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第5話 木陰の下で

 あれから俺と莉那は授業などに一切耳を貸さずずっと話をしていた。傍から見れば一生懸命にノートを取っているようにしか見えないので誰にも怪しまれたりはしなかった。

 そして、昼休みになると俺は圭輔に今日は一人で食べるから、と言って弁当を持って莉那とともに教室から出た。

 莉那に会う前も俺は時々一人で食べたりすることがあったので圭輔には怪しまれなかった。なんとなく今までの自分に感謝をする。それと、同時に一人にしてしまった圭輔に心の中で謝る。

 莉那がいなくなってから圭輔にはいろいろと迷惑をかけたなあ、と俺は思った。

「雅渡、いいの?圭輔を一人にしちゃって」

 莉那は教室においてきた圭輔のことが気になるらしい。廊下を歩く俺の隣についてきて何度も教室の方をちらちらと見ていた。

「別にいいだろ。俺が時々一人食べたくなるっていうの知ってるからさ」

 俺はなんでもないことのようにそう言った。当然、声は潜めてだ。

 いや、本当はなんでもないことはない。けれど、莉那に余計な心配をかけさせる必要はないと思いなんでもないことのように言った。

 俺の言葉を聞いた莉那は少し驚いたように言う。

「そうだったんだ。あれ?でもちょっと待って。わたしがいたときは一人で食べてることなんか一度もなかったよね」

 そう、莉那の言うとおり俺は莉那が死ぬ前までは一人で食べていることなんか一度もなかった。もし、莉那が学校を休んだとしても圭輔と一緒に食べていたんだから。

 一人で食べるようになったのは莉那がいなくなってからだった。

「お前がいなくなってから一人で食べるようになったんだよ」

 はっきりとした理由があるわけではない。幽霊になった莉那とすぐにでも話が出来るようにするため、それが一番もっともな理由なのかもしれない。自分のことなのになんでわからないんだろうな、と思ったこともある。けれど、今はもう考えることはなくなっていた。

