十月十九日―Ⅲ
随時更新していきたいと思います。
最初は気のせいだと思った。
だけど、ガタンガタンという音は耳を澄ませば気のせい程度ではないほど聞こえる。
どこからだろうか。
俺はこの部屋を見回す。
しかし、人がいる感じはしない。というか、もし誰かいるのなら普通に、コイツが入った時点というか、入る前に気づくだろ。
「おい。……えーっとお前の名前なんだ?」
そういえばとこんな時に気づくなんていささか間が抜けているというかただのバカなのだがコイツの名前を聞いていなかった。
向こうは俺のことを彬、彬って呼ぶからこっちも知ってるかと思ったが、どうも思い出せない。
こんな印象的な奴の名前なんて一度覚えたら忘れないだろう。
「夕顔」
少女改め夕顔はただその一言だけを発して、また最初と同じように口には笑みを張り付けていた。
「で、夕顔。今お前の後ろにある台所から聞こえた物音はなんだ?」
「物音?私には聞こえなかったけど?」
「え?だって……」
確かに聞こえた。
気のせいではない。
そうなるとここにいる可能性のある人間は誰だろうか?
少なくともAさん(仮)の家の人間ではないだろう。
もしそうだとしても犯人に殺されているし、生きていたら間違いなく通報して、俺達は警察に厄介になっているはずだ。
とすると誰だ。
「ちょっといいか?」
「どーぞ」
「お前はこの人がこんな状況なのと関係ある?」
「んーと。死体の場所を移した程度の関わりならば」
目の前の夕顔はころころと笑っている。
つまり、夕顔を信じるならば、こいつは殺していないということになる。
外はそろそろ暗くなってきたのだろうか。
十月は日が沈むのも早くなってくるからなぁ……とそんなことを考えていた。
電気のついているリビングがやけに明るく見える。
「いや、そりゃでもなぁ……」
言っておきながらこういうのは変だと思うが、何故か容疑者が一人しかいない推理ドラマを見ているような感覚に陥った。
「一人で唸ってないでなんか喋ってよ。人様が悩んでる姿を見るのも一興だけど、今はそんな気分じゃないからさ」
夕顔は俺を責めるように唇を突き出した。
「……」
その発言に俺は苦笑した。
確かに人の不幸は蜜の味とは言うが、それにしても言い過ぎだろ。
普通は思っててもそんなことは言わないぞ。
「いや、お前に聞いたとしてもしらばっくれるだけだからな。今の物音はなにか考えてみただけ」
「ふむふむ。私が聞こえないと言った音のことね」
夕顔は聞く様子を見せてじっとこっちを見ていた。
どうやら続きを話せということらしい。
「いや、ここにいる可能性のある人間ってのを考えたんだが、どうにも釈然としないんだなこりゃ」
「というと?」
夕顔が適当に相槌を打つ。
「だってさ。家主の家族を死んでんだぜ?いるとしたら犯人位だけど、まさかそんなことはないだろ?」
なにが楽しくて自らが犯罪をした場所に居座り続けるのだろうか?
理解できない。
いくら事件現場に犯人は戻ってくるとは言うものの、そのままそこに居座る人間なんているはずがない。
「やっぱり気のせいかなぁ」
俺がこの状況にビビりすぎて聞こえただけかもしれないし。
まぁそうならそれが一番いいんだけどな。
――キミはつまらないね
「あ?なにが?」
前で聞いていた夕顔が、ため息を吐いて、さも不満げな顔をして言った。
「――つまらないよ。キミは随分とまぁ、早計だね。自分の思ってること、知ってることだけが全てじゃないんだから」
夕顔は笑いを無理やり噛み殺したような顔で俺を見た。
「な、なんだよ」
「いやね。キミの意見が余りにも滑稽だったからねぇ」
こちらを値踏みするような目をしていた。
「じゃあ、どういうことなんだよ?」
「簡単なことじゃんよ」
そう言いながら椅子から身を起こし台所を向かっていった。
それにつられて俺も動く。
「私が入った時鉢合わせになって、捕まえた」
別に大したことでもないという感じで、驚く俺を尻目に台所の中央の地面に面している扉に手をかけた。
その言葉を聞いて俺は、ワンピースから出ている夕顔の二つの白い腕を見た。
身長に比例するかのような細い腕だった。
「お前じゃ勝てねぇだろ?そんな男なんかに」
これで犯人を捕まえたなんて到底信じられない。
犯人はもしかして子供なのか?
