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旗印④

 ー何が起きているのか全く理解出来ない。自分は何故こんな得体の知れない目付きの悪い神父に付いて行っているのだろうか。どう考えたって貴族である自分を陥れる罠に違いないのに、大人しく付いて行っている。

大方、何かの失敗で貴族の地位を追われたこの男が、地位を取り戻す為の罠だろう。行けば莫大なお金で自分の命を買うか、何らかの脅しを掛けられるだけで自分の欲しいものは何も得られないのがオチだ。

何が、“初めての友達に会いたくは無い?”だ。

嘘に決まっている。碌でもない嘘だ。突拍子が無くて真実味も無い薄っぺらい嘘だ。そんなは分かっている。逆立ちしたって有り得ない事だと分かっている。

それでも、確かめずにはいられなかった。

ほとんど反射で付いて行ったのだ。供の一人も付けずにたった一人で、怪しい男に付いて行った。ー


 神父の来た日の夜に一人で屋敷の外まで来いと言われたエリックを持っていたのは、レイと不機嫌そうな小柄な男だった。

「マジで来たし」

男はボソリと呟くと、スタスタと歩いて行ってしまう。

「ご足労ありがとうございます。エリックくん」

「あ、あぁ、、レイくん、君何だか、、、昼と違わない?」

エリックは男をマジマジと見て言った。

「服が違うからでしょう。さぁ、行きましょうか」

レイは不機嫌そうな男の後を追う。二人は屋敷から少し離れたところに停まっていた黒い馬車に乗り込むと、暗い街に消えていった。


 沈黙に包まれた車は、坂を登り古びた教会の前で停まる。

大きな月を背景にして浮かぶその様はひどく不気味だった。観音開きの扉は薄く開いており、中からくぐもった声が聞こえている。

ここまで運転して来た男は、あくびを噛み殺しながらその隙間を広げて中に入って行った。

長身の男は教会を見上げて、小さく息を吐く。

古い知人の言う事が真実にしろ、偽りにしろ、ここで全て分かる。

先導する背中を見下ろしながら、エリックは大人しく付いて行った。

 左右に規則正しく並ぶ木製の長椅子にはまばらに人が座っている。一番右前の席で身を捩って扉を見ていた金髪の男が、その表情を煌めかせた。

「わぁお、近くで見るとますますイイ男だね。でも顔がイイ奴に碌な奴は居ないからなぁ、ははっ!」

男は自分の言葉に愉快そうに笑う。

レイはそんな男の様子を気にすること無く横を通り過ぎ、祭壇の前で立ち止まった。エリックは困ったように眉を下げた微笑みを浮かべながら、その少し手前で歩みを止める。

「エリックくん、こちらへ」

レイは手招きして長身の男を呼び寄せると、金髪が座るのとは反対の席に腰掛ける二人を指差して言った。

「貴方の友人たちだ」

エリックはレイから視線を離すと指差す方を見る。座っていたのはステンドグラスで透ける月明かりの中でもよく分かる赤毛の男だった。男と目が合う。眠そうな瞳だった。

「、、ロシュ」

「エリック」

ロシュは唸るように言う。長身の男は目を見張った。

だって、あまりにも変わっていなかったから。

気怠そうな話し方も、低くて聞き取りづらい声も、燃えるような赤毛も、何もかもあの日のままだった。

まぁ、少しだけがっしりしたかもしれない。でもほとんどそれだけだ。

