第一五話 名前を付けるとするなら
「──ねぇねぇ、ふと思っただけど私たちの関係ってなんて呼べばいいものなのかな」
「…急にどうしたの。話題がいきなりすぎるよ」
ふとした拍子から佳澄の思いがけない家庭環境というものを知ってしまい、日依も少なからず彼女に対する印象に変化は生まれた。
…が、肝心の本人はあれだけのことを語っても尚こちらと接する際のテンションに変化は全くと言っていいほど無い。
佳澄の母親に関連した話をする前と後で何ら変わらない様子を維持していることから、本当に彼女の中でこの件はあまり気にすることでも無いと認識されているのだろう。
だったら日依が過剰に不安がるリアクションを表出させたところで意味はない。
何かしらの形で力になれるのであればまた話は変わってくるかもしれないが、結局どれだけ心配しても日依は一介の女子高生に過ぎないのだ。
まだまだ一人で出来ることなど限られており、立場としては自分だけで何かが出来ると考えていても実際のところは様々な場面で大人に守られているだけの子供である。
そんな身では手を伸ばせる範囲もたかが知れていて、それどころかこの状況を余計に悪化させてしまうだけの可能性すら考えられる。
であればこちらも無理に気にするのではなく佳澄の言う通り、あまり深刻に捉えずいつも通り過ごすのが良い……はずだ。
……どこか、心の奥底では釈然としない気持ちを抱えながらも日依はそう判断した。
少なくとも現状ではこれが最善であることは間違いないのだから。
なので今ばかりはそのことを意識から切り離し、ちょうどタイミングよく佳澄から振られてきた話題の方に思考を集中させることに。
ただ、その雑談の方も少しばかり首を捻るような内容であったが。
「いやさ、私もあまり気にはしてなかったんだけど冷静に考えたら私たちってかなり特殊な経緯を経て今こうしてるわけじゃん? それってどういう関係なのか気になっちゃってさ」
「どういうって……普通に友達なんじゃないの? というか今まであたしはそう思ってたんですが…」
「うぅん…私もそれが一番当てはまるかなと思ったんだけどね。でも改めて考えてみて欲しいんだけども、クラスでは話すことも少ないのに家に通いつめさせてもらってる関係は友達というには少しズレてない?」
「……言われてみれば、そう思えなくもないような。よく分からないけど」
二人の関係性。そう問われたところで日依は友人じゃないのかと即答するがどうやらその回答は少し違ったらしい。
確かに、冷静に指摘されてみると不自然な点は多々あるかもしれない。
これが純粋な友人であったなら即座に答えも出せたのだがあいにく彼女らの関係は純粋とは残念なことに言い切れないものであることも事実。
毎日放課後になる度に佳澄が自宅へと押し寄せ、そして日依もそれを当たり前のように受け入れて日々を過ごしている。
しかし一方で、そんな私生活と比べて学校だと二人の接点は見る影もなく消え失せる。
それは家で過ごしていることを万が一他の者に知られてしまえば余計な憶測を立てられかねないという理由もあるにはあるものの…その点を抜きにしても自宅と学校で互いの距離感には乖離がありすぎるのだ。
現状を客観的に見ても、場所を変えただけで接する態度を一変させる相手のことを友人と呼称して良いのかは微かに疑問を感じられる。
だからと言って赤の他人と呼ぶには既にある程度の関係が組み上げられてしまっているので…その辺りが判断の悩みどころなのだろう。
実際、日依も佳澄からそう言われて一瞬思考に耽ってしまった。
「どっちかというと私たちって利害が一致したから一緒に居る、みたいな表現が正しい気もするんだよ。…あ、もちろんそれだけが理由じゃなくて日依なら信用できると思えたからっていう理由もちゃんとあるからね?」
「…いちいち言わなくても分かってるから、気遣わなくても平気だよ。まぁ確かに、佳澄さんの言う事も頷けるところはあるね」
単純な友人でなければ、この関係性は一体何なのか。
知人や恋人。悪友や腐れ縁の相手等々。
自分以外の誰かとの繋がりを表す言葉は限りなく存在するも、そのどれとも日依と佳澄の距離感は一致していないように思える。
深く考えすぎだと言われてしまえばそれまでだ。
結局のところいくら悩んでもこれだという答えがすぐに出てこないのなら結果は変わらず、二人の関係は曖昧なまま進んでいく。
そもそもの前提からして、こうして関わり合うことすら奇跡に近い状況なのだから。