「……キミはどうやら私のようなか弱い少女にそんないきなり犯人と遭遇して太刀打ちできないという固定概念を持っているね」
「か弱いとまでは言ってないけどな」
「これが答えだよ」
俺の言葉を無視して、えいっとという掛け声と共に引っ張っていた扉が開く。
この家ではここはそんなに使われていなかったらしく蝶番が嫌な音を立てた。
……中には、長年の間に溜まったであろう埃と共に体を電気コードで縛られている女がいた。
俺が中を覗いたのを見たのと同時に夕顔は俺の後ろで喋りだした。
「つまり、犯人は女だった。もちろん私はこんな人は知らないし、興味もなかったから私は素通りしたんだけど、向こうからこっちに来ちゃったからね」
正当防衛?と首を傾げる。
いや、多分過剰防衛だと思うぞ。
「つか、よく抑えられたな」
答えが分かった後だと負け惜しみっぽく聞こえるが、正直女かもしれないという予想はあった。
あったがそれでも俺は夕顔が勝てる道理はないと思う。
後ろにいる夕顔の方を振り返る。
まずこの体格差だ。
大人と子供の差は漫画の様に簡単に埋まるようなものではない。
しかもコイツの言葉を信じるならば、不意打ちに近い感じだったらしいからな。
改めて地下にいる女に目を移した。
薄暗いためか細かい部分までは分からないが、制服を着ているように見えるからそのような職についている人間だろう。
顔の作りは美人というわけでもないが、容姿で損するタイプの顔付きではないに見える。
俺達を見つけたせいか目がこちらを向いて黒目がギョロギョロと動き、なにかを喋ろうと口をモゴモゴと動かしていた。
しかし、猿轡のような物で口を塞がれているので、ただ息を荒く漏らすだけであとはなにも出来ていなかった。
「なぁ。一ついいか?」
「一つと言わず何個でも」
パチンという音と共に、俺の視界が急に明るくなった。どうやら後ろで夕顔が地下室の電気を点けたようだった。
俺は振り向かずに夕顔に聞いた。
「どうやって捕まえたんだ?お前とこの人との体格差を考えるといくらこの人が細くてもお前には荷が勝ちすぎてる気がすんだけど」
ただ電気を点けるために夕顔は後ろに行っただけのようで俺の横に夕顔が戻ってきた。
「別に大したことはしてないよ。私はただこの人を縛っただけ」
ところでさ、と夕顔は、俺を指差す。
「ねぇ彬、人間の中で一番怖いことはなんだと思う?」
「一番怖いこと?また随分と漠然とした問いだな」
要領をよく得ない質問だ。
「そう?怖いって一口に言っても色々ありそうじゃない?死刑宣告された時とか、崖から落とされそうになったりとかさ」
それはまた随分と物騒な例だ。
全く参考になった気がしない。
「そうだなぁ……じゃあ、うっかり殺人現場で犯人に出会ってしまったときかな」
そう聞くと夕顔は目を丸くして、
「随分とまぁ、さっきの状況を皮肉ってるねぇ」
と少し茶化した。
「流石はあの有名な倍率十倍越えの東専大学に現役で入ったキミだね。明らかに阿呆みたいなことを言ってるのに何故か頭が良い奴言う言葉に聞こえてしまう気がするよ」
すごいすごいとパチパチ拍手をした。
どうやら俺を馬鹿にしているようなのだが、そんなことより俺の頭には一つの疑問が浮かんでいた。
「そういや、なんで俺のことをそんな知ってるんだ?」
「不気味?」
そう言って少女は首を傾げる。
その問いかける姿はこんな風に人が死んでいて、その犯人が捕らえられているような場所にはおおよそ不釣り合いだと思った。
「まぁ、俺の知らない人が俺の個人情報って呼ばれる奴を知ってたらな。けどお前の場合は最初から俺の名前呼んでたしそんな変な感じはしないけどさ」
我ながら臭い台詞を言ったな。
どうにも昔から臭い台詞を吐くクセが治らない。
その言葉を聞くと、夕顔は笑顔で頭を下げた。
