9.先輩と現実
思いの外ぐっすり眠って臨んだ翌日は、だいたい昨日と同じ内容だった。朝食のスープを作り、休憩時間はスーダの所へ行き、先生から様々なことを教わる。自由な時間は、食べる時間と寝る時間ぐらいだ。
次の日も次の日も、そのまた次の日も。
ずっとずっと、同じような日の繰り返し。
その繰り返しが重なって、三年になった。
十二歳になった少女は、とある隊の見習いになっていた。
倒れるほどの訓練の成果か、剣術も体術も周りとほぼ同じくらいのレベルまで達した。魔術の方は、あの時以来さっぱりだが。
剣術は、自分でも驚くぐらい上達が早かった。一つ一つの動作が、あまり違和感なく体に染み込んでいくのだ。だから剣を構えたり振ったりするのは、それほど苦ではなかった。少なくとも、魔術の授業よりは。
あの馴れ馴れしい少年は、望み通り第1番隊の見習いになり、医者の息子は第3番隊の見習いになった。最近はあまり会うことがない。
――あいつら、どうしてるんだろう……。
何となくそんなことを思いながら、今日も先輩たちが使った武器を手入れする。
「メイー、メイいるー?」
そんな彼女を呼んだのは、第0番隊隊長のレイア・ヘリー。歳は二歳上で、肩にかかる濃紺の髪と、桃色の瞳が特徴的だ。彼女は、会ったその日から『メイでいい?』と言って、そう呼んでいる。
それが姉との生活を思い出させ、少し嬉しくて寂しかった。
「ここです、ヘリー隊長」
手を挙げて返事をする。
「レイアでいいって。ねえ、ちょっと来て」
「あ、はい」
ふいていた武器を置いて、彼女の後を追う。
倉庫内の開けた場所まで来ると、レイアは言った。
「さ、選んで」
「え?」
「どれでもいいよ。好きな得物選んで」
ずらっと並んだ武器を指す。
メイローラは戸惑いつつも、いつも訓練で使っている細身の長剣を取った。レイアの方は、自分の物らしき剣を二本手にしている。
その形状は、少し変わっていた。二本とも長さはさほどないが、刃先が上に丸く曲がっている。しかもその色は、鈍く光る黒。
「これが私の〝爪〟」
でも、と片方を地面に置く。
「ハンデをあげる。ちょっと不公平だもんね」
それで、納得した。
――手合わせ、するんだ。
理由は分からない。だが、今から行うのは一対一の勝負だ。
寒いわけでもないのに、背中を汗が流れる。
緊張と恐怖と、昂揚。
「私を傷つけることができたら、メイの勝ちね。――いつでも来なさい」
その途端、レイアの発する〝気〟が変わった。
触れると切れそうな、鋭い〝気〟。
――怖がるな!
震えそうになる足を、素早く前に出す。
キィンッ!
レイアは軽々と受け止めた。
「いっ……!?」
脇腹に鈍い痛み。
「体術はだめ、なんて言ってないよ」
余裕の笑みを浮かべてくる。
落ち着け、と自分に言い聞かせて、いったん間合いを取る。レイアはそれを一瞬で詰め、剣を横薙ぎに振るった。鋭い熱と共に、頬が浅く切り裂かれる。
が、その隙に空いた胴に、メイローラは斬り込んだ。当たるとは思っていない。
手を走ったのは、何かを斬る感触。
ゆっくりと、レイアが膝をつく。
――え?