 それが、俺にとっての当たり前となっていたから。

「そうなんだ。あ、もしかして、わたしとしか一緒に食べたくなかったとか?」

 莉那はそういいながら俺の顔を覗き込むようにする。幽霊だからこそできる芸当だ。生身の人間がやればこけてしまうような体勢になっている。

 俺は覗き込んでいる莉那の顔を見ながら答えた。

「どうなんだろうな。俺自身もよくわかんないよ。まあ、でもお前がいなくなって何かを思ってたってことは確かなんだろうけど」

 俺は曖昧にそう答える。本当は莉那の言ったことは俺の思いにしっくりとくるのだけど本音を喋るとなると恥ずかしい。だから、曖昧な答えになった。

「むぅ、こういうときは嘘でもわたしとだけ一緒に食べたかったって言ってほしかったな」

 どこか期待するような表情を浮かべていた莉那の顔は不機嫌そうな顔になった。けれど、それもほんの数秒のことだった。

「でも、わたしが死んでそれで何か思っててくれたんだ……。仕方ない、それで、我慢してあげるよ」

 莉那は不機嫌そうな顔を消してそう言った。俺はそんな莉那の額に軽くでこぴんをしてやった。

 普通の場所なら怪しい行動に見られるがここは校舎裏の近くの廊下。誰も近寄ったりしないような場所だ。だから、ここでは少し派手に莉那と関わっても大丈夫だ。

「なんで、お前はそんなに偉そうなんだよ」

「えへへ、どうせ、雅渡にしかわたしのことが見えてないんだったらもっと大切な存在として見てほしかったなぁって」

 莉那は悪戯っぽい笑みを浮かべながら少し顔を赤らめる。俺も莉那の言葉の真髄の意味がわかったような気がして少し恥ずかしくなる。

 俺は、莉那から顔をそらしそうになりながらも莉那の額を小突きながら言う。

「な、なに言ってんだよ。お前は」

「あはは、雅渡、照れてるの?」

 赤くなっていたはずの莉那の顔はいつのまにか元の白い肌に戻っていた。このまま莉那のペースで会話が持っていかれるのも癪なので俺はちょっとした反撃を試みた。

「お前も、さっきまで自分で言った言葉に照れてたんじゃないのか?顔が少し赤かったぞ」

 少し余裕の態度を見せる。ここで、自分がうろたえていると思わせては意味がない。

「そ、それは、気のせいなんじゃないの?ほ、ほら、わたしの体が透けて見えるからちょうどわたしの顔の後ろに赤いものがあったんだよ。例えば、あの火災報知機とか」

 そう言って莉那は後ろにある火災報知機を指差す。確かにそれは赤色に塗装されている。

 しかし、幽霊に対する五感が優れている俺には幽霊は透けて視えない。というか、幽霊が透けて視える霊能者のほうが珍しい。

 でも、莉那はそのことは知らないと思う。多分、漫画や小説などの一般的な表現方法からそう判断しているのだろう。

 他人の視界はその他人が言わなければわからない。だから、俺には莉那がどのように見えているのかを説明する。

「言っとくけど、俺にはお前の姿は透けて視えないぞ」

「え、そ、そうなの?普通に透けて見えてるものだと思ったんだけど」

 莉那は少しうろたえるように周りを見回す。そして、何かを見つけたようで外に出るための扉をすり抜けて行った。

 俺は何を見つけたのだろうか、と思い後についていく。とりあえず、俺の反撃は成功したものと考えながら俺は扉を開けた。

「莉那、いきなり、どうしたんだ?」

「雅渡、ここでお昼食べるんでしょ。だから場所取りしてあげたんだ」

 莉那は校舎裏に植えられている一本の木の下に座っている。今日は少し暑い日なので木陰のあるそこは涼しそうだった。

「それは、ありがとう。でも、お前は幽霊だから意味ないだろ?」

「一応、意味あるんだよ」

 少し不機嫌そうに莉那は言う。

「どんな意味があるんだ?」

「他の幽霊がきてこの場所をとられないようにしてたんだよ。雅渡って幽霊を触れるから他の幽霊がいたら邪魔でしょ?」

「まあ、確かにそうだけど、こんなところに来るような物好きなんかいないと思うぞ」

 俺はそう言いながら莉那の隣に座る。

「むぅ、なんで、雅渡はそうやってわたしの言動に対して否定的な態度を取るの?」

 莉那は頬を膨らませて俺の方に身を乗り出す。

「否定的って……。俺はただ、事実を言っただけだよ」

「あれ?そうなの?」

 素直に俺の言葉を聞くと莉那はもとのようにきちんと座りなおした。莉那が素直な性格でよかったと思う。もし素直な性格でなければ更に何かを言ってきていたはずだからだ。

 俺が言ったことは本当だ。学校に幽霊がいることはいる。しかし、そういう幽霊は学校、という人がたくさんいる場所が好きだからいるのだ。

 だから、こういうふうに学校で人が少ない場所に幽霊が来ることは滅多にない。来るとすれば先ほど言ったような物好きな幽霊か、道に迷った幽霊くらいだ。

 そういうことを考えながら俺は弁当の箱を開けた。

「あ、すっごい美味しそうだね。いつもどおり雅渡のお母さんが作ったの?」

 今度は俺に不満を言うためではなく弁当を覗き込むために莉那は身を乗り出してきた。

「ああ、母さんが作ったやつだけど。どうしたんだ?」

「なんかね。雅渡のお母さん、料理の腕、あげたのかなって思ってね。味はわかんないけど見ためがすっごく美味しそう」

 莉那の言葉を聞いて俺は自分で開けた弁当を見る。先ほどは莉那の声に反応してよく見ていなかったが莉那の言うとおりとても美味しそうに見えた。

 主食は何の味付けもされていない真っ白なごはん。だからといって質素に見えるような弁当ではなかった。

 おかずとして豚の角煮や魚の煮漬け、野菜の煮物が入っている。煮物ばかりなのに全体の色合いがよい。その理由はごはんの隣に置かれている梅干とたくあんのおかげだろう。試しに片手で梅干とたくあんを隠してから弁当全体を見てみた。

