第一一話 火照る体温を感じて
「はあぁぁ…! 生き返っていく感じがするぅ…!」
日依が盛大に車から雨水を浴びせられてしまい、そのままいけば危うく体調を崩すところであったが佳澄の助言もあり現在は自宅の浴槽に身を沈めていた。
溜め込まれた湯の温度が冷え切っていた身体に心地よく浸透していき、あまりの悦楽に思わず唸り声まで出してしまうほどだ。
しかし逆に言えばそれほどまでにさっきの状態が凍え切っていたことの裏返しでもあるので、多少濡れたくらいなら大丈夫だろうと高をくくったままでいたら危うく本当に風邪でも引くところだった。
すぐに身体を温めた方が良いとアドバイスをくれた佳澄には感謝をしなければならない。
「…でもなぁ~……佳澄さんだって少しは濡れてたし、あたしが先にお風呂入っちゃって良かったのかな…? もしこれで佳澄さんの方が風邪を引いちゃったりしたら──マズくない?」
けれどもそうして心地良き時間を過ごす中で、やはり気になってしまうのは今この家にいるもう一人の存在。
今日の日依を助けてくれた張本人でもある佳澄のことだったが、日依の影に隠れていただけで彼女もそれなりに雨に濡れてしまってはいたのだ。
あまりにもこちら側が甚大な被害を食らっていたことから平気そうな面持ちで入浴を促してくれていたものの、もしあれが演技で内心は凍えた身を震わせていたりしたら…そう思うと居ても立っても居られない。
嫌な妄想ばかりが頭の中で膨らんでいってしまうが、しかしながらそれを危惧して慌てて風呂から出たところで佳澄は何故しっかり温まってこなかったのかと尋ねてくるだろう。
彼女はそういう人間であり、日頃の言動からは少し分かりづらいがこういった場面では日依の身をきちんと心配してくれる優しい性格を持っている。
…まぁ、それ以上に何を考えているか分からない面が多すぎるからこそ振り回されることも多いのだが。
「とりあえずあたしは、出来る限り早く身体を温めて上がろう…それで佳澄さんが了承してくれたら、お風呂に入ってもらう! それでいい、よね……?」
とにかく現時点で日依の出した結論としては、可能な限り短時間で自分の身体を温め直したらすぐにでも上がって佳澄に入浴してもらう。
もちろん向こうがそれを良いと言ってくれるならの話ではあるし、人によっては他人の家の風呂になど入りたくないという者もいるだろうから無理強いはしない。
それでも急ぐに越したことはないので早く身体も温まるようにと意識を集中させかけたところで──不意に壁と扉一枚を隔てた脱衣所の方から足音が聞こえてきた。
またそちらの方向から、聞き慣れた声も同時に響いてくる。
『──日依、今ちょっといい?』
「はぇ!? …か、佳澄さん。どうしたの?」
『そんなに驚かせるつもりは無かったんだけども…実は制服が濡れちゃったからそれを乾かしたくて、少し場所を借りてもいいかなって』
「あ…そういうことね」
浴場に備え付けられた曇りガラス付きのドアに映った人影から聞こえてきた声は、紛れもない佳澄のもの。
しかし何故彼女がここに居るのかという疑問、それと突然声を掛けられたことで発生した困惑が相まって奇声を上げかけたがよくよく聞いてみると大したことも無い。
事情を聞いた限りだとどうやら佳澄もやはり制服が濡れてしまっていたようで、それを乾かすための場所を貸してほしいとの旨である。
無論、その程度のことを断る理由など無い。
「いいよ。こっちのことは気にせずに好きな場所を使ってくれたらいいから…あたしの方も最初に言っておけばよかったよね」
『何言ってるの。日依は全身ずぶ濡れだったんだから、自分の身体を最優先にするのは当たり前でしょ? まぁそれなら適当に掛けておいて…っと』
(…うぅ、話してる内容は普通のはずなのに…あたしだけお風呂に入りながら佳澄さんと話すとか、なんか変な気分になってきそう…)
快く許可を出してしまえばあちらの問題も解決出来たようで、またしばしの間佳澄がどこかに行くように気配を遠ざけていったので日依一人の時間が訪れる。
そしてその中で思ったのは…どことなく浮かび上がってしまう背徳感。
向こうは間違いなく普通に話しかけに来てくれただけだというのに、日依の側だけが浴槽に入浴をしながら…端的に言ってしまえば裸のままで何気ないやり取りを交わしているという状況に妙な気分を感じてしまっていた。
……当たり前であるが、その気分は別に恋愛感情だとかそれに準じた情感などではない。
単に友人とこうして裸のまま会話を交わすというのがおかしなシチュエーションに思えてしまって不思議な気がするというだけである。
なので断じて彼女と声を交わしたから胸の高鳴りが早まっただとか、頬に集まる熱が一気に高まったなんてことはない。確実に。絶対的に。
──と、そこまで不毛な思考をグルグルと巡らせたことで日依はふと思い至った。
…気が付いてしまった。
(……あれ? そういえばさっき佳澄さんは制服を乾かすって言ってたけど、そうなると佳澄さんは…今着る服が無くない? もしかしてジャージを持ってて、それに着替えるとかかな…?)
