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「ダリアの幸福」  作者: 麻丸。
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「不器用な照れ隠し」



登場人物


高橋日向 双子の兄。一人称は俺。

高橋彼方 双子の弟。一人称は僕。

坂野亮太 クラスメイト。元バスケ部。

中村将悟 クラスメイト。金髪バンドマン。

矢野千秋 クラスメイト。日向に好意を寄せていた。

渡辺真紀 元バスケ部マネージャー。亮太の幼馴染。

竹内京子 二年生。優樹の妹。

新田百合 一年生。日向の恋人。

桜井虎丸 二年生。日向のバイト仲間。サッカー部。

白崎先生 精神科医。

リッキー 犬。ゴールデンレトリバー。

お姉さん リッキーの飼い主。

新田 椿 百合の姉。

竹内優樹 彼方の働くボーイズバーの店長。京子の兄。

篠田 誠 優樹の店で働く従業員。元ヤンキー。将悟のバンド仲間。

麗華   彼方の客。

智美   彼方の客。

梨本浩一 カフェ・フレーゴの店長。

川口順平 カフェ・フレーゴのシェフ。


 「不器用な照れ隠し」




デートを終えて、二人は京子のアパートに帰ってきた。

けれど、隣に座る彼方は、いつもより口数が少なく、不機嫌なようだった。

ソファーの背に完全に体重を預けて、項垂れているようにも見える。

無理もない。日向を目撃してしまったのだから。


あの時の辛そうな顔が、目に焼き付いて離れない。

何故だろう。彼方の辛そうな顔を見ると、自分の心も苦しくなる。

楽しいデートだったのに。楽しいデートで終わるはずだったのに。

どうして、よりにもよって、日向を目撃してしまったのだろう。

それも、楽しそうに、幸せそうに彼女と手を繋いで笑い合う日向を。

一番見てはいけない人物だった。

一番見てはいけない光景だった。


こういう時、何て声を掛けたらいいのか、わからない。

気にしないで?元気出して?そんなありふれた言葉じゃ、彼方を癒せない。

自分は、彼方を慰めるような言葉を、持ち合わせてはいない。

なら、自分に何ができるだろう。彼方に、何をしてやれるだろう。

彼方を慰める術は―。


「彼方さん。」


京子は、ソファーに沈む彼方に声を掛ける。


「…何?」


彼方は、煩わしそうに京子を見た。

不機嫌のせいか、いつもより声が低い。

いつもニコニコ笑っているくせに、今の彼方は無表情だった。

いや、その無表情に見えて、苛立ちが混じっている。

笑顔の仮面を作れないほど、腹立たしいのか。辛いのか。


「不機嫌ですね。」


「…別に、平気だよ。日向のことなんて、もうどうでもいい。」


彼方は冷たく吐き捨てた。

どうでもいいだなんて、ただの強がりでしかないくせに。


「…私には、何も気の利いたことは言えませんけど、」


そう言って、京子は彼方の膝の上に跨る。

一瞬のことに、彼方は驚いて身を仰け反らせた。


「え?…な、何!?いきなりどうしたの?」


構うことなく、京子は彼方の頬に手を添える。

そして、顔を近付けて―


「私が、慰めてあげますよ。」


キスをした。

触れるだけの、少し強引なキス。

彼方は驚いて目を瞬かせた。長い睫毛が、顔を掠める。

唇が離れて、彼方が何か言う前に、再び舌を絡めて口を塞いだ。

彼方は京子の肩を掴んで、引き離そうとする。

けれど、離れてなんかやらない。京子は、彼方の後頭部を押さえて、より深く舌を絡めた。


「ちょっと、京子ちゃん!こんなことして…何のつもりなの?」


強い力で無理矢理引き離されると、彼方は困惑したような顔で自分を見上げていた。

膝の上に乗っているから、いつもは少し高い彼方の目線を、京子が見下ろす形になる。


「だから、私が慰めてあげるって言ってるんです。

 …それとも、やっぱり私じゃ、日向さんの代わりにはなりませんか?」


そう言って、京子は彼方の左手を掴んで、自分の胸に当てた。

彼方は驚いて手を引っ込めようとしたが、京子にガッチリと強い力で掴まれて、できなかった。


「勘違いしないでよ。京子ちゃんは、日向の代わりなんかじゃない。

 ねえ、やめてよ。そんなことする気分じゃない。」


彼方は、俯いて首を振る。

傷んだ茶髪が顔にかかって、その表情は見えない。

京子は何故か、その言葉に、ひどく苛立った。


日向の代わりにはなれない。そんなこと、わかってる。

でも、あの夜、自分に日向を重ねて抱いたのは、彼方だ。


「どうしてですか?抱けばいいじゃないですか。

 いつもみたいに、『慰めて』って言って、私のこと、都合よく使えばいいじゃないですか。

 誰でもいいんでしょう?日向さんのことを、忘れられれば。」


そうだ。抱けばいい。いつかのように、自分を都合よく使えばいい。

他の女子にしたみたいに、自分を慰み物にすればいい。

そうして、少しでも彼方の気が晴れるなら、それでいい。

どうせ自分は、恋人ごっこの遊び相手でしかないのだから。


「そうやって、いろんな女の人と寝てきたんでしょう?

