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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「天秤」


登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。


 「天秤」




月曜日。九月も後半に差し掛かり、涼しい風が吹くようになった。

日差しも身を焦がす程ではなくなり、秋がゆっくりと近づいてきている。

受験が近付いていて、教室の中は少しづつピリピリとした緊張感が強くなっては来ているが、それといった変化はない。

そろそろ庭のコスモスが咲きそうだ。


相変わらず、彼方は学校に登校してこない。

日向は、彼方がいないことを気にしていない様子で、ただ平凡に毎日を過ごしていた。

夏休みが終わって三週間。クラスメイトも、彼方の名を口にすることは無くなった。

みんな、彼方のことを忘れている。

彼方がいない毎日が、自然な景色になった。


将悟は、斜め前の席の日向を見つめてみる。

今は授業中。日向は猫背を丸めて、退屈そうに頬杖を付いていた。

時折俯いて何かしているようだった。携帯電話でメールでもしているのか。

いつもは携帯電話なんて滅多に触らないのに、珍しい。


隣を見ると、亮太は机に俯せて眠っていた。

こいつは大学受験すると言っていたのに、何をやっているんだ。

毎日真紀に勉強を教えてもらっているらしいが、授業で寝ていたら意味ないだろう。

本当にどうしようもない奴だ。また自分が真紀に愚痴られるではないか。


そんなことを考えていると、午前の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

教師も早口に中間テストの範囲を告げて、授業は終わった。

一気に、教室内の空気が緩む。

受験まで半年切っても、昼休みは穏やかなものだ。

亮太は目を覚まして、大きな欠伸をしていた。


授業が終わると同時に、日向は席を立った。


「俺、先に行くから。」


「え?ああ。俺らも購買寄ってから行くわ。」


「屋上で待ってる。」


振り返って亮太と自分にそう言うと、日向は鞄ごと持って、教室を出る。

いつも授業が終わってもモタモタしているのに、珍しいこともあるものだ。

日向を囲む予定だった女子たちは、空になった日向の席を見つめて残念そうな顔をしていた。

日向はまた女子に囲まれるのが嫌だったのだろうか。

でもだからといって、鞄ごと持っていくものだろうか。



亮太と購買に寄ってパンを買って、屋上へ行くと、そこには日向と百合が弁当を広げて待っていた。

百合は嬉しそうに日向にピッタリとくっついていて、日向も楽しそうに微笑んでいた。

急いで屋上に向かった理由はこれか。


「あれ?百合ちゃんじゃん!珍しい!」


久しぶりに百合に会えたことに、亮太は嬉しそうに笑顔を見せる。

さっきまで眠そうな顔をしていたのに、現金な奴だ。


「坂野先輩、中村先輩!ほらほら見てください!凄いでしょう?プーさんのオムライス!」


百合はそう言って、手に持っていた弁当を見せてくる。

中身はタコの形をしたウインナーと、海苔で目と鼻を模ってクマに見せかけたオムライス。

カニカマの入ったポテトサラダに、ナポリタンスパゲッティ、小さなハート型のハンバーグまである。

所々にブロッコリーやミニトマトなどの野菜も添えて、彩り豊かだった。

少し恥ずかしそうに眼を背ける日向の手元を見れば、日向も同じものを持っていた。

お揃いの弁当である。それもとても可愛らしいデコ弁というやつだ。


「おおーすげー!」


亮太は感嘆の声を上げる。


「すごいな。百合ちゃんが作ったの?」


そう将悟が聞くと、百合は嬉しそうに首を振った。


「いいえ、日向先輩が作ってくれたんです!