何に対して頭を下げられたかは分からなかった。
「まぁ……やっぱり不気味だよね。知らない人に色々と知られているのはね」
話の筋を本線に戻すように少女は頬をポリポリと掻きながら言った。
「なるほど。そういうことか」
俺はなんとなく、向こうが言わんとしていることを理解した。
「人様の秘密を……その、したのか?」
その言葉を聞くとまた嬉しそうな顔をしてうんうんと頷いた。
どうやら俺の考えは間違っていなかったらしい。
こいつの言いたいことは多分こういうことだろう。
人が最も恐れることは未知の事態であるということだ。
大体、会ったことも見たこともない奴にいきなり名前やその他もろもろを当てられたらさぞ驚くに決まってる。
いや、名前だけなら平気かもしれない。
けれど、それ以上のこととなると流石に自分はどこまで知られているのかという恐怖に苛まれるだろう。
恐らくそういうことをしたのだろう。
もっとも、それだけでこんな状況にすぐさまなるという説明にはならないがな。
部屋が明るくなり、目が慣れてきてからようやく気がついたが、俺の隣に夕顔がいるのを縛られている視認してからの彼女の充血していた目は見開かれ少しずつだが体を動かそうとしているように見える。
まるで、夕顔の視線から逃れようとしているようだった。
けれども上から見下ろしている俺達から彼女が逃れる術はない。
まるで、虫籠に入れられた虫のようだ。
逃げ回っても全ては手のひらの上だ。
「一体なんて言っ――」
「田中 芳江。年は三十二前後。身長は百五十六センチ。体重五十キロ。未婚。ここの人とは昔の同僚。保険会社勤務……まだあるけどね」
「……」
純粋に言葉を失った。
さっきコイツはこの人と初対面だと言った。
でもそれにしてはこの知識は可笑しいと思った。
けれどもコイツが適当に言っているとも思えない。
事実夕顔が一言言うたびに体をビクリと震わせている。
尤もこの人が有名人ならば話は別だがそんな人には見えなかった。
もしかしたら俺が見たことないだけかもしれないけどさ。
ならば知り合いだった?どうして?という混乱が俺を包む。
今、俺を除いた二人の間に何が起きているのか意味が分からなかった。
「私にはね。不思議な力があるんだ」
夕顔は急に神妙な面持ちで話を切りだした。
「不思議な力?」
いきなり話が奇妙な方向へ飛躍した。
「そう、分かっちゃうんだよ。私は宇宙と交信できるからね」
「はぁ……」
なんかこの話が俺の理解の範疇を超えてきた。
そんな俺の心でも読んだのか夕顔は意地悪そうに唇を広げた。
「その顔は疑っているね。東専大学商学部二年生東雲彬。バイトは駅前から少し離れた所にある古本屋『伏見講』で働いている。そこの店主は適当そうに見えるが実は優しくて人が好いとか思ってるでしょ?」
つらつらと俺の個人情報を暴露し始めた。
「……」
背筋に冷たい汗が流れる。
得意気な顔で語るのならともかく、さも当然なことの様に言われたら不気味というか不愉快極まりない。
「心配することはないよ。キミもこの『澪尽教』に入って一緒に学ぼうじゃないか」
彼女は両手をまるで神への祈りを伝えるかの様に天を仰いだ。
「……」
少々呆気にとられていた。
やっぱコイツの頭が可笑しいのか?新興宗教の勧誘だってもう少しは上手くやるぞ。
けれどその変な宗教が俺の情報を掴んでいるのは間違いなかった。
「とまぁこんな感じ?」
「え?」
ふぅと神妙な面持ちを止めて肩が凝ったのか数回肩を回して首を二三回捩じると、すぐに俺の横に座った。
「少し、信じた?」
コイツに真実を言うのは負けた気がするから言いたくなかったが、全てを覗きこむような視線に、
「……軽く信じた」
軽々と屈した。少しは頑張れよ。
その言葉を聞くとまた笑顔に戻った。
私は宗教なんてやってないよと笑う。