その男は記憶の中の青年と完全に一致していた。

「ぁ、久しぶり、、」

「久しぶりだな」

「、、元気だった?」

「元気だった」

「、お爺様の首飾り、してないんだね」

「壊れた」

「え、そうなの?」

「でもサトシが直してくれた」

「、、そう、それは良かった」

エリックはパチパチと瞬きする。何だか、変な感じだ。

「ロシュまた会えて嬉し、、」

「ちょ、待て待て!」

エリックが言いかけた時、いい加減痺れを切らしたと言わんばかりの男の声が教会をこだました。

「ちょっと待てエリック!俺は?俺もだろ?俺の方が先に会ってるんだぞ⁉︎」

「え、何、」

長身の男は一歩距離を取る。

「“何”じゃない。トイレで会っただろ?」

「、、ああ!あの時の!」

ついに立ち上がった緑の瞳の男の言葉にエリックは同意を示した。緑の瞳の男はエリックを見上げる。エリックも男を見た。

どちらも何も言わない。

緑の瞳の男は目を見開いて、首を少し傾ける。何かを期待するような男のその表情に付いていけなくなったエリックは助けを求めるかのようにロシュを見た。

赤毛の男は小馬鹿にしたように薄く笑うと、

「イーサンだ」

と呟く。

「え?」

「コイツは、イーサンだ」

彼には珍しい訝しげな表情で疑問符を飛ばした古い友人にロシュはもう一度言った。

「、、、イー、サン?」

エリックは立ち上がってこちらを見る男に向き直ると、眉間に皺を寄せた状態で上から下までじろじろと不躾な視線を送る。

「え、いや、、ちょっと、、あぁ、、、僕の、記憶違いかも、」

エリックは自らの頭に手をやって考えるようにそう言った。

「いや、でも、、イーサンは、、、ああ、そういう事か!」

ぶつぶつと何事か呟いていたかと思ったら、急に納得したような声を上げる。

「からかってるんでしょ?本物の彼は隠れてて、僕を笑ってるんだ。そうでしょう?彼はそういうイタズラが好きだった」

自信あり気に言うエリックにイーサンは口をあんぐり開けた。

「本気で言ってんのか?そこまで分からない⁉︎そんなに違うか⁉︎」

緑の瞳の男は仲間を見る。

「知らねぇよ」

「あんな自信満々だったのにマジウケるね!」

「昔の姿を是非見たいものだな」

好き勝手に言う男たちを尻目に、赤毛の男は呑気に大あくびをしていた。

「え、ぁ、本物なの?」

「本物だわ!正真正銘のイーサン・ナンバーオリジンだ!何で分からない⁉︎ショックなんだけど!」

ギャーギャー騒ぐイーサンを未だ訝しげな表情を崩さないエリックが見つめる。

それを面白がって野次を飛ばす男たちの声で教会が揺れ動いた時、ひとつの声がそれを終わらせた。

「イーサンが本物かどうかは置いておいて。レイくん、僕をここへ連れて来た理由は?二人に会わせてくれるって言うのは僕を連れ出す為の、、言い方は悪いけど、餌でしょ?」

長身の男の声はよく通り、教会に再び静寂が訪れる。

「まぁ、そうですね。本当の目的は別にある」





 随分と時間が経ったような気がするが、ステンドグラス越しに注がれる月明かりの角度からしてそこまで長い時間は経っていないようだった。

目を瞑り、半ば眠るようにして話を聞いていた赤毛の男は久しぶりに訪れた沈黙に目を開ける。見えたのは真剣そうな仲間の表情と、いきなり突拍子の無い話を聞かされた古い友人の驚いた表情。

