SLで事件は起きた④
◇
その頃、長瀞駅のホーム端には、ハットを被り、茶色いパーカーを着た男、花袋が右手で電話をしながら、SLの走った線路を振り返った。
花袋「あぁ。車内のあいつらから何も連絡が来ない。作戦は失敗だろう……」
青樺「だろうな」
驚いて花袋は、咄嗟にスマホをコートのポケットにしまい、振り返った。そこには、青樺、天胡、薬袋が睨みつけながら彼を見ていた。
花袋「どうした? 俺に用か? 薬袋まで」
青樺「まさか、出発前に騒いでいた撮り鉄の男が、全ての黒幕だったとはな」
花袋「そこまでバレていたか……。そうだ。俺の名は、花袋魔朱麻呂だ」
青樺「名前は訊いてねえよ」
花袋「まず俺の目的は誰から聞いた? やはり薬袋か?」
青樺「あぁ、そうだ。こいつがゲロったんだ。ただでさえ車内で一回ゲロったのに、食堂でもう一回ゲロったぞ」
◇◆◇◆◇
今から五分前。涙を流しながら角煮を食べる薬袋は、静かに事の真相を話した。
薬袋「実は僕、SLを乗っ取るために操られていたんです。SLに乗る前、秩父でねぶた祭りを見ようとしていた僕に、三十代ぐらいの男がやって来て言ったんです。『俺たちのために働け。能力者を捕まえろ』って。その後、僕がどうしていたのかはよく覚えていません。酒に酔っ払ったかのように、はっきりとした意識が持てていなくて。このやり取りも、この店に来たあたりで思い出しました」
青樺「能力者か。ひょっとして……」
天胡「私を狙った男がいる……のか?」
薬袋「私を、って、何を言ってるんですか? あなたがその能力者ってやつなんですか?」
天胡「そうなんだけど、このことは秘密にしておいてほしい。能力者がいるとバレたら、周りに危害が及ぶ可能性がある。そして何よりも、私がまゆ姉に怒られる」
薬袋「そんなにお姉さん怖いんですか? まぁ、秘密は守ります。それに、まだ能力の詳細は知りませんから。とにかくですね、僕が車内で暴れてしまったのは、その男が原因で間違いないと思います。本当にすみませんでした」
青樺「そんな、謝らなくても……」
薬袋「でも、謝らないと気が済みません」
青樺「じゃあ謝れ」
◇◆◇◆◇
花袋「そこまで言われちゃあしょうがねえ。そうだ。俺は能力者を捕まえること、いわゆる能力者狩りを生業にしている。そして俺自身も能力者だ。俺の能力は、人間の理性の一部を崩壊せることができる」
薬袋「それで僕を……。ただ、やはり人を完全にコントロールすることはできないんですね?」
青樺「できてたら、今頃能力者狩りも終わっているだろうね」
花袋「あぁ。実際、薬袋に手をかけたことは確かだ。でももう普通に戻っちまった。時間が切れたんだよ」
青樺「あの電車の惨事も、お前が元凶なのか?」
花袋「そうだ。乗客の一人の理性を崩壊させて暴れさせた。まさか、催眠ガスをブチ撒けるとは思わなかったがな」
青樺「乗客は死んでないの?」
真弓「それよりも私の姉はどうした?」
花袋「お前の姉は電車の中に入って行ったぞ。まぁ乗客と同じで死んではいないだろうけど」
青樺「キサマァッ、どこまでもふざけてやがるっ」
花袋「別にふざけてなんかいないさ。ちゃんと計算しているぞ。この窮地を切り抜ける方法もな……」
花袋は、不敵な笑みを浮かべた。その表情にすぐ気が付いた青樺は、天胡を庇うように花袋の前に立つ。
花袋の瞳孔は大きく開かれた。青樺は天を仰ぎ、ひたすらに喚く。
天胡「青樺姉っ!」
天胡は青樺の肩を揺さぶる。薬袋は花袋の胸ぐらを掴みにかかるが、手がかかる寸前、青樺は薬袋の腕を振り払い、彼の右の脛に蹴りをいれた。膨張する痛みに倒れ悶える薬袋。
薬袋「……青樺さん。あなた、理性を…………」
花袋「いいぞ。そのまま、天胡も殴れっ! 殴れっ!」
青樺「何言ってんだテメェッ!」
青樺は花袋の左頬を殴った。
花袋「グフォッ……。キサマァッ、そこの女を殴れっ!」
青樺「何で妹を殴るんだっ! テメーが殴られろっ!」
青樺は左手で花袋の首を握ると、ひたすら平手打ちを食らわせる。最初こそ反撃の意志を見せる花袋であったが、次第に腕の力もなくなり、もはや殴られるのを待つだけとなった。
天胡「青樺姉、ちょっと落ち着こう」
