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フードを外した彼女が気の済むまで私を堕としに来た  作者: 進道 拓真


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第三二話 雪解け


 正直な話、佳澄からすればこうして母と電話越しに話せる機会がやってくるとは思ってもみなかった。

 そもそもの前提を語ってしまえば菫という人物は一つの会社を経営する立場にある以上必然的にスケジュールも多忙なはずで、娘といえど電話に出るだけの時間も無いだろうと思っていたから。


 ゆえに今日この時まで、自宅で顔を合わせる以外には積極的にコミュニケーションを取ることもなく…向こうもこちらには無関心なのだから、いちいち期待したところで無意味だと自分に言い聞かせてきた。

 …しかしながら、そう考えていたがゆえに佳澄にとってこの瞬間は驚きも同時に味わわされる。


 日依から差し出されてきた電話とはいえ、あの母が自分と話すためにわざわざ時間を割くなど思いもしていなかったために。

 そして何より、これから尋ねようと思っている事項を頭の中で浮かび上がらせかけて…震えかける身体は強制的に鎮めさせた。


(……大丈夫、日依が言ってくれたんだ。もしこれで駄目だったとしても、私はもう一人じゃない。だったら──全部聞くんだ、ここで)


 今まで、菫と佳澄の関係性はお世辞にも良好だと言えるものではなかった。

 現在も隣で見守ってくれている日依はそれを仲が悪いわけでは無いと言ってくれたが、やはり佳澄の視点ではどうしてもそう捉えられない。


 母は自分に対する興味を失っていて、それは日常生活の態度からも明らか。

 それでもこうして菫との通話に応じることを決めたのは──これまた日依が口にしていた、()()()()とやらを聞いておきたかったからだ。


 具体的な内容が何なのかは全く知らないし、知る由もない。

 けれどその中身が良いものであろうと悪いものであろうと、佳澄はこの現状に一度しっかりと結論を出しておきたかったのだ。


 それがこうまでして佳澄のことを真剣に考えてくれた日依に対する礼儀であると思ったことと、同時にこれ以上は半端な態度を貫く方が辛いだろうと悟ったからこそ。


 結果がどうあれ、自分の気持ちに区切りをつけるためにもこうしておきたいと思った。

 よって、この場で得られた結末が悪いものであった時には…一度盛大にショックを受けた後で、盛大に涙を流して少しずつその事実を受け入れよう。

 時間はかかるかもしれないが、そうなったらもうどうしようも無いのだから潔く現実を受け止めるよう努力していく。


 ──ただ、万が一。いや億が一でも。

 ありえない理想論だというのは重々理解しているし、都合のいい妄想なんてことも嫌という程分かっていること。


 だとしても、仮に母から返ってきた答えが佳澄の想定する理想通りであったのなら…その時は。

 …まだ、佳澄自身もどう対処したら良いかなんて分かったことでさえ無い。


 どちらにせよ、未来の事ばかり杞憂して行動を起こせないのでは意味がないのだから、とにかく今は現在のこと。

 目の前に立ちはだかっている母との会話に集中する。


「うん、なんか久しぶり…だね。こうやって話すのもさ…」

『…えぇ、そうね。旗倉さんに言われていたから出たけれど、まさか佳澄が出るとは思っていなかったから驚いたわ』

「そう、だよね…」


 しかしいくら内心で覚悟を固めることが出来たとしても、実際に会話を重ねるとなるとぎこちない面はどうしても表に出てきてしまう。

 今日まで必要以上の会話は避けてきた菫と、自分から何かを話しかけるというのは彼女が予想していた以上に緊張感をもたらしていた。


 …だとしても、もうそれを理由に逃げることを彼女は選択しない。


『それで? 私に何か話したいことがあると窺っていたのだけど…もしかして、それは佳澄のことだったのかしら』

「…そうだよ、私からママに──一つだけ、聞きたいことがあるの」

『……何かしら?』

「………ふぅ…あのね」


 変わらぬ口調や声のボリュームからでは、向こうが何を考えているかなんて予想することすら出来やしない。

 だったらそれは細かく考えるだけ無駄なのだから…いっそのこと自分の用事だけを押し付けてしまった方が話も早く進む。


 そう判断し、佳澄は一息軽く呼吸を整え直すと──長い間、抱え続けていた禍根。

 彼女の中で根を張り巡らせていたトラウマへと切り込みを入れるように、思い切りよく問いをぶつけていった。


「ママにとってさ、私は──どんな存在なの?」

『………』


 …聞いた、聞いてしまった。


 今まで表面上は何てことも無いように振る舞いながらも、その実内心では誰よりも気にしていた真実を。

 返答次第では取り返しのつかない事態になることなど百も承知でありながら…されど。


 実際に言葉にしてしまった以上、既に取り消すことなど不可能であるし佳澄にもそうするつもりは微塵も無かった。

 ここで退いたところでまた悩み苦しむだけの時間が延長されるだけで、何一つ解決する兆しなんて皆無なのだから。


 それに、こう問いかけたところで返ってくるのは十中八九『興味など無い』という旨の言葉であるだろうし、事前にそう分かっているなら受けるショックは少なからず和らげられる。