エリックは自分と同じ長椅子に座り黙って話を聞いていたようだった。

「今の話は、、あー、」

長身の男は言い淀むと、目をしきりに動かす。全員が彼の反応を伺っているようで誰も何も言わない。

「真剣な、話?つまり、その、世間話では無く?世間話でも罪にはなりそうだけど、、」

「真剣な話です」

レイは鋭い瞳でエリックを見るとそう言い切った。

「そう、、、ええと、どうして僕に話すの?」

「言った通り、貴方を旗印にする為」

「ああ、そうだったね。そう、旗印ね。聞いていたけど、脳が追いつかなくて、、」

エリックは困ったように少し笑う。

「ええと、これは、、国に対する反逆の話で、合ってるよね?」

「ええ」

「つまり、、、革命の話だ」

「そうです」

「君が僕を旗印にしたいって事は、僕に、全てを失えって事で合ってる、かな?」

長身の男は首を傾げる。

「ええ」

「地位も名誉も財産も、友人も恋人も?」

エリックは指を折って数えた。

「ええ、全て」

「家族も?」

二人の視線は交わり合う。

「、、ええ」

「そう」

エリックはそれっきり何も言わなくなり、教会は沈黙に包まれた。呼吸音だけが微かに響く。瞬きの音すら聞こえそうな静寂を切り裂いたのは、それを作り出した張本人だった。

「、、、仲間にならないと言ったら、全てを知った僕を殺す?」

エリックはレイを真っ直ぐに見る。膝に置かれた手はわずかに震えていた。

「いいえ」

「、何故?僕は君たちの敵側で、君たちを、、、君たちを反逆罪で捕まえて、殺す事が出来る。

僕が話せば、君たちは終わりだ。僕を殺さないだなんて、口では何とでも言えるでしょう?ここで殺されるか、君たちの要求を飲むか、僕の選択肢はそれしか無い」

金色の瞳は恐怖で揺れる。

「それは違う。こう言ってはなんだが貴方を殺すのにメリットが無い。むしろデメリットの方が大きい。貴方を殺せば望む旗印を失い、少なくとも二人は優秀な仲間を失う。

それに貴方は話したりしないと彼らからの折り紙つきだ。仲間になってくれるというのも付いてたがな、」

鋭い瞳の男はロシュとイーサンを見てそう言った。エリックもそちらを見る。

「君たちが?」

見られた二人はどちらとも無く頷いた。

「、、よく、そこまで言い切れるね。九年も会って無いのに」

エリックは俯く。星の光がステンドグラス越しに教会を美しく照らした。無音の夜が続く。揺れ動く視線と六つの呼吸音、その全ての動きが音となって聞こえて来そうな沈黙だ。

それを破るかのように貴族の男は顔を上げてレイを見た。

「仲間にはなれない」

ハッキリとそう言い切る。

「でも、誰にも話さない。友達が死ぬのは嫌だから。、、それじゃあ、僕はもう帰るね」

長身の男は立ち上がると扉に向かって歩き出した。

「エリック、、」

イーサンが呟く。エリックは立ち止まってそっと振り返った。

「イーサン、ロシュ、君たちに一目会えて良かった。、、生きてて良かった」

そう言うと再び歩き出す。

「っおい!エリッ、、」

「さよなら」

そう一言だけ呟くと、背の高い優美な男は教会を出て行った。

「、、サトシ、落ち合ったところまで送って行ってくれ」

「了解」

サトシは素早く立ち上がると今しがた出て行った男の後を追う。扉の閉まる音を最後に、教会は再び静寂に支配された。





 墨をこぼしたような深い夜空に煌々と光る月。今日はいささか月明かりが強すぎるようだった。

星の一つも見えない寂しいキャンパスに月だけがぽっかりと浮かんでいる。夜空を独占した事を誇るかのようにたった一人で輝く月が、ひどく虚しかった。

天蓋付きのベッドに外出用の衣装のまま寝転んでいる背の高い男はぼんやりと目を開けている。

今日は妙な一日だった。

全ての事が怒涛に起こり、未だに整理がつかない。男は教会での奇妙な出来事を思い出していた。

あの鋭い瞳を。

男は手を握ったり開いたりして小さく息を吐く。

自らの生命に対する恐怖は去ったが古い友人の事を思うと不安感は消えない。二人はあの話に同調したと言う事だろうか。

そして、そこに自分を引き入れようとしている。

ロシュはまぁ、分からなくも無い。彼は自分とは正反対、不平等に耐えて生きてきた人間だ。

でもイーサンは?

あの男が本物のイーサンなら、彼は上流専門の医者の家の子の筈だ。中流階級でもかなり上位に位置している。彼は不平等の上を生きてきて、これからもそれが保証されているのだ。

レイがなぜ神父になっているか知らないし、他の二人に関しては名前すら知らないがあんな事を言うのだ。ロシュと似たような人生を送って来たのだろう。

でもイーサンは違う筈だ。

イーサンだけは違う筈だ。

彼も自分と同じ状況に立たされた筈だ。でも、あそこに座っていた。この状況に立たされて尚、あの話に同調したと言うのだろうか。

どうして?

 カチカチと秒針の音が響く。収まらない胸のざわめきは男に時間を忘れさせた。気づけば辺りは陽の光で満ちていて、遠くの教会から鐘の音が聞こえて来る。一日の始まりだった。





