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第8話 夕日に照らされて

 俺の部屋に入ってから数分間、俺と莉那はずっと無言だった。

 恥ずかしい気持ちやら落ち着かない気持ちやらが俺の中で渦巻いて話しかけることが出来なかった。

 何故、あれだけの言葉でうろたえてしまったのだろうか。幼馴染とはいえ女の子を住まわせると言えば絶対に聞くような常套句のはずなのに。そんなことは絶対にしないと思っているのに。

 そして、莉那も黙っているということは莉那も俺と同じように恥ずかしく思い落ち着いていないのだろうか。きっと、そうだと思う。いつもの莉那ならばこの部屋に入った瞬間になんらかの感想を言うはずだからだ。

 優は見かけよりも心の中が騒いでいる俺と莉那を落ち着かせるためか俺と莉那の間を行き来している。

 それから、十分ほど経って俺たちが一向に動き出さないので飽きてしまったのか俺と莉那の間に寝転んだ。

 更に、五分が経って俺の気持ちはやっと落ち着いてきた。話していれば更に落ち着くだろうと思い俺は莉那に話しかけた。

「そういえば、莉那って俺の部屋が気に入ってたよな。景色が綺麗だって言って」

「え?……うん、そうだね。この辺で三階建ての家なんてここぐらいだからね。雅渡の部屋からだと遠くまで、見えるんだよね」

 言いながら莉那は窓の傍まで移動して窓の外を眺める。俺も莉那の隣に座る。窓は低めの場所に取り付けられているので座ったままでも窓からの風景を見ることができる。

 ここからは、海を眺めることができる。海は他の二階建ての家からでも見ることはできるだろう。けど、少し高い場所から見ているぶん海の見える面積が広い。

 しかも、ここは西ということもあり海へ沈んでいく夕日を見ることもできる。多分、俺の部屋から見れる景色としてそれ以上のものはないだろう。今日は晴れているので夕日が見れるはずだ。

 と、いきなり、頭の上に何かが乗ったのに気が付いた。

「優、か?」

 何の確信もなく俺は聞いてみた。すると、「にゃ」という鳴き声が頭の上から返ってきた。

「なんで、頭に乗ったのがわかるの?雅渡、普通じゃないよ」

 莉那が俺の方を見てそんなことを言う。

「莉那が鈍すぎるんだよ。重みはないけど何かが乗ったって感じは普通にしたぞ」

「わ、わたしは鈍くないよ。わたしは考え事に集中してたから気が付かなかったんだよ」

 莉那は先ほどとは違う言い訳を言った。

「莉那、言い訳を変えてたら見苦しいぞ。認めるんだな、自分が鈍いってことを」

「わたしは鈍くないって言ってるでしょ。優もそう思うでしょ」

 莉那は俺の頭の上にいる優に話を振った。それに対して優は「にゃにゃ」と否定するように鳴いた。

「優までわたしのこと鈍いって言うの!」

 むぅ、と莉那は頬を膨らませる。俺はそんな莉那の様子を見て小さく笑い。優はどこか楽しそうに鳴いた。

「雅渡も優もわたしのことを馬鹿にするんだ」

 そういうと、莉那は頬を膨らましたままぷい、とそっぽを向いてしまった。本気で不機嫌になったわけではなさそうだが、謝っておいたほうがよさそうだ。この状態になったということは俺が莉那にとって嫌がるようなことをしてしまったということだ。

「莉那、ごめん、俺、やりすぎたよ」

 優も同じように謝ったほうがいいと思ったのか俺の頭から離れて莉那の肩越しに「にゃー」と小さく鳴いた。

「……」

 莉那は沈黙したままだ。俺と優は困ったように顔を見合わせる。今この場に関係ないが優の行動が人間らしくて小さく笑いそうになった瞬間、いきなり莉那に抱きつかれた。莉那の肩にいた優と一緒に。

「い、いきなり、なんだよ」

 胸が圧迫され少し苦しい。それに、莉那にいきなり抱きつかれたことによって心臓が早鐘を打つように鳴っている。俺と莉那に挟まれる位置にいる優は「ふぎゃー」と苦しみを現すかのような鳴き声をあげている。

「わたしを馬鹿にしたお仕置き。こうやって、苦しめてあげてるの」

 言葉だけを聞いたら少しくらいはぞっとしたかもしれないが、行動とあわせてみると全然ぞっとしなかった。というか、例のごとく相手にどう取られるかを考えずにおこした行動のようだ。

