エピローグ
王都で一番と名高いレストランの個室で、分厚いステーキがジュウジュウと音を立てていた。
最高級の竜獣の肉だ。一切れで、アパートの家賃一月分が飛んでいく。
「……美味しいです」
向かいに座るリーゼロッテが、うっとりとした表情で呟いた。
いつもは働き者の彼女も、今日はおろしたての綺麗なワンピースを着ている。暴落を乗り切った祝勝会だ。
「うむ。労働の後の飯は美味いな」
私もナイフを入れながら、満足げに頷いた。
厄災の竜がもたらした市場の混乱――後に『竜災恐慌』と呼ばれることになる――から数週間。
王都は少しずつ落ち着きを取り戻していた。
私の買い支えが呼び水となり、市場には安値で優良株を拾おうとする買いが戻り始めた。私が買い占めた『ドワーフ精工』や『王立運送』の株価は、すでに数倍に回復している。
私の資産は、もはや個人では使い道に困るほどの額に膨れ上がっていた。
「ベルナール様は、まるで市場の守護神のようですね。みんなが絶望している時に、たった一人で買い向かうなんて」
リーゼロッテが尊敬の眼差しを向けてくる。
守護神、か。元魔王が聞けば笑い転げるだろう。
「ただの逆張りだ。恐怖に駆られた群衆と反対の道を行けば、金貨が落ちていることもある」
「……それだけではないと思います」
彼女がテーブルの上に、一通の手紙を置いた。
差出人は『ドワーフ精工』の親方からだった。中には、無骨だが心のこもった文字で、感謝の言葉が綴られていた。
『貴方様のおかげで、職人たちの家族が路頭に迷わずに済みました。このご恩は、最高の仕事でお返しいたします』
私は手紙から目をそらし、ワインを一口飲んだ。
感謝されることなど、ここ三百年、一度もなかった。くすぐったいような、それでいて胸が温かくなるような、奇妙な感覚だった。
恐怖で支配するのとは違う。金という血を巡らせ、死にかけた経済を蘇らせる。
それは、世界征服とはまったく異なる種類の「世界の動かし方」だった。
「……悪くない」
ぽつりと呟いた、その時。
レストランの窓の外、遠く離れた路地裏の闇に、一瞬だけ見知った気配を感じた。
魔界の、それもかなり高位の魔族の気配。
「……?」
すぐに気配は消えた。気のせいだったか、と私は首を振る。
もう私に構う者などいないはずだ。私はただの隠居した老人なのだから。
「さあ、デザートも頼むといい。今日は私の奢りだ」
「本当ですか!? では、あの宝石が乗ったパフェを!」
はしゃぐリーゼロッテを見ながら、私は静かに笑った。
世界征服は諦めたが、この新しい戦場は、まだまだ私を楽しませてくれそうだ。
我が「ポートフォリオ」作りは、まだ始まったばかりである。