 そうしたら、弁当全体がどこか寂しい感じになった。それを確認した俺は手をどける。これを置くだけでこれだけ変わるもんなんだな、と俺は心の中で感心する。

 この弁当を一瞬見た感想としては日本料理亭に出てきそうなものばかりだな、というものだった。そして、朝からこんなものよく作れたな、とも思った。

 昨日の時点では全く用意していなかったはずだ。それなのに、今ここに煮物があるということは母さんはとても早くから起きたということなのだろう。心の片隅で母さんはすごいな、と思い、同時に感謝していた。

 それらをあわせて、結論を言うと莉那の言ったとおり俺の母さんは確実に料理の腕をあげつつある。それは、料理人として店を開くことが出来るんじゃないだろうか、と思うほどにだ。

「確かに、俺の母さん確実に料理の腕をあげてきてるよ。この前なんか、誕生日ケーキをスポンジを作るところからやってたし」

「ケーキを自作かぁ……。なんかうらやましいなぁ。それって世界にひとつしかないケーキで誕生日を祝ってもらえてるってことでしょ。いいなぁ」

 莉那は夢見るようなぼーっとした表情を浮かべる。俺は、そんな莉那の表情を見て苦笑を浮かべそうになったがある事実に気が付いて苦笑を引っ込めた。

 莉那はもう誰かに誕生日を祝ってもらえない。唯一祝ってやれるのは俺だけだが、莉那がそれで満足してくれるかはわからない。

 せめて、莉那の誕生日には何かをプレゼントしてやりたいと思った。確か、ひいじいちゃんから聞いた話によれば極稀に幽霊でも触れることの出来る道具が生まれることがあるらしい。

 莉那の誕生日は十一月十四日。約四ヵ月後のことだ。それまでに、探しておこうと頭の片隅に記憶しておいた。

「それよりも、雅渡、そのお弁当美味しいの?ちょっと食べてみてよ」

 いつの間にかはっきりとした表情を浮かべている莉那がそう言ってきた。自分自身では味がわからないので俺を通して美味しいのか美味しくないのかを確かめようとしているらしい。拒否するつもりなど全くないので俺は野菜の煮物を箸で摘み口に運ぶ。口の中に入れ、しっかりと噛む。そして、舌に広がる味を確かめる。味は、文句なしだった。

 ある程度味わって野菜の煮物を飲み込み俺は言った。

「いつもどおりすごく美味しい」

 これまで、不味いと思った料理が出てきたことは一度もなかった。たぶん、母さんは味付けに細心の注意を払って確実に美味しいものを作ろうとしているんだと思う。

「いいなぁ。わたしも食べたいなぁ。ねえ、口移しでわたしの口に渡せないのかな?」

 その言葉に俺は吹き出しそうになった。そうしないように、どうにか抑える。けど、無理やりに吹き出しそうになったのをこらえたためにむせてしまう。俺はゴホゴホ、と咳をする。

「雅渡、大丈夫?あんまり急いで食べないほうがいいよ」

 莉那は俺が急いでものを食べて喉を詰まらせたと勘違いしたらしく心配そうに俺のことを見ている。

 咳のほうは落ち着いてきた。あまりにも咳をしすぎたせいで瞳に涙が滲んでいる。俺はそれを指で拭う。それから、自分の心を落ち着かせるためにペットボトルの中に入ったお茶を飲む。そんな自分を、莉那から見れば喉に詰まらせたものを流してるように見えるんだろうな、と冷静に見ている俺がいた。

 お茶を飲んだからなのかはわからないが少しは気持ちが落ち着いた。ペットボトルのふたを閉めると莉那の顔を見た。

 まだ莉那は俺を心配そうに見ている。焦ったり照れたりしているような様子は見られない。

 莉那のああいった俺を焦らせるような発言は生前も時々あった。例えば、俺が軽い風邪を引いたときがあった。そのときに莉那は俺のことを心配していた。

 そして、莉那と学校で話をしている時に、額に手を当てて熱を測るよね、みたいな話になった。そこまではよかったのだがその次の発言が「首に腕を回してもわかるのかな?」というものだった。しかも、莉那はその発言を実行するかのように俺の前まで来て腕を俺の首に回そうとした。でも、そういった発言または行動をした場合、圭輔または周辺の知人達によってからかわれてしまう。