薬袋「そうですよ。あなたは勝ったんです。これ以上殴ると、真弓さんに叱られますよ」
その瞬間、青樺の殴る手は止まった。しかし既に花袋の口元は、血だらけ痣だらけ。
青樺「許せねえ。許せねえよ。わたしを利用して一人だけ逃げようとして。SLに催眠ガスが放たれたのもこいつのせい。こいつが、真弓を永遠の眠りに落としやがって」
天胡「死んでないよっ!」
青樺「何でわかるんだよっ?」
天胡「連絡が来た。無事だってよ」
そう言うと天胡は、真弓とのトーク画面を見せた。
青樺「本当だ。よかったぁ、真弓が無事で」
極度の安堵。青樺は少しずつ冷静さを取り戻している。
花袋は、手足が震えるのをこらえるように立ち上がるが、青樺に対して上手く視線を合わせるどころか、瞬きすらもままならなかった。
それでもなお、青樺たちから逃げる隙を伺っている。
そのとき、彼女らの背後、花袋の視線の先、車両の扉から真弓を抱えて引きずる竹子が現れた。
青樺「真弓っ! 煮豚も食わないで勝手に出ていくんじゃねえっ! 天胡が全部食っちまったんだぞ」
天胡「もう煮豚祭りはいいでしょ」
薬袋「そうですよ、青樺さん。真弓さんが無事そうなのが何よりじゃないか」
三人は竹子の元へ駆け寄る。
花袋「あ……あいつは……」
花袋は竹子に向かって精一杯の声を上げる。
花袋「そこの女っ! テメーは……、テメーは誰なんだっ?」
皆は黙った。それでも花袋は問い続ける。
花袋「お前はいつからこのSLに乗っていた?」
青樺「何言ってんだ? ずっと乗ってたぞ、この人」
花袋「俺はっ……、出発前にSLの乗客全員を写真に収めていた。出発後、新しく乗った奴もコッソリ写真を撮っていたんだっ!」
天胡「さっき青樺姉が言ってた、盗撮野郎って本当だったんだね」
青樺「だな」
花袋「だがな、お前はどの写真にも写っていなかった。なぜだっ? なぜ俺の前に姿を現さない? お前の能力か?」
皆は竹子を見つめる。
天胡「あなたが、能力者?」
竹子「さぁ、なんのことかしら?」
花袋「催眠ガスまみれの中で一人無事でいられる小学生が普通の小学生なわけないだろっ!」
花袋はフラつく足で、竹子にゆっくり近づく。
花袋「俺の直感が言っている。お前は間違いなく能力者だ。俺は……、能力者が能力を使いそうになったときに発する信号を解析してこのSLに乗った」
青樺「何、そのピンポイントな信号」
天胡「あのさー、竹子が仮に能力者だとして、執着する理由は何ですか?」
花袋「俺の所属する組織が能力者を捕まえようとしているだけだ」
そう言った途端、青樺は花袋に駆け寄り、右手で首を掴む。
青樺「もっと言えよっ!」
花袋「わかったわかった。話すからやめてくれ」
花袋は一発殴られた。
花袋「俺たちの組織は、世界秩序を乱せるほどの強大な能力を持つ人間を集め、そいつらを犠牲にすることで、ユートピアを築こうとしているのだ」
青樺「ふざけたこと言うんじゃねえ。それは自分の能力が秩序を乱し切れないことがわかっているからこそ言えるんじゃねえか。自分が犠牲にならないことがわかっているから言えるんじゃねえか」
花袋「そんなことはない。俺の能力がユートピア製作に少しでも必要であるならば、喜んで犠牲になるよ。今はただ、能力者を集めている段階だ。現状、ユートピアとは程遠い。本当は、柏竜治っていう男を探そうとも考えたんだ」
青樺「何だとっ⁉」
青樺は殴った。
花袋「何をするっ⁉ まさか、柏竜治について何か知っているのか?」
青樺「知っている————わけではない。ただ殴りたくなった」
花袋「酷い。何でこんな理性の欠けた行動を?」
天胡「自己責任でしょ」
青樺「それで、柏竜治っていう男がどうしたんだ?」
花袋「……そいつはな、能力者たちの調査をしている、って噂があるんだ。そいつに辿り着ければ、能力者狩りの効率は一気に増しそうだな、と思っているんだ」
青樺「だけど柏竜治の行方が一向に掴めない。ということか」
花袋「そういうことだ。どこにいるんだよ、あの男」
青樺「本当な」
花袋「共感してくれるのか? 嬉しいなぁ」
青樺「天胡、どこにいると思う?」
と言った瞬間、花袋は一瞬の隙を突いて青樺の手首を叩き、一心不乱に竹子の元へ走る。
