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ワスレモノ  作者: 度会
8/9

十月二十日-Ⅱ

こんにちは。

一人でも見て下さる方がいて嬉しい限りです。

――十月二十日午前八時二十五分

 「はぁ……」

 なんとか間にあった。車内でふぅと一息ついた。

 丁度ホームに滑り込んできた電車に乗ることが出来た。

 おかげで遅刻は免れそうだ。

 落ち着いてきたので、新さんからの返事が来てないか確認するために携帯を開く。

 案の定返信が来ていた。

 なぜだか知らないが添付ファイルも送付されてきていた。

 『いたいけな女の子を置いていくなんて男の風上にも置けない野郎だな。お前の代わりに夕顔雇うぞ』

 そんな不吉な文面と共に添付されてきた画像には夕顔が画面いっぱいに、あっかんべぇとしていた。

 「…なんか和むな」

 自然とそんな言葉が出ていた。

 まだそんなに大人びてないのに顔が整っているせいか、夕顔がそんな顔をしてもなにもイライラとしなかった。

 むしろ微笑ましく感じる。

 とりあえず後で謝っておいた方がいいなとか考えていると大学の最寄り駅への到着を知らせるアナウンスが聞こえた。

 携帯で時間を確認するとまだ少し時間に余裕があった。

 とは言っても油断は禁物なので、俺は電車から降りるとまっすぐ大学へと向かう。

 「つーかいつ来ても大きいよなココ」

 実際最後に来てからそんなに間は開いて無いのだが、ここに匹敵する敷地を有する建物を見てこなかったのでさらに大きく見えた。

 東専大学は自分で言うのは憚れるが、言ってしまえば超難関と言われる大学である。

 どんなに不況であっても合格倍率は十倍を下回らないし、ここを卒業した人達で著名人も少なくない。

 最近テレビで活躍している人を校舎で見たことだってある。

 そして受験生が多いため施設や設備ははっきり凄い。

 文系だから専門的な言葉は知らないが、なんか舌を噛みそうな名前の薬品が入ってきてなんでもそれはすごいことらしいと理系の友人は鼻息を荒くして言っていた記憶がある。

 この学校に入ってくるのは、いわば選ばれた人間達なのだが、何故かそんなに勉強していたように見えない連中が多いのが特徴だ。

 身近な例をあげると俺の友人である頼田修一はただの変人だ。

 あいつが裏口で入ったという話を聞いたら間違いなく信用するという位にふらふらしている。

 「おい」

 後ろから声が聞こえた。

 その声に振り向くと後ろから修一が走ってきた。

 久々に会うのに服装すら前と同じようなシャツとジーパンとは、変わり映えしない奴だ。

 「おお、噂をすればなんとやらというのは本当らしいな」

 「ん?なに言ってんだ?それよりさ、また人体の不思議展行かないか?」

 ポケットから嬉しそうにチケットを二枚取り出して一枚俺に押しつけてきた。

 走ってきたせいか少しチケットが湿っていて気持ち悪い。

 「誰が行くか」

 この間せがまれて行ったが、どうにももう一度行く気にはなれなかった。

 「えーなんでだよ。せっかく合法的に死体が見れるのに」

 「将来死体保存室で働け」

 修一は考えとくと真面目に返事をした。

 お前ならきっと嬉々として死体を見てそして不謹慎だと怒られるだろう。

 というか昨日死体を見たからもうあんなもん当分はたくさんだった。

 俺の態度から無理と判断したのか、すごすごとチケットを俺からふんだくった。

 「しょうがないなぁ。土岐堂でも誘うかなぁ」

 「俺はそんなもんには行かねぇぞ。頼田」

 また後ろから人が来ていた。

 土岐堂は今日も黒い甚平を着て、下は草履だった。

 甚米で学校に来ていると言うと、部屋着で学校に来ているようにも聞こえるが、本人曰くそんなことはなく外出用の服らしい。

 いくらこの大学でもその風貌は浮いている。加えてこいつの背は俺より高く体格もいいのでどっかのヤクザと言っても分からない。

 「ちょっと待ってよ、義くん。いきなり早歩きしだしてさ」

 そう言って彼女は土岐堂の肩に手を置いてはぁと一息ついた。

