第2話:スキル「早起き」
翌朝。
まだ空が白む気配すらない、午前四時。
私はパチリと目を覚ました。
「……またか」
二度寝を試みるが、意識は完全に覚醒している。体も羽のように軽い。
これが私の持つスキルの一つ、**『早起き (Early Riser)』**だ。
効果は単純。どんなに夜更かししても、どんなに疲れていても、市場が動く前――あるいは世界が動き出す前――に必ず目が覚める。
魔王時代は「夜襲を警戒する必要がない」程度にしか思っていなかったが、隠居生活においてはただの迷惑な体質だった。老人か私は。
「仕方ない、散歩にでも行くか」
私は着古したローブを羽織り、静まり返った街へと出た。
冷たい朝の空気が肌を刺す。誰もいない石畳の道を歩くのは悪くない気分だ。
足は自然と、昨日の場所へと向かっていた。
王都証券取引所。
当然、まだ閉まっている。巨大な魔法スクリーンも光を失い、ただの黒い板になっている……はずだった。
「ん?」
取引所の裏手、搬入口のあたりに明かりが見える。
私は気配を消して(これは魔王時代の『隠密』スキルの名残だ)近づいた。
数人の男たちが、荷車から何かを降ろしている。取引所の職員の制服を着ていた。
「おい、急げよ。開場までに張り替えなきゃならん」
「わかってますよ。しかし、またオークですか?」
「ああ。北の街道で大規模な群れが出たらしい。冒険者ギルドからの緊急速報だ」
私は耳をそばだてた。
北の街道。王都への物流の大動脈だ。
「街道が封鎖されたら、『王立運送』の馬車は全滅か、少なくとも数週間は足止めだな」
「違いねえ。逆に、海路を持ってる『海運ギルド』には注文が殺到するぞ」
「へへ、俺、昨日のうちに『王立運送』売っといてよかったわ」
「お前、それはインサイダーだぞ」
「うるせえ、バレなきゃいいんだよ」
男たちはゲラゲラと笑いながら、建物の中へと消えていった。
私は暗闇の中で、ニヤリと笑った。
これは、ただの立ち話だ。
彼らは私に情報を教えたわけではない。私が勝手に『早起き』して、勝手に聞いてしまっただけだ。
つまり、不正ではない。……たぶん。
私は懐を探る。
全財産の金貨五枚。これで来月の家賃を払うはずだった。
だが、今の私は魔王ではない。投資家だ。
リスクを取らぬ者に、勝利はない。
***
午前九時。
カランカラン、と鐘の音が鳴り響き、取引所が開場した。
同時に、魔法スクリーンにニュース速報が流れる。
『緊急速報:北の街道にてオークの大群発生。物流に遅れの見込み』
どよめきが広がる。
投資家たちが我先にと売り注文を叫ぶ。
『王立運送』の株価を示す数字が、ガラガラと音を立てるように崩れ落ちていく。
1,000G……900G……800G……。
一方で、私が全財産を突っ込んだ銘柄は。
『海運ギルド 650G ▲80』
赤い数字が、力強く跳ね上がった。
陸路がダメなら海路だ。誰もがそう考え、買いに走っている。
700G……750G……。
私は人混みの後ろで、腕を組んでその様子を眺めていた。
心臓が早鐘を打っている。
戦場で剣を交えるときとは違う、冷や汗が出るような興奮。
自分の読みが(というか盗み聞きが)正解し、資産が増えていく快感。
「……ふっ」
私は小さく息を吐いた。
結局、海運ギルドの株は800Gまで上がり、私はそこで売り抜けた。
金貨五枚が、七枚になった。
わずかな利益だ。魔王軍の予算からすれば、砂粒のようなものだ。
だが、この二枚の金貨は、私が初めて「経済」という力で勝ち取った戦利品だった。
「悪くない」
私は増えた金貨をチャリンと鳴らし、朝食に高い方のサンドイッチを買うためにパン屋へと向かった。
『早起き』は三文の得、とはよく言ったものだ。




