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旗印②

 優雅な音楽の響く大きな広間で何人もの男女が踊っている。豪華な装飾によっていかにも重そうな衣装を揺らしながらも皆一様に楽しそうだ。

グラス片手に何人もの人間に囲まれている長身の男は柔和な笑みを浮かべていた。

「エリックさん知っているかい?最近噂になってる賊のこと」

「賊?知らないよ何かな?」

長身の男の言葉に問いかけた男は嬉しそうな顔をすると嬉々として話し始める。

「領民に厳しい貴族に生意気にも正義の鉄槌を下してるって噂さ。平民ごときが誰の土地で暮らしてると思ってるのか、全く学が無いのもいい加減にして欲しいね」

そう言う男にエリックを囲んでいた者たちが次々と同意した。エリックは手にしたグラスを傾けてその整った眉を下げる。

「それは恐ろしいね。僕も襲われたらと思うと、、」

「ハハッ、大丈夫さ。襲われているのは橋の近くに住んでいる男爵級の貴族ばかりだからね。平民のいい憂さ晴らしだよ」

「でも怖いものは怖いですわ。彼らにも何か娯楽を与えた方が良いのではなくって?そうすれば少しは気がまぎれるというものですわ」

女は言いながら首を傾げた。盛り上がる話をエリックはコクコクと頷きながら時折相槌を打つ。

甘ったるい香水の匂いとグラグラと頭を揺らす音楽に人の笑い声、目を刺す様な華美な衣装と女によってわずかに触れられている腕。

その全てを飲み込んで、長身の男はそれはそれは優雅に立っていた。







 時刻は真夜中、草木も眠るような沈黙の時間。厳格に建つ教会のステンドグラスを透かした月明かりがゆらゆらと怪しげに揺れる。

黒い修道服に身を包んだ神父の運ぶ小さなラピスが、並ぶ長椅子に座る人物たちの顔をぼんやりと照らした。

座っているのは全部で四人。眠そうな者もいれば落ち着きの無い者もいて、教会にかすかな気配を落としていた。

神父を含めた五人の人物はコソコソと何やら話をしている最中のようだ。

「こんな形で接触して欲しいと思っているが、どうだろうか?」

神父が平坦な声で言った。座っている人物たちは口々に同意する。誰も異論は無いようだった。いつも大体こうだ。神父の考える計画は恐ろしい程に合理的で隙がなく、異を唱える余地など無い。

「レイの計画に文句は無いけどさ、ソイツは本当にこっちに来る可能性あんの?」

右前に座っていた人物が言う。耳元で小さなアクセサリーがキラリと光った。

「だよね〜、俺もサトシに同意。だって俺なら貴族の称号を無くすのに協力なんて絶対しねぇもん。そんなバカなことする訳ない。医者の地位すら俺は大事に守るね」

左前に座っていた金髪の男がヘラヘラと言って振り返ると、後ろに座る人物に目を向ける。

「なんだ、俺がバカだって言いたいのか?」

緑の瞳をした男がそう言ってニヤリと笑った。金髪はおどけたように肩をすくめる。

「アイツがこっちに来るかは分からない。俺もずっと会ってないしな、、でも大丈夫だろ。会ってなくても友達は友達だし」

男は、任せなと言って自分の胸を叩いた。

「友達、ね。何年も会ってなくてよく言うよ。毎日会ってる奴ですら信用出来ない世界なのに」

ピアスの男はボソリと呟くと、小さく首を振る。

いささか楽観的過ぎる新しい仲間の考え方は、物事の最悪から考える自分の考え方とは根本から違うようだ。

後ろの椅子でくうくうと寝息を立てている赤毛の最古参の仲間ともやはり分かり合えそうに無い。こんな状況でよく眠れるなと思う。

サトシは深くため息をつくと、諦めたように天を仰いだ。月明かりを反射するステンドグラスがキラキラと輝いていた。





 長い廊下を背の高い男が歩く。城のような建物の中にある廊下はその外観に負けない絢爛豪華な作りをしていた。

足音を吸収する質の良い絨毯は屋敷中を埋め尽くしている。

背の高い男の着る服もまた豪華な刺繍の施された目の覚めるようなものだった。

男はスラリとした体型をしており、顔は大変整っている。

女性的ともとれる長いまつ毛の奥にある金の瞳は知的な色を宿していた。長身の男は右手に手の平ほどの大きさの紙を持ったまま扉の奥へと消えていった。

広い部屋の中央に置かれたソファに腰掛けると、手にしていた紙を開ける。

赤い蝋で封をしてあったそれは手紙のようだ。男は中身を取り出して確認すると置いてあったペンでサラサラとサインする。紙に書いてある文言はこうだ。

“舞踏会へのご出席の確認”

良い匂いの焚きしめてある質の良い紙で出来た招待状は、男の書いたサインのインクをしっかりと吸い込む。

全く、舞踏会舞踏会、そればかりだ。他にやる事があるだろうという思いはどこに発される事も無く消えていった。





 燃え盛る太陽が並ぶ城のような屋敷の間に消えた頃、ある屋敷へと馬車が出たり入ったりしていた。

中に入って行くのはいずれも豪勢な服を着た称号持ちの金持ちばかりだ。

純白の馬が引く豪勢な馬車が屋敷の前に停まったかと思うと、助手席から出てきた使用人がドアを開ける。ブラウンの頭をかがめて出て来たのは見上げる程大きな若い男だった。

スラリと背の高いその男が現れると、近くを歩いていた人々が振り返る。男は振り返ってもう一度見たいと思わせるような雰囲気を持っていたのだ。

 “お!あの馬車から出て来た奴じゃない?”