白い練習着が、赤く赤く染まっていく。自分の持っている剣からも、赤いモノが滴り落ちる。
レイアの、苦しそうな表情。
「あ……」
その瞬間、意識が真っ白になった。
最初に視界に入ったのは、心配そうな三つ編みの顔。
「大丈夫、ですか……?」
「……あ、うん」
答えて、思い出す。
視界を染める、赤い赤い――
「た、隊長は!?」
「その人なら……」
と、包帯を巻いたレイアが、複雑そうな表情で入って来た。
傷が痛むのだと思ったメイローラは、慌ててベッドから下りて頭を下げた。
「す、すみませんでしたヘリー隊長!」
「あー、ごめんねメイ」
同時に言った。
「え?」
「レイアでいいって……じゃなくて。驚かせてごめん」
「そんな、こちらこそすみませ」
「違うの」
きっぱりと否定する。
「あれ、演技なの。全部、私が仕組んだんだ」
「嘘……?」
「うん。ほんとはあの後何もなかったような顔して、驚かせようと思ってたの。でも急に倒れちゃうからさ、こっちが驚いたよ」
レイアは困ったように笑う。
「……あの、どういうことですか?」
「こういうこと」
言うなり腰に差してある剣を片方抜いて、
自らの腕に、突き立てた。
「あっ……!」
声を出したのはメイローラ。
レイアは、そのまま躊躇いなく下へと切り裂いていく。
顔色一つ変えず、困ったような笑みを浮かべたまま。
血が、そこからどんどん流れ落ちる。
「なっ、何してるんですか!?」
我に返ったらしい三つ編みの少女が叫んだ。
「あ、ごめん。汚しちゃって」
レイアは、やっと腕から剣を抜いた。血は、まだとめどなく流れ出ている。
少女は慌てて包帯を取り出して、手際よく巻き始めた。
処置を受けながら、呆然と立ち尽くすメイローラにレイアは言った。
「見たでしょ? 私ね、痛覚がないの」
少女も思わず顔を上げる。
「だから、どんなに殴られても蹴られても斬られても、全然痛くないの。これ、さっきわざと斬られた時に言おうと思ってたんだけど、メイ気絶しちゃったからさ」
冗談っぽく言い、そのまま付け加える。
「ま、こんな体質だから、私は〝戦天使〟に売られたんだけど」
「え、売られた?」
訊き返してしまう。
「ここ、志願制なんじゃ……」
「基本はね。でも、例外だってある」
それが私、と自分を指す。
「それに、ぴったりだと思わない? 日常ではみんなに気味悪がられるだけだけど、戦場では違う。痛みがないから恐れもないし、戦い続けられる。もちろん、その分リスクも高いけどね」
当然のように語った彼女に、メイローラは言葉を返せなかった。
――そんな。こんな、戦うためだけに生まれたような人がいるなんて。
しかも、その体質を最大限に利用しようとしている。自らの意志で〝戦天使〟に入ったわけでもないのに、隊長にまでなっている。
それを『前向き』という一言で表してしまってもいいのかどうか、メイローラには分からなかった。
と、
「……つらく、ないんですか」
包帯を巻き終えたらしく、少女が訊いた。
レイアは唇を湿らせて、
「うん。ここに来たのは五歳の時だから、家族との記憶もあんまりないし……私の家は、ここだから」
力強く笑ってみせた。
少女は『そうですか……』と返すと、
「この傷、一応先生に診てもらってくださいね。浅いから大丈夫だとは思いますけど」
「分かった、ありがとう。じゃあメイ、そろそろ戻ろっか。もうすぐ夕食だし」
「はい」
二人は部屋を出て、廊下を歩いた。
しばらくは無言だったが、やがてレイアが口を開いた。
「ねえ。さっき、何で倒れたの?」
唐突な問いに、メイローラは戸惑う。あの時の映像が、頭の中を一瞬で流れる。
「……当たるとは、思ってなかったんです。でも隊長は倒れて、血がにじんでいて……。私がやったんだ、って思った瞬間、目の前が白くなったんです」
正直に伝えた。
レイアは『そうかぁ』とうなずくと、
「だめよ、そんなんじゃ」
厳しく言い放った。
「模擬戦で私を斬ったくらいでびびってるようじゃ、本番では勝てない」
「っ、別に、怖かったわけじゃ」
「じゃあ何? 罪悪感?」
とっさの言い訳にも、レイアは容赦ない。
――いつもの隊長じゃないみたい。
普段は穏やかな桃色の瞳が、鋭く細められている。
彼女は諭すように続ける。
「あのね、〝戦天使〟は戦闘部隊なの。ただ身体を鍛えるだけの訓練場じゃない。あなたはまだ見習いだけど、私――第0番隊は他人の命を、人生を奪ってるの。もう何十人も、この手で殺してる。まるで作業のように」
機械のように、と両手を握り締める。そして、真っ直ぐにメイローラを見つめた。
「私だって、最初は罪悪感も抵抗もあった。でもすぐに消えた。消さざるを得なかった。だって、そうしないと自分が危ないって気づいたから。相手を斬る時に罪悪感があれば、躊躇いが生まれる。その間に自分がやられるかもしれない。だから、罪悪感なんて必要ないの。相手だってそう思ってるだろうから」
冷淡とも言える口調で、そう言い切った。
十二歳のメイローラにとって、その言葉はとても厳しいものだった。
だが、それが現実だ。
そのことに、メイローラはやっと気づいた。気づかされた。
〝戦天使〟に入ろうと決めた瞬間から、すでに目標は固まっていた。だがそれを達成するまでの経緯については、あまり深く考えたことはなかった。
「メイは、何で第0番隊を選んだの?」
レイアの言葉が、彼女を数ヶ月前へと引き戻す。