第十話
ダンジョンの事件から数週間たったある日、
今日僕、レオン・グラディアは、王より新たな任務を授かる。
謁見の間の扉の前で一度深呼吸をする。
扉の向こうには、父王と母后、そして兄姉たちが待っている。
それだけで胸の奥が、静かに、けれど確かに熱を帯びていく。
扉が開くと、澄んだ声が返ってきた。
「入れ、レオン」
低く響くその声は、王にして父アルフォンスのものだ。
扉を開けた瞬間、光が満ちた。
広い謁見の間には、父王を中心に家族が並び、衛士たちが整然と控えている。
父王の眼差しは厳しくも穏やかで、
長年の統治者の風格がそのまま滲み出ていた。
母后の隣には、第一王子ライナルト兄上と第一王女ソフィア姉上が控え、
その後ろに第二王子シリルと第二王女のミリアが見守っている。
家族の視線が、一斉にこちらを向いた。
緊張で喉が渇く。だが、それでも足を止めるわけにはいかない。
「レオン・グラディア、参上いたしました」胸に手を当て、礼を尽くす。
父王はゆっくりとうなずくと、
手にしていた巻物を執事に渡し、それを僕の前に掲げさせた。
「此度、お前に任ずるのは、エルフの国エルディアへの特使の任である」
瞬間、空気がわずかにざわめいた。
エルディアは森と精霊に生きるエルフの国。
かつては人間を遠ざけ、森を閉ざしていた国。
近年こそ交流の兆しを見せてはいるが、
いまだ完全な信頼関係が築かれたわけではない。
それはつまり、この任務が国の未来を左右しかねないということだった。
「父上……私に、そのような大役を?」
「そうだ」アルフォンスは、ゆるやかに立ち上がる。
陽光を背に受けたその姿は、まるで王都を照らす太陽のように堂々としていた。
「そなたは五歳の時より、神々より三つの加護を授かった。
我が国において、最も中庸で、
最も柔らかな心を持つのがお前だと、私は見ている」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
父の声は決して甘くはない。けれど確かに、誇りと信頼が込められていた。
「今回の使節団は、王国とエルディアとの交流を目的とする。
エルディア王、フィルシア陛下は穏健な方だが……彼を取り巻く長老会は、
人間との接触を未だ快く思ってはいない。ゆめゆめ軽挙は慎め」
「はい、父上――いえ、陛下」
「それと」王が再び声を上げた。
傍らに控えていた一人の男が前に出る。
白髪まじりの鋭い眼差しを持つ壮年の戦士ギルド長ガルド・ロウズ。
レオンがギルド登録試験で戦った相手だ。
「今回は、ガルドを護衛兼監査として同行させる」
「…!ガルドさんが」
「レオンの実力は確かだ。
だが、外交は力だけでは成り立たん。必要とあらば、俺が盾になるぜ!」
その言葉に、レオンは静かに頷いた。
レオンにとってガルドは師のような存在だった。
「あとここには来てないが銀翼の団シルヴァリアの連中も一緒だ」
「銀翼の皆さんもですか!」
そして王は、最後に一歩前に出て、レオンの前に立つ。
手に持っていたのは、王家の紋章が刻まれた銀のペンダント。
「これはグラディア王家の印だ。
お前がどこにいようと、この印があれば我が国の名が届く」
レオンはそれを両手で受け取り、胸元に下げた。
冷たい金属の感触の中に、不思議と温もりがあった。
「行ってまいります」
深く一礼すると、母后がやわらかに微笑んだ。
その隣でソフィア姉上が頷き、弟妹たちは小さく手を振る。
「レオン、気をつけてね。精霊たちは気まぐれだって、昔から言われてるの」
「姉上、心得ています」
そんな会話のやりとりの裏で、ライナルト兄上は静かに腕を組んでいた。
だがその表情は――どこか誇らしげでもあった。
「弟よ。もし精霊が話しかけてきたら、ちゃんと丁寧に答えるのだぞ。
人間の礼より心の真が通じる国だからな」
「はい、兄上」
家族の温もりと、王の威厳が混ざり合う空間。
それは旅立ちの前の、短くも忘れがたいひとときだった。
けれど、胸の奥では確かに何かがざわめいていた。
これはただの外交任務ではない。
この国とエルフの国とを結ぶ、新たな道の始まりかもしれないのだ。
王は最後に言葉を添えた。
「レオン、覚えておけ。加護とは力であると同時に、
神より託された約束でもある。それを忘れるな」
俺は、静かにうなずいた。
王都を出立して三日。
グラディア王国の北に広がる大森林エルディアの森が、ついに視界に入った。
それは森という言葉では到底足りぬほどの、緑の海だった。
