第七話
朝靄の差し込む王城の訓練場。
訓練用の魔導剣が立て掛けられ、鳥たちのさえずりが響いていた。
レオンはその中央に立ち、火と風をまといながら型の練習をしていた。
拳を突き出すたびに、火と風が舞い上がる。
幼い体ながら、動きには一切の無駄がない。
一緒に鍛錬していた騎士たちも感心していた。
そこへ、堂々とした足音が近づく。
王――アルフォンス・グラディア。
屈強な体に白の外套をまとい、鋭い目をした男。
だが、息子の前ではどこか優しげな表情を見せる。
「朝から鍛錬か、レオン。よく続けているな」
レオンは振り返り、汗を拭いながら微笑む。
「おはようございます、父上。今日も頑張ってます」
「うむ、見事だ。…だが、顔つきが違うな。何か悩みが見える」
父の声に、レオンは一瞬だけ迷った。
けれど、意を決して顔を上げる。
「この国にはダンジョンがありますよね?」
「確かに国の管理しているものがある。」
「父上…僕、ダンジョンに行きたいです」
「…なんだと?」
その一言に、周囲の空気が止まった。
訓練場の騎士たちも、息を潜めて王と息子を見つめる。
「理由を聞こう」低く響く声。
だが怒りではなく、静かな興味が宿っていた。
レオンは拳を握りしめて言った。
「強くなりたいんです。
神々の加護をもらっても、それだけじゃ足りない。
本当に誰かを守れるようになるためには、
自分で戦って、経験を積まなきゃいけないと思うんです」
その瞳には、恐れよりも決意があった。
父王はゆっくりと顎に手を当て、しばらく黙っていた。
やがて、重々しい声で問う。
「お前はまだ五歳だぞ、ダンジョンには魔物がいる。
命を落とすことだってある。それでも行くというのか?」
「はい」即答だった、迷いのない声。
幼いながらも、確かな意志を宿していた。
アルフォンスはその目を見つめ、ふっと笑った。
「……なるほど。アグレオスの加護を受けているだけはあるな。
だが、行くには条件がある」
「条件?」
「ああ。まずは“冒険者として正式に登録”することだ。
王族であろうと例外ではない。ギルドの認可なしに潜ることは禁じられている」
「冒険者……登録試験ですか?」
「そうだ。合格すれば正式に冒険者となり、
ダンジョンへの立ち入りが許可される」
「なるほど……!」レオンの顔に光が戻る。
「ただし、――その試験、かなり厳しいぞ」
アルフォンスはわずかに笑みを含ませる。
「それでも受けます」
レオンの答えに、王は静かに頷いた。
「…分かった。お前がその覚悟を持っているのなら止めはせぬ。」
父王は満足げに笑う。その笑みには、誇りと少しの寂しさがあった。
「……やはり、お前は私の息子だな。
よし、ギルドには私から話を通しておこう。
――三日後、試験の場へ行くとよい」
「はい、父上!」レオンは勢いよく頭を下げる。
その背中を見送りながら、アルフォンスは小さく呟いた。
「神々よ……この子を導いてくれ」
風が吹き抜け、神殿の鐘が遠くで鳴った。
その音は、少年の新たな旅立ちを告げるかのようだった。
昼下がりの陽光が差し込む執務室は、いつもより静かだった。
執務室の前、豪華な扉が開き、一人の男が入ってくる。
「よぉ、アルフォンス。相変わらず立派な椅子に座ってやがるな」
「……ガルド。お前の口ぶりは昔と相変わらずだな」
白髪交じりの髪を後ろでまとめた大柄な男――ガルド・ロウズ。
今は王都ギルドのマスターを務めるが、
かつては王と共に戦場を駆け抜けた元S級冒険者だ。
その無骨な笑みの裏には、戦場を知る男の落ち着いた強さがある。
アルフォンスは立ち上がり、久方ぶりの旧友に歩み寄った。
「忙しいところをすまんな。……頼みがあって来てもらった」
「頼み? 王様が俺なんぞに?」ガルドは片眉を上げる。
「まさか――また魔獣討伐でも頼む気じゃねぇだろうな」
「違う。……息子のことだ」その一言に、ガルドの表情が引き締まる。
「レオン王子のことか。噂は聞いてる。
五歳にして“神々の加護”を三つも授かったってな」
「そうだ。しかし、
私はあの子を王子としてではなく、一人の男として鍛えたい」
クラウスの声は静かだが、確かな決意があった。
「だから、冒険者ギルドへの登録をしてやりたい。
もちろん、形だけではなく正式な手続きでな」
「――おいおい」ガルドは思わず吹き出した。
「王子を冒険者に? 正気か?」
「正気だとも」クラウスは微笑を浮かべたまま、
ガルドの目をまっすぐ見据える。
「お前にしか頼めない。あの子の最初の試験官を引き受けてくれないか?」
一瞬、私室に沈黙が流れた。
だが次の瞬間、ガルドの豪快な笑いが響いた。
「ははっ、やれやれ……お前の息子、面白ぇじゃねぇか。
昔の突撃バカ王子とそっくりだな!」
「やかましい」
クラウスは苦笑しながらも、その瞳の奥に懐かしさが灯る。
ガルドは胸を軽く叩き、真剣な顔に戻る。
「いいだろう、俺が試験官をやる。だが、王族だからって手加減はしねぇ」
「無論だ。それが目的だからな」
二人は視線を交わし、かつて共に戦場にいた頃の空気が一瞬蘇る。
若き日の焚き火の夜、命を預け合った戦友同士の目だった。
「で、坊主はいつ来るんだ?」
「三日後だ。ギルドに正式な申請を出しにいく予定だ」
「了解だ。坊主の最初の壁になってやるさ」
ガルドが踵を返すと、王は最後にひと言だけ告げた。
「頼んだぞ、ガルド。あの子に冒険者ってのを教えてやってくれ」
「へっ、教えるまでもねぇ。冒険者の目ってのは、すぐに分かるもんだ!」
扉が閉まる音が、やけに長く響いた。
クラウスは静かに呟く。
「…三日後が楽しみだ。」
王は机の引き出しを開けるとそこには、一枚の古びた冒険者カード。
それは、かつてアルフォンス自身が若き日に使っていたものだった。
三日後の朝。
王都の中心部にある巨大な建物――「冒険者ギルド王都本部」
石造りの外壁に金属製の紋章が掲げられ、扉の両脇には筋骨隆々の戦士像。
近づくにつれ、鉄の匂いと獣脂の香り、ざわめきが混じり合って流れてくる。
「ここが、冒険者ギルド…」
少年の声は、まだ幼さを残している。
しかしその瞳は、王族らしからぬ輝きを放っていた。
レオン・グラディア、五歳。
今日から“冒険者”としての第一歩を踏み出す。
王の血を引きながらも、己の力で歩むために。
護衛兼付き添いとして、王国近衛隊長のセリウスが同行していた。
「レオン様、緊張されてますか?」
「ううん。……少し、胸がドキドキしてるだけ」
セリウスは笑った。
「それを“緊張”と言うんです」
扉を押し開けた瞬間――。
中から湧き上がる喧噪が、一気に押し寄せた。
「よぉし、次の依頼は南方の洞窟だ!」
「酒を持ってこい、祝杯だ!」
「……おい見ろ、あのガキ、何歳だ?」
受付前では、冒険者たちが談笑し、装備を磨き、依頼書を奪い合っている。
粗野だが、活気がある。命の匂いがする場所だ。
(これが……“冒険者”の世界……)
レオンは周囲の視線を一身に浴びながらも、しっかりと歩みを進める。
その小さな背中には、王族としての威厳ではなく、
純粋な“憧れ”と“決意”が宿っていた。
受付の女性が笑顔で出迎える。
「いらっしゃいませ。……あら? まぁ、なんて可愛いお客様」
セリウスが一歩前に出て、正式な書簡を差し出した。
「こちら、国王陛下からの申請書です。
王子殿下の冒険者登録をお願いします。」
受付嬢は目を瞬かせ、次の瞬間、慌てて姿勢を正した。
「お、王子殿下!? も、申し訳ありませんっ! あの、その――」
「いいんだ」レオンは微笑んで首を振る。
「今日は、王子じゃなくて、一人の男として来たんだ。」
受付嬢は一瞬驚き、それからふっと微笑んだ。
「……はい、“レオン様”。それでは登録手続きを進めますね」
その時、奥の階段を下りてくる重い足音が響いた。
「おいおい、朝っぱらから騒がしいと思ったら……来たか」
現れたのは屈強な男――ギルドマスター、ガルド・ロウズ。
「お前がレオン王子か。……見た目は子供、目は――戦士だな」
レオンは背筋を伸ばし、礼をした。
「初めまして、レオン・グラディアです。
父がいつもお世話になっております。」
「いい返事だ」
ガルドは豪快に笑い、受付嬢に言った。
「登録手続きの前に試験だ。準備しろ」
「えっ、も、もうですか!?」
「当たり前だ。冒険者に特別待遇はねぇ」
周囲の冒険者たちがざわめく。
「おいおい、ガキ相手にギルマスが試験かよ」「ギルマス、やる気か?」
ざわめきの中、レオンはただ真っ直ぐ前を見ていた。
胸の奥で、三つの加護が微かに光を帯びる。
(神様たち――見ていてください)
そしてガルドは、広間の奥を指差した。
「ついてこい。試験場は地下だ。冒険者としての第一歩、見せてもらうぜ」
冒険者ギルド、訓練場。
床は傷だらけの石畳、壁には無数の痕跡が刻まれている。
かつてこの場所で、数え切れないほどの戦士が己を磨いてきた。
今日、その中央に小さな影が立つ。
五歳の少年、レオン・グラディア。第三王子。
しかし今日は、王子ではなく――挑戦者だ。
向かい合うのは、屈強な男。分厚い胸板、岩のような腕。
だがその手には武器はない。
ギルドマスター、ガルド・ロウズ。
「闘鬼」と呼ばれる、かつての伝説級冒険者だった。
観覧席ではセリウスや冒険者たちが緊張した面持ちでレオンを見守っている。
「…武器は、使わないのですか?」
レオンが小首をかしげる。ガルドは腕を組み、ニヤリと笑った。
「悪いな、坊主。俺が武器持ったら、お前が粉々になる」
「…っ!なら僕もまず素手で行かせてもらいます!」
「なら、遠慮なく来い。拳は嘘をつかねぇ」
その一言で、空気が一変した。
熱を帯びたような圧力が、空間を満たす。
五歳の少年の呼吸が浅くなる。
(……これが、元Sランクの気迫……!
だが、逃げるつもりはない。
胸の奥で、三つの光が微かに揺らめく。
――ミストリア(魔理神)の加護、
――アグレオス(戦勇神)の加護、
――ヴェント(風翔神)の加護。
小さな身体に宿る、奇跡の共鳴。
今こそ、それを試す時だった。
「試験、開始!」
声と同時に、ガルドが地を蹴った。音が――消えた。
重さを感じる前に、拳が目前に迫る。
五歳児の反応速度では到底捉えられない。
しかし、風が囁いた。《右から来る》
声と共に、身体が自然と傾く。
拳が髪をかすめ、空気を裂いた。
それだけで頬に熱が走る。続く連撃。
重い拳が連続で叩き込まれるが、レオンはギリギリで躱す。
体をひねり、転がり、足を踏み変え拳で一撃を受け止める。
――ゴッ。
衝撃が腕を伝い、骨が軋む。
(これ、まともに受けたら……折れるっ!)
次の瞬間、レオンは受け身をとり、素早く距離を取る。
ガルドが面白そうに笑った。
「良い判断だ。その細腕で俺の拳を受け止めようとするな」
「そのつもりです!」
床を蹴る。風が背を押し、レオンの身体が軽くなる。
ヴェントの加護が流れを導き、アグレオスの加護が筋肉に走る。
また拳がぶつかり合う刹那、自身の魔力で掌に薄い膜を張る。
衝撃を分散し、反動を吸収する。
「……ほう。魔力の盾を、瞬時に形成したか」
レオンの声が響く、そのまま掌に魔力を集め、短く詠唱した。
「《フレイムエア・ランス》!」
火を纏った風の槍が拳から放たれ、ガルドの胸に伸びた。
砂煙が巻き上がる。
観客席がざわめく中、ガルドは砂煙の中から笑いながら歩み出た。
服の一部が破れ、腕には微かな焼け跡。
「……痛ぇな、坊主。今の、そこそこ効いたぞ」
「まだ、終わってません!」
床を蹴る音が重なり、二人の動きが交錯する。
ガルドの拳が風を切り、レオンの身体がそれを受け流す。
まるで舞うような回避。空気で動き読む、ヴェントの加護。
アグレオスの加護が動きを整え、ミストリアの加護で魔法の力を上げる。
レオンの拳が、ガルドの腕に当たる。軽い音。しかし確かに弾いた。
「悪くねぇ。だが――」
ガルドの片足が床を踏み抜いた。
力強く繰り出された拳は、雷のような速さだった。
空気が鳴り、衝撃波が走る。
だが、レオンの足元に風が集う。
重力魔法で拳をを押し上げ、拳の直撃をわずかにずらした。
「っ、今のを…受け流しただと…」
レオンの瞳が静かに輝く。深く息を吸い、拳を握る。
「――加護よ僕に力を……お願いします」
三つの加護が共鳴し、空気が震えた。白い光が少年の拳を包む。
ガルドの表情が一変した。
笑みが消え、獣のような目になる。
「来い。坊主」地面を蹴った二人が、同時に突進した。
衝突の瞬間、空気が爆ぜる。
レオンの拳と、ガルドの拳がぶつかり合う。
――ズガァァンッ!訓練場が震えた。
石畳が割れ、風圧で砂が巻き上がる。
静寂のあと、二人の拳が止まる。
レオンの小さな手が、ガルドの拳を止めていた。
「……っ、やるな。五歳で、俺の拳を止めた奴は初めてだ」
ガルドの笑みが戻る。
ゆっくりと拳を下ろし、言葉を紡いだ。
「合格だ、レオン・グラディア。冒険者として――認めてやる」
「……!」
その言葉が、レオンの胸に火を灯した。