おかしな方向に進みかけた思考を落ち着かせるためにも、口元を湯に沈めてブクブクと泡立たせていた日依の頭によぎった懸念。
それは考えてみれば至極当然のことだったが、先ほど聞いた話を反芻すると引っ掛かる点がいくつかある。
パッと思いついただけなので単なる思い過ごしで済む可能性はあるが、そうだとしても数十秒前に耳にした会話内容を顧みると佳澄は濡れた制服を干すと言っていたはず。
となると、彼女が今まで身に纏っていた制服を脱ぐという事であって…これも当然だがそうなると佳澄が他に着る服は無くなるはずなのだ。
他にジャージなり予備の衣類を持ち合わせているのなら何も問題はないが、もしもこの予想が合っていた場合………。
今、佳澄がどんな格好になっているのか……否。
どのように過ごしているのかと考えかけたところで──再び響いてきた声に意表を突かれる。
『日依。制服乾かすために場所貸してもらったから、ありがとうねー』
「ひゃいっ!? …は、はい。どうも…」
『あと、これは私の身勝手なんだけど一つ思いついたことがあってさ。入るね』
「はい………はい? え、ちょっ、待っ……」
「許可してくれてありがと。それじゃあ遠慮なく──…やっほー」
「………えぇ!? な、何で入ってきてるの!? というかいつの間に裸に!?」
扉越しに呼びかけてきたのはまたもや佳澄で、用件としては先ほどのやり取りで伝えられたことを完了したと報告するためだったのだろう。
ゆえにそう教えられるともう一度離れていくのかと思いきや……一言、どこか意味がおかしく思える言葉を告げられたかと思い思考を停止させていると悩む間もなくバスルームの扉が勢いよく開け放たれる。
そうしてそこに立っていたのは、どういうわけか──一糸纏わぬ、生まれたままの姿となった佳澄だった。
予想だにさえしていなかった彼女の乱入。
加えて、こんな展開を想定もしていなかったことが相まって日依はバッチリと佳澄の美しい肢体をその目に焼き付けてしまった。
私生活では服に隠されているのでまず見えることはない、確かな膨らみを持った胸部に艶めかしい色気を漂わせているようにも思える生足。
さらに言うのであれば、驚くべきことに佳澄はそんな見事なスタイルを誇る身体を何かで隠すことも無く堂々とした振る舞いで現れたため…上から下まで、全身のあらゆる箇所が丸見えであった。
「な、なな何で入ってくるの!?」
「そんな照れること? 女同士なんだから一緒にお風呂入るくらい普通のことだよ」
「…えっ、そ、そうなの…?」
「そうそう。まぁ事情が無いってわけでも無いけど」
いきなりそんなことをされたために日依の思考回路はショート寸前。
佳澄曰く、女同士なら共に入浴をすることくらい不自然なことではないとの弁であるが、あいにくこういった経験に乏しい日依ではその言葉が真実なのか判断が出来ない。
一つだけ分かることは、佳澄が日依と一緒に入浴しようとしていること。
そしてこの状況に、何かしらの理由があるということのみ。
「実は制服を乾かしたは良いんだけどさ、乾かしてる間に着る服が無くなっちゃって…だったらせっかくだし、その間に日依と一緒にお風呂に入ろうかなって」
「どうしてそんな結論に!? …あ、あとそれってあたしが上がった後で佳澄さんが入れば良かったのでは?」
「うん。それも考えたよ。だけどね……」
「…?」
やはり日依の予想通り、濡れた制服を乾かしてしまったことで彼女の着る服が無くなってしまったらしい。
それならば乾くまでの間、タイミングよく日依が入浴をしていたのでそこに乗じて風呂場に突入してしまおうと結論付けたようだ。
──ただし、佳澄の狙いはそれだけに留まらない。
言葉の最後に意味深な含みを持たせた彼女はどういうわけか口元に弧を描き、不思議とこちらの目を惹き付けてきそうな蠱惑さを醸し出して…こう告げてくる。
「私もふと思い出したんだけどさ、そういえば今日の分の『お礼』ってまだしてなかったでしょ」
「…そうだけど。それがどうしたってのさ」
「いやだから、この機会だし今日の『お礼』ってことで…私が日依の背中、流してあげるよ」
「……はぇ?」
まるでその顔は、悪戯が成功した子供のような幼さを表出させて。
しかしあどけなさの中に入り乱れた隠し切れるわけもない確かな色気と共に、伝えられたのはまさかの同伴宣言であった。