陽光を透かす無数の木々の葉が、
風に揺れては淡く光り、まるで生きているかのようにざわめく。
空気が違う。レオンは馬車の窓を開け、思わず息を呑んだ。
甘く澄んだ香り、湿った大地の匂いと混じり合い、
肌の上をそっと撫でるような柔らかさがあった。
「ここが…エルディア」隣に座るガルドが頷いた。
「人の手がほとんど入っていない。だが、
これだけの大樹が揃う森は滅多にない。精霊たちの加護が強い土地だ」
御者台から、従者である老執事ハロルドが声をかけてきた。
「王子、まもなく国境門でございます。通過には確認の儀が必要かと」
「うん。ありがとう、ハロルド」
馬車はやがて、森の入口に設けられた巨大な木製の門へとたどり着く。
門といっても石や鉄で作られたものではない。
何百年も生きているであろう大樹が自然に絡み合い、
その中心がくり抜かれて通路になっているのだ。
まるで森そのものが「門」として息づいているようだった。
そして、その前に立つ者たち――
長い耳と透き通るような肌を持つ、数名のエルフ。
彼らの装いは深緑と白を基調とし、胸にはそれぞれ違う紋章が刻まれていた。
「グラディア王国の使節団、到着を確認」
先頭のエルフが凛とした声で言う。
瞳は琥珀色に輝き、視線だけで周囲の空気を張り詰めさせるほどだった。
「王国特使、第三王子レオン・グラディアと申します。
王命により、友好の使者として参りました」
レオンは馬車を降り、胸に手を当てて丁寧に頭を下げた。
年齢よりずっと落ち着いた所作に、エルフの衛兵たちが一瞬ざわつく。
「…王子、だと?」
「こんな子供が…?」
小声が漏れたのを、ガルドが一歩前に出て睨みつけた。
「彼こそグラディア王家の血を引く方だ。
国の代表としてこの任務に臨んでいる」
沈黙が走る。そのとき――門の奥から柔らかな声が響いた。
「ようこそ、グラディアの王子。森はあなたを拒んではいません」
声の主が姿を現す。淡い金緑の髪、
長くしなやかな耳、そして光を湛えた瞳。
彼女はゆっくりと歩み寄ると、レオンの前で微笑んだ。
「私はエルディアの守護神官、リュミエルと申します。
国王陛下より、あなた方の到着を迎えるよう仰せつかっております」
「お会いできて光栄です、リュミエル殿」
リュミエルはしばし少年の瞳を見つめた。
その奥にある光、
それがただの人間のものではないことを、すぐに理解したようだった。
「……あなたの中に、神々の息吹を感じます。
神々の祝福が確かに宿っていますね」
「わかるのですか?」
「ええ、私たちエルフは、自然の声を聴く者です。
風があなたを受け入れている
その瞬間、レオンの周囲の空気が柔らかく揺れた。
まるで木々が一斉に息を吐いたかのように、無数の光が舞い上がる。
それは精霊たちの挨拶だった。
ふわりと、レオンの体の周りに小さな光の塊が集まった。
かなりの数いるのかレオンが光るマネキンのような状態になった。
たくさん集まった精霊に、レオンは思わず笑みを零した。
「…歓迎されているようですね」
リュミエルも微笑み、門の奥を示した。
「さあ、森の中へどうぞ。エルディア王陛下がお待ちです」
道を進むたびに、光の色が変わる。
緑、金、青、そして淡い白。
森全体が呼吸しているようで、
レオンはそのたびに胸の奥が温かくなるのを感じた。
この森の命が、確かにここにある。
ガルドが横目でレオンを見る。
「レオン、気を抜くなよ。歓迎の裏には、試される試練がある」
「…わかってます。でも、大丈夫です。怖くはありません」
彼の言葉に、ガルドはわずかに口角を上げた。
森の奥へ進むほどに、光が柔らかく、風が涼しくなる。
遠くで、笛のような鳥の鳴き声が響いた。
やがて、木々が開け、巨大な湖が姿を現す。
水面は鏡のように澄み、空と森を映していた。
湖の中央に浮かぶ白い建造物、それがエルディアの王宮だった。
まるで森と溶け合うように作られたその姿に、レオンは息を呑む。
人の城のような威圧感ではなく、自然と共にある静謐な気高さ。
どこか懐かしいような温もりがあった。
リュミエルが振り返る。
「ようこそ、精霊と共にある国エルディアへ」
その言葉とともに、森の風がレオンの頬を優しく撫でた。
木々のざわめきが、彼を祝福するように鳴り響く。
少年は静かに微笑んだ。
王宮に足を踏み入れた瞬間、レオンは思わず息を呑んだ。
――まるで森の中そのものだ。
外壁も廊下も、木々と蔓が編み込まれ、光の粒が静かに漂っている。
