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SLで事件は起きた③

 天胡には一つの疑問があった。


 天胡「あのー、失礼ですが、あなた……秩父に行きたそうな顔をしていませんね」


 薬袋「……⁉ わかるのか? 僕が秩父に全く興味がないこと、わかるにか?」


 天胡「何か、ずっと暇そうだったので」


 薬袋「暇っていうわけではないよ。外の景色は見ていたし」


 天胡「なぜ秩父に行くんですか?」


 薬袋「別に秩父なんて通過点でしかねえよ。僕はその後、特急で池袋に行く」


 天胡「なぜ秩父を楽しまない?」


 薬袋「うるせーっ! 人の勝手だろっ!」


 再び薬袋はブチ切れた。それに対して青樺と真弓。


 青樺「どうすればあいつは落ち着くんだろうな」


 真弓「そもそも、天胡も姉さんも、人に過干渉なんだよ」


 青樺「でも天胡、順調そうだぞ」


 そう。天胡は、薬袋の癇癪の原因について何か上手い具合に聞き出せていた。


 天胡「徹夜以外にイラついている理由があるはずです。さぁ、言ってください」


 薬袋「ぼっ……僕は…………、僕はぁ、祭りを楽しみたいだけなんだよぉォォォォォッ!」


 天胡「…………それだけ?」


 薬袋「そうだよ!」


 竹子「秩父にはお祭りありますけど、毎年十二月開催ですよ」


 天胡「だってさ。来る次期が違ったね」


 薬袋「そうじゃねえ。僕は竿燈(かんとう)祭りを見たくて関東に来たんだよっ! でも知らなかったんだ。竿燈祭りは関東じゃなくて、秋田の祭りだってことを」


 薬袋は、通路を挟んだ反対側の席に駆け寄り、


 薬袋「どうしてくれるんだよっ!」


 真弓「知らねえよっ! 調べてないのが悪いでしょっ!」


 薬袋「じゃあ贅沢は言わねえ。ねぶた祭りで我慢する」


 真弓「それ青森」


 薬袋「はっ⁉ ねぶた祭りって秩父でやってないの?」


 真弓「やってるわけないでしょっ!」


 天胡「祭りを貸し出しサービスか何かと勘違いしてるでしょ」


 青樺「こいつ。頭、御花畑かっ!」


 薬袋「えっ⁉ ……じゃあ、僕がここに来た意味って……」


 車内に気まずい沈黙が流れる。薬袋の心はやるせない気持ちでいっぱいだ。


 青樺「あのさー、わたしは妹たちや友達と接することが楽しいから、毎日生きてるんだけど、お前は祭り以外に生きる動機はないのか?」


 薬袋「ないよっ!」


 青樺「それじゃあ話進まんのだが」


 天胡「人情話の主人公をするのに、青樺姉じゃ荷が重い、ってことよ」


 青樺「ひどい。真弓も何か言ってあげてよ」


 真弓「うんん……。昔の私だったら助けていたかもしれない。今は…………」


 薬袋「黙るんじゃねえっ。本当にふざけた姉妹だぜ」


 真弓「あなたが一番ふざけているよ」


 薬袋「わかっているさ。もうここまで暴れてしまった以上、後の祭りなんだよっ! クソー、壊してやる。この椅子を一個壊してやる」


 青樺「数万円しか損害出ないよ」


 真弓「そういう問題じゃなくない?」


 薬袋「じゃあもっとデカいものだ。沖ノ鳥島をぶっ壊してやる」


 青樺「損害が大きすぎる」


 天胡「そもそも、どうやってそこまで行くつもりだよ」


 薬袋「うるせーなぁ。じゃあもう死んでやるよ。今、この窓から飛び降りてみたら、死ぬかもしれないだろ」


 薬袋は唇を震わせながら、開いた窓の枠に足をかけると、


 薬袋「じゃあな、秩父市民」


 真弓「違うけど」


 薬袋「来世では、秩父の七夕を見せてくれよ」


 と言って、薬袋が優雅に飛んだ途端、SLは長瀞駅に停車した。彼はホームで転んだ。


 車掌「えー、窓からの飛び降りは危険です。おやめください」


 乾いたアナウンスが響いた。


 真弓「なんかもう見ていられないんだけど」


 天胡「こうなったら、私がなんとかするしかないな」


 青樺「こりゃあ期待だな」


 真弓「全然期待できないのは私だけか?」


 先程の薬袋の暴徒化により、SLは約二十分遅延をすることになった。

 それを利用して柏姉妹は、薬袋を連れて長瀞駅を一度出た。


 ◇


 真弓「どこに行くのよ?」


 天胡「サイゼ◯ヤ的な店を探しているの」


 真弓「こんな一面山景色の田舎にあるとは思えないんだけど」


 と言った矢先、天胡の目的に合う店が運よく、駅前の道路を挟んだ向かい側にあった。


 天胡「波久(なみひさ)食堂だって」


 真弓「微塵もサイゼ◯ヤ感ないよ」


 四人は入店するや否や、すぐにお座敷に座り、店のおすすめっぽいメニューを、後先考えずたくさん注文した。


 青樺「お冷はセルフサービスだって。取ってくるよ。筋トレにもなるし」


 天胡「優しい! 今日一番優しい!」


 真弓「…………」


 薬袋「……あのー、本当に何がしたいの?」


 天胡「今、正午前でしょ。お腹が空く時間じゃん。さっきも全然食べていなかったじゃん、腐ったハンバーガーみたいなやつ」


 薬袋「腐ったハンバーガーだけど……。でも何でこんな、地域の憩いの場作りのために老後資金で始めた家族経営かつ趣味経営の香りがする店に寄るの?」


