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第9話 大切にしてたもの

 夕食を食べ終え、今日の予習と復習も終わり、風呂にも入った。なので後は布団を敷いて寝るだけだ。この部屋は全室が和室なのでベッドなどというものはない。

 少し関係ない話になるが、夕食を食べるときに居間には莉那と一緒に行った。そのときに俺とじいちゃん以外の家族全員が懐かしい感じがする、と言った。

 それは、生前の莉那と関わってきたからなのか、霊能者としての潜在的な力が作用したのかはわからない。けれど、俺の家族は皆、莉那がいるということを感じ取ってくれていたようだった。

 そんな俺の家族の様子を見ていた莉那は嬉しそうな、悲しそうな、二つの表情が混ざった曖昧な表情を浮かべていた。

 嬉しさは俺の家族に漠然とではあるけど気が付いてもらえたこと。悲しさは姿を見せたり話しかけることができないこと。そう、俺は思った。

 そんな莉那を俺は心配したように見ていたのかもしれない。俺に見られていると気が付いた莉那が心配しなくていいよ、という感じの強がった笑顔を浮かべたからだ。それが、すごく寂しげだった。

 そのときの強がった笑顔が忘れられず、考え込みながら布団の準備をしていた。そうしたら俺は莉那とぶつかってしまった

「きゃっ」

「うわっ」

 俺は驚いて布団から手を離してしまった。布団は莉那をすり抜けて床に落ちる。なんだか不思議な感じがした。

「ご、ごめん、莉那。大丈夫か?」

 俺は慌てて莉那に謝る。

「わたしは、全然大丈夫だよ。雅渡こそ大丈夫?いつもは人とぶつかったりしないよね」

 俺が莉那のことを心配していたはずなのに逆に心配されてしまった。しっかりしなければいけない。

「大丈夫だ。ちょっと考え事をしてただけだから」

「何を考えてたの?」

 考え事をしていると言ったらこう返されるということを考えていなかった。正直に言ってしまえば莉那に嫌なことを考えさせそうな気がしたので考えていたこととは違うことを言った。

「莉那はなんで死んでから三年もあとに俺の前に現れたのかな、って考えてたんだ」

 これは、この場で考えた嘘であると同時に莉那に聞いてみたいと思っていたことだ。こういう相手のことを考えて言った嘘でも俺は罪悪感を感じる。

「そんなこと考えてたんだ。……雅渡はどういう理由でわたしが三年間も帰ってこなかったと思う?」

 答えてくれないならそれでもいいと思っていた。けれど、この雰囲気は答えてくれそうな感じだった。

 とりあえず、莉那の問いに俺は答えた。

「さあ、俺にはよくわからないけど、何か大切な理由があったんだろ?三年間も帰れなかった」

 その答えに莉那は首を横に振った。

「ううん、そんな大切な理由なんてなかったよ。わたしは、ただたんに旅がしてみたいって思って三年間も雅渡のところに戻ってこなかったんだ」

「へえ、どんなところに行ってきたんだ?」

 俺は、莉那がどんなところに行ってきたのかに興味を持ってそう聞く。

「いろんなところに行ってきたよ。目的もなく適当に移動してたから聞いたことのないような地名の場所にばっかり行ってたかな。あ、でも外国には行ってないよ」

 そこで、莉那は言葉を切るとゆっくりと瞳を閉じた。

「太陽で輝く川とか、小鳥のさえずりが聞こえる山の中とか、紅葉に彩られた神社とかお寺とか。そういう綺麗な景色の見れる場所に行ってたんだ」

 今、莉那の瞼の裏側には今まで見てきた景色が浮かんでいるのだろう。

「楽しかったのか?」

「うん、楽しかったよ。でもね、それと同時にちょっと寂しかったんだ」

 莉那は閉じていた瞳を開く。その瞳にはどこか寂しげな色があった。けれど、それは過去を思い出して浮かんだもののように見えた。

「一人でいろんなところを周るのって結構寂しいんだよ。それが、大きくなり始めたのが今月に入ってから。その頃にすっごく知り合いに会いたくなったんだ。それでね、わたしここまで帰ってきたんだよ」

 悲しげだった表情から一転して嬉しそうな表情になる。

 その嬉しそうな表情はどこか不自然なような気がした。知り合いに会いたいと思ってここまできたのに莉那に気が付いているのは俺だけだ。それなのに何故、そこまで嬉しそうな表情になっているのだろうか。

