第三話 共にいる約束
「生き返ったぁ…! 身体の隅々まで栄養が行き渡っていくのが実感できるよ…」
「大げさな…いや、そこまで大げさでもない…?」
予想の斜め上の角度から明かされた真相ではあったが、あの言葉が嘘とも思えなかった日依はひとまずの対策として現在進行形で空腹を感じていたらしい佳澄に食料を提供した。
渡した物のラインナップとしては普通の食パンに出来合いのサラダであったり、他には調理することが前提の食材しかなかったので提供できたのはそんなものしかないが…それでも佳澄には充分すぎた様子。
彼女の話を信じるのなら朝から何一つとして口にしていなかったのだろうし、それならばかき込むように食べ物を口に運んでいたのも納得だ。
今となってはようやくありつけた食事に満足したのか、やっと満たされたお腹を軽く息を吐きながら撫でていた。
「ていうか、ふと思ったんだけれども…小野寺さん。お財布が無かったなら家に帰って取ってくればよかったんじゃないの? そもそもお家に帰って夜ご飯くらい食べれば倒れることも無かったと思うんだけど…どうしてあそこで彷徨っていたの?」
「……あー、そのことね」
…と、そこで場が一段落したと思われた時。
佳澄が心底感謝するような言葉を返してきたので日依もそのタイミングを見計らい、彼女をここに招いた段階から抱えていた疑問をぶつけてみた。
そう、考えてみれば少しおかしいのだ。
前提として佳澄は極度の空腹によってあの道端に倒れ伏していたとのことだったが、普通はそんなことになるなどあり得ない。
何故なら普通の高校生なら学校が終われば自宅への帰路に着き、そうでなくともそれに近しい場所で夕食を食べるのが当たり前なのだ。
いくら彼女が財布を忘れてきてしまったと言っても、それならば被害はせいぜいが昼食を抜きになってしまうくらいなもので夕食にまでありつけず外を彷徨うというのは些か不自然である。
何せ、財布が無いと言うのならそれは家に取りに戻れば良いだけの話なのだから。
こう疑問を覚えたからこそ日依も素直な考えをぶつけたわけだが、それに対する彼女のリアクションは…どことなく、居心地が悪そうなもの。
「……こう言うのもあれだけどね、私の家って母子家庭なんだ。それと家は…少しだけ居心地が悪くて、すぐに家に帰るのも気まずくていつもは外が暗くなるまで適当にあちこちを歩いてから帰ってるんだよ」
「………そう、だったの?」
「うん。…何だか変な空気にしちゃったね。でも気にしないで? 別にお金に不自由はしてないし、私にとってはもう慣れっこだからさ」
……彼女はそう言って、口を閉じた。
その言葉に日依は自分で聞いておきながら、どう返事をしたらよいのか分からなかった。
今までまともに関わってきた経験も会話をしたことも無かったのだから至極当然ではあるが、佳澄が母子家庭であったなど初耳だった。
これまでそのような素振りを見せたことなど無かった上に、一人で過ごす時間が大半な彼女の事情など知る由も無かったのだから。
しかし張本人はそれを気にした雰囲気もなく、もう慣れているという発言もきっと虚勢ではないはずだ。
どちらかと言えば今の暴露を聞いて気まずそうに狼狽えてしまった日依の反応に、申し訳なく思っているかのような感情を見せていた。
「とまぁそんなわけだから、さっきまでご飯も食べれずお腹の空き具合も限界で…ちょうどよく旗倉さんに拾ってもらえたってわけ。本当助かったよ!」
「それは…良かったですけども。これくらいで手助けになれたなら…」
「謙遜しなくてもいいよ。貰った分はちゃんとお返しするし…あっ、食べた分のお金もしっかり払うからさ」
「それくらい大丈夫だよ。そんなことより…これから、というか明日から小野寺さんはどうするつもりなの?」
「ん?」
思っていたよりも重めな家庭事情が語られてきてしまったものの、だからと言って日依がそこにずけずけと踏み込むわけにはいかない。
他人にはその者達にしか分かりえない事情があるのだろうし、その領域に部外者に過ぎない日依が分かったような顔をして入り込むのはあまりにも失礼だ。
ゆえに彼女が気にするべき点があるとするなら、もっと他の箇所……佳澄個人が抱えている問題に限られる。
