第3話:スキル「ちょっと運がいい」
金貨七枚。
それが現在の私の全資産だ。
家賃を払えば消えてしまう額だが、私はこれを元手にさらに増やそうと画策していた。
アパートの狭い居間で、私は市場の銘柄リスト(新聞の切り抜き)を睨みつけていた。
「ベルナール様、真面目に職探しをしてください」
横で洗濯物を畳みながら、リーゼロッテが呆れた声を出す。
彼女は私が「投資」をしていることを知っているが、それを「無職の現実逃避」と捉えているようだ。
「これも立派な経済活動だよ、リーゼロッテ君。見てごらん、この『ポーション製薬』の安定感を」
「安定しているだけじゃ利益は出ませんよ。それに、その会社は最近、原材料費の高騰で利益率が下がっています」
彼女は意外と数字に強い。没落貴族の娘というのは本当らしい。
私は唸った。確かに、堅実な銘柄では大きく稼げない。かといって、博打を打つほどの余裕もない。
「じゃあ、こっちはどうだ? 『グリーン・バイオ』。新興の薬草栽培ベンチャーだ」
私が指差した先を見て、リーゼロッテは眉をひそめた。
「絶対にやめた方がいいです。そこ、経営者が元山賊だという噂ですし、ずっと赤字続きですよ。いつ倒産してもおかしくありません」
「ふむ……」
常識的に考えれば、彼女の言う通りだ。
ゴミのような銘柄だ。誰も見向きもしない。
だが。
その社名を見た瞬間、私の背筋にピリッとした感覚が走った。
――**『ちょっと運がいい (A Little Bit Lucky)』**。
私の持つもう一つの地味なスキル。
確率は操作できない。未来も見えない。ただ、「どっちの道を行けば泥沼にはまらないか」という二択において、なんとなく正解を選べる程度の力。
魔王時代は、迷宮の分岐路で役に立った。
そして今、その勘が告げている。「買え」と。
「……いや、これを買う」
「はあ!? ドブにお金を捨てる気ですか!?」
「私の勘だ。魔王の……いや、年の功というやつだよ」
私はリーゼロッテの制止を振り切り、通信魔道具(アパートの共用設備)を使って、なけなしの金貨七枚すべてを『グリーン・バイオ』に突っ込んだ。
***
数時間後。
夕方のニュース速報が、王都を駆け巡った。
『グリーン・バイオ社、奇跡の発見! 幻の薬草「エリクシル草」の人工栽培に成功!』
アパートの居間が静まり返った。
魔法スクリーンに映し出された株価チャートは、垂直の壁のように跳ね上がっていた。
ストップ高。値幅制限の上限だ。
元山賊の社長が、涙ながらに会見している。「山に籠もって研究した甲斐がありました!」
「……う、嘘でしょう?」
リーゼロッテが洗濯物を落とした。
金貨七枚で買った株は、瞬く間に金貨五十枚の価値になっていた。
家賃どころか、向こう一年の生活費が賄える額だ。
「まさか、ベルナール様……これを読んでいたのですか? あの赤字決算の裏に隠された、研究開発費の真実を?」
彼女が尊敬の眼差し(と、少しの恐怖)を向けてくる。
私はゆっくりと紅茶を啜り、窓の外を眺めた。
「まあな。……風が、吹いたのさ」
ただの運だとは、口が裂けても言えない。
しかし、これで確信した。
私の地味なスキルたちは、この「市場」という戦場において、意外なほど強力な武器になる。
翌日、取引所の一部で妙な噂が流れ始めた。
「冴えないおっさんが、底値でバイオ株を拾っていたらしい」
「あいつは何者だ? 相場の神童か?」
隠居魔王ベルナール。
その名が(本人は望んでいないが)、少しずつ投資家たちの間に広まり始めていた。




