第三六話 大切な人だからこそ
「──…と、いうわけでして……うぅん、今思い返してみてもメチャクチャ恥ずかしい…何言ってるんだあたし…」
「…………な、なるほど…」
佳澄から尋ねられたために延々と語ってきた事の裏話ではあったが、日依としても今思い返してみるとどれだけ自分が無茶苦茶なことをしていたのか改めて思い知らされる。
あの時は必死だったからと言えば一応の理由にはなるとしても、しかしながらもう少しやりようはあっただろうと考えずにはいられない。
特に、菫に対して佳澄を大切な人だなどと宣言するとは何を考えているのか──彼女の母親に対してよく恥ずかしげもなく言えたものだと思う。
実際、今となってはその時の記憶を振り返ってしまったことで顔から火が出てしまいそうなほどの羞恥心に襲われている始末だ。
「でもまぁ…大体は分かったよ。日依はずっと、最初から最後まで私のために動いてくれてたってことだよね」
「……そうなり、ます。一応は…はい」
「ふふ…どうしたの? そんなに必死に顔を背けちゃってさ」
「気にしないでください……今、自分の中の無計画なくせに出しゃばったことを猛省している最中なので…」
が、そんな羞恥心を刺激されている真っただ中であれど彼女の状態など知らないと言うかのように、あちらはあちらで大まかな経緯を聞き入っていた佳澄から再度確認をされる。
…再び改まって指摘されるとものすごく恥ずかしいのだが、しかし事実であるため日依も肯定しないわけにはいかない。
佳澄のために、全てはそのために日依も真剣に行動していたのかと問われて更に頬へと熱が集まっていくのも実感するも…そこは何一つとして間違ってはいないのだから。
よってそこをしどろもどろにはなりながらも頷き返せば、佳澄は口元の笑みをより深めて彼女に語り掛ける。
「そっかそっかぁ…だけどそんなに恥ずかしがらなくてもいいんだよ? さっきからずっと言ってるかもだけど、私は本当に日依には感謝しかないんだからさ」
「佳澄さんからそう言ってもらえるのは…嬉しいですけども。ただあたしも大したことをしたわけじゃないですし、せいぜいキッカケを作っただけなので──むぐっ!?」
「──違うよ、日依。大したことないなんて絶対に違う」
「……か、佳澄さん?」
にこやかな笑みを浮かべ、先ほどから何度も伝えられているというのにそれでも満足した様子もなく続けて彼女に感謝を述べ続ける佳澄。
しかし日依は日依で遠慮でも謙遜でも無しに、本当に自分は大層なことをしていないと思っているためにそんな何度も感謝を言われるような立場ではないと言う。
こうも事態が丸く収まったのは何から何まで、ひとえに佳澄が勇気を出して菫と向き合おうと心に決めたからだ。
断じてそれは日依の手柄などではないし、自分がここまで行動したから救えたなんて傲慢な振る舞いをできるほど彼女はうぬぼれていない。
あくまでも日依は二人が話すための切り口をどうにかして見出せた程度の功績を持てたくらいであって、彼女自身が凄いなんてことは全くないのだから。
──それでも、佳澄はそう思わなかった。
日依の言葉を聞いて何を思ったのか、それまでは心の底からの笑顔を浮かべていた彼女の表情はいつの間にか変わっていて、真剣そのものな面持ちとなり日依を自身の胸に力強く抱きしめる。
彼女の形の良い胸にダイブする結果となった日依は半ば不意打ち気味だったことも相まって抵抗できず、いきなり呼吸を塞き止められて急な流れに困惑しつつも…真っ先に抱き留めてきた佳澄へと疑問符をぶつけた。
されどそうしても、返されてくるのは変わらず真剣な声色である。
「確かに日依がしてくれたのは、客観的に見たら最初のキッカケを作ってくれただけなのかもしれない。…でもね、私はそんな風に絶対思わないから」
「どういうことでしょう…」
「…たとえ日依がそう思っているんだとしても、私からすれば日依がいてくれなかったらママとまたこうやって話すことなんて出来なかった。日依がいてくれたからこそ、こうして勇気を出して話せたんだよ……こう言えば分かる?」
「……あたしを買い被りすぎだよ、佳澄さんは。でも、まぁ……それなら分からなくはない、かも」
一つ言葉を零すたびに、佳澄が醸し出す真剣度合いは増していくようにも思える。
日頃は冗談めいた言動の多い彼女が今に限ってはここまで真摯に本心を伝えてくれているのだ。
…流石にそこまで言われてしまうとさしもの日依であっても彼女の想いは伝わるもので、過大評価をされてしまったものだとの考えは消えないがひとまず佳澄の言葉は受け止めることとした。
ただその一方で、日依は内心で少し悲しいと思ってしまう自分の心を──意図的に抑えつけて。
「でしょ? …だから、さ。何度でもお礼は言わせてほしいんだよ。またママと話せる時間を作ってくれて──ありがとう、日依」
「どういたしまして…って、まだここからどうなるかは分からないんだから、佳澄さんはそっちに集中してよ。今日だけじゃなくて、二人とも仲良くできた時が本当の解決になるんだからさ」
「それはもちろん。すぐには難しいかもしれないけど…少しずつでも、前みたいにママと家でも会話が出来るように頑張っていくよ」
「………うん、そうしてくれたらあたしも嬉しい」
なるべく平時と同じ態度を保つように努めた日依は自然な様子で振る舞って佳澄へと語り掛けるも、そうしてもたらされる返事にもはや憂いはなし。
長い時間の中で出来てしまった絶妙な距離の隙間をすぐに埋めることは難しいだろうが、だとしても今の彼女らであれば心配だって不要だ。
きっとこの先、佳澄と菫はどれだけ時間がかかることになったとしてもいつかは元通りの仲が良かった親子の関係に戻って行く。
数日か、数か月か、あるいは…数年後か。
どれほどの歳月を要するのかは本人たちでさえ分かることではなくとも、一度お互いの疑いようもない本心を確かめ合った二人なら必ずそこまで戻ることが出来る。
すぐ傍でその過程を見守っていた日依はそのことを誰よりも理解している。
だから佳澄が菫と少しずつであろうと関わりを増やしていくつもりならそれを止めることなどあり得ないし、むしろ歓迎するのは当たり前。
その想いに嘘偽りは皆無であり、間違いなく本心から日依も彼女のこれからを応援していた。
たとえ、今日限りで佳澄との繋がりが途絶える結果になろうとも──ようやく手にすることが出来た彼女の幸福を奪ってはいけないから。
ゆえに日依も心の奥底で自覚しかけた本音だけはグッと押し殺し、曇りなき笑顔で佳澄を送り出すためにも……最後にこう言ったのだ。
「佳澄さん、頑張ってね。菫さんとすれ違うことが無いようにあたしも祈ってるから…家族との時間は大切にしてよ」
「分かってるって。…あぁもう、こんなこと言ってくれるから日依はねぇ──…」
それは日依なりの餞別。
今まで一人でも大丈夫だと自身に言い聞かせて、それでもどこかで無意識に家族を求め続けていた少女がやっとの思いで手にした幸福をもう手放さないようにと伝えて…その日は、この後に何度か談笑を交わしてそのまま別れることとなった。
別れ際にも呆れるくらいに感謝を伝え続ける佳澄を窘めつつも、自分の家に戻るための帰路に着いた日依の胸中には──もう関わることは無いだろう彼女との思い出が微かによぎり続けたまま。