「新興宗教だからってインチキって決めつけるのは固定概念だよ。ほら、どんな宗教だって最初は新興宗教だったんだしさ。要はそこにいる信者が救われればいいだけだからね。別に私はそんな専門家でもないから言えないけど。ねぇ彬、予言って出来ると思う?」
「あ?予言?まぁ、よくテレビで見てる限り良くできてるとは思うがな。尤も俺は信じちゃいないけどな」
胸の前で手を交差してバツと否定の意を示した。確かにキリスト教も最初は新興宗教だ。
「その通りだよ彬。人間が未来のことを予測するなんて傲慢もいいトコだよね。大体人様のことが人に分かるかって話だよね。だってさ、『人は神様が作った最高傑作だ』って言葉があるけどその言葉を作ったのが人間自身だしね」
夕顔の顔を漫然と眺めた。
明らかに年不相応な話を上機嫌に話している。
その顔からは端正な鼻立ちであることと、見た目通りの年じゃないこと位しか分からない。
「――でね。私がなんでこんな話をしたかと言うとね。『未来』は視えない。さっき言ったよね。だけど『現在』と『過去』は視えるよね?」
「え?」
しまった聞いてなかった。
いや、そんなに綺麗な笑顔を見せられて同意を求められたとしても聞いていなかった俺には全然意味が分からない。
「意味がわからないって顔をしてるね」
俺の沈黙をそう受け取ったのか、疑問に答えるように夕顔が言う。
「簡単だよ。『未来』ってのは変えられる。だから曖昧な表現をする必要があるんだよね。よく耳にするでしょ。あなたは何年後かに何かなるかもしれないっていう表現。極論を言ってしまえば明日貴方は死ぬでしょうって言われて、その場で自殺したらその予言は外れってことになるからね。はい。さて、ここで問題」
こいつは話の合間に俺を試すかのように質問を吹っかけてきている。
「今の話を踏まえると、『現在』と『過去』はどうなるんでしょうか?」
はっきり言うと、さっきまで話を聞いてないから確信はないが、さっき未来は変えられるとかなんとか言っていた気がする。
「変えられない」
適当な答えたが、どうやらそれが向こうが求めている回答だったらしく、夕顔は、うんと頷いた。
「そだね。全く相手が適当な所で適当に相槌を打ってくれる会話ほど楽しいものはないよ。さて話を戻そう。『現在』と『過去』は視ることは出来る。ならどうすればいい?」
「あ」
なるほど、そういうことか。
「そう。つまり調べればいい」
言われてみればもの凄い単純な仕掛けだった。
この場合『過去』を知る必要がない。
こいつはその場の状況から情報を盗み取ったのだ。
最も向こうに通用する形で。
夕顔は俺の首を掴んで机の方へ引っ張った。
背は俺の方が高いので首が締まって少し苦しい。
「ゆ、夕顔さん?」
「いいから」
こっち来て。と夕顔が言った。
なんでも中のこの田中さんには聞かれたくないことがあるらしい。
俺を机付近まで引っ張ると夕顔は耳元で小さくネタばらしを始めた。
「名前は胸につけてる名札と外から聞こえたし、年齢はこの死んでいる人の誕生日がカレンダーに丁度よく書いてあって、肌の張りと首の皺を見て大方の推測はついてたし、体重も同様に見た目から」
それこそ着やせしてたりしたら分からなかったけどね。
と冗談っぽく言って笑う声が俺の頭に響く。
「それから、独身か既婚かってのはまぁ殺し方が怨恨っぽかったからね。まぁ、もし既婚だったら、そのまま独身時代の借りを返しに来たみたいな感じで動機っぽくしちゃっても良かったしね。あと最後の職業は割と簡単だったよ。だって机の上には片付けちゃったけど、保険会社のパンフレットがあったし、ここの人の手帳もその会社の物。ついでにカレンダーもそうときている。だからいけるかなあって―」
「嘘だろ」
隣にいる夕顔に目を合わせる。
耳元で喋っていたせいか、夕顔の顔が間近にあった。
「え?」