 可愛くて、食べるのがもったいないくらいですよねえ。

 待ち受けにしちゃおうと思って、写メいっぱい撮っちゃいました!」


目をキラキラと輝かせて、百合は大袈裟なほどに喜ぶ。

携帯電話を取り出して、次々に取った写真も見せてきた。

自慢したくて仕方がないのだろう。


けれど、この可愛らしい弁当を作ったのが日向だなんて。

少し恥ずかしそうにしていたのは、こういう理由か。

日向の手先の器用さは知っていたけれど、なんだかおかしな光景だ。


「お前…それ逆じゃね?」


「何が?」


「普通は、彼女が彼氏に作るもんだろ。」


「俺がやりたいからいいの。」


呆れるように言うと、日向は恥ずかしそうに小さく笑った。


「いいなーいいなー!今度俺にも作ってくれよ!」


「亮太は駄目。百合は彼女だから特別なの。」


「ええーじゃあ百合ちゃん俺に作ってー。」


「嫌ですよー。作ったとしても、坂野先輩にはあげません。私は日向先輩の彼女ですもん!」


「二人とも冷たい…。」


二人にフラれた亮太は、がっくりと肩を落とす。

対照的に日向と百合は幸せそうに笑う。いい恋人同士だなと思った。

百合の前では、日向は本当に自然に楽しそうに笑う。

喜んでみたり、照れてみたり、困ってみたり、拗ねてみたりと、表情がコロコロと変わる。

出会った時とは比べ物にならないほどに、日向は表情が豊かになった。


それから、四人は色々な話をしながら昼食を取った。

ほとんど百合が喋っているだけだったけれど。

女子が話好きなのは、何処に行ってもみんな一緒らしい。

百合が話すのは日向のことばかりで、日向がこうしただとか、日向がああ言いただとか、そんな話ばかりだった。

その度日向は恥ずかしそうに俯いたり、慌てて否定したり、亮太が茶化して囃したててたり、羨ましがったり。

百合は終始嬉しそうに、日向の隣にピッタリとくっついて微笑んでいた。


楽しい時間は過ぎるのが早く、いつの間にか午後の授業を告げる予鈴が鳴り響く。

話を切り上げて、弁当やパンの袋を片づけて、立ち上がる。

けれど、日向は座り込んだままだった。

また、か。


「…またサボりか?」


「ちょっと眠たい。」


「駄目ですよ日向先輩!サボってばっかだと卒業できませんよ。」


「一時間だけだから。一時間したらちゃんと授業出るから。」


そう言って、日向は屋上の柵に凭れかかる。

最近午後の授業は、ほとんどサボっている。

今に始まったことじゃないが、サボり魔は日向の悪い癖だ。

そういえば、以前からよく彼方とサボっていたな。


「…俺もサボる。」


ポツリと、将悟は呟く。


「将悟も?じゃあ俺も!」


「お前は大学行くんだろ?だったらちゃんと授業出とけ。また真紀ちゃんに怒られるぞ。」


「ええー、なんで真紀ちゃん?てか、お前らはいいのかよ。」


「俺らは専門組だからな。そんな勉強しなくていいし。」


亮太は、拗ねたように唇を尖らせる。

ちゃんと授業に出て受験勉強をしてもらわないと、真紀に愚痴られるのは自分なんだ。

真紀の愚痴は長い。そして八つ当たりもしてくる。

とっとと告白でもしてしまえばいいのに、真紀は臆病がってしようとしないし、亮太は鈍感で、わかりやすすぎるほどの真紀のアピールに少しも気付きはしない。

そんな二人の間に挟まれて、本当に自分は損な役回りばかりだ。

まあお節介は好きで焼いているのだけれど。


「日向先輩がサボるなら、私も!」


そう言って、百合は手を上げる。

この彼氏にしてこの彼女有り、か。

将悟は溜息を吐いて、百合を咎める。


「駄目だって。一年からサボってたら、先輩に目つけられるぞ。」


「百合、放課後また会えるだろ?」


日向は少しだけ名残惜しそうに、首を傾げて百合に言う。

百合にだけ、日向は言葉が柔らかくなる。

というよりは、まるで子供やペットに接しているような口調だ。


「ええー。もっと日向先輩といたいです。」


「だーめ。ほら、行っといで。」


そうしている間にも、時間は過ぎる。午後の授業は目前だった。

百合と亮太は文句を言いながらも、素直に授業に戻っていった。

その背中を見送り、屋上には日向と将悟だけが残された。


微かに潮の匂いを含んだ風が、頬を撫でる。

本鈴が鳴り、もう既に授業は始まった。

日向と二人っきりの屋上は、静かだった。

屋上からグラウンドを見下ろすと、サッカーをする男子が見えた。

昼食後の最初の体育の授業で、だるそうにボールを追いかけている。

自分の知らない顔ばかりだ。下級生だろうか。


ふと日向の方を見れば、日向は屋上の柵に凭れかかり、目を瞑っていた。

いつも通り、昼寝をしているのか。

将悟は日向の隣に座り、その顔をまじまじと見つめてみる。

白い肌にスッと通った鼻筋。長い睫毛にシャープな顎。

男らしいと言うよりは、繊細で綺麗な顔。

同性の将悟から見ても、日向はカッコいいと思う。

群がる女子達の気持ちもわかるような…いや、わかるわけないか。

こうしてじっくり見ても、日向と彼方はそっくりだ。

当たり前か。双子なのだから。


「…何?」


日向は薄らと目を開ける。

起きていたのか。てっきり昼寝をしていると思っていたから、びっくりした。