 そうされてやっと莉那は自分の言った言葉の意味とこれから行おうとしていたことを理解する。その場合は大抵焦りながら弁解をする。というか、例にあげた事柄がもし学校の中ではなく帰り道で行われていたらどうなっていたのだろうか、と思わなくもない。

 それを考えたらとても恥ずかしくなるような気がするので、深くは考えない。

「それで、雅渡、どうなの?」

 俺の思考を遮るようにして莉那が聞いてきた。どうなの?、とはおそらく、口移しが出来るのか出来ないのかを聞いているのだと思う。

 そんなことよりも、俺は莉那に対して言いたいことがある。

「莉那、何をどうするのかわかってて言ってんのか?」

 わかってないだろうな、と思っていても聞かなければいけない。自分の口から直接説明するのは恥ずかしいのでこうやって、遠回しに理解させるしかない。

 それでも、理解している身としては恥ずかしい。こころなしか、顔が赤くなっているような気がする。

 幸い、莉那は理解力が結構あるので、理解しない、ということはないと思う。いままでだってそうだったのだから。

「えっと、口移しするんだから……」

 そこまで言って莉那は止まった。目が微かにきょろきょろとしている。

 そんな莉那を見て、やっと気づいてくれたな、と俺は思った。

「も、もしかして、わたし、さりげなくすごいこと言ってたの?」

 莉那は顔を真っ赤にしながら言う。何故だかそんな莉那の表情を見ているとこちらまで恥ずかしくなってきてしまった。

「さりげなくじゃないだろ」

 恥ずかしくて顔が合わせづらい。なので、俺の視線は一点に定まらない。

「えと……そ、そうだったかな?」

 莉那は俺から顔を逸らしてそう言った。莉那は俺以上に恥ずかしい思いをしているのかもしれない。

「お前、そういうふうに相手にどう取られるか理解せずに発言するのどうにかならないのか?」

 本当にどうにかしてほしかった。周囲に人がいれば恥ずかしい気持ちになってしまう。けれど、今は莉那の姿を見れるやつなんていないのでそうなってしまうことはない。

 その代わり二人きりのときに莉那が先ほど言ったようなことを言われると俺は妙な気持ちになる。

 もしかしたら、それは莉那のことが好きだからなのかもしれない、と思った。しかし、認めてしまうとそれが表に出てしまうかもしれない。だから、無理やりにそれを抑える。

 莉那は俺が心の中でそうやっているとは知らずに俺の頼みに対しての返事を返す。

「えっと……直すのは無理、かな?」

 少し恥ずかしそうに、そしてどこか困ったように莉那は言う。

 俺は莉那のその言葉に、「どういうことだよ」と、返す。

「なんでかわかんないけど、考える前に言っちゃうんだよね。特に雅渡の前だと……」

 その言葉に俺はどきっとした。どういう意味を持って莉那はそのようなことを言っているのだろうか。

 先ほどのように何も考えずに言っているのかもしれない。けど、もしかしたら、ちゃんと何かを考えて言っているのかもしれない。

 それは、俺が一人で考えてもわからないことだ。だから、俺は聞こうとした。けれど、俺は確認して、莉那がどう考えているかを知ってどうするつもりなのだろうか。

 それに、それを聞くのは絶対に無理だと思った。こういうことを簡単に聞けるほどの勇気は持ち合わせていない。

 だから、考えないようにしよう、とそう俺が考えていると、莉那がこんなことを聞いてきた。

「ねえ、もし、雅渡が口移しで食べ物を幽霊に渡したらどうなるのかな?」

 俺はそう言った莉那の顔を見てみた。今の莉那の顔には好奇心が浮かんでいる。今はただ、どうなるのかを聞きたいだけでやってみたいというわけではないようだ。

 その証拠に、先ほどはわたしに、と言っていたが今は幽霊にと言っていた。だから、聞きたいだけなんだと俺は思った。

「ま、雅渡、じっと見られると恥ずかしいんだけど。もしかして、わたしが変なことを考えて言ってると思ってるの?」

 俺の視線から逃れるように莉那は顔を逸らせる。いつの間にか俺は莉那の顔をじっと見つめていてしまったようだ。