 そんな彼女に対して土岐堂はスマンと素直に謝っていた。

 「こいつらがいたからな」

 「え?こいつらって、あ、あぁ!!彬くん久しぶり!!元気にしてた?じゃないや、もう平気なの?」

 俺を見つけると土岐堂の前に出てきて晴れやかな笑顔であいさつをした。

 「久しぶりだな橘」

 うんと橘は頷いた。

 橘佳澄は見た目は美人だ。良く言えば活発、悪く言えば何も考えていないので、明らかに時代の逆最先端を行く土岐堂には合っていないと思う。

 そんな彼女の今日の服装はピッチリとしたジーパンによくわからない絵がプリントされたシャツを着ている。

 今の流行が何であるかは知らないが、少なくとも土岐堂とは似合っていない。

 しかし、人生とは分からないもので、告白したのは橘の方だったらしい。

 話を聞くと彼女は土岐堂と一緒の大学へ行くためにわざわざ浪人までしてここに入ってきたらしい。

 「あの、俺もいるんだけど……」

 「あ、どうも頼田修一さんおはようございます」

 社交辞令のように機械的に橘は言った。こいつらは俺が知る限り知りあってからずっとこうなのだ。

 なんでも修一の顔が昔ムカついた先生に似ているらしかった。

 本人になんの落ち度もないのに災難だとは思うがこればっかりはしょうがない。

 「お前ら、そろそろ時間になるぞ。じゃあな佳澄」

 そう言って土岐堂は俺達を両脇に抱えて橘に挨拶をすると「じゃあね」と手を振って返事をしていた。

 「お前もあんな彼女がいてうらやましいな」

 「うるさい。あげねぇぞ?」

 土岐堂は仏頂面を崩さずそんな軽口を叩いた。

 いらねぇよ。と俺は、答えて足早に教室へ行った。

 

 「……なぁ」

 「なんだ修一?」

 後少しで昼前の授業が終わるという時に修一が飽きてきたのか俺に話かけてきた。

 「なぁお前、今日昼飯買ったか?」

 「あ、そういや買ってないな」

 あの時急いでたからそんなことにまで気が回らなかった。

 その言葉を聞くと修一は不気味な笑いを浮かべた。

 「丁度いい。これ見たら飯いらずだぜ」

 満面の笑みで携帯の画面を俺に見せた。

 「んだよ?またそういう系の話かよ」

 こいつは依然からやたらと俺にグロい画像を見せたがる。

 しかもどこからか持ってきたのかも分からないような奴でそれをいつも昼飯時に見せたがるという徹底的な変態振りを発揮している。

 「なんだこりゃ?」

 携帯の画面を見るとどこか暗い路地裏が映っていた。

 どこだろうか?見たことある気がするんだが。

 あ、画面の先に何か見えた。そこに向かって徐々に画面が近づく。

 だんだんと輪郭が明らかになってきた。

 「なんだこりゃ?」

 壁に顔と手が生えてる。

 腕はだらしなく垂れ下がり、顔は当たり前だが真っ白だった。

 当然ながら死んでいる。

 まさに壁男ならぬ壁女か。

 映像は目を凝らしてようやく女と視認出来る位置まで来るとそこから先には動かなくなった。

 「どうしたんだ?」

 これで終わりか。いつもの修一の動画に比べてそこまで凄いものではない。

 そう聞くと横で俺の反応をうかがっていた修一がつまらなそうな顔をして、

 「んなもん見つかったヤバいからだろ。全くもっと凄いリアクションを期待してたんだけどなぁ……」

 「これいつのだ?」

 「あ、これ?知らないか最近起きた奴なんだけど」

 「そもそも俺が戻ってきたのは最近だぞ。病院でやれ誰が死んだなどのニュースが俺のいた所で流れるか。というかあそこにはテレビが無かった。でいつなんだ?」

 「なんだ。興味湧いた?」

 「まぁ気にはなる程度には」

 その言葉を聞くと気を取り直したように、フヒヒ、と不気味に笑いだして、実は三日前のことなんだと言った。

 俺はその言葉を聞いてもう一度画面を見た。

 画面はこの壁女が映っているシーンのままで止まっている。

 気味が悪いので画面を閉じた。

 「そういや、この人の下半身は?」

 どう見ても胸から上しか見えない。もしかしたら本当に壁の中に埋まってるのか?