 ギュッときつく締める音がして、同時に息が詰まる。

「っ、もう少し強くしてちょうだい」

「しかしお嬢様、これ以上締めると呼吸が苦しくなってしまいます」

「いいのよ!早くして!」

コルセットを締められていた若い女が鋭く言った。ベッドには大量のドレスが散乱しており、床にはピンヒールが転がっている。

「今日のパーティにはエリック様もいらっしゃるんですのよ。今日こそは!」

女は張り切ってそう言った。

「頑張ってね、彼と結婚出来たら家も安泰よ。お父様もさぞ喜ばれるわ」

老いた女が鏡の裏から現れるとそう言う。

「お母様!ええ、頑張りますわ。お父様の為にも!それに、私も他の方に自慢出来ますわ。難攻不落のエリック城をオトした世界で一人の女ってね!」

そう言うと鏡に向かって優雅に微笑む。そこに映ったのは戦場に向かう美しい戦士の姿だった。





 特大のラピスが吊り下がる大きな広間に沢山の人が集まる。パーティは大盛況で、今日も今日とてエリックの周りは人で溢れかえっていた。

人集りが出来ているその一角から少し離れた所でコソコソと話すのは年配の男たち。

「ピーストップ家は留まるところを知らないな」

「ああ、本当に。このイチア地区を治めている由緒正しい十四家のひとつ。是非親族になりたいものだ」

「皆考える事は同じか。ウチの娘もあと二十若ければ、そういった事も考えるのだがなぁ」

白髪頭の老夫が言う。

「あの顔だ。放っておいても娘は飛びついて行ったわ。父としてはありがたい話だ」

「ああ。でも、その分ライバルも多い」

「そうだな。そう言えば、卿のところの子息はピーストップ様と知り合いではなかったかな?」

「左様、在学中に脈を作っておけと言ったからな」

「ははぁ、それは羨ましい限りだ。息子が同年代など、今更望んでもどうしようも無い」

「それすらも時の運という事ですな」

髭の男が顎を撫でた。

「息子に紹介させましょうか?」

壮年の男は首をかしげる。

「、、ほぉ、それはそれは、、、何が望みかな?」

「そんな大それたものでは、」

男たちはヒソヒソと策を巡らせる。政治の話とはかくも複雑で人肌を帯びないものだった。





 一枚の扉がパタリと閉まる。薄暗い室内に訪れたのは静寂で、男が一番望んでいたものだった。

パーティは嫌いだ。

人が多くて、煩くて、混ざり合う香水の匂いに吐きそうになる。

集まって来る人々に人間の温度を感じなかった。

男も女も、気に入っているのは僕の持っている物であって僕自身では決してない。

愛想良く笑うのは疲れる。

エリック・ピーストップでいる事がひどく苦痛だった。

 長身の男は入って来て服を召し替えようとする使用人を締め出して部屋の中央に置かれたソファに沈み込む。

目を閉じたのも束の間、男は眉間に皺を寄せると鼻をひくつかせた。

鼻腔に留まるのはむせ返るような香水のにおい。男は深くため息をつくと、億劫そうに立ち上がってネクタイを緩めた。

色々なところを適当に引っ張ってポイポイと脱ぎ捨てて行く。

しかし思うようにいかず、苛立ったように扉を開けた。服のひとつ脱ぐのも一人で出来ないとは。

乱暴に開けた扉の先には豪勢な洗面台とバスルーム。

男が洗面台脇に置いてあった水瓶から柄杓で水を掬って手近な桶に溜めるとパシャパシャと水を跳ねさせながら顔を洗う。冷たくて気持ちいい。水瓶の中に沈む青いラピスが水の冷たさを保ってくれているお陰だ。

エリックはワックスで固められた髪を無造作にかき乱すと顔を上げた。

映るのは見飽きた自分の顔。

うっすらと浮かぶ微笑みに寒気がした。男は頭を振ると再び顔を洗う。指の間からこぼれ落ちる水が桶から飛び出し、白く輝く洗面台をつるりと伝い落ちると底なしの暗闇に吸い込まれていった。





 小高い丘の上に建つ教会を訪れるのはこれで何回目だろう。赤毛の友人に仲間が撃たれたと言われて来たのが最初だった筈だ。思えば、今ここにいるのもかなり奇妙な縁だった。ここの神父は随分おかしな男だ。本当に神父かどうかも怪しい。

そう思うならなぜ自分はここにいるのだろうか。

全く、道理に合わない事ばかりだ。

自分が推薦した古い友人、エリックにしてもそうだ。

彼が同意する道理などどこにも無い。当然の結果だと言えるだろう。ハナから無理な話だったのだ。変に希望を持たせたりして、仲間には申し訳ない事をしてしまった。

 誰にでも分け隔てなく開かれている教会の扉を開けて中に入ると、勝手知ったるとばかりに奥へと歩みを進める。居住スペースまでやって来た緑の瞳の男はコンコンと礼儀正しくノックした。