 そういう事実に気が付いて俺も恥ずかしくなり莉那から顔を背ける。

「そんなことはない。今のお前はただ、聞いてみたいって思ってるだけみたいだからな」

 できるだけ恥ずかしい気持ちを表に出さないようにとぶっきらぼうに俺は言う。そして、ぶっきらぼうに言ったほうが不自然かな、と思ったけどいまさらそんなことを思ったところで意味がない。

「そう思ってるんなら、早く教えてよ」

 莉那は俺を急かすようにそう言う。莉那の方を見てみれば莉那はまた俺の方に顔を向けている。どうやら、俺の気持ちには気がついていないようだった。そのことにはほっとする。

 そして、待たせるのも悪いな、と思い俺は説明を始めようとするのだが、よく考えてみれば口移しで渡せるのかどうかがわからなかった。

 なので、今、自分がわかっていることだけを伝えようとした。

「いや、ごめん。教えてやりたいんだけど、俺もよくわかってないから教えられそうにない。でも、俺が身に着けているものを幽霊が触れられるって事はわかってる」

「あれ、そうだったんだ。じゃあ、服は触ることができるんだ」

 そう言って俺の制服の裾を掴むと少し引っ張った。

「あ、本当だ。触れる」

「莉那、俺とぶつかったときに気が付かなかったのか?」

「あの時は、雅渡と会えたことに驚いてたから全然気にしてなかったよ」

 莉那は俺の制服の裾を引っ張るのをやめる。

「それで、何で触れるの?」

 興味津々といったふうに莉那は俺の方をじっと見ている。

「これは、俺とじいちゃんとひいじいちゃんで考えた仮説なんだけど」

「仮説なの?」

 莉那がそう言った途端に俺は莉那の額にでこぴんをする。少し本気でやったので、少し鈍い音がした。

「いったーい!雅渡、すっごい痛かったよ!」

 どうも、ちょうど痛い場所に当たったらしく本気で痛そうに額を押さえている。

「お前が俺の話を遮るからいけないんだよ」

「むぅ、だからって本気ででこぴんしなくてもいいんじゃないの?暴力で自分の考えを押し通すのは駄目なんだよ」

 額を押さえながら莉那は頬を膨らませて俺を非難する。そんな莉那に対して俺はもう一度軽くでこぴんをした。

「あっ!雅渡、言ったそばからまたやった!さっきよりは全然痛くないけど。……よしっ、掴めた」

 そう言った莉那は、でこぴんをしたあとのまま伸ばしっぱなしだった俺の中指を右手で掴んでいた。莉那程度の力なら本気で引っ張れば抜くことは出来る。けれど、あえて抗わないでおいた。

「ふふふふ、さて、この指をどうしてあげようかな」

 莉那はそんな不吉な(実際は全く不吉ではない)笑みを浮かべる。少し待ってみたが何もしてこなかった。

 このまま止まっていても時間が勿体ないだけなので俺は待つのを止める。

「それよりも、説明を聞かなくていいのか?」

 多分、これからどうするかを考えているであろう莉那の思考を遮るように俺は言う。もし、反応しなければもう一度でこぴんをするつもりだった。

 そう思っていると莉那はしっかりと反応を返してきた。

「ううん、聞くよ。じゃあ、終わってからどうするか考えようか」

 莉那は俺の中指を掴んだまま話す体勢に入る。

「それで、どこまで話してくれたんだっけ?」

「……何で、幽霊が俺の着ている服に触れるのかっていうことの仮説についてだよ」

 俺は一瞬考え、先ほどまでの会話を思い出しどこまで話したのかを莉那に言った。

「そういえば、そうだったね。それじゃあ、わたしは口を挟まないようにするから説明よろしくね」

「もし口を挟んだらもう一回本気のでこぴんだからな」

 俺の言葉に莉那は「わかってるよ」と言いながら首を縦に振った。そして、俺は説明を再開した。

「普通、幽霊が触れられるのは霊化したものだけなんだ。それで、俺は霊力で自分の体に霊化した体と神経を作り出して貼り付けてるようなものなんだ。俺みたいに幽霊に対する五感を持ってる霊能者っていうのはすごい珍しいから記録とかがないんだよな。だから、俺たちがそういう仮説を勝手に立てた」

