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終章 壊れた始めた日常

 学校の屋上で手摺りにもたれかかり俺は景色を眺める。太陽の光に当たらないように日陰の下にいる。

 でも、日陰の下でも蒸し暑い。とはいえ、直接、陽に当たるよりはましだ。それに今日は時折風が吹くのでそれほど暑いとは思わなかった。

「雅渡、何見てるの?」

 手摺りの向こう側から莉那は俺の顔を覗き込んできた。莉那が幽霊でなかったらすぐに下に落ちていることだろう。

「特に何かを見てるってわけじゃないよ。まあ、街の景色を見てるっていえばそういうことになるかな」

 俺の言葉を聞いて莉那はふーん、といいながら俺の隣に並ぶ。

「もしかして、雅渡って中学生のときも高校生になってからもわたしがいなくなってからずっと一人でこうやって景色を眺めてたの?」

「ああ、そうだな。莉那がいなくなってから毎日こうやって景色を眺めてたよ」

「雅渡にとって莉那は死ぬ前からかけがえのない存在だったみたいだにゃ」

 莉那の肩に乗っている優がそんなことを言う。優の言ったことは事実だ。

 俺は恥ずかしくなった。それは、隣にそのかけがえのない存在である本人がいるからだ。こういうことは本人へと伝わることはとても恥ずかしい。それが、自分の口から出たものでなくても自分が認めていれば。

「ああ、そうだよ。莉那は俺にとって大切でかけがえのない存在だよ」

 自分の口から言うと更に恥ずかしくなった。昨日も莉那に同じようなことを言ったはずだがそう簡単には慣れそうになかった。

 と、不意に俺の体に何かが触れた。莉那のほうを見てみると莉那が俺に肩を寄せていた。莉那の温もりが伝わってくる。

「それを聞くのって今回ので二回目だけど、やっぱり何回聞いても嬉しいな」

 莉那ははにかむような笑顔を浮かべて俺の顔を見る。俺はそんな莉那の表情を見て心臓の鼓動が速まるのを感じた。

 生前の莉那が浮かべることのなかったような表情を今の莉那は今日を合わせた三日間でたくさん見せてくれた。それは、姿は三年前のままでも心が三年間分、育ったからだろうか。

 いつかこの姿のままですごい大人っぽいことを考えるようになるんじゃないのだろうか、と思った。しかし、莉那には失礼だが不思議とそうなると思えることが出来なかった。

 何故かというと莉那は心が成長したといっても根本的な無邪気さは全く変わっていなかったからだ。だから、このまま子供っぽく。けれど、今までよりも多くの表情を見せてくれるようになると思う。

「雅渡、何か考えてる?」

 莉那はじぃっと俺の顔を見ている。俺は少しからかうような気持ちもこめて先ほど思ったことを莉那に言った。

「莉那は、いつまでたっても子供っぽいんだろうなって考えてたんだ」

「むぅ、それってどういう意味?」

 予想通り、莉那は怒ったように頬を膨らませる。こういう仕草はやっぱり、生前とおんなじだな、と思う。

「確かに莉那は子供っぽいにゃ」

 俺の考えに同意するように優は言う。優にも莉那のことが子供っぽく映っていたようだ。

「優までそういうこと言うんだ。雅渡も優もひどいよ」

 それからすねたように莉那は俺から肩を離す。俺は莉那のそういう行動に少し苦笑する。そういう行動をするから子供っぽいんだよ、と。

 おそらく、莉那は悪い意味で子供っぽいと言ったと思っているようだ。少なくとも俺はそういう意味で言ったつもりはない。良い意味で言ったつもりだ。良い意味というのは無邪気で純粋、ということだ。

「俺は悪い意味で莉那のことを子供っぽいって言ったわけじゃないよ。子供っぽいほうが莉那らしいし、俺はそっちの方がいいって思ってる」

 だから、俺はそう言った。良い意味で言ったと思わせるには少し言葉が足りなかったような気もする。けど、悪い意味で言ったとはとられていないはずだ。

「そうなんだ。うん、雅渡は許してあげるよ。雅渡は子供っぽいわたしのほうがいいってそういうことでしょ?」

 再度、肩を寄せて莉那は俺の顔を見る。莉那は何の疑いもなく俺の言葉を信じたようだ。これは俺の前だけである莉那のちょっとした危なっかしさだ。

 それは、俺が気をつければいいことなのだが。

「まあ、そういうことになるんだろうな」

 先ほどはじっくりと感じる暇のなかった莉那の温もりを感じながら俺は答えた。

 俺は幽霊に対する五感があって本当によかった、と思う。そうでなければ、こうして莉那に触れて温もりを感じることが出来なかった。莉那の声を聞いて話をすることが出来なかった。莉那の姿を見て出会うこともできなかった。