 天胡「そんなの気分よ。文句があるなら店主の耳元で、『もっと観光客を意識して客層と内装を整えろ』って書けば?」


 薬袋「書くの? 言うんじゃなくて? 耳元で書くの? てっきり言うと思ってた」


 店主「はい、角煮お待ちッ」


 文句を言う隙もないほど早く注文の品ができあがった。豚の角煮。それが二人前。

 薬袋は開いた口が塞がらなくなった。


 青樺「天胡、食べさせてあげたら。口開きっ放しだし」


 天胡「嫌だよ。自発的に食べてもらわないと」


 薬袋「……あのさぁ。お前がしたいことって、ねぶた祭りじゃねえよな?」


 天胡「当たり前だろ」


 薬袋「だけどこれじゃあ、煮豚(にぶた)祭りじゃねえか」


 天胡「最初からこれをしようと思っていたんだが、気に入らないか?」


 薬袋「当たり前だっ! ただの食事じゃねえかっ!」


 真弓「……私、ちょっとSLに戻るね」


 天胡「どうした? 食い逃げ?」


 真弓「違うよっ! そもそも食べていない。財布は置いて行くからさ、支払いは私のでいいよ」


 そう言って真弓は店を出て行った。


 青樺「ありがとう。もう真弓が長女だったら良かったのに。ほら、薬袋(お前)も勿体ぶってないで食いなよ。この角煮、むちゃくちゃ美味いぞ」


 天胡「私は食べるぞ。いただきます。……美味しいね、これ」


 薬袋は多少困惑しながらも、真弓の財布に甘えて煮豚を食べた。

 口に入れた瞬間、肉の繊維一本一本に沁み込んだ甘辛いタレがはじけ出し、豚のうま味と共に舌に訴えかける。歯でほんのちょっと噛んだだけでホロホロに崩れる。肉を飲み込み、胃に落ちると同時に、薬袋も幸福に堕ちた。

 食べ進めるうちに、肉を運ぶ手が止まった。途端に泣き出した。


 薬袋「何で涙が止まらないんだろう…(ウルウル)…。初めてだよ、食事中に……」


 青樺「泣くほど美味いものに出会えたら、そりゃあ泣きたくもなるよな」


 天胡「私も泣いていいかな?」


 青樺「みっともないからやめろ。わたしが泣きにくくなるだろ」


 天胡「知らんよ、そんな事情」


 ◇


 一方その頃、真弓は長瀞駅に戻り、急いでSLに乗車した。しかし、そこで彼女が目にしたのは、思いがけない光景だった。

 白い靄がかかり、酷い腐卵臭が漂う鉄箱の中では、乗客はガラクタのように動きを止めていた。


 真弓はハンカチで口元を押さえると、慎重に車内を歩いて行く。

 彼女は背中に汗をかいていた。人災であることは明らかなのに、動く者の気配を一切感じていなかった。


 すると、三号車と四号車の連結部、そこの扉から一人の男が現れ、真弓と鉢合わせになった。


 真弓「⁉」


 男「……キサマァ、今になって戻って来るか。当分来ないもんだと思っていたぜ……」


 真弓「みんなで食事に行ったんだけど、異変に気付いたのよ。私の姉はいつもズボンの後ろポケットに財布を入れているんだけど、さっきお冷を持って来るときは何も入っていなかった。ということは、どこかで盗まれたのよ。それもSLに乗車して以降にね。じゃあいつ盗まれたのか? 考えられるタイミングは一つしかない。乗車してすぐ、痴漢をされたときよ」


 男「ほぉー、それで?」


 真弓「お尻側の財布を盗めるのは、お尻触った人だけ、そんな人、一人しかいない」


 男「フッフッフッフッフッ……。ハッハッハッハッハッ……。痴漢ではなくスリをしたかった、か。正解だ。よくわかったな」


 真弓「姉の尊厳だけではなく、財布も奪うなんて許せないわ。目の前のあんたが、そのスリをした奴()()()()()()()()


 男「フフフッ。布袋は俺の弟子だ。あいつには伝えてやるよ。女がブチ切れてたぞ、って」


 真弓「しかしだ。この車内の惨状は別問題よ。まさか、あんたが乗客の命を……」


 男「安心しなくてもいい。あまりの臭さに嗅いだ人間は眠ってしまっているだけだ」


 真弓「眠らせるだけ眠らせて、その後はどうするのよ」


 男「決まっているだろう。乗客を一人一人あぶり出し、目的の女を探す。ついでに石炭をいただく」


 真弓「じゃあ石炭買えよっ!」


 男「お前は何もわかっちゃいないっ! このSLで使っている石炭はな、かなり良い石炭なんだ」


 真弓「わかってるよっ!」


 男「なら……、話しは早いな……。SLの主導権さえ握れれば……、野望は……達成……さ…………」


 真弓「自分の放ったガスで眠るなっ!」


 男「まっ、まずい。もうそろそろ……、限界だ」


 真弓「何してんの?」


 男「最後に……、最後に、君の……、君の名前を聞かせてくれ……」


 真弓「言いたくないんですけど」


 男「早くっ! 教えてくれっ! 俺の意識が落ちる前にっ!」


 真弓「チベット・シュルムベルクです」


 男「ありがとう。良い名前だ。よく、ここまで……俺を追い詰めたな」


 真弓「何もしてないけどっ⁉」


 男「だがなっ! 俺がただで終わると思うなよっ!」


 と言うと、男は懐から携帯カイロサイズの催眠ガス封入爆弾を十個同時に起爆させ、真弓を道連れにしようとした。


 真弓「⁉」

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