔をした。

まるで、嘘を吐き続ける自分を、憐れむような顔。

継ぎ接ぎだらけの陳腐な嘘は、見透かされている。


「彼方君…元気でしょ?

 私、見たの。夏休みに、彼方君を見たの。

 八月に、街の方のおっきい花火大会で見たんだよ。

 彼方君は元気そうだった。うちの学校の子と、デートしてたんだから。」


言葉が出なかった。

これ以上、嘘を重ねても無駄だ。けれど、認めるわけにはいかない。

認めてしまえば、次は彼方がいなくなったことがバレてしまう。

日向は、ただ黙ることしかできなかった。


「ねえ、彼方君は寝込んでなんかいないじゃない。

 どうしてそんな嘘を吐くの?彼方君はどうして学校に来ないの?」


一歩、一歩と千秋は日向に詰め寄る。


「日向君…最近おかしいよ。

 そんな嘘を吐く人じゃなかったじゃない。嘘を吐かないといけない理由があるの?

 彼方君とも、あんなに仲良かったのに…どうして彼方君の話をしなくなったの?」


千秋の顔が見れなくて、日向は地面を見つめる。


「もしかして、…彼方君、いなくなっちゃったの?」


心臓が、ドクンと跳ねた。


どうしよう。どうすればいい。

焦りと動揺で、喉がカラカラに乾く。

否定しても、すぐバレてしまう。肯定は、できない。

もう稚拙な嘘は吐けない。上手く、誤魔化さなきゃ。

日向は必死で思考を巡らせる。


「あの、さ…。」


なんとか、話を切り替えなくては。

適当に誤魔化して、この場を切り抜けよう。そうするしかない。


「花火…彼方と一緒にいた子って、誰?」


「え…?」


とっさに出た言葉は、自分でもわかるほどに、わざとらしかった。

無理矢理に話題を逸らそうとしているのが、見え見えだ。

千秋も困惑して、ポカンと口を開けた。


「同じクラスの子?彼方…そんなこと言ってなかったからさ…。」


日向は、不器用な笑顔で取り繕う。

千秋は何か言いたげに口を開いたが、むっとした表情をして、すぐに閉じた。

そして、目を逸らして、ポツリと零す。


「…二年生だよ。去年、私と委員会同じだった、竹内京子さん。」


その言葉に、日向は目を瞠った。







薄暗い部屋で、彼方は左手にカッターを押し当てていた。

冷たくて固い感触が手首に伝わる。

このまま切り裂いてしまえば、死ねるのだろうか。


鏡を見ることが、嫌いになっていた。

鏡に映る自分が、どんどん日向と違っていくのを見るのが、怖かった。

ずっと日向と一緒だった。髪型も、服装も、何もかも全て。

自分と同じ姿の日向が、好きだった。

日向と同じ姿の自分に、安心した。


けれど、日に日に日向と違っていく自分を見て、怖くなった。

望んで変わったはずなのに、傷んだ茶髪も、強がりで開けたピアスも、疲れ切った顔も、見ていられなくなった。

日向と違う姿の自分が、なんだか汚いもののように思えた。

こんな自分に、存在価値なんてないんじゃないかと思った。


今日、美容院に連れていかれて、髪を染め直した。

若い女の美容師は、自分に残る最後の日向の痕跡を、綺麗に塗りつぶした。

そして、日向とは違う手付きで、自分の髪を切った。

ハサミが髪を切る音を聞くたびに、心の中で何かが壊れていくような音を聞いた。

日向との繋がりが、一つ一つ消えていく。

もう自分の中に、日向は残っていなかった。


日向と離れて、家に帰らなくなって、自分の体は綺麗になった。

虐待を受けることもなくなって、すっかり傷も痣も消えた。

けれど、その代わりに、どんどん心は荒んでいった。


酒、煙草、女。日向を忘れられるなら、何にでも溺れた。

このままどこまでも溺れていって、呼吸ができなくなればいいと思った。

汚れきって、死んでしまえばいいと思った。

自分に救いなんてない。これ以上は、生きていても辛いだけだ。


誰にも愛されない。誰も愛してくれない。

どこまでも自分は、独りぼっちだと実感した。

寂しい。怖い。辛い。独りはひどく恐ろしかった。


日向は、自分だった。

日向は、自分の半分だと思っていた。

自分も、日向の半分だと思っていた。

二人で一つ。一人は二人。

二人でいれば、完全だと思っていた。


一人になってしまった自分は、半分だけになった。

心が隙間ができて、痛かった。苦しかった。寂しかった。

隙間を埋めるものなんて、なかった。

埋めてくれる人なんて、いなかった。

誰も日向の代わりになんて、ならなかった。


日向も半分になった。

そのはずなのに、日向は、満たされていた。

憎らしい女と、手を繋いで笑っていた。

その姿は、本当に幸せそうだった。

あんな笑顔、自分には見せてくれなかったのに。


日向の幸せそうな姿を見て、妬ましいと思ったと同時に、悲しくなった。

空っぽになったのは、自分だけだった。

自分だけが、不幸だった。


なんだか馬鹿みたいだ。まるで道化だ。

どうして、こうなってしまったのだろう。


間違ってたんだ。

最初から、間違ってた。

全部全部、間違ってたんだ。


自分なんて、生まれなければよかった。

日向と双子になんて、生まれなければよかった。

日向に依存なんて、しなければよかった。

日向のことなんて、好きにならなければよかった。


ああ、そうだ。

自分が生まれたことが、間違いだったんだ。

こんな自分が、誰にも愛されるわけなんてなかった。

こんな汚い自分なんて、誰も愛してくれない。

もう生きていたって、しょうがないじゃないか。


彼方はカッターを握る手に、力を込める。

そして、静かに手首を切り裂いた。







深夜、家の中に電話の着信音が鳴り響く。

時刻は、午前零時を回っていた。

リビングの固定電話が、着信を知らせるランプを点滅させている。

自宅の固定電話が鳴るのは久しぶりだ。こんな時間に誰だろう。

なんだか嫌な予感がする。


日向は不審に思いながらも、受話器を取った。


「…もしもし。」


『夜分遅くにすみません。高橋さんのお宅で間違いありませんか?』


電話の向こうは、知らない男の声だった。


「はい、そうですけど…。」


なんだか、焦りを無理矢理押し殺したような冷静な声だった。

どことなく、緊迫したような空気を感じる。

けれど、こんな深夜に電話してくる時点で、碌な内容ではないことは、察していた。


日向の考え通り、男は冷静に、ゆっくりと、落ち着いた口調でこう言った。



『お母様が、事故に遭われました。』


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