「そうだねぇ…まぁ明日からはいつも通り、適当に外で過ごすよ。今日みたいなうっかりミスさえしなければ時間の潰し方なんていくらでもやりようはあるからさ」
「…そ、っか」
本来なら何の関係も無かったはずの二人。
しかしこうして曲がりなりにも繋がりを持ってしまった以上、並々ならぬ事情を抱えていると知ってしまえば…日依はどうも見捨てることが出来ない。
生来のお人好し気味な性格がここに来て発揮されてしまい、目の前の少女をこのまま彷徨い歩いていた外に帰してしまうのは…気が引けてしまった。
もちろん彼女が何かをする必要など皆無だ。
ここで佳澄を取り巻く環境、ただならぬ空気の重さを感じ取らせる事情に口を挟むなどそちらの方が余程愚かな選択肢だと言われることだろう。
ただ、それでも………。
…少なくとも日依は、仮にもクラスメイトという接点のある相手をここで見捨てるような言動を取ることを良しとは出来なかった。
だからこそ、とっさに口をついて出てきてしまった言葉。あるいは提案とも捉えられるこんな発言をしてしまったのかもしれない。
「──だったらさ、小野寺さんさえ良ければあたしの家を使うっていうのはどう?」
「…え? 旗倉さんのお家を…?」
正直、自身でも何を言っているんだろうと思うところはあった。
しかし一方でそれはそうだろうと納得もしてしまう。
何せ、彼女に出来ることは既にし尽くしたのだからこのまま場も解散の流れに移っていくだろうと思われたところで…不意にそのようなことを申し出されたのだから。
誰であろうと困惑するのは至極当然のことであって、相手が常日頃から他者を近づけさせないクールな雰囲気を全開にしている佳澄であろうと例外ではない。
むしろそんな彼女だからこそ呆けたような表情がとても新鮮なくらいで、その綺麗な瞳を丸くして驚きを露わにする様子は記録に残しておきたいなんて考えてしまう程度には貴重な感情の発露だった。
だが日依とて、この時間を和ませるための冗談やジョークとしてこんなことを言ったわけでは無い。
「うん。もう無いとは思いたいけど、もしかしたら今日みたいなトラブルがまたあるかもだし…そういう時に小野寺さんが休める場所があったら便利でしょ? だから…そう! 意味合い的にはいざって時の避難先と思ってくれればいいから!」
「そりゃ私としては嬉しいし、メリットしかないけど…いいの? 自分で言うのも何だけど、自分の家に他人が上がるのって結構鬱陶しいと思うよ」
「まぁ、そうかもだけどね…でもあたしも、小野寺さんがあんな風に倒れてるのはもう見たくないからさ。もちろん無理強いはしないよ。どう?」
「う~ん……」
これでも彼女なりに考えた末に出した結論でもある。
佳澄の言う通り、自分の家という一種のプライベートな場所にクラスメイトを…それも特別親しいわけでも無く、単なる同級生というくらいしか縁のない相手を滞在させるとなると相応の問題が生まれてくるのも事実だろう。
しかしそれでも日依が今更身を引くことは無い。
少しでもこちら側が迷う素振りを見せてしまえばあちらが遠慮してしまうのは分かり切っているので、出来ることなら本心で答えを聞かせてほしいと思いつつ返答を待つ。
すると、しばしの長考の後に返されてきたのは……ほんの少しだけ申し訳なさそうにしながらも、こう願い出てくる。
「じゃあ…旗倉さんには迷惑かけちゃうかもだけど、放課後は少しだけここで過ごさせてもらってもいいかな?」
「…もちろん。あたしもずっと一人でいると寂しいし、小野寺さんも遠慮せずにこの家を使ってくれて構わないからね」
「あっはは…それならお言葉に甘えさせてもらうよ」
苦笑しながらも佳澄が返してきた旨は了承の意を示すものであって、それはこれ以上なく明確にこれからの時間を日依と過ごすことになるという事実を確かにしていた。
全くもってどうしてこうなったのか、誘った張本人である日依でさえ分かるところではないが…まぁ仕方がない。
あのような場面を見せられてしまえば放っておく選択肢など無かったのだから、遅かれ早かれ自分なら似たような答えを出していただろうと納得させて…目の前の少女との、新たな繋がりを少しずつ実感し始めていた。
 