壁の一面には薄く流れる水があり、陽光を受けて虹が生まれる。
足元には苔の絨毯が敷かれ、踏みしめるたびにほのかに芳香が立ち上る。
「うちの城とは、まるで違うな…」
小さく呟くレオンに、案内役のリュミエルが微笑んだ。
「私たちにとって、石の城は“閉ざされた箱”のようなものです。
ここでは、風も水も光も、みな共に生きています」
やがて、広間の扉が開かれた。
そこにいたのは、ひときわ静謐な存在感を放つ人物だった。
銀白の髪が肩まで流れ、翠の瞳が穏やかに光る。
それが――エルフ王、フィルシア・エルディア。
「ようこそ、アルメリアの王子。遠路はるばるの旅、感謝いたします」
その声は、風のように柔らかく、それでいてどこか凛としていた。
レオンは膝をつき、丁寧に礼を取る。
「はじめまして、エルディア国王陛下。
グラディア王国第三王子、レオン・グラディアでございます。
両国の友好の証として、王命を受け参りました」
「顔を上げなさい」
促され、ゆっくりと視線を上げる。
その瞬間、王とレオンの視線が交わった。
深い湖のような静けさの奥に、何かを探るような光が宿っている。
「若いのに、しっかりした目をしている。
王の血筋、というだけではないようだな」
フィルシアはゆるやかに立ち上がり、彼の前に歩み寄る。
近づくほどに、周囲の光が揺らめいた。
精霊たちが反応しているそう直感した。
王の掌が、レオンの頭上にかざされる。
瞬間、空気が変わった。
風が渦を巻き、周囲の光の粒が集まっていく。それはまるで、
見えぬ何かに呼び寄せられるようにレオンの周囲へと集結した。
「…やはり。あなたの中には特別な神の印が宿っている」
「おわかりに…?」
「精霊たちが語っている。彼らは、人の心の奥にある命の色を見るのだ」
王はゆっくりと目を閉じた。
すると、風の音が静まり返り、広間に柔らかな光が満ちた。
―声が聞こえた。
(…この子、あたたかい)
(この者、森を怖がらない…)
(小さくて、かわいい)
精霊たちの囁き。
誰も口を開いていないのに、確かに耳に届く。
レオンの胸が高鳴った。
「陛下、これは……?」
「精霊視の儀だ。エルディアでは、来訪者の心を精霊に問う。
それが我らの礼儀、そして信頼の証」
王は一歩下がり、レオンの前に手を差し出す。
「さあ、彼らに応えなさい。恐れずに、心を開くのです」
レオンは深く息を吸った。
そして、胸の中で小さく呟く。
(……俺は、敵じゃない。
この森を精霊たちを、壊したりしない。
俺は、学びに来たんだ)
その瞬間、周囲の光が一斉に寄ってきた。
ふわりと、無数の精霊が舞い上がり、レオン体に集まる。
それはまるで蜂球のようだった。
集まってきた精霊たちの感触は優しくくすぐったかった。
リュミエルが驚きの声を漏らした。
「先ほどよりも多くの精霊が一度に寄るなんて……!」
フィルシアも目を細め、静かに頷いた。
「恐れを知らず、欲に囚われぬ心。
神々があなたをこの地に導いた理由、今ならわかる気がします」
やがて光はゆっくりと離れ、静けさが戻った。
レオンは深く息を吐き、王の方を見上げる。
「どうやら、あなたは森に受け入れられたようですね。
レオン王子、あなたの滞在を正式に歓迎しましょう」
「ありがとうございます、陛下」
その瞬間、王の背後の水晶柱が淡く光り、透明な花が咲くように輝いた。
精霊たちが喜びの歌を奏でている。
レオンはこの国に、確かに受け入れられたのだ。
広間の奥から、若いエルフの声がした。
「陛下、次の会議の準備が整っております」
「わかった。では、客人を迎え入れるための晩餐を用意しよう」
フィルシアは柔らかな笑みを浮かべた。
「レオン王子、少しの間、この国を見て回るといい。
森の声に耳を傾ければ、あなたにも見えるものがあるはずだ」
レオンは深く一礼し、静かに答えた。
「……はい。学ばせていただきます」
広間を出ると、リュミエルが微笑みながら囁いた。
「あなた、やはり特別ですね。精霊たちが、
まるで昔の友に会ったように喜んでいました」
「…特別なんて、俺はただ怖くないって思っただけです。
森も、風も、優しかったから」
リュミエルの目が一瞬、優しく細められた。
「その言葉を聞いたら、陛下もきっと喜ばれるでしょうね」
森の風が吹き抜け、緑の光が一瞬だけ強く輝いた。
精霊たちの笑い声が、彼の背を押していた。
そのとき、レオンはまだ知らなかった。
この歓迎の裏で、森そのものの異変が潜んでいることを――。