 「えーっと確か、ちょっと行った所に骨盤から下が地面に垂直に立ってたらしい。まったくどこの犬神家かって話だよな」

 確かにその姿を想像してみると、被害者さんには悪いけど滑稽にしか見えなかった。

 だって考えてみろよ。地面から足が立ってんだぜ。

 そのあと修一が自慢げに語っていた概要をかいつまんで説明するとこうなる。

 場所はニュースでは都心としか漠然と説明されてなかったが、実はここの近くであるという説がネットでは流れているらしいこと。

 下半身が見つかったが体をくっつけてみると長さが足りないらしい。

 だから、犯人は三個に切り分けて処理したらしいということだった。

 「さすがは、行動力のある変態だな」

 「俺達の業界ではほめ言葉です」

 こいつがなにを言っているのか分からなかったが、大方見当もつかない世界のことみたいだから変に首を突っ込んでコイツを調子づかせると面倒だから苦笑いをして流した。

 俺達の会話が途切れてすぐ午後の講義を始まる鐘が鳴った。

 あとこの講義ともう一つ実習を受ければ今日は帰れるのでしぶしぶ準備を始めた。

 そういや、昼飯食ってないな。

 修一の言葉を受け入れるのは癪だが、本当にあの映像を見て飯を食べる元気はなくなっていた。


 俺は講義が終わると同時に教室を出る。

 いつもなら修一や土岐堂達と帰るのだが、今日は急がなければいけなかった。

 「新さん大丈夫かな?」

 今朝大学があるからと言って不機嫌な夕顔を新さんに一方的に押しつけてしまったのだ。

 何かお礼をしなければ。

 これ以上機嫌を損ねないためにも酒は買っておかなければならないし、そうなるとつまみも必要とだろう。

 とりあえず、俺は駅で降りると伏見講の反対の大通りの方に出て、スーパーに立ち寄ることにした。

 大通りにあるスーパーはいわばチェーン店で、毎日四時頃にタイムサービスをやっていた気がする。

 今は5時半だ。だからなのか分からないが、ある一角が台風が去ったように荒れていたのが見えた。普段こんな時間に来ないので初めて見たが疲れ切って裏に帰って行く従業員が痛々しかった。俺の探し物は幸いにもその台風の影響を受けずに買えた。

