第十四話
朝のエルディアは、森そのものが目を覚ましたような静けさに包まれていた。
露をまとった葉が朝日を反射し、淡い光の霧がゆっくりと地表を流れていく。
王城前の広場には、すでに多数の精霊騎士団員が整列し、
淡緑のマントが風にはためいていた。
彼らを束ねる守護神官リュミエルが、
レオンたちが歩み寄るのを見ると挨拶をした。
「王女殿下、レオン様。精霊騎士団、出立準備はすべて整っております」
フィリアは軽く頷き、胸に手を当てた。
「ありがとう。今日の任務は危険かもしれないの。
けれど…森が不安げに揺れているの。
全員、どうか気を引き締めて取り掛かってくださいですの」
その声は澄んでいて、朝の空気を凛と震わせた。
「おーい、レオン!」
聞き慣れた大声が響き、振り向くとギルド長ガルドが大きく手を振っていた。
その後ろにはシルヴァリアの面々が荷物をまとめながら続いている。
「皆さんおはようございます!今日は護衛などよろしくお願いします」
「おう、任せとけ!」
『あぁ、もちろんだ!』
準備の整った一団を前に、フィリアがレオンの横に並ぶ。
「レオン、昨夜のお話…」
「もちろん忘れてないさ、引き受けた以上責任持ってやるよ」
短い言葉だったが、それだけでフィリアの表情はふっと緩んだ。
「…心強いですの。森もきっと応えてくれるはずですの」
リュミエルが声を張り上げる。
「隊列、整え!これより深緑回廊へ向かう!
異変の拠点と思われるダンジョン、暁霧の森域までは半日の行程だ!」
ガルドがレオンの肩を叩く。
「行くぞ、レオン。お前がついてりゃ、大概のトラブルはどうにかなるだろ」
「うちのギルドの期待のエースだからな!」
「自分の出来る範囲でやらせてもらいます」
シルヴァリアの面々も笑い、緊張が少しだけ和らぐ。
その一方で、フィリアは森の方角へ視線を向けていた。
朝日を受ける深緑の森その奥から、淡くざわめくような気配が流れてくる。
「…急がないと。森が、待っている気がするの」
レオンも同じ方向を見つめ、小さく頷いた。
「よし、行こう」
精霊騎士団の号令が響く。
「進行開始!」
緑のマントが一斉に靡き、騎士たちが静かに歩みだす。
精霊騎士団を先頭にレオンとフィリア、そしてガルドとシルヴァリアが続いた。
朝の光が彼らの背を押すように降りそそぎ、
深淵の森へつながる道が開けていく。
こうして、森の異変を探るための調査隊は、ついに一歩を踏み出した。
王城の裏に広がる森の深緑回廊を進んでいくうちに、誰もが気づき始めていた。
――森が静かすぎる。
エルフの森では、鳥のさえずりや小動物の足音、
葉の擦れる音が常にどこかで聞こえてくる。
それが自然で、日常で、当たり前の呼吸のようなものだ。
だが、この日の森は違った。
風が吹いているはずなのに、葉が揺れない。
小さな生命の気配が、どこにもない。
「……おかしい」
最初に口を開いたのはシルヴァリアのセリアだった。
「いつもなら、森に入る前から精霊たちが
寄ってくるのに…声が、とても弱いです」
フィリアも歩みを止め、森の奥の方角へ視線を凝らす。
「精霊の囁きが…ほとんど届いていません。
まるで、深い霧の向こうにいるみたいですの」
レオンもまた、胸の奥で微かな違和感を覚えていた。
空気の粒子そのものがざらつき、
どこかで何かが引っ張られているような、そんな奇妙な気配。
ガルドが眉をひそめてつぶやく。
「静けさが不気味すぎるな。魔物が潜んでるって感じじゃねぇ……
もっと、根っこのところで歪んでる」
騎士団の団長のリュミエルも周囲を確認しながら頷く。
「魔力濃度が異様に薄い。
まるで森そのものが力を失っているように感じます」
やがて、目的地の暁霧の森域の大きなアーチ状の入り口へたどり着いた。
本来ならば、樹々から放たれる瑞々しい緑光が揺れ、
精霊が歓迎するように舞い遊ぶ美しい神域だ。
だが――その景色は影を潜めていた。
「……こんな、はずじゃないですの…」フィリアの声は震えていた。
辺りを囲む巨大樹は色を失ったようにくすみ、
根元に漂うはずの精霊の光粒がほとんど見えない。
霧のような魔力の流れも、乾いた風に押しつぶされたかのように散っていた。
レオンはそっと手を伸ばして、一帯の魔力流を探る。
だがそこにあるはずの豊かな魔力は、
指先に触れる前に崩れていくような虚ろな感触しか残さない。
「……これは、ひどいな」
「…レオン、何か分かりましたの?」フィリアが不安そうに問う。
「森の魔力の流れが……断ち切られかけてる。
本来満ちているはずの魔力が、吸われるように薄くなっている」
「吸われている……?」
フィリアが呟くと、背後でガルドが重く腕を組んだ。
「まるで…ダンジョン崩壊の前兆みたいだな」シグルが息を呑む。
「いや、それは……まずいだろ……!森全体が崩れるなんて――」
「まだ断定はできません」
リュミエルが遮り、しかしその眉間には深い皺が刻まれていた。
「ただ、このまま進めば原因にたどり着ける。用心して進行しましょう」
一行は森の入り口を越え、慎重に足を踏み入れていく。
そこは、本来ならば光が差し込み、精霊たちが舞う幻想的な道だった。
今は影だけが濃く、静寂だけが深い。
セリアが小さく悲鳴をあげる。
「…精霊が、逃げています。こんなの、見たことない……」
フィリアも顔色を変えた。
「森の守り手である精霊たちがこの場所を避けていますの…?