扉を開けたのはこの教会の責任者である神父。

「どうしたイーサン?」

イーサンは静かに問いかける鋭い目をした神父に向かって生返事をすると、その正面に腰掛けた。

「こんな事になってすまない」

「気にするな。難しい話だったんだ」

落ち込む男に向かって神父は穏やかに声をかける。

「イーサン、折角九年越しに再会出来たんだ。夢は共に見れずとも友人でいる事は出来る筈だ」

「うーん」

「父親が専属医なのだろう?跡を継げばいい」

神父はそう言って首を傾けた。

「、、、それがなぁ、ガキの頃にやらかしててなぁ。継げるか怪しいんだよ」

イーサンは顎をこする。

「そうか、それは残念だな。折角また縁が繋がったのにな」

「そうだな、」

「イーサン、」

鋭い瞳の男はイーサンを見た。

「この世に不可能な事は無い、やろうとしていないだけだ。そうだろう?」

そう言うと席を立って部屋の奥へと行ってしまう。顎に手を置いた緑の瞳の男は考えるようにコツコツと机を叩いた。





 胴の長い黒塗りの車が石畳の道を走る。広すぎる庭のせいで建物がちっとも見えない大屋敷の並ぶ通りを抜け、対岸が見えづらい程大きな川を渡ると、縦に細長い建物が見えて来た。

間口を少しでも狭くしつつ、体積を広く取ろうとした結果の細長さだった。上へ上へと伸びる石造りの家々には中流層が住んでいる。

上へと伸びる様が木のようだと「ツリータウン」と名前が付けられた町だった。

狭く、入り組んだ道の間を縫うように長い車が通り抜けた。そこからしばらく進むと、次第に道が悪くなり始め、抜け殻のような人々が道行く通りに出る。

スクラップタウンだ。

「申し訳ありませんエリック様、会議に遅れそうなので近道を通っております。お目汚しにならぬようカーテンを閉めさせて頂きます」

御者はそう言うと馬車の速度を落とす。

「いや、いいよこのままで。閉めなくていい」

「しかし、、」

「いいの。ありがとう、気遣ってくれて」

「滅相もございません」

御者はそう言うと落ちた速度を上げた。エリックは背もたれに背を預けて窓の外をぼんやりと見つめる。

流れる景色は綺麗とは言い難く、ほとんど掃き溜めのようだった。

舞い降りたカラスが人に混じって散らばったゴミを漁る。滅多に見ない高級な乗り物の走る様に人々は顔を上げた。

その顔はどれも汚れており、何日も風呂に入っていないようだ。

エリックは景色から視線を切り離すと、車内を見る。贅の限りを尽くしたふかふかのシートは完璧に磨き上げられていた。

視線を再び車外に戻すと、遠くに人集りが見える。半ば浮浪者のような人々の集まる中心には場違いな白衣の人物。

小綺麗なその人物は教会で見た顔だった。エリックはその光景に釘付けになる。

忙しなく流れていた景色がゆっくりとコマ送りのように展開した。

「っ!と、停めて!」

「はい?」

主人の言葉に御者は耳を疑った。

「停めて!」

「しかしエリック様、ここでは、」

「いいから、早く停めて!」

エリックは過ぎ行く景色を見ようと体をひねりながら大きな声で言う。常に無いその様子に、御者は慌てて馬車を停めた。

上品な主人が大きな声を出すなど仕えてから一度も聞いたことが無い。

 貴族の男は扉に手をかけてグッと力を込める。しかし、扉が開く事は無かった。

「鍵を開けて!」

「なりませんエリック様、その命令は聞けません。危険過ぎます」

御者は硬い声でそう言う。彼にも仕事があり、責任というものがあるのだ。

エリックはその頑とした物言いに歯噛みすると窓に張り付いて食いるように外を見つめた。

麦畑のような瞳に映るのは、彼が目にも入れてはいけないような身分の者たち。

ボロのような布を纏い、皮脂と埃で髪がベタついて固まってしまっている大人や子供。そのどれもがほとんど骨と皮のような体をしていた。

そんな彼らが取り囲んでいるのは白衣を着た若い男。

他の者と比べると大層清潔で健康そうな体躯をしている。

男の口がパクパク動いた。

白衣の男は集団の内の一人、汚れた子供の額に手を当て口を開けさせ、再度パクパクと口を動かす。そして自らの傍らに置いた鞄をゴソゴソと漁り、何かを取り出すとそれを渡した。