 そこで、一度言葉を切る。ここで、少し話題が変わるという事を莉那に伝えるためだ。

 少し間をおいて俺は再度喋り始める。

「それで、俺の着ている服に触れる理由だけど、それは俺の霊力が俺の周囲の物、正確には俺が身に着けている物に霊化したそれを作り出して俺の体と同じようにして霊化したものを貼り付けてるんだと思う。だから、幽霊にも俺の着ている服が触れるんだと思う」

 なんだかはっきりしない終わり方だな、と思いながらも俺は説明を終了する。今の俺とじいちゃんの知識ではこれだけの仮説を立てるのが精一杯だった。

「結構、適当に説明したけど、なんか質問とかあるか?」

 莉那が理解しているのか不安になったのでそう聞いてみた。

「うん、質問があるよ。わざわざ、身に着けてるものって言ったけど、帽子とか頭にかぶってるものとかは触れないの?」

 莉那の質問は俺が必要ないと思い省いたところだった。けれど、気になる人には気になるのだろう。

 隠しても意味がないし、しっかりと答えは確認済みなので莉那の質問に答える。

「ああ、俺のひいじいちゃんに試してもらったけど駄目だった。手が帽子をすり抜けて直接俺の頭を触ってたよ」

 基本的に帽子をかぶったりしない俺にとって帽子を幽霊が触ることが出来るか出来ないかというのはそれほど関係なかった。

「そうなんだ。でも雅渡って帽子かぶったりしないから関係ないよね」

 莉那も同じことを思っていたようでそんなことを言う。

「さてと、雅渡の説明も終わったし雅渡のこの指をどうするのか考えないとね」

 莉那は忘れていなかったようだ。しかも、俺の右手を見てみるといつの間にか右手が両手で掴まれていた。

 それでも、少し力を出せば簡単に抜くことが出来る。とりあえず、莉那がどんなことをするのか考え付くまではこのままにしておくつもりだった。

 俺は莉那に掴まれていない左手で箸を持つと再度弁当を食べ始める。俺の利き腕は右手なので食べにくいが食べられないことはなかった。もし、利き腕が何らかの理由で使えなくなったときのために左手も使えるようにしていたのがここで役に立った。こういうふうに役に立つのはどうなのかな、と思ったけれど。

 俺の右手から莉那の手の温もりが伝わってくる。それを感じていると緊張してきてどこか落ち着かない気分になる。けれど、それと同時に心地よさも感じる。例えるなら、母親に手を繋いでもらっている子供のようなそんな感じだ。

 けど、莉那に母親は似合わないな、と俺は心の中で苦笑をする。そう思った理由は簡単だ。全般的に莉那の行動が子供っぽいからだ。それに、子供っぽいから莉那は莉那なのだ。子供っぽくない莉那は莉那ではない。