「話、あるんだけど。」


そう将悟が切り出すと、日向は小さく頷いた。


「うん、そう言うと思った。将悟が授業サボるの珍しいし。」


バレていたか。

でも、こうでもしないと、日向と二人でゆっくり話をする時間なんてない。

学校で日向はいつも女子に囲まれていたり、百合といたり、亮太もいたりだし、学校が終わればバイトで忙しそうだし、なかなか二人で話をすることなんてなかった。

彼方のこと、メールのこと、聞きたいことは山ほどあった。

お節介だと自覚しながらも、自分はずっと日向のことを気にしていた。

授業はサボってしまったけれど、やっと二人きりになれた。今がチャンスだ。


「…彼方、帰ってきてねえんだろ。」


「…ああ。」


日向は目を閉じて、口だけで返事をする。

クラスメイトや先生に言ったように、嘘を吐いて否定するかと思ったが、日向はあっさりと肯定した。


「なんで探さねえの?」


「探しても見つからない。携帯も繋がらないし、それに…探すな、って置手紙があった。」


淡々と静かな口調で、日向は答える。


「探す方法なんて、いくらでもあるだろ?警察行って捜索願出せばいいじゃねえか。

 それに…この前のメール、彼方絡みだろ?」


日向は将悟の顔を見ようとせずに、空を見上げる。

そして、どこか遠くを見つめるようなぼーっとした眼差しで、ポツリと静かな声で呟いた。


「…二百万。」


「二百万?」


「二百万置いて、彼方は消えた。」


「なんでそんな大金、彼方が持ってるんだよ。」


「…なんでだろうな。」


日向の声は淡々としていて、感情が読めない。

晴れ渡った高い空を見ながら、日向は何を思っているのか。


もしかしたら、日向からおかしなメールが来た日に、誠と推理した通りなのかもしれない。

彼方は何か危ない仕事をしているのかもしれない。

強盗、薬物、売春。何か犯罪を犯しているのかもしれない。

じゃないと、短期間で二百万円なんて、稼げるわけがない。

誠の推理通りだ。それが一番しっくりくる。


けれど、よく考えたら、誠の発言は、所々おかしいところがある。

誠は、頭が切れるし、知識も、経験も、自分よりたくさんある。

しかし、それだけであんなに的確なことが言えるだろうか。

まるで、何か知っているみたいだ。知っていて、言っているみたいだ。

それに、雨が降るバス停で日向を助けた夜、誠は確かに言っていた。

そうだ。違和感の正体は、これだ。


「誠さんが、何か知ってるかもしれない。」


その言葉に、日向はゆっくりと将悟を見る。


「お前がバス停で倒れてて、うちに運んだことあったろ?

 あの時、お前びしょ濡れだったから、勝手に着替えさせたんだけど、その時に傷とか、火傷とか色々見た。

 その時は、俺もお前の親のこととか何も知らなかったから、俺…つい『彼方がやったのか』って口走ったんだ。

 それ聞いて、誠さん…なんて言ったと思う?」


日向は何も言わない。

静かに、自分の次の言葉を待っている。


「あの人、『彼方君は煙草吸わない』って言ったんだ。

 おかしいだろ?彼方のこと知らなきゃ、そんなこと言えないはずだ。

 余計なことはペラペラ喋るくせに、大事なことは何も言おうとはしないから、確信は持てないんだけど…でも、誠さんは、何か知ってる。

 俺が聞いても、はぐらかされるけど…誠さんは、絶対に彼方のこと知ってる。」


「将悟。」


強い口調で、日向は言った。

まるで、自分の話を遮るように。


「俺さ、今…幸せなんだよ。」


日向は再び空を見上げて、ポツリと呟く。


「進路も決まったし、バイトも楽しいし…百合もいてくれる。

 毎日充実していて、前よりずっと楽しい。

 …でも、それって、彼方がいないからなんだ。

 彼方がいないから、俺は今こんなに幸せなんだ。」


日向はそう言って、切なそうに眼を細める。


「…だからって、彼方のこと探さないつもりか?」


「彼方も、探してほしくないって思ってる。一人で生きていけるから、って。

 それに、彼方が帰ってきたって、俺たちは前みたいに戻れるわけない。」


「でも、…お前の大事な弟だろ?探してやれよ。」


「彼方を探して、見つけて、戻ってきたとしても、…百合に何かあったら、どうする?

 また彼方が百合に何かしたら、俺は…一生彼方を、許せない。」


許せない、そう力を込めて日向は言った。


ああ、日向は、彼方と百合を天秤にかけたのだ。

天秤にかけて、そして、百合を選んだのだ。

彼方は、日向に選ばれなかったんだ。


「これで、いいんだ。俺は、このままでいたい。」


その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。

それが、日向の本心なのだろうか。

本当に、彼方のことを探さないつもりか。諦めるつもりか。見捨てる…つもりか。


「…誠さん、しばらくうち泊まってるから、話聞きたくなったら来い。」


日向は何も言わなかった。頷きもしなかった。

代わりに、強い風が屋上に吹き抜ける。

清々しいほどの青空が、やけに切なく見えた。



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