耳元で相変わらずうるさい声がする。

「どれだ⁉︎」

「ちゃんと確信持ってから言え」

ネクタイを締めた小柄な男がソワソワと落ち着き無く緑の瞳を揺らすイーサンの襟首を引っ掴んでいらだったように言った。

“お、ちゃんと俺の声聞こえてるねぇ。やっぱ俺天才じゃん!音を集めて出すだけの石を双子石と合体させて遠く離れてても聞こえるんだよ⁉︎それって革命的じゃない⁉︎ヤバくね⁉︎”

「うるさいチャック黙れ。それよりターゲットは?」

“今、中に入って行く所だ”

キャンキャンとうるさいチャックの声越しにもう一度耳元で声がする。今度のは最初のより低い声だった。唸るような物言いに声の主が容易に思い浮かぶ。ロシュだ。

 得体の知れない男たちが目をつけた長身の男は人垣を割るようにして屋敷へと入って行った。というのも、男が一歩進むごとに彼の顔を見た人々がぼんやりと見惚れたように一歩引いたからだ。

長身の男はそんな群衆にニコニコと笑顔を浮かべながら挨拶している。

 招待客の通された部屋は途方もなく広い部屋だった。吊り下がる幾つもの巨大なシャンデリアが部屋を明るく照らしている。

シャンデリアに嵌め込まれたラピスは精巧にカットされており、目で見ても華やかだった。

もっとも、天井が高すぎて小さなラピスに刻まれた小さな装飾など全くと言っていいほど見えてはいなかったが。

ドレスやタキシードに身を包んだ貴族たちは、会場に流れる音楽に合わせて身体を緩やかに揺らした。

肌にピリピリと伝わる音の波は、会場の前方から聞こえて来ているようだ。品の良い旋律が耳に心地良い。立派な楽隊がそこにいた。舞踏会というだけはある。

男たちは、給仕の運ぶ酒を嗜みながら目当ての女をダンスに誘っていた。

貴族たちにとって、こういった社交の場は結婚相手を見つける場でもあるのだ。

いかな貴族と言えども、幼い頃から結婚の相手が決まっている者はそう多くない。男も女も最大限に着飾り、自身の魅力を引き出していた。

そんな苦労をしなくても十分輝ける者はどんな集団にも一定数いるものだが、その人物は他とは一線を画していた。

 高い位置から見下ろす金の瞳は大きく、通った鼻筋は端正な顔立ちを際立たせている。

遠くから見ても思わず目を見張ってしまうような雰囲気を持ったその男は、まさに完璧と言っても過言では無い。

だが、彼を一番完璧足らしめているのは、その口元に浮かぶ微笑みにあった。

計算し尽くされているのではと疑ってしまう程に完璧な角度で上がる口角を見て、彼を嫌いになれる者など居はしないのではないだろうか。

それ程までに男の微笑みは魅力的だったのだ。

今日も今日とて長身の男の周りは人でいっぱいだった。

性別問わず、男の周りはいつも人で溢れていたが、こういった場では女の方がすごかった。どうせ結婚するなら見目は麗しい方が良いし、皆が取り合うような男を自分のものに出来れば、それだけで自慢のタネになる。

そう言った理由から、長身の男の周りにはたくさんの女がいた。

 だが実を言えば、彼はダンス相手に手を差し出す際、緊張する必要はなかった。

なぜなら、彼の手を拒む女は現れなかったからだ。それになにより、女たちが勝手に順番を決めてしまっていた。

彼は順番通りに手を差し出すだけで良かったのだ。長身の男は元来こんな具合に生きてきた。ニコリと笑う男は上機嫌のように見えた。

会場に響く楽隊の音楽は途切れる事なく続いてゆく。吹き抜けた天井の高い窓を揺らす音はどこまでも広がり、広大な庭の一画に隠れるように停まっている黒の馬車にも、届いて来るようだった。





 舞踏会の音楽が漏れ聞こえているのは屋敷の裏も同じだった。裏口にも抜かりなく立っている衛兵を二人の男女が遠巻きに見ている。

「あら、こんなところにもいる。これじゃあ入れないわね」

「なぁスカーレットもう諦めよう。最初から無理だったんだよ」

男の低い声が女を制止した。スカーレットはその言葉がまるで聞こえていないかのように、顎に手をそえる。

おかしな二人だった。

男の方は筋骨隆々で、いるだけで威圧感という名の存在感がある人物だ。だがそれに負けず劣らず女の方もまた存在感があった。

長いブロンドの髪は夜風を受けて優雅になびき、月明かりを受けてキラリと光る。意志の強い顔は思わず見惚れてしまう程美人だ。

「アレクサンドル、ちょっとここで待ってて」

女はそう