11.暴力という作業
「『火を司る精霊たちよ、我が手に〝審判の炎〟を』!」
施設に戻って来るなり、そんな声が聞こえた。
首筋に熱を感じた瞬間、とっさに屈む。ゴォッと音がして、頭上を火球が飛んでいった。
「避けたか……」
微妙に残念そうな声の主は、銀髪にルビーの瞳の少年。久しぶりに見るその顔は、以前と変わらず子どもっぽかったが、それでも少し大人びて見えた。
そんなキーセンに、メイローラは低い声で尋ねる。
「……狙った?」
「ああ」
「どうして?」
「いや、当たるかなーって思って」
メイローラは地面を蹴って彼に肉薄し、無言で拳を放った。
「うぉい!」
彼はとっさに腕で防御する。そのままメイローラは訊いた。
「当たってたら、どうするつもりだった?」
「逃げる」
即答に対して、今度はすねに蹴りを入れた。
「ぎゃうっ!」
脚を押さえて跳びはねているのを、冷たい目で見やる。
「ちぇー、馬鹿力になりやがって。前はもっと貧弱だったのに」
「そっちが弱くなったんじゃないの?」
「そんなわけあるか? さっきの見ただろ? 変形も飛距離もばっちりさ」
自信満々なキーセンに、一つ訊いてみる。
「じゃあ、もう第1番隊の隊員?」
「当たり前さ。おまえは?」
「今日、第0番隊の隊員になった」
と、彼の表情が曇った。
「最前線……」
「何か問題でもある?」
「べっ、別に。そんじゃ」
歩き出すキーセンに、メイローラも背を向ける。
と、
「『唸れ、〝熱渦〟よ』!」
再び呪文が聞こえた。炎の渦が、こちらに向かって来る。
――避けられないっ……!
とっさにあの剣を振るう。
シュッ
音はそれだけだった。
「え……?」
魔術が、消えた。
放った本人も、口を開けてぽかんとしている。
――魔術が、斬れた……?
人間の力で、魔術は壊せないはず。
まじまじと剣を見つめる。控えめな銀が、光を反射する。
「おまっ……何だよそれ」
我に返ったらしいキーセンが駆け寄って来る。
「分からない……」
それよりも、彼女には言いたいことがある。
「何で、また魔術を?」
「え、えっと……」
頭をかきながら、視線を泳がせる。
「ちょっと試してみたかったからぁぁあああっ!」
足を思い切り踏んづけてやった。
メイローラは、とても緊張していた。
着慣れない鎧が、歩くたびにガチャガチャと音を立てる。先頭を歩く隊長は、毅然として前を向いている。
向かう先は、キャラウェイとの国境。
本日第0番隊は、暴動の鎮圧を任されたのだ。きっかけは分からないがキャラウェイ人が暴れていて、カルミア人が止めに入っているらしい。
それだけなら第2番隊あたりが行けばいいのに、なぜ第0番隊が駆り出されるのだろう。
レイアに訊くと、
「第2番隊は別の暴動を任されてるの。……最近多いから」
難しい顔で答えられ、ますます不安を募らせる。それに、心配なのはそれだけではない。
メイローラが出陣するのは、今日が初めてなのだ。
以前レイアを斬ってしまった時のことが、嫌でも思い出される。あれだけで気絶してしまった自分に、鎮圧などできるのだろうか。
鎮圧。それは、暴力をさらに強い暴力で押さえつけることだ。
そんな力が自分にあるのかどうか、考えるだけで緊張が増してくる。
と、レイアが立ち止まってこちらを向いた。
「みんな――特に新入りはよく聞いて。今回はあくまでも鎮圧。まず国民を避難させて、それから暴動を止めて。いい? 無駄に殺傷したりしないこと。戦意を失わせる程度でいいから」
はいっ、とメイローラを含めた十一人が返事をする。
「……行くわよ!」
隊長が走り出す。
現場は、想像していた以上に混乱していた。激しい殴り合いになっていて、向こうには武器のようなものを持った者までいる。