 どうせ、私もその中の一人でしかないんでしょう?

 私も、都合のいい遊び相手でしかないんでしょう?

 なら、今更気に病む必要なんて、ないじゃないですか。」


そう言って、また彼方の頬に手を添える。

彼方は俯いたまま、何も言わない。


自分は何をやっているのだろう。何を言っているのだろう。

こんな嫌味や、皮肉を、言うつもりじゃなかったのに。

自分のこの口は、天邪鬼だ。

何故かはわからない。わからないけれど、ひどく苛立つ。

彼方に拒否されたから?彼方が自分を抱かないから?

彼方が自分に本当の恋人のように接するから?

なんだか心の中がモヤモヤする。

彼方が自分を抱かないのなら、無理矢理にでも、抱かせたかった。


しばらく俯いて黙っていた彼方は、静かに顔を上げる。

その表情は、悲しそうに沈んでいた。


「…ごめんね。」


泣きそうな声で言って、彼方は京子を抱きしめる。

痩せてか細くなった腕が、京子を自分を包み込む。

彼方の体温は、温かかった。


「ごめんね。」その言葉は、何に対して言っているのだろう。

どうして、悲しそうな顔を自分に向けたのだろう。


京子はただ黙って、彼方に身を任せていた。

このまま抱けばいい。そうすれば、きっと、変な勘違いもしなくて済む。

遊びでいい。恋人ごっこなんだ。本気になんか、ならないでいい。

彼方のことなんて、好きじゃない。好きになんか、ならない。


彼方は京子の肩口に顔を埋めて、大きな溜息を吐いた。

そして、泣きそうな情けない声で、たどたどしい言葉を呟く。


「信じてくれないかもしれないけど、僕は…本当に京子ちゃんが好きだよ。

 遊びなんかじゃ、ない。だから、そんなこと…言わないで。」


そう言って、京子を抱きしめる腕に力を込める。

肩口に顔を埋めたままで、表情が見えない。

彼方は今、どんな顔をしているのだろう。

どんな顔をして、好きだと言ったのだろう。

自分はそんな言葉、信じられないのに。信じたくないのに。


「確かに、僕は誰とでも寝れるし、実際…そうしてきた。

 あの時、京子ちゃんを抱いたのだって、たまたまそこに、都合よく京子ちゃんがいたからだ。誰でもよかった。

 …最低なことをしたって、わかってる。許してくれなくても…いい。」


ゆっくりと、彼方は顔を上げる。

その瞳は、涙で潤んでいた。

ああ、そんな傷付いた目で見ないでくれ。


「でも今は、本当に京子ちゃんが好きなんだ。好きだから、大事にしたい。

 彼女なんて初めてだから、どうしたらいいかわからないけど、僕にできることは、何だってしてあげたい。

 京子ちゃんにも、僕のことを好きになってほしい。

 …こんな僕の言葉じゃ…信じて、もらえないかなあ…?」


涙が一粒、彼方の頬を伝った。

いつもの、薄っぺらい言葉じゃない。嘘を吐いているようにも見えない。

これは、彼方の本音なのか。その言葉に、偽りはないのか。

自分は、それを信じていいのか。


「…本当に、好きなんですか?」


「うん。…好きだよ。

 だから、京子ちゃんが信じてくれるまでは、手を出さない。大事にしたいんだ。」


彼方は、辛くなるほど、切ない瞳で京子を見つめる。

その目は、真剣そのものだった。


「…信じて、いいんですか?」


「信じてほしい。それしか…言えないけど…。」


そう言って、彼方は自信無さげに目を伏せる。

自分が今までやってきたことを、悔やんでいるのだろうか。

彼方のことを信じられないのは、彼方の自業自得だ。

その笑顔はタチが悪いし、その口は嘘ばかり紡ぐし、その手は平気で女を抱く。

信じられるわけない。信じたくない。


けれど、付き合ってからの彼方は、以前と少し変わった。

自分の体を求めるようなことは、しなくなった。

毎日甘いお菓子を持って、会いに来てくれた。

今日のデートで、たくさんの服や靴を買い与えてくれた。

手を繋いで、恋人らしいデートをした。

首輪代わりのネックレスをくれた。

楽しいデートだった。彼方の隣は、凄くドキドキした。


彼方のことを好きにならないように、自分を誤魔化した。

どうせ遊びだからと、諦めた。

けれど、彼方と一緒に過ごすのが、どんどん心地よく感じてしまっていた。

彼方に「好き」だと言われるたび、心がざわついた。

どうしようもなく、馬鹿で、愚かで、脆弱な彼方を、ほっとけなかった。

情が移ったなんてものじゃない。


ああ、もう。自分も彼方のことが、好きなんじゃないか。

悔しいから、認めたくなかったのに。

信じるのが、怖かったのに。


京子は、大きく溜息を吐いた。

彼方は不安そうに、涙で濡れた瞳で京子を見上げる。

まるで叱られた子供みたいだ。

そんな顔をされたら、なんだかこっちが悪いことをしているみたいじゃないか。


京子は、両手で彼方の耳を塞いだ。

そして、彼方を見つめて、小さな声で呟く。

