第二十四話
訓練場の一角。
石造りの縁に腰を下ろし、二人は短い休憩を取っていた。
レオンはまだ胸の奥に残る闘気の感覚を、
確かめるようにゆっくりと息を吐く。
「ガルドさん」
「何だ?」
「獣人族って、魔法よりも近接戦闘が得意ですよね」
「あぁ。そうだな」
「特に有名なのが獣拳だ。武闘会の話をするなら避けて通れねぇ」
「獣拳は、獣人族が代々受け継いできた格闘術です」
ガルドは、視線を訓練場の中央へ向けた。
「様々な生物の動きや能力を己の戦いに応用する」
「いわゆる…」
「象形拳ですね」レオンが言葉を継ぐ。
「その通りだ」
ガルドは、少しだけ口角を上げた。
「狼の速さ、鷹の回避、熊の力…」
「ただ真似るだけじゃねぇ」
「その動きが、なぜ強いのか…」
そこまで言って、言葉を切る。
「答えは、闘気だ」
「獣拳は、闘気操作のための格闘術と言ってもいい」
ガルドは、胸に軽く拳を当てた。
レオンは、思い返す。
獣人族の冒険者たちが、まるで呼吸するように闘気を纏う姿を。
「獣拳の型は、闘気の流れを体に教えるためのものなんですね」
「その通り!」ガルドは、即座に頷いた。
「獣拳の型は、技のためではない」
「生き方を、体に刻むためのものです」
「……でも」
レオンは、ふと疑問に思ったことを口にした。
「ガルドさんは、獣拳を使いませんよね」
「あぁ」
「…種族の問題ですか?」
「それもあるが…」
ガルドは言葉を選ぶように続けた。
「獣拳は獣人の身体構造と感覚を前提に作られている
尻尾、耳、筋肉の付き方、人間が形だけ真似ても本質には届かない
中途半端な模倣は、かえって闘気を乱す」
「人には、人の闘い方がある」
ガルドの声は、静かだが強かった。
「人は、獣のように生きられねぇ」
「だからこそ」
「理で制し、技で補い、闘気を制御する」
「獣人は、闘気を生かす」
「人間は、闘気を使う」
レオンは、その言葉を胸の中で反芻する。
(同じ闘気でも、向き合い方が違う……)
「武闘会では」
ガルドは、最後にそう付け加えた。
「獣拳を極めた戦士たちが、当然のように出てくる」
「お前が、魔術師として挑むなら」
「その思想を知っておくことは何よりの備えだ」
レオンは、静かに頷いた。
「…ありがとうございます」
「型を学ばずとも、考え方は学べる」ガルドは、穏やかに笑った。
夕刻、王城の訓練場を離れた後、ガルドに連れられて
立ち寄った冒険者向けの休憩所では、すでに武闘会の話題が熱を帯びていた。
まだ開催まで数週間あるというのに、
アニマディア王国の名を出せば、誰もが盛り上がった。
「今年の武闘会、相当荒れるらしいぞ」
そう切り出したのは、経験豊かそうな獣人の冒険者だった。
耳をぴくりと動かしながら、周囲を見回してから続ける。
「何せな、獣拳の達人が例年より多く出場するんだ」
周囲の冒険者たちも頷く。
「今年噂になってるのは、前回大会で名を上げた
流派の使い手が、また何人も出てくるって話だ」
「だがな……今年一番の話題は、そこじゃない」
男は声を落とした。
「王族の子供が、出場するらしい」
その一言で、場がざわめいた。
それを聞いていたガルドが腕を組んだまま静かに口を開いた。
「噂は俺の耳にも入っている」
全員の視線が、ギルド長に集まる。
「正式発表はまだだが四人ほど参加するらしい。
アニマディアには王妃が四人いるのだが
その子供が一人ずつ参加するって話だ」
ガルドは静かに言った。
「王族が四人も出るとなれば、武闘会は力比べじゃ済まない」
「下手をすれば、次代を占う場になる」
「いや……王族同士は直接当たらねえって話もある」
「それでも、観る側の緊張感は段違いだ」
レオンは黙って話を聞きながら、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じていた。