 なので急いで伏見講に行こうとすると、スーパーの入り口で見知った顔を見つけた。

 「おい、橘」

 「え?」

 突然話しかけられて驚いたのか、肩をビクッと震わせてこちらを見た。

 「あ、彬くんだ。何しに来たの買いもの?」

 そう言って橘は俺の荷物の中身を確認すると俺を見て、

 「今何歳だっけ?」

 「今年で二十歳。だから酒は合法だ。もっとも足りなくても買ってたけどな」

 俺が肩を竦めるとカゴの中のビン同士が当たってカランと音を立てた。

 そっかぁ、私たちもう二十歳なんだよねぇ……。と伸びをして橘は、感慨深そうに言った。

 伸びをした時に髪の毛が鼻にかかってじれったそうだった。

 俺の視線に気づいたのか、なにか意味ありげの表情で微笑んだ。

 「そういや、宴会って今日の何時から?」

 「いや、分からない」

 ん?ちょっと待った。

 今とても自然な流れで聞かれたから素直に答えてしまったが、そもそも俺はそのこと喋った記憶が無い。

 橘の方を見ると企みが成功して嬉しそうに笑っていた。

 「いやいや。ただ、カマかけただけだよ。じゃ私は荷物置いて義くんを誘って行くね」

 「ちょっと待て。まだ何も言ってないぞ。そもそもなんでお前たちが来るんだ?」

 新さんの所には夕顔がいるのだ。

 下手に見つかると土岐堂辺りが真顔で攫ったのかと聞いてくるに違いない。

 「いいじゃん。堅いことはなしで。まぁ、お得意様ってことで大目に見てよ」

 お願い。と両手を合わせて小首を傾げるようなポーズをした。

 橘は、文学部に入ったためか、古本屋でもある伏見講に立ち寄ってちゃんと本を買ってくれる良心的なお得意様なのである。

 ここで断るのも変な気もするけど、このまま行くとそのまま夕顔について質問攻めに遭う気がする。

 俺のそんな悩みを砕いたのは一つの声だった。

 「あ。彬がいる」

 ん?今最も聞きたくない聞き慣れた声が聞こえた気がした。

 「ん?彬くん。返事しないの?女の子が話しかけてるよ?」

 俺の様子が変だと思ったのか、俺に耳打ちをしてきた。

 「いや、気のせいだ。きっと小学生の友達に偶然俺と一緒の名前がいただけだろ」

 「彬ぁ。東雲彬ぁ。無視するっていうなら、なんか暴露するよ?新からいっぱい仕入れてきたから」

 「なんだ?」

 しょうがない。

 このまま喋らせておくとこのスーパーの入り口で俺の身の上話をされたらたまったもんじゃないので反応することにした。

 というか、夕顔の容姿から、暴露という言葉は似合わなさすぎる。

 「え?この子なに?可愛いね」

 まるで小動物を触るかのような手つきで橘は夕顔に触れた。

 触られると夕顔はむずかゆそうに頭を揺らした。

 「夕顔。人様に無暗矢鱈に絡むな。周りの人に迷惑だろ。って、なんだ。佳澄と彬か」

 夕顔の後ろにいたのは朝会った時とは違いちゃんと外に出るような格好をした新さんが俺達を見つけて目を丸くした。

 「時に佳澄。例によって義成の奴とは一緒じゃないのか?それとももうこいつに乗り換えたか?」

 「その冗談は笑えませんよ。私の義くんに対する思いは世界一ですから」

 そのことを誇るように胸を張った。

 そう言うことは、分かっていたらしく、新さんは、まぁそうだな。と素っ気なく答えていた。

 話を聞くと、自分で今日酒を飲むと言った手前、さすがに自分のつまみ位は揃えておこうということで近くのこのスーパーに来ていたらしい。

 「まぁ、そう言ったのは夕顔なんだがな」

 話し終わってから、夕顔を軽く小突いた。

 「だってさ。彬が駅からこっちに向かわず反対方向に行ったから、気になって新に聞いてみたら、大方ここだろうって言ってたからね」

 夕顔の方はもう目的を達したかのように新の手を引っ張ってスーパーから出て行った。

 「なんだったんだ一体」

 「さぁ?ところで彬くん。一つ聞くけどあの子誰?親戚?」

 妹はあんな子じゃなかったから……でも似てないし。

 というか誰が好き好んで彬くんみたいな人のところに預けるかなぁ……とぶつぶつと独り言を言っていた。

 「橘。全部言ってるぞ」

 頭を軽くはたくと現実に帰ってきたようで、あはは、申し訳ないと謝られた。

 なし崩し的だが、結局伏見講に夜に土岐堂を連れ立ってくるらしく俺たちはそこで別れた。

 今度は寄り道もせずにちょうどさっき通った道を引き返すように歩き始めた。

 途中にあるお世辞にも繁盛していなさそうな電気店のテレビが映すニュースがふと目に留まる。

 「これが修一の見せたやつか」

 テレビでは、俺の昼の食欲を奪ったあの壁女の事件らしきものの特集が組まれていた。

 まず最初に簡単な事件の概要が説明され、それから遺体の状況が説明されていた。

 当然お茶の間にあんな映像を流すわけにはいかないので、実際の映像などはもちろん映るはずはなく、簡単な図で示されていた。

 あの動画は暗くてよく見えなかったので細かいところは見えなかったのだが、説明された状況は修一のそれと符号していた。

 話がある程度進むと、元捜査一課の某さんが今回の犯人はどうであるとか、動機はこうではないかと自慢げに語っていた。

 あほらし。

 そう思ったのでテレビから離れ、帰り道をまた歩き始めた。

 動機なんて後付けに決まっている。その時までいくらその人が憎かろうが、その瞬間にはこいつが憎いからなんて考えて殺してる人間なんているはずがない。

 動機なんてものは第三者に分かりやすく事件の概要を知らせるいわば記号みたいなものだと思う。

 「こんなこと考えるなんて珍しいな。夕顔の喋りがうつったか?」

 そんなことを考えているとまもなく伏見講の前に着いた。

 「いらっしゃい。って彬か。なんだ挨拶して損した」

 なんと店番を夕顔がしていた。

 しかも服装がさっきスーパーや最初に会った時のワンピースと違い、黒いワイシャツに胸元には赤いリボンをして、黒のロングスカートを履いていて、あたかも黒装束のようだった。