隊員たちが運びにかかっている国民を見て、メイローラは足が竦んだ。その人は至る所から血を流していて、ぐったりとしている。
もう死んでるかもしれない、と思った途端、今まで緊張で麻痺していた恐怖がぶり返してきた。
そこに、レイアの声が響く。
「キャラウェイの民よ! これ以上無駄な血は流したくない。速やかに撤退しなさい!」
それでも争いは止まらない。
「うるせえ! 後から来たやつがごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ!」
それどころか、こちらに向かって来る者もいた。
「仕方ない、応戦して!」
叫ぶと同時にレイアは両手で剣を抜き、素早く斬りかかった。周囲の男たちが、短い悲鳴を上げて倒れる。
彼女の動きは無駄がなく、とても速かった。
――鳥みたい。
と、
「おい、ぼーっとすんな!」
隊員の怒声で、はっと我に返る。足は、もう動くようになっていた。
暴動の中心に入ると、いきなり男が殴りかかってきた。慌てて避け、鳩尾へ拳を叩き込む。男はうめいて、地面に倒れた。
「っはっ、はっ……」
それほど動いたわけでもないのに、呼吸が荒くなる。飛び交う悲鳴と怒号で、頭がくらくらする。
そのせいで、攻撃に気づくのが遅れた。
気配を感じて振り返った瞬間、頭を鈍い衝撃が襲った。
「っあぁっ……」
とっさに腕を振るが、コントロールが利かない。男が棒を振り上げるのが見える。気力を振り絞って、腰の剣を抜いた。
嫌な感触と同時に、男が棒を落とす。憎々し気にこちらを睨み、ゆっくりと倒れた。
「あ……」
メイローラは悟った。
――これで、もう戻れなくなった。
任務とはいえ、故意に人を傷つけたのだ。
姉さんが知ったら……と思うと、どうしようもなく悲しくて、怖くなった。
メイローラは剣を収めると、殴りかかってくる人々に体術で応戦した。
向かって来る者を蹴り倒し、暴れる者を殴り飛ばす。
何も考えず、淡々と。
少しでも考えたら、体が動かなくなってしまいそうだから。
『まるで作業のように』
いつかのレイアの言葉が思い出される。
これが鎮圧――力を力で押さえつける〝作業〟。
痛くて悲しくて、とても空しい。
それから数分で、鎮圧は終わった。
残ったのは踏み荒らされた地面と、わずかな血痕。
キャラウェイの人々は、ぼろぼろの体を引きずって退散していった。国民たちは軽傷で済んだ者も多く、隊員たちはほとんど無傷だ。
「みんなお疲れ」
レイアが皆を見回す。
「怪我は……まあないと思うけど、戻ったら一応第3番隊に行ってね。じゃあ、撤収!」
そう言うと、『ちょっとメイ』と手招きする。
「お疲れ。確か今回が初めてだったよね。……どうだった?」
軽めの口調とは裏腹に、目は真剣だ。
「その……怖かった、です。暴力がとても近くにあって、自分もそれを使ってて」
「そっか」
「でも、作業のように暴力を使えてしまう自分が、もっと怖かったです」
だが、そうなるのも仕方ないのかもしれない。余計なことを考えれば、躊躇いが生まれる。その躊躇いが、死に繋がることだってあるのだから。
それでも、メイローラはそれを〝仕方ない〟とは思いたくなかった。
「……隊長は、怖くないんですか」
つい訊いていた。
レイアは唇を舐め、笑みを浮かべてみせる。
「怖くないよ。最初は怖かったけど、もう慣れたから」
帰ろっか、と歩き出す。
メイローラも一歩踏み出して、ふと振り返る。
すっかり静かになった暴動の跡に、何事もなかったかのように風が吹いていた。
更新が遅くなってすいません! ちょっと忙しかったもので…。
次はもう少し早く更新したいと思います。