そんな…そんなこと……」
「……みんな、気を抜くな。何かがこの森の力を奪ってる」
静寂が返事のように揺れた。
目の前の深い森が、まるで息を潜める巨大な生き物のように口を開けていた。
森の空気は、進むほどに濁っていった。
まるで足元の土が呻き、木々が静かに泣いているような、そんな気配が漂う。
風は冷たく、色を失った葉が
ひらひらと落ちる音だけが虚無のように響いていた。
フィリアが神妙な顔で呟く。
「ここまで精霊の声が弱い森…私は生まれてから一度も見たことがありませんの」
「森が……弱ってるみたいだな」ガルドが重い声で言う。
レオンは歩きながら、魔力の流れに身を沈めるように意識を広げた。
何かが確かにある。
大きく、深く、森の中心のさらに底でうごめいている気配。
(この感じ…どこかで……)
気配をたどりながら、一行は森の中心へと近づいていく。
そして、その瞬間だった。
「っ……総員、前方!」精霊騎士が鋭く声を上げた。
森が開け、その中央
大きな洞穴を思わせる巨大な裂け目が口を開けていた。
フィリアが息を呑む。
「これは…ダンジョン……?
いや、ダンジョンの入口はまださきのはずですの…!」
「いや…これは自然発生したもんじゃねぇ」
ガルドが前へ踏み出す。
「何かが無理やり穴をこしらえてやがる!」
周囲の騎士たちもざわつき始める。
「精霊の守護域内で…新たにダンジョンが形成されるなど……」
「常識では考えられん……!」
レオンはダンジョン入口を睨みながら、身体の奥にひりつく感覚を覚えた。
(これは……ダンジョンコアが暴走した時の気配に似ている。
でも……もっと、冷たくて、底のない闇だ)
そのときだった、
カタ……ッ。乾いた音がダンジョンの奥から響いた。
全員が反射的に構える。
暗闇の中に、青白い光がぼうっと浮かび
ガシャ……ガシャ……と複数の足音が重なる。
「えっ……な、何か……くる……!」
その瞬間、闇からそれは姿を現した。
骨だけの腕。空洞の眼窩で青白く揺れる魂火。
「…スケルトン……?」
リュミエルが声を漏らす。
だがすぐに、別の騎士が叫ぶ。
「あり得ない!この森のダンジョンの
魔物の構成にスケルトン系は存在しないはずだ!」
「…ってことは、想定外の異常が発生したってことだな」
続々とスケルトンは湧き出てくる。
それも1体や2体ではない。
10、20……さらに奥から、無尽蔵に押し寄せてくる。
「数が多すぎる!」
「陣形を整えろ!」
「王女殿下をお守りしろ!」
騎士団が一気に武器を構えて前進する。
シルヴァリアも武器を抜き、レオンの横に並んだ。
シグルが剣を構えながら鋭く言う。
「レオン、これは明らかにおかしい!」
「…原因はダンジョンの奥にあるはずだ」
「レオン…!」
「フィリア、下がって。
スケルトンの動きは鈍い……でも数が多い。」
言葉が終わる前に、スケルトンの群れが一斉にこちらへ襲いかかってくる。
ガシャアアアアッ!!
死の気配をまとった骨の群れ、どこかで誰かが操っているような気配。
レオンは前へ踏み出し、手をかざした。
「行くぞみんな!」
森の闇が、いっせいに襲いかかる死者たちの気配で満たされた。