 そう思いながら弁当を食べ終えるといきなり、俺の右手が放された。先ほどまで莉那の体温で温められていたので夏の空気でも少し涼しく感じた。

 どうしたんだ?、と聞こうとしたが莉那の方を見てみたらすぐにその理由がわかった。

「あ、猫だ」

 莉那の視線の先には猫がいた。ただし、普通の猫ではなく莉那のように幽霊となった猫だった。

 莉那は浮遊している猫の方まで近づくとその猫を抱きしめた。抵抗するような様子は全然なかった。

「あなたも、わたしとおんなじで幽霊なんだね」

 俺は弁当の蓋を閉じて猫を抱いている莉那のほうに近づいた。俺は莉那の隣に立つと莉那と猫の両方を見た。

 猫を見ている莉那の表情は幸せそうな表情だった。そういえば、いつか猫が好きだというのを聞いたことがあったのを思い出した。

 莉那に抱かれている猫は黒猫で全身が真っ黒だった。莉那に首を撫でられて気持ちいいのだろう「にゃー」と気持ちよさそうに鳴いている。

 俺はそれを見て珍しいな、と思った。黒猫が鳴いていることがではない。動物の幽霊がいることだ。

「珍しいな、動物の幽霊なんて」

「なんで?動物の幽霊は珍しいの?」

 莉那は首を傾げながら不思議そうに聞く。莉那の手はまだ黒猫を撫でている。

「動物っていうのは人間と比べて死んだときにこの世に残りたいって思うやつが少ないんだよ」

「でも、人間を怨んでこの世に残りそうな気がするんだけど、それはどうなの?」

 莉那になんでこの世に残りたいって思う必要があるの?、と聞かれるような気がしていたが別の質問をされた。

 もしかしたら、莉那自身気が付いているのだと思う。自分がこの世に残りたいと強く願っていたからこの世に残れたということに。

 何で、この世に残りたいと強く願ったのかを聞いてみたいと思った。けど、それは莉那の中だけに残していればいい。もし、話したくなったときがあればそのときに聞いてやればいい。俺はそう思った。

 だから、それを聞くようなことはせず、莉那の質問だけに答えた。

「まあ、確かにそうやって人を怨んでこの世に残るのは動物でも人でも珍しいことじゃない」

「じゃあ、なんで動物の幽霊は珍しいの?」

 莉那の問いは当然だった。まだ、莉那は幽霊に関する知識をあまり持っていないからだ。

「生きているやつらに危害を与えられるほどの霊力を持つのは本当に稀、なんだよ。だから、怨みを晴らす前に諦めて成仏するんだ。特に動物は諦めがいいみたいだからすぐに成仏するんだよ」

「そう、なんだ。じゃあ、どうしてこの子はこの世界に残ってるのかな?」

 莉那は猫の頭を撫でながら問う。多分、俺に向けた問いではなかったと思う。黒猫に聞いたのだと思う。視線が俺ではなく黒猫のほうに向いていたから。

 それがわかっていても、俺は莉那の問いに答える。

「この世に残りたいって強く願うほど飼い主に優しくされてたんじゃないのか?普通、動物っていうのは死んだ時にあんまりこの世に残りたいって思わないらしいんだ。だから、それだけいい飼い主のところにいたってことなんだと思う」

 俺は黒猫の背中の部分を撫でる。毛並みがとても整っていて手に伝わる感触が心地よい。莉那の手とはまた違った感触だった。

 黒猫は目を閉じて「みにゃー」と小さく鳴いた。眠たくなったのかもしれない。

「この猫ってすごい幸せだったんだね」

「ああ、そうだろうな」

 幽霊は眠る必要がないはずなのにこの猫は気持ちよさそうに眠ってしまった。もしかしたら、生前はいつもこうやって飼い主に撫でられて眠っていたのかもしれない。

 黒猫が眠った後も俺と莉那は黒猫を撫で続けていた。

「この猫、わたしが飼ってもいいのかな?」

 莉那は黒猫を撫でながらそんなことを言った。

「多分、いいと思うけど。そいつに聞いてみたらどうだ?」

「うん、そうだね。目を覚ましたら聞いてみるよ」

 そう言う莉那の顔には笑みが浮かんでいた。それほどまでに莉那は猫に触れれるのが嬉しいのだろう。

 幽霊となった動物を飼う幽霊というのは今まで聞いたことも見たこともないが悪い気はしなかった。なんにしろ、俺がどう思おうと俺が介入すべきことではない。決めるのは莉那とこの黒猫だ。

 けれど、何となくこの黒猫が莉那に抱かれているのが嫌だ、と思うような気持ちが俺の中にあった。

 これが嫉妬、なのかな、と俺は思った。莉那に抱かれているこの黒猫が羨ましいのだろうか。

 けれど、この猫に妬いたって仕方がない。だから、俺は自分の感情を抑えて黒猫を撫でた。

 それから、俺と莉那は昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴るまで黒猫を撫で続けていた。夏の日差しから守ってくれる木陰の下で。


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