「それを言ったら佳澄さんがこうやってあたしの家に居てくれるのも、奇跡的なんだなぁって実感するよ。いやほんと、何も関わりなんて無かったのによくあたしの提案を受ける気になったよね…」
「うん? あー…そのことか」
「…?」
本来なら関わることも皆無だっただろう日依と佳澄に接点が生まれたのは、ひとえにあの日彼女と偶然巡り合うことがあったからこそ。
逆に言えばそれが無ければ今頃、かつてと全く変わらぬ距離感のまま高校卒業の時を迎えることになっていた可能性だって否定できない。
そう考えると人生何が起こるか分かったものではないが、そんな日依の言葉を聞いて佳澄が見せた反応は……どうしてか今の言葉に対して考えこむ様な素振り。
まるで日依の発言に引っ掛かることでもあったかのような挙動にこちらは疑問符を浮かべそうになるも、その内心を言語化するよりも先にあちらから反応が見られた。
「なーんかそっちとこっちで認識が行き違ってるなとは思ったよ。というか日依、まさか私が何の理由もなく日依の提案を受け入れたとでも考えてたの?」
「え、違うの?」
「ち・が・う。…ふぅ。普段は目ざとい方なのにこういう時に限って鈍くなるんだね、日依は」
「なんか馬鹿にされてる気分だ…」
呆れたような素振りを見せて言葉を返してきた佳澄の表情は気のせいか日依を軽んじるような視線をその奥に携えていた。
突然そんな目を向けられた意味も分からず、しかしそこはかとなく馬鹿にされていることは日依も察したので反論するも効果は見られず。
発言内容からして先ほどの、日依が口にした関わりも薄いままに佳澄が彼女の申し出を受け入れた云々という点について訂正があったのだろう。
ただそうなると、一体何が間違っていたのか皆目見当もつかない日依では彼女の言いたいことがいまいち掴み切れないので首を傾げることしか出来ない。
必死に絞り出した予想もあっさりと否定されてしまったことからもその流れは強固なものとなった。
「大前提、私も別に理由もなしに日依の誘いを受けたわけじゃないんだよ。理由はしっかりあるの」
「…その理由とは?」
「おや、聞きたい?」
「ここまで言って聞かせないのは流石に無しだよ…気になって夜も寝られなくなるのが目に見えてるもん」
「理屈が子供寄りなのは日依らしいね。うん、そういうのが可愛い」
「茶化さないでくれます?」
そうして明かされたのは佳澄曰く、あの夜に日依の誘いを受け入れたのは何とただの偶然でも気まぐれでもなく…明確な理由あってのことだと言う。
てっきり彼女の気まぐれか、完全な気分転換の一環であったのかと思い込んでいたがどうやらそうではないらしい。
佳澄直々に否定されてしまったため、少なくとも今はその言葉を信じるしかない。
……あと、会話の途中で日依のことを揶揄うような言葉を掛けてきていたがそれは軽く流した。
こんな場面に佳澄は何を言っているのか……いや、それ以前に可愛いなんて言葉を気安く投げかけないでほしい。
いくら同性とはいえ、佳澄はスタイルから容姿まで抜群に優れたものを持ち同じ女である日依でさえ気を抜けば見惚れそうになる魅力を秘めた美少女。
加えて、そんな彼女から日々誘惑紛いとも捉えられる『お礼』の数々を受けているので最近ではそういうことを言われると妙な意識が芽生えかけそうになるので困るのだ。
「はいはい。照れ屋さんなんだから全く……それなら言っちゃうけどさ、私も日依のことは前から変わってるなーとは思ってたんだよ」
「……前から? あの…この前の夜道以外で、あたしと佳澄さんが話したことなんて無かったよね?」
「うん、無いよ。だって私が勝手に思ってただけだし」
「…??」
が、それを乗り越えて会話に耳を傾けてももたらされる言葉はどことなく納得がいかない。
曰く、佳澄はあの夜以前から日依のことを気に掛けていたなんて言ってきたがそれは少々おかしい。
まず日依はあれよりも前の学校で佳澄とまともに関わった記憶など持っていないし、それ以外の場でも同様。
こんな奇妙な縁を結ぶまでは単なるクラスメイト以上の繋がりを持たなかった相手にどうしてそんなことを思っていたのかと大量のクエスチョンマークが浮かびかけて………。
──次の瞬間、日依自身も予想だにしていなかった彼女だけの秘密を暴かれたことで一気に心拍数が跳ねあがった。
「まぁ分かりやすく、端的にまとめるとね……日依ってばさ、時々授業とか休み時間の合間とかのタイミングに──私の方、ずっと見てたよね?」
「…はぃっ!?」
そこで告げられたのは、他の誰も知っているはずがない日依だけの秘密。
──…そして、否定のしようも誤魔化しようもないほどに確かな事実である。