獣拳、闘気、王族四人。
魔法とはまったく異なる理で磨かれた力。
それが己の知らない世界で、当たり前のように振るわれている。
「…ガルドさん」
「なんだ?」
「僕が出ても……浮きませんかね」
一瞬の沈黙の後、ガルドは口角を上げた。
「浮くさ。間違いなくな」そして続ける。
「だがな浮いたまま勝つのが、一番記憶に残る」
周囲の獣人たちも、面白そうに笑った。
「人間の王子が、獣拳の渦に飛び込む……」
「今年の武闘会は、間違いなく語り草になるな!」
そうして、まだ始まってもいない武闘会は、
すでに人々の心の中で、静かに火を灯し始めていた。
武闘会へ向けた鍛錬の日々は、
いつの間にか「日常」と呼べるほどに馴染んでいた。
魔法の精度を落とさず、身体を動かし、
闘気の感覚を身体の内側に定着させる。
魔法の理と、獣人たちが歩んできた闘気の歴史。
その狭間に立ちながら、レオンはひたすら自分を磨き続けた。
そして、出発を翌日に控えた夜。
王城の自室、灯りを落とし明日に備えて眠りに入ろうとしたその瞬間だった。
胸の奥が熱を帯びる。闘気とも魔力とも違う。
だがどちらとも深く結びついた神の感覚。
「…これは久しぶりだな…」
意識が沈む、身体は寝台に残ったまま、
魂だけが引き上げられるように。
次の瞬間、視界は紅蓮に満ちていた。
炎が揺らめく神界の一角。
戦場を思わせる荒野に、ただ一柱、圧倒的な存在感を放つ神が立っている。
戦勇神アグレオス。
「久しいな、レオン」
その声は雷鳴のようでありながら、不思議と耳に優しかった。
「明日、アニマディア王国へ向かうのだろう」
「はい」
レオンは自然と頭を下げる。
だがアグレオスはそれを気にも留めず遥か彼方を見つめた。
「今回の武闘会…我は前回と同じ匂いを感じている」
その言葉に、空気が張り詰める。
「匂い、ですか?」
「ああ。血と野心と…執念の匂いだ」
炎が一瞬、強く燃え上がった。
「前回の武闘会でもな、我は微かな違和感を覚えた。
だが、表には出なかった。
力を競う場に、狂気はつきものだからな」
しかし、と神は続ける。
「今回は違う。武闘会そのものが呼び水になりつつある
闘気は本来、己を高めるためのものだ。
だが、歪めれば……魂を削り外の力を呼び込む器にもなる」
レオンは、リッチとの戦いを思い出していた。
力を求め、死を超えようとした存在。
「獣人たちは闘気に長けている。ゆえにこそ、狙われやすい」
アグレオスは、ゆっくりとレオンに向き直った。
「レオンよ。お前は魔法と闘気、双方を扱う稀有な存在だ」
その瞳が、獲物を見定める戦士のように鋭くなる。
「ゆえに、我はお前に見極める力を与える」
次の瞬間、炎がレオンを包んだ。
だが、焼かれる感覚はない。
代わりに、胸の奥に何かが刻み込まれる。
《新規スキル獲得》
【スキル:魔闘混成】
炎が収まると、レオンは静かに息を吐いていた。
アグレオスは満足そうに頷く。
「魔法使いのまま、戦士の領域に踏み込むための鍵だ」
アグレオスはそう言って、低く笑った。
「武闘会は祭りだ。だが、祭りの裏には影がある」
「……俺は、どうすれば?」
「簡単だ」
戦勇神は、拳を握りしめる。
「勝て、力で示せ。歪んだ者が表に出てくるまでな」
視界が再び揺らぎ始める。
「行け、レオン。
獣人の王国で、お前が何を見るか、
我らも、楽しみにしているぞ」
その言葉を最後に、神界は遠ざかり、
レオンは、静かな夜の王城で目を覚ました。
胸の奥に残る、確かな熱。
魔力と闘気が、これまでよりもはっきりと感じられる。
「……一週間後か」
彼は窓の外、月を見上げた。
武闘会は、もうただの大会ではない。
何かが、確実に動き始めている。
そしてレオンは
その渦中へ、足を踏み入れる覚悟を決めるのだった。