そっくりだ。

あの日の夜、教会で見た顔に。

いつかの日のパーティ会場のトイレで見た顔に。

だが、決定的確証は無い。どれだけ目を凝らしても、ここからでは瞳の色までは分からなかった。

たとえ瞳の色が分かっても、彼が僕の知ってるあの子かどうかはまだよく分からない。

面影は見つけられかったからだ。

でも遠くにいるあの男が医者なのは間違い無いだろう。そうなると、なぜあの男はこんな所で白衣を着ているのだろうか。

スクラップタウンに医者なんて身分の人間が来る筈がない。

と、こちらに誰か近づいて来る。

四、五人ぐらいのその男たちはニタニタと嫌な笑みを浮かべていた。

「?」

エリックは視界を遮って来るその人物たちの顔をまじまじと見つめる。特に知った顔は無いように思えた。

「っエリック様!そろそろ出発致しましょう。得体の知れない輩が近づいて来ておりますし、会議にも遅れそうです」

御者は早口でそう言うと主人の了承も得ず発進してしまう。

近づいて来ていた男たちは走り去ろうとする馬車に咄嗟に駆け寄るが、追い付く事は叶わなかった。

車窓からの景色は早送りのように流れて行く。貴族の男はハッと短く息を吐いて座席にもたれた。

あれが本当に僕の思う人物だとしたら?

心臓を鷲掴みにされたような居心地の悪い胸のざわめきは、収まってくれそうに無かった。





 パーティ会場のバルコニーに背の高い男は立っていた。暗い空に雲が流れる。上空は風が速いのか、ふわふわと浮かんでいた雲は細く長く裂かれていった。

薄いベールのようになった雲越しにぼんやりと星が光る。光を反射して実際の光よりもずっと大きく見えていた。

背筋を伸ばしてピンと張った糸のように立つ男は何を見るでも無くゆっくりと息をしている。

「エリックくん」

背後からかけられた声に長身の男は目をしばたたくと振り返った。

「アーサーくん、君か、」

エリックは短く言うと視線を空に戻す。

「君か、って、随分なご挨拶だね。良いのかい?皆んな君を探していたよ」

アーサーはそう言いながらエリックの隣に立った。

「うん、」

会話をする気が全く無い男にアーサーはクスリと笑う。

「上の空だねぇ。どうしたの?」

「別に、何も無いよ」

「嘘だね。君がぼんやりしてるなんて事はほとんど無いもの。絶対に何かある。何?何か悩み事?」

アーサーは確信したように言った。

「、、、」

エリックはしばし沈黙すると、はぁ、とため息をつく。

「悩み、そうだね、、悩みっていうか、、、迷い?みたいな」

「迷い、、?謎かけみたいだな。もう少しヒントを、」

そう言って様子を伺って来る男にエリックは小さく首を振った。

「言いたくない?」

コクリ、

「そう、まぁ、、、それなら仕方がないけれど、」

「ごめんね」

「いいや、良いさ。誰にだって言いたくない事のひとつや二つ、三つや四つある」

「ふふ、沢山だね」

エリックは笑う。

「ハハ、そうさ。言いたくない悩みは沢山あるものだよ」

アーサーは顔中で笑った。

「悩みは沢山あるものだけどね、そのどれもがきっと既に解決出来ているものなんだ。解決しているのに、していないと思い込んで複雑にするのさ、人間は」

言いながらベランダにもたれる。

「君が何で悩んで、いや、迷ってか、迷っているのかは僕には分からない。でもさ、きっともう君の中に答えは出ているんだよ。だからあとは、その答えに従うだけだ。違う?」

アーサーは首を傾げた。エリックはアーサーを見る。

沈黙が流れた。

「くっ、ハハ、なんてね」

アーサーは肩を震わせて笑う。

「どう?カッコよく決まっていたかな?如何にももっともらしかった?ちょっとクサ過ぎたかな、ハハッ」

「ふふっ、そうだね。ちょっとクサかったかも」

エリックもクスクスと笑った。

「ハハハ、君は、素直にそういう事を言うから面白いよ。良き友人だ」

「君こそ、くだらない冗談を言うじゃないか。僕にとっても君は面白い友だよ」

「、、うーん、今のは君の方がクサかったよ、エリックくん」

「いやいや、君には敵わないよ」

二人の若者の楽しげな声が夜空に響く。モヤのように張っていた雲は風が押し流して行ってしまったようだったようだ。

ここまで読んで下さりありがとうございます。

悩むエリック。

もし全てを持っていたら、貴方はそれを捨てられますか?捨てても良いと思うほど大切なモノはありますか?

そんな大切なモノがある人はきっととても幸せだと思います。

そんなモノをひとつで良いから手にする人生にしたいなぁ。

さて、続きは木曜日21:00公開予定です。

エリックは何を思い、どんな決断を下すのか、ぜひ見届けてあげて下さい。

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