 もう少し身長があったらどこかの小洒落た古めの喫茶店の店員だった。

 「ずいぶんとまぁ開口早々失礼なことを言うやつだな。というか服どうした?買ったのか?」

 その言葉に対して夕顔は首を横に振った。

「違うよ。なんかね。新が服がそれだけじゃ可哀想だからって、なんでも昔着ていた服でもいいならってくれたんだよ」

 「へぇ」

 こんなこと言うとアレだが見かけによらず子供の世話もちゃんと見てくれる人だと思った。

 あとでお礼を言わなきゃな。

 「夕顔。ちゃんと店番やって……なんだ彬。今日は客か?こっちいいバイトが入ったから、お前が別段必要というわけじゃなくなったんだが」

 その言葉に俺は目を丸くした。

 「新さん。もしかして夕顔を雇ってくれたんですか?」

 俺の問いかけに別段驚くわけでもなくそうだよと普通に答えた。

 「お前が大学に行ってからこいつと話してたんだが中々いい話相手になってな。店番位は出来るだろうから、ならいっそ住ませてやる分はきっちり働かせようと思ってな。だからその服は私からのバイト記念みたいなものだよ」

 「そうっすか……というか夕顔のことえらく気にいってますね」

 俺の言葉にあぁと頷くと少しシニカルに笑った。

 「お前よりよっぽど頼りになる気がしそうだ」

 「その言葉は軽く流せないですね」

 このままいくと俺の立場は夕顔にとって代わられるのもそう遠くない日になってしまうだろう。

 そんなことを考えていると、伏見講にかかっているいかにも古いって感じな時計から鳩が出てきて、軽快なメロディが流れてくる。

 「もう七時だな。……彬。佳澄んとこに連絡しといて。八時から始めるって」

 俺の方を振り向かないで奥に入ってしまった。

 珍しいな。新さんが時間を指定するなんて。いつもだったら、今から始めるとか言いそうなのに。

 新さんの真意は分からなかったがとりあえず橘の所へ電話を入れておいた。

 幸いなことにワンコール目で出たので『来い』とだけ伝えて、早々に電話を切って、伏見講の外に出た。

 後ろ手で扉を閉じ、空を見た。

 秋とは言ってももう夜になると肌寒い。

 いきなり半袖で出た自分を呪いながらも、すぐに、寒くて帰ってきたと言ったら夕顔あたりに笑われそうなので、そのまま俺は歩き始める。

 行き先は特に決めていない。

 勿論俺にも今日の宴会の準備があるからそんな遠出する気はない。

 出てもせいぜい十分位で帰れる距離にするつもりだった。

 「ん?」

 駅の方向と反対側の夜はあまり人通りが少ない住宅街の方で何かの音が聞こえた。

 なんだろうか。耳を澄ましてみると、何かを硬いもので擦っているような類の音が聞こえた。

 こんな時間に誰か左官でもしているのか包丁でも研いでいるのかという音だ。

 「触らぬ神にたたりなしっていうけどさぁ」

 だめだ。

 こんな時に限って野次馬根性が働いた。

 俺は、音がする通りの方に足を向ける。

 意を決してその通りに出てみると、俺の予想に反して何もなかった。

 もしかしてこの通りから聞こえたというのは気のせいだったかもしれない。

 少し拍子抜けだった。

 その時、俺のポケットが光った。

 この通りの暗さとは対照的な明るさで携帯が光っていた。

 電話が来ているらしい。

 誰だろ?近くにあった壁に体を預けて通話ボタンを押した。

 「はいもし……」

 「遅い。どこほっつき歩いてるんだ。お前が来ないから始められないじゃないか」

 電話が繋がるとともに新さんにそう早口でまくし立てられた。

 そう言われて携帯の時計表示を見ると俺が伏見講を出てから二十分も経っていた。

 こりゃ怒られるのも当然だな。

 「すいません。すぐ戻ります」

 「ああ。是非そうしてくれ。私だけではこいつらを抑えられ……ちょっ、分かったから、代わってやるから……」

 どうやら向こうは大分騒がしいらしい。新さんの後ろから夕顔の声が聞こえた。

 「遅いよ彬。キミがあまりにも遅いからてっきりバラバラにされちゃったかと思ったよ」

 「そうか。期待に添えなくて残念だ」

 俺の答えに少し笑うと、早く帰ってきなよと言って電話が切れた。

 しかし、あいつはふざけて言ったのかもしれないが、昼に修一にあの動画を見せられてからだとなかなか洒落になってない。

 俺は、壁から身を起こして裏通りを抜けると帰路を急いだ。

 

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