 俺は莉那に、そんなに嬉しがっている理由を聞いてみようとも思ったが聞いたところで、「わたしにもわからないよ」と返されそうな気がした。

「そうだったのか」

 だから、俺はそれだけしか言うことができなかった。

「雅渡は霊能者の力を使ってでもわたしに会いたいって思ってたのにわたしの個人的な理由で待たせちゃってごめんね」

「お前が謝る必要なんてないよ。約束ってわけじゃなくて俺が勝手に待ちたいって思って待ってただけなんだから」

 顔を少し伏せて謝る莉那に俺はそう言った。謝って欲しくなんてない。でも、そのかわりに心のどこかでお礼を言って欲しいと思っている自分がいる。

「そう言ってくれると嬉しいな」

 伏せていた顔を上げると、そう笑いかけてくれた。

 と、いきなり莉奈の表情が変わった。そこには懐かしさのようなものが浮かんでいる。

「あ。あれってわたしのぬいぐるみだよね。なんで雅渡がもってるの?」

 そう言って莉那が指差していたのは机の上にある猫のぬいぐるみたちだった。ぬいぐるみ独特の感情のない、けれどどこか愛らしい瞳がこちらを見ている。

「あれは、莉那の家を片付けたときに預かってたんだ。本当は全部預かっときたかったんだけど置く場所がなかったんだ。だから、仕方なく莉那が気に入ってたぶんだけ残して俺の部屋においといたんだ」

 あのぬいぐるみたちは莉那が帰ってくると信じて置いていたものだ。けれど、途中で俺にとってそれは莉那の形見のようなものになっていた。

 それを見れば莉那のことを事細かに思い出すことができたから。

「そうなんだ。雅渡、預かっててくれたんだ」

 莉奈は俺の机の上に並んでいるぬいぐるみを眺めている。いつの間にか優もぬいぐるみを見ていた。

 莉奈は思い出に浸っているようだった。俺は話しかけるような無粋なまねはしない。俺は莉那とぬいぐるみとを交互に見ている。

 ふと、莉那が少し悲しげな口調で口を開いた。

「そういえば、雅渡、わたしの家を片付けたって言ったよね。もしかして、もう、わたしの家は残ってないの?」

「……残ってるには残ってるけど、もう他の人が住んでる」

 莉那の問いに答えるまでの数秒の沈黙は正直に話していいのか、と思考した時間。けど、考える必要もなかった。莉那にこのことを隠しても意味がないからだ。幽霊である莉那は簡単に今の自分の家がどうなっているのか見に行くことができる。

 いや、生きててもすぐにわかるだろう。表札にはもうすでに莉那の姓ではなくその他人の姓が書かれているのだから。

「そっか、当たり前だよね。住んでる人がいなくなったんだから」

 顔を少し俯かせる。前髪で顔が隠れて表情は読み取れない。

「なんだか、そういう現実を聞かされるとやっぱりわたしって死んじゃったんだなあって思っちゃうよ。自然を見てたり雅渡と話したりしてたらそんなこと全然思わないのにね」

「莉那……」

 莉那の声がとても寂しそうだったので俺は何か言ってやろうとした。しかし、俺に出来たことはせいぜい莉那の名前を呼ぶことだけだった。

「大丈夫だよ、雅渡。心配しないでよ」

 莉奈は笑顔を浮かべてそう言う。莉奈に心配されていると気づかせるほど俺は心配したような表情を浮かべていたのだろうか。自分の顔を触ってみるがわかるはずがなかった。

「でも、本当はちょっと寂しいかな。自分の気に入ってた物に触れないのは」

 そう言いながら莉奈はぬいぐるみのほうへと手を伸ばした。俺は莉那の手はそのままぬいぐるみを突き抜けると思った。そして、莉奈はそれを見て更に寂しそうな表情を浮かべるのだろうとも思った。

 だから、俺は莉那の顔を見ることができなかった。寂しそうな表情は見たくなかったから。

「え?あれ?」

 けれど、莉那の驚いたような声を聞いて俺は莉那の方を見てしまった。けれど、この場合は仕方がないと思う。

 今この場に莉那が驚くような要素はひとつとして存在しないはずだからだ。

 莉那のほうを見た途端に俺も驚いてしまった。

 何故なら莉那がぬいぐるみ触れているからだ。

「さわ、れ、る?」

 かろうじて搾り出したといった感じに莉那は言った。

 それを見ていて俺はふと思い出した。幽霊にも触れることの出来る物が存在するということを。よく考えてみれば今日の昼にもこの話を思い出していた。確かそのときは莉那の誕生日プレゼントとしてそれを探そう、と思っていたはずだ。

 そして、更に思い出す。そういう幽霊でも触れることの出来る物が生まれるための条件を。昼のときにはこのことは思い出していなかった。

 誰かに大切にされ続けてきた物には意識が宿る。しかし、物という物体に縛られるため喋ったり動いたりすることができない。

 なので、そのもどかしさからその意識は霊となりその物体の周囲に憑く。そして、それは次第に物体と同化し幽霊でもその物体を触れられるようになる。つまりは、俺の体に近い状態になる。