 だからこれはどんな形をしていようとも、言ってしまえば自分の気持ちに区切りをつけるための作業に近い。


 返されてくる答えなど分かり切っていて、佳澄が己の感情を清算するだけの問答が繰り広げられるものだとばかり思っていた。

 …ゆえにこそ、彼女は夢にも思っていなかったのだ。


 まさか、携帯の向こう側からもたらされる言葉が……一番最初にあり得ないと切り捨てていた可能性そのものだなんてことは。

 自分の母親が、菫が佳澄のことを()()()どう思っていたかなどということは──考えもしていなかった。


 ……そのために、彼女は静かに響いてきた声に心底驚かされることとなる。


『そう、それを聞きたかったのね…そんなこと決まっているでしょう』

「…っ、だ、だよね。分かり切ってることだけどさ…でも一回は、ちゃんと聞いておきたくて──」

『佳澄は私にとって──誰よりも()()()()()()よ。それ以外なんて無いわ』

「……………へっ?」


 一瞬、最初に放たれてきた一言目は先刻と何ら変わらぬ冷たく抑揚も感じられない声。

 その声色のままに、回答など決まり切っていると告げられた佳澄はやはり駄目だったのかと唇を強く噛み締め……直後。


 感情の揺らぎも抑揚も、何一つ変化などしていないのに淡々と語られてきた返事は、耳に聞こえてくる態度から感じ取れる情報とは真逆と言ってもいいほど想定外。

 しかしそれが至極当然であると断言するように語ってきた菫の発言も嘘だとは言い切れず、一方で信じられないと訴えてくる佳澄の理性が震える声ではありつつも…何とか再度確認をしようとする。


「ま、ママ? 今、私のことが大切って……う、嘘だよね?」

『……そこで嘘をつく親がどこにいるの。自分の子供なんだから、可愛いと思うことは普通でしょう』

「…っ!!」


 ただ、何度確認を重ねようと返ってくる答えは現実味を全く感じなかった先ほどと寸分も違わないもので。

 それでも未だ信じられないと頭の片隅で叫んでくる思考に対し、ハッキリと耳まで届いてくる母の声だけが……何よりも明確に真実を証明していた。



 ──ずっと、分かり合うことなど出来ないと思っていた。


 母は自分のことに関心など抱くことも無くて、唯一の家族であるはずなのに他人行儀に過ごしてしまう距離感は…いつか縮めることが出来るだろうと根拠もない期待を無意味に持ち続けて。

 いつしかそんな希望さえも忘れてしまい、この状況にも慣れたから大丈夫だなどと思いこませていた佳澄の諦観した姿勢は、しかしながら。


 …結局彼女はどこまで行こうと母との時間を欲しがっていた寂しがり屋の子供でしかなく、それでも手に入るわけがないのだからやっと諦めようと決心した矢先に()()は──ズルい。


 もう、二度と戻ることは無いと考えていた家族の時間。

 夢見るだけだった母と親し気に過ごす空間を求めて、諦めて…また期待してしまって。


 菫が佳澄のことをどう思っているのか。考えてみれば解決するための方法なんて単純極まりなかった。

 何年も、長い年月を自分は嫌われているからと言い聞かせてあれこれと理由をつけてなんていないで…直接尋ねてしまえばそれで全ては丸く収まっていただろうに。

 いつの間にか、佳澄自身が菫との間に決定的な溝を作ることを恐れて踏み込もうとしてこなかったからこそ、ここまでの時間がかかってしまったのだ。


 ……きっと、今日に至るまでの二人のぎこちなさが消えることはこれより先もない。

 長く蓄積されてきた時の間に積み上げられてきた環境と関係性は、そう簡単に変えられるものでもないのだから。


 だけど…そうだとしても。

 今この時、たった一つ確かなことがあるとするなら………。


 ──菫はずっと、佳澄のことを()()()()()()()()()()()()()()という疑いようもない真実だったんだろう。


 それを自覚した瞬間、佳澄はまたもや自分が意図していない内にその瞳から涙を零して。

 …だが、胸の内に溢れる感情は断じて不快なものではない


「そ、っか……そう、だったんだね…!」

『……佳澄? あなた、もしかして泣いているの? 体調が悪いならすぐに言いなさいよ』

「…違う、よ。…ううん、これは……嬉しいだけ、だから…ッ!」


 心のどこかで、待ち望み続けていた瞬間。

 ようやく訪れた、母の本心を聞くことが出来た佳澄の胸中に溢れた感情は──紛れもない喜びと安堵。

 そして、二人の関係の雪解けだったに違いない。


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