 多分、俺が苦しいとわかればすぐに放してくれるはずだ。俺はそれほど苦しくないのだが、真ん中に挟まれている優がとても苦しそうだ。

「莉那、苦しいから、放して、くれるか?」

 そう言ったら俺の予想通り莉那は腕の力を緩めて俺たちを放してくれた。優が力なく宙に浮いている。幽霊なので放っておいても大丈夫だと思う。

 俺はいきなり莉那に抱きつかれたということでまだ心臓の鼓動が早くなっている。まともに莉那の顔が見れそうになかった。

「雅渡、優、反省した?」

 俺が今どんな心境か知らない莉那の表情はおそらく笑顔だと思う。

「あ、ああ、もう、馬鹿になんかしないよ」

 しどろもどろになりつつも俺は答えた。そんな俺の隣で優が「にゃ〜」と力なく鳴いた。

「優は許してあげるけど、雅渡は許してあげない。なんでわたしの顔を見て謝ってくれないの?」

 そんなことを言われても困る。俺も莉那の顔を見て謝りたいと思っている。しかし、恥ずかしさでまともに見ることなどできない。

「自分のしたことを思い出してみろ」

 本当はもう少ししっかりと説明したほうがいいのだろうが俺にはそう言うのが精一杯だった。

「わたしの、したこと?」

 莉那はそう言って自分の行動を思い出すためか沈黙する。そして、数秒後、

「あ、そ、そっか、わ、わたし雅渡に抱きついちゃったんだ……」

 莉那は慌てたように、恥ずかしがるように言う。また、俺の部屋に入ったときのように沈黙が流れる。

 よく考えてみたら気が付かせないほうがよかったのかもしれない。何となくそう思って少し前の自分を責めるがそれで、何か変化が訪れるわけではない。

 そんな、俺たちを見てか先ほどまで疲れ果てていたはずの優がどこか楽しそうに鳴いた。

 優はこういうシチュエーションが好きなんじゃないだろうか、とか考えてしまう自分がいた。

 

 俺たちが口を開くことが出来るようになったのはおよそ一時間後だった。話しかけたのは莉那のほうからだった。

「……あ、夕日が綺麗だよ」

 意識が内側にいっていた俺はその声を聞くと同時に部屋の中を見た。

 俺の部屋は夕日によって赤く染められている。いつもとは違う俺の部屋。一日に三十分ほどしか見ることのできない神秘的な部屋。

 しかし、これ以上に神秘的で美しい光景を俺は知っている。それを見るために俺は部屋の中から窓のほうへと視線を向けた。

 そこから見えるのは夕日で真っ赤に染まった海だ。しかも、ただ赤く染まっているだけではない。夕日の光を浴びてキラキラと輝いている。赤色のダイヤモンドがあればこんな感じなのだろうな、と思う。

 それはとても神秘的でどこか自分たちとは全く違うもののような幻想さを併せ持つとても美しい光景だった。

 いつもはここまで見惚れたりしないのにどうしたというのだろうか。もしかしたら、莉那がいるせいで心が何事も受け入れやすくなっているのかもしれない。

「わたし、雅渡の部屋から見れるこの景色が大好きなんだ……」

 誰に言うでもなく莉那は呟く。けれど、そんな呟きが俺に対する言葉のような気がした。それに対して俺は何かを答えようとした。

 しかし、少しそう思うのが遅かったようで俺と莉那の間に浮いていた優が先に「にゃー」と鳴いた。俺は優に先を越されて少し悔しい気持ちになった。

「優もこの景色が気に入ったの?」

 優は莉那の言葉を肯定するように「にゃ」と鳴いた。それから、莉那のほうへと近づく。莉那は近づいてきた優を背中から抱きしめて窓の外の風景が見れるようにする。

「わたしね、少し思ったことがあるんだ」

 俺はその言葉を聞いて夕日で赤く染まった莉那の横顔を見る。優は抱きしめられたまま莉那の顔を見上げている。

「この景色が綺麗に見えるのって近くに雅渡がいるからなのかなって思ってるんだ。全然、確証できるようなものなんてないんだけどね。気持ち的な、そういうのが関係してるのかなって思うんだ」

 優は莉那が何を言っているのかわからないのか不思議そうに「にゃー?」と鳴いている。しかし、俺はその言葉を聞いてどきり、としてしまった。

 莉那が景色を見て綺麗と思えるのは俺と同じ気持ちを持っているからじゃないだろうか、と思ってしまったからだ。

「雅渡はわたしがいて景色が特別に綺麗に見えたりする?」

 莉那は俺の方を向くと綺麗で純粋な笑顔を浮かべた。俺は、その表情を見て赤面してしまう。だが、夕日に照らされていたので気が付かれなかったようだ。

 そのことに安心しながら俺はなんと答えるか考える。いや、本当はもうなんと答えるか決めてある。俺も、莉那がいたほうが景色が綺麗に見えるよ、と。

 ただ、それを言うにはすごい勇気が必要だった。これを言ったからといって莉那に笑われたりはしないと思う。それに、俺が莉那のことを好きだということを気付かれたりもしないだろう。

 それでも、莉那にこの言葉を言うのは恥ずかしかった。しかし、考えても考えてもいい言葉は見つからなかった。むしろ、考えれば考えるほど好きだという気持ちを直接伝えてしまいかねない言葉が浮かんでくる。

 俺はもう、考えることを諦めて一番初めに思い浮かんだ言葉を言うことにした。

「俺も、莉那がいたほうが景色が綺麗に見えるよ」

 まともに莉那の顔を見ることができない。けれど、顔を逸らしたら怪しまれるだろうし今は夕日が俺の赤く染まっているであろう表情を隠してくれる。

 そう思って顔を逸らしたいと思う気持ちを抑えて莉那の顔を見る。

「そうなんだ……。嬉しいな、雅渡がわたしとおんなじように思っててくれて」

 莉那は先ほどと同じ笑顔を浮かべたまま言った。

 莉那は気付いているのだろうか、俺がそんな言葉一つ一つに動揺しているということに。

 そして、考える莉那のそれらの言葉にどんな意味が隠されているのだろうか、と思っていることに。

 多分、莉那のことだから気がついていないと思う。それでもいいか、と俺は思いなおす。

 それから、俺たちはどちらからともなく再度夕日のほうを向いて神秘的で幻想的な景色を見ることができなくなるまで眺め続けた。


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