花袋「能力者かどうかは知らねえ。ただ違ったら違ったで関係ねえ」
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しかし突然、竹子は完全に姿を消した。直後に花袋は転んだ。
天胡「何してんの? 急に走り出して」
青樺「わざわざこの臭い電車に戻るのか? やめておけ」
天胡「自分がやらかしたせいで電車に戻りにくくなったのに、戻りたいのか」
花袋「俺じゃねえ。理性を壊した矢袋がやったんだ」
花袋は立ち上がる。
青樺「なんて無駄なことを。いたずらにしては大がかりすぎるぞ」
花袋「いたずらじゃねえよ。いや、いたずらで……やったのか?」
天胡「賠償金いくらなんだろうね」
花袋「うわー、やめろー。考えたくないィィィ」
薬袋「この人はもう警察に任せましょう。それより真弓さんが心配です」
天胡「大丈夫そうだよ。今は、ガスをまた少し吸っちゃったから眠っているけど、瞼は開きかけているよ」
青樺「しかしよく一人で電車から出られたな」
薬袋「まるで誰かに運んでもらったみたいですね」
◆
この現実世界の様子を小さなモニター越しに見る少女がいる。竹子だ。
ここは、世界観測用過次元領域。彼女は姿を消した後、ここに辿り着いた。一面緑色の空間には、彼女以外誰もいない。
モニターの前に置かれた椅子に座ると、現実世界で起きている花袋の悪あがきを見ながら、独り言をつぶやく。
竹子「私の能力は、この観測用過次元領域にいるときのみ、現実世界の時間軸上すべての私の存在をなかったことにできる。私と接したすべての記憶と記録から私は消える。私を捕まえることを目的としていたあの男は、私という標的が端からいなくなったが、SLでのテロを首謀したという事実は消せない。私がこの空間にいる限り、あの男は動機がなくなる。身に覚えのない罪を背負うといいよ。そして柏さんたち。これから彼のような能力者があなたたちを襲うかもしれない。でも私は助けてあげられない。私は、地元で静かに暮らしたいの。ごめんなさい」
竹子は過次元領域を抜け出すまでの間、椅子を倒して仮眠をとった。
世界が竹子を思い出すまで、あと六時間。
◇
一方その頃。長瀞駅には警察と消防の車両が何台もやって来て、現場を調査することになった。当初の遅延の原因、薬袋の窓から飛び降りは、催眠ガスをバラまいた矢袋弥武郎と、その弟子で痴漢魔の布袋が罪を被ることで有耶無耶になった。その後、彼らと共に花袋も逮捕され、警察署に連行された。
警察と消防の到着から一時間後。SLは未だに運転再開の目途が立たない。柏姉妹と薬袋は、しんみりとしながらSLを見つめていた。
青樺「真弓、よく助かったな」
真弓「あっ、うん。爆発が起きたとき、たまたま近くに石炭が落ちていて、咄嗟に口元に当てたの」
青樺「まぁ良い石炭は脱臭性能も高いだろうからね」
真弓「おかげで臭いを嗅ぎすぎずに済んだの。まぁ、少し眠っちゃったみたいだけど」
青樺「それでも無事でいられるなんてな」
天胡「石炭のポテンシャルが恐ろしいわ」
この石炭は後年、国際的に高く評価されるのだが、今はまだ、世界がそれに気づいていない。
長瀞駅にSLが停車してから三時間、ようやく運転再開となった。幸い、一人の死者を出すこともなく病院に運ばれた者もいなかった。布袋により盗まれた青樺の財布も無事に戻ってきた。
予期せぬトラブルに見舞われることは多々あるが、それもまた旅の醍醐味ではなかろうか。
キャラリスト
【アガニマスター】
花袋魔朱麻呂(危険度★★☆☆☆)
…SLテロ事件の首謀者。人の理性の一部を崩壊させる能力を持つ。
竹子(危険度★★★★★ ※後世の報告)
…秩父市在住の女子小学生。観測用過次元領域に移動し全ての時間軸上から自分の存在を消せる能力を持つ。
【乗客】
薬袋恒義
…竿灯祭りに参加するために秩父を目指したが志半ばで諦めた乗客。花袋の能力を食らった後、竿灯祭りが秩父でやっていないことに絶望し、車窓から飛び降りた。
矢袋弥武郎
…SLテロ事件の直接的な実行犯。元はただのスリ常習犯だが、花袋の能力によって理性が壊れてしまい、テロに手を染めてしまった。
布袋慎一
…スリの常習犯。矢袋の弟子。花袋の陰謀とは無関係。