 そのことを霊能者達は実体霊と呼ぶ。しかし、俺たち宮代家を含むいくつかの家の霊能者はそうは呼んでいない。

 どう呼んでいるかというと、付喪神、そう呼んでいる。俺も実体霊を付喪神と呼ぶ霊能者の一人だ。

 何故、二つの呼び方があるかというと、それはその家の昔の考え方の違いからだ。幽霊を目の敵として見ていた家は実体霊と呼ぶ。

 幽霊とは分かり合うことが出来るものとして見ていた家は付喪神と呼ぶ。

 そう、宮代家は幽霊を倒すことを生業としていたのではない。幽霊と分かり合うことを生業としていたのだ。

 俺はそれが嬉しかった。宮代家そのものが莉那と関わるな、と言っているのではなく関わっても大丈夫、何も気にせず関われと言っているような気がしたからだ。

「ねえ、雅渡、どうして触れるの?」

 莉那の声が聞こえてきて、一人思考に没頭していた俺は意識を内から外に向ける。いまだに莉奈は驚いたままのようだ。いや、今はむしろ困惑や戸惑いに近いようなものを浮かべている。

 対して俺はとても冷静で穏やかな気持ちになっていた。莉那がぬいぐるみに触れた理由がわかったからだろうか。けど、それだけではない気がする。そんな単純なことだけでは穏やかな気持ちになどとうていなれるはずがないからだ。

 とりあえず、俺は先ほどまで考えていた付喪神についてを莉那に説明する。それを聞いて莉奈は先ほどとは違う困惑と戸惑いを浮かべた。

「わたし、そんなに大切に扱ってたと思わないよ。わたしはわたしが思ったままに扱ってたよ」

「いや、俺から見たら莉奈はすごい大切に使ってた。普通は一週間に一回も洗ったりしないはずだぞ」

 それだけではない。莉奈は毎日、櫛で手入れをしたり、一日中撫で続けたりとしていた。それは、生きている動物にするかのようにだった。もしかしたら、俺のいない時には喋りかけたりもしていたのかもしれない。

 その全ての行為を見て誰が大切に扱っていないと言えるだろうか。

 それらを先ほどの言葉に付け加えるようにして俺は莉那に言った。あまり謙虚になりすぎるのはよくないことだ。

「……そっか、このぬいぐるみたちはわたしにちゃんと大切に扱われてるって思ってくれたんだね」

 どこか嬉しそうに言いながら莉奈はひとつのぬいぐるみを持ち上げた。優は興味津々そうにぬいぐるみを眺めている。

 俺は嬉しそうな莉那の横顔を眺めているだけだった。

「ささ、雅渡は寝る準備してたんでしょ?早くしなくちゃ」

 ぬいぐるみを机の上に戻し莉那は俺のことをそう軽く急かす。莉那の顔には笑顔が浮かんでいる。もう、寂しそうな表情はなくなっていた。

「ああ、そうだな」

 俺はそう言って先ほど落としたままだった布団を綺麗に敷きなおす。それから、押入れの中から夏用の薄い掛け布団を出し枕も置いて寝る準備は終わった。

 後は布団に入って寝るだけなのだが、

「なあ、莉那はどこにいるつもりなんだ?」

 幽霊は眠る必要がない。時々、優のように眠ってしまう幽霊もいるがそれは稀なことだ。多分、莉那は眠らない幽霊だと思う。

 なので、ずっと俺の部屋にいるという可能性がある。俺は誰かに見られていると思うと気になって寝られなくなる。それが莉那となれば更に気になってしまう。

「わたしは、ずっとここにいようと思ってるんだけど、もしかして、嫌なの?」

 微かに悲しげな表情を浮かべて莉那は言う。もしかしたら、俺に嫌われていると思ってしまったのかもしれない。

「別に嫌だってわけじゃないけど、見られてたら寝にくいんだよ」

「気にしなかったらいいじゃん。別にわたしは見てるだけなんだから」

 普通に言ってもここに残っていそうだった。なので、例をあげて説得してみる。莉那が俺と同じような考え方を持っていれば通じる手だ。

「じゃあ、もし、莉那が俺に寝てる姿を見られてたらどう思う?」

 うーん、と少し考えた後、莉那は言った。

「確かに、ちょっと寝にくいかも。わかった、外に出ててあげるからその間に寝ちゃってね」

 莉那はそう言うとぬいぐるみを見ていた優を抱きかかえて外に出て行こうとする。俺は莉那の言葉の中に気になった部分があったので聞こうと思って言った。

「莉那、ちょっと待っ―――」

 けど、言い終える前に莉那は外に出てしまった。多分、聞こえていてあえて無視をしたんだと思う。

 莉那は外に出ててあげるからその間に寝ちゃってね、と言った。もしかして、俺が寝てから部屋に戻ってくるつもりなのだろうか。それとも、単なる冗談なのか。

 でも、冗談ではないような気がした。もし、冗談で言うのであればこんな回りくどい言い方はせず単刀直入に言うはずだ。

 まあ、悩んでいても仕方ない。莉那は部屋の窓から出て行ったので追いかけて聞くようなことまず無理だ。だから、聞くことは諦めるしかない。

 俺は枕元の電気を付け部屋の電気を消す。枕元の電気をわざわざ付けるのは布団に入るためだ。俺はゆっくりとした動作で布団に入ると枕元の電気を消し、目を閉じた。そして、明日は早く起きて莉那と話をしようかな、と思ったときに意識は途切れた。


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