声が、震えた。


「貴方が、好きです。」


言い終わってから、手を離す。

彼方は、目を瞬かせていた。


「え?今、なんて言ったの?聞こえなかったんだけど…。」


当然だ。聞こえないように言ったのだから。

それを認めるのは、悔しいし、恥ずかしいんだ。

自分は天邪鬼なんだ。素直には、なれないんだ。


「さっきの言葉、仕方がないから信じてあげてもいい、って言ったんです。」


照れ隠しのように、京子はそっぽを向く。

彼方は子供のように、マヌケに口をポカンと開けた。


「…ホント?信じて、くれるの?」


「そう言ったでしょう?」


その言葉に、パッと彼方の表情が明るくなった。

この男はこうやって、時々子供みたいな表情をする。

純粋無垢で、邪気のない子供の顔。

やっていることは一丁前の大人なのに、不思議な男だ。

こういう無邪気な顔を見せられると、彼方を邪険にできなくなる。


「ありがとう。好きだよ、京子ちゃん。大好き。」


そう言って、彼方は、自分の体温を確かめるかのように、強く抱きしめた。

少し伸びた茶髪が頬を掠めて、くすぐったい。


「あーもう。ほら、涙拭いてくださいよ。せっかく買ってもらった服が、濡れるじゃないですか。」


指で彼方の涙を拭う。

泣き虫な彼氏は、はにかんで笑った。

その笑顔に、京子は不覚にもドキッとしてしまう。


学校の女子が騒ぐほどの整った顔と、無邪気な笑顔。

男らしさと、子供らしさを兼ね備えたこの男は、卑怯だと思う。

ああ、どうして自分は彼方の膝に乗ってしまったのだろう。

距離が近い。なんだか頬が熱い。ドキドキして、彼方の顔が見れない。

好きだと自覚すると、こんなにも恥ずかしくなるものなのか。


「京子ちゃん?」


彼方はそっぽを向く京子を、不思議そうに見つめる。

両腕で京子を抱きしめたまま、可愛らしく首を傾げる。

自分だけ意識しているみたいで、なんだか恥ずかしい。


「…と、とりあえず、禁煙してくださいよ。私、煙草吸う男の人嫌いなんです。」


照れ隠しに、またこの口は素直じゃない言葉を吐く。

天邪鬼な自分は、なかなか素直になれない。

きっと、自分が彼方に好きだと伝えられるのは、まだずっと先のことだろう。


「え?なんで?優樹さんも吸ってるじゃない。」


「お兄ちゃんは、言っても聞かないんですよ。」


「なら、僕もいいじゃない。」


「お兄ちゃんと違って、彼方さんは、まだ未成年でしょう。禁煙してください。」


「えー。そんなこと言われても…。煙草ないと、なんか口寂しいし…。」


きつく咎めるように言うと、彼方は唇を尖らせた。

そんな子供のような仕草に、少しだけ、可愛らしいと思ってしまう。


なんだかおかしくなって、京子は寂しいと言う彼方の唇に、キスをした。

素直な言葉なんて話せないから、このキスで想いが伝わればいい。

さっきの乱暴なキスとは違う、触れるだけの優しいキス。


「こうしたら、口寂しくないでしょう?」


京子が意地悪な笑みを浮かべると、彼方は対照的に顔を赤らめた。

恥ずかしそうにキスされた口元を手で覆って、目を逸らす。


「…なんか、それ反則だと思う。」


なんだ、この新鮮な反応は。

キスなんて、慣れたものだと思っていたのに。

いつも自信満々に女を誑かす癖に。

耳まで真っ赤にして恥じらう彼方なんて、初めて見た。

意外だ。可愛いところもあるじゃないか。

なんだかおかしくなって、京子は不敵に微笑んだ。


「頑張って禁煙してくださいね。」


「京子ちゃんって、時々物凄く男らしいよね…。

 なんていうか…うん、そういうところは優樹さんにそっくりだ。」


彼方はキスされた唇を指でなぞりながら、しみじみと呟く。

まだほんのり頬は赤い。この男でも、照れるのか。


「ね、もう一回。」


そう言って、彼方は京子を見上げる。

子供の顔じゃない、余裕を浮かべた男の顔に戻っていた。

その瞳で見つめられると、動けなくなる。

上手く呼吸ができなくなるほど、心臓がドキドキ鳴る。

まるで、彼方の視線に囚われたみたいだ。


「…調子に乗らないでください。」


京子は、反射的に彼方の頭を軽く叩く。

不器用な照れ隠しだ。


「痛っ!もー…。ちょっとくらい優しくしてよー。」


彼方は自分の頭を押さえて、拗ねるように頬を膨らませた。


「とにかく、禁煙しないと駄目ですからね。」



そう言って、京子は真っ赤になった顔を見られないように、彼方の膝を降りた。


また素直になれない。まだ、素直になれない。

ドキドキしただなんて、言えない。言ってやらない。

好きだなんて、まだ怖くて言えない。


自分が素直になれるのは、まだまだ先みたいだ。



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