 俺は偶然――いや、偶然ではない別の何かによって手に入れたこの力に感謝する。偶然だなんて言葉ですますことが出来るほどこの力は薄っぺらくはない。

「えへへ〜、そういうふうに見られてるんなら嬉しいな」

 莉那は照れるように笑う。けれど、言葉通りとても嬉しそうだった。

「二人ともなんだか恋人みたいにゃ。そう見えるくらい二人ともとっても仲がいいにゃ」

 優の言葉に俺たちは赤面する。顔が合わせられなくなりそうだった。しかし、逆に何かに縛られたかのように顔が動かなかった。

 そして、沈黙が流れる。聞こえてくるのは人々の喧騒と時折吹いてくる風の音。そして、俺の心臓の鼓動。

 視界に映るのは俺の顔をじっと瞬きもせずに見つめる莉那の顔。その頬は赤く染まっている。そして、俺を見つめる莉那の瞳は少し潤んでいるように見えた。

 このまま、ずっと時間が止まってくれればいいと思ってしまうほど心地よい時間。そして、それが本当に願いどおりになったという錯覚に捕らわれる。

 しかし、それも束の間。その錯覚は予鈴の音によって消え去った。俺たちは驚いたように一瞬、身を強張らせた。

 そして、この世に永遠はないのだと気づかされた。そのことを残念だと思うと同時に仕方がないと思った。でも、だからこそ大切にしていたい。

「じゃあ、そろそろ教室に戻るか」

 先ほど思ったことを表に出さないようにしながら言った。

「……今日だけ、ずっとわたしと一緒にいてちゃんと雅渡の声で話してくれるっていうのはだめ、かな?」

 どこか甘えるような声音で莉那は言った。莉那は暗に、俺に授業を休んでほしいと言っている。

「ああ、わかった。付き合ってやるよ」

 昨日、俺は莉那に言った。莉那のためなら今の偽りの日常を捨てることができると。

「……ううん、やっぱり、だめだよ。雅渡は偽りだって言ったけどそれでも、日常は守っておかないと」

 とても残念そうな、そんな声を出す。莉那は俺のことを想ってそう言ってくれたのだ。そう簡単には無下にできない。けど、少し可哀想だな、と思う。

 どうしようかな、と考えていると明日が土曜日で休みだということを思い出した。

「じゃあ、その代わり、明日は休みだから好きなだけ一緒にいてやるよ」

 明日が休みだとそれだけのことしか言っていないがで、すぐに声に弾むような明るさが加わった。

「明日って土曜日なんだ。じゃあ、約束だよ。わたしとずっと一緒にいるって」

「ああ、わかってる。休みの日に予定が入ることなんて珍しいから大丈夫だ」

「それって、結構悲しいことだよね。確か生前も休みの日ってわたしと圭輔と一緒にいることしかなかったよね」

 昔のことを思い出すかのように莉那は言う。

 莉那の言うとおり休みの日には莉那と圭輔としか一緒にいなかった。小学生のときから俺と莉那と圭輔の三人で一グループとなっていた。それ以外の人が俺たちの中に入ってくることはないに等しかった。

 もし入ってきた場合もそれはひとつに限られる。それは、俺と莉那だけで話をしているときだ。しかも、莉那が自分の言った言葉の意味を理解していないときだけだ。

「莉那はいいだろうけど、雅渡は早くしないと遅れるんじゃないのかにゃ?」

 不意に優が話しかけてきた。そして、思い出した。もうすでに予鈴が鳴っており早く教室に戻らなければホームルームに遅れてしまうということを。

「莉那、走るけどいいよな」

 俺は焦りつつも莉那の返事を待つ。何故だかそうしなければいけないような気がしたからだ。

「うん、全然いいよ。走るぐらいの速度なら簡単に出せるから」

「じゃあ、行くぞ」

 莉那の答えを聞いて俺は走り始めた。その数秒後に無情にも本鈴が鳴り響いた。

 もう無理だな、と思いながらも走ることはやめなかった。

「雅渡、がんばってー」

 隣から莉那の呑気な応援の声が聞こえる。幽霊なので移動速度を上げても疲れることがないのだろう。

 教室に入ったとき、運よく先生の姿はなかった。俺は教室にいる全員の注目を浴びるが気にせず自分の席へと座り、荒れた息を整える。

 莉那は俺の顔を見て「おつかれさま」と笑いながら言った。なんだか、その言動が少し癇に障ったので軽くでこぴんをした。

 それを受けた莉那は少し不満そうにけれどどこか楽しそうに頬を膨らませた。

 周囲からは先ほどとは違う奇異の視線が向けられるが、全然気にならなかった。


 多分、俺の偽りの日常はこうして守ろうとしてももうすでに壊れ始めてしまっている。

 けれど、それでいい。俺の求める日常はこれから莉那と作っていくものなのだから。


これにて『幽霊が現世に残る理由』は完結です。

いかがだったでしょうか?

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