第二十九話
朝の陽光が、王都アニマディアの石畳を黄金色に染めていた。
王城の高台から見下ろすと、街は円形に広がり、
中央に巨大な闘技大闘場が鎮座している。その周囲を取り囲むように、
市場区、工房区、居住区が幾重にも重なっていた。
「武闘会の開催が近いからか活気があるな~」
レオンが素直に口にすると、隣を歩くフィリアが小さく笑う。
「アニマディアって聞くと、荒々しい印象を持つ人が多いけど、
長い歴史を持つすごい都ですの」
王城を出た二人は、護衛を最低限に抑え、
市井の空気を肌で感じるために街へ出ていた。
通りを行き交う獣人たちは多種多様だ。
(ケモ度でいうと1~3と言ったところか…)
肉食系や草食系動物の獣人、鳥系獣人は空を飛んだり、
爬虫類系の獣人は日向を好んでゆったりと歩いている。
建築様式も一様ではない。石造りの頑健な家屋には、
明らかに爪痕を意識した補強が施され、
屋根や壁には戦闘時の衝撃に耐えるための工夫が見て取れた。
(街そのものが、戦う者のために作られている……)
それでいて、威圧感はない。
むしろ、秩序だった力の気配が満ちていた。
市場区に入るとさらに空気が変わる。
香辛料の匂い、焼いた肉の香ばしさ、果実の甘い香りが混じり合い、
獣人たちの活気ある声が飛び交っていた。
「人間だ!」
どこからか幼い声が響く。
振り向くと、犬獣人の子供が目を輝かせてこちらを見ていた。
「ねえねえ! 人って魔法が得意なんでしょ?」
その後ろで親らしき獣人が慌てて頭を下げる。
「すいません。子供が失礼を…」
「いえ、かまいませんよ」
レオンは膝を折り、子供の目線に合わせた。
「どんな魔法が見たいの?」
「ひかるやつ!」
小さな期待に応えるように、レオンは指先に微弱な光魔法を灯す。
眩しすぎない、柔らかな光。
「うわぁ…!」
周囲の子供たちも集まり、歓声が上がる。
獣人たちの視線が集まる中、
そこにあったのは警戒ではなく、純粋な好奇心だった。
「よろこばれていますの」
フィリアが、少し安堵したように呟く。
「えぇ。でも」
レオンは視線を巡らせる。
ほとんどの獣人が友好的だがまれに、値踏みするような目も混じっている。
武人の国において、力を持つ他国の王族は注目の的だ。
市場の外れで、年老いた猫獣人が木剣を振っていた。
一振り一振りは遅いが無駄がない。
レオンが思わず足を止めると老人は目を細めた。
「…足運びが、少し硬いな」
唐突な一言。
「闘気は上等だ。だが大地との会話が足りん…」
「大地との…会話?」
「踏みしめるな。その身を預けろ…」
それだけ言って、老人は再び木刀を振り始めた。
短い言葉だったが、妙に胸に残る。
歩きながら、レオンは自分の足運びを意識し直す。
王都を巡るうちに、レオンははっきりと感じ始めていた。
この国は、強さを誇示する場所ではない。
強さが、生活の一部なのだ。
夕方、再び闘技大闘場を見上げる。
巨大な円形の建造物は、静かに佇みながらも、確かに待っていた。
「一週間後、あそこで戦うのですね」
フィリアの声に、レオンは頷く。
「そうだね。とても楽しみです」
アニマディアは、ただの舞台ではない。
生きる者たちの都であり、誇りの象徴だ。
その中心で戦う意味を、レオンは静かに噛み締めていた。
アニマディアの朝は早い。
まだ太陽が城壁の向こうに顔を出す前から、
街の各所で闘気の気配が立ち上り始めていた。
それは騒がしいものではなく、呼吸のように静かな脈動だった。
「ここみたいですの」
フィリアとともに、レオンが訪れたのは
王都の外縁に位置する広大な敷地だった。
高い塀も、門もない。あるのは、円形に均された土の修練場と、
周囲を囲む簡素な木造の建物だけ。
「ここが…公衆訓練場」
聞いていた以上に、飾り気がない。
訓練場ではすでに数十人の獣人たちが稽古に入っていた。
だが、その様子は一様ではない。
ある獣人は低く腰を落とし、重心を崩さぬまま一撃を放つ。
ある獣人は間合いを保ち、歩くように距離を詰め、引く。
ある獣人は跳躍と着地を繰り返し、空間そのものを使っていた。
ある獣人は、まるで岩のように動かず、必要な瞬間だけ動く。
共通点がある。その動きは、即興のようでいて、無駄がなかった。
しばしの見学の後、若い獣拳使いの一人がレオンに声をかけてきた。
「試しに、一戦どうだ?」
模擬戦のお誘いだが、レオンは首を振った。
「今日は、見るだけで十分です」
若者は笑った。
「賢いな。見る事も修行だ」
道場を後にする頃、レオンの中で、闘気に対する意識が変わっていた。
獣拳は、爆発させる力ではない。生き方の延長線なのだ。
「…武闘会、大変になりそうだな」
レオンの言葉に、フィリアは静かに頷いた。
「ええ。でも」彼女は、微笑む。
「あなたは、あなたのままでいい」
夕暮れの道を歩きながら、レオンは深く息を吸った。
闘技場で戦う前に、彼はすでに、一つの壁を越え始めていた。
アニマディアの空気は、この日、はっきりと変わっていた。
朝から街路を行き交う獣人たちの中に、
明らかによそ者の気配が混じり始めている。
服装、立ち居振る舞い、そして何より纏う闘気の質。
「着いたな…」レオンが低く呟いた。
王城からほど近い交流区画。
武闘会出場者やその随行員が集うために設けられた広場には、
各国の代表が自然と集まり始めていた。
獣人王国アニマディアは武の中心地だ。
だが、この武闘会は獣人だけの祭典ではない。
人間、亜人、さらには魔族領や辺境国家からの参加者まで
多様な種族が、同じ舞台を目指して集まってくる。
レオンは、無意識に周囲の気配を探っていた。
(……強い)
露骨な殺気はない。だが、鍛え上げられた闘気や魔力が
抑えきれずに滲み出ている者が何人もいる。
その中の一人が、こちらに気づいた。
浅黒い肌、腰には刀、それに髷を結っている和装の青年。
「お主が噂のグラディアの王子か?」
「そうですが…」
「俺はヒノモト帝国から来た、シエン。侍だ」
名乗りと同時に、彼の闘気が一瞬だけ立ち上がる。
鋭く、細い刃物のような闘気。獣人流とは違う。
だが、確実に実戦を潜ってきた者の気配だ。
(……闘気の制御が、洗練されている…
だがそれよりもヒノモト帝国って日本の事だよな…
めっちゃ気になる!余裕があれば話を聞きたいところだ)
「武闘会、楽しみにしている」
それだけ言い残し、シエンは去っていった。
次に声をかけてきたのは、巨躯の男だった。
角が生えているが獣ではない。
「わたくしはガルン。デモディア連合国出身です」
笑顔だが、その奥にあるのは純粋な闘争心。
「強いと噂の人の子に、興味がありまして…」
周囲の獣人たちが、さりげなく距離を取る。
彼の魔力は重い。圧力として、空間を押し潰すような質量がある。
「戦う機会があればよろしくお願いします」
そう言って、ガルンも去った。
(あれがこの世界の魔族的な人なのかな?
闘気よりも魔力がすごいな)
数人との短いやり取りだったが、レオンの中で確信が生まれていた。
(……今回の武闘会、レベルが高すぎる)
交流が進むにつれ、違和感は少しずつ膨らんでいった。
ある者は、闘気の色が濁っている。
ある者は、闘気の流れが不自然に歪んでいる。
ある者は、まるで外から与えられた力を纏っているかのようだった。
フィリアも、それに気づいている。
「……この感じ、覚えがある」
彼女の声が、わずかに硬い。
「神殿で感じたものと、似ている?」
「ええ。でも」視線を巡らせる。
「もっと、人為的」
そのときだった。
広場の一角で、小さな衝突が起きた。
獣人同士の言い争い。
だが、一瞬だけ、異様な闘気が噴き上がった。
黒く、粘つくような気配。
(……瘴気に近い?)
レオンが一歩踏み出そうとした瞬間、王国側の衛兵が即座に割って入った。
「ここは交流の場だ。争いは許されない」
闘気はすぐに収まったが、周囲に残ったざわめきは消えない。
「……見ました?」フィリアが小声で問う。
「あぁ。間違いなく」
闘気ではある。だが、生き物の内側から湧くものではない。
その夜、宿舎に戻ったレオンは、改めて自分の感覚を確かめていた。
神々から授かった加護。それらがあるからこそ、感じ取れる違和感。
(武闘会は、ただの祭典じゃない)
強者たちが集まる場所。力が交錯する場所。
そこに歪んだ力が混じれば。
窓の外で、闘技大闘場が夜の闇に沈んでいる。
その静けさの奥で、何かが蠢いている気がしてならなかった。
武闘会まで、あと四日。
嵐は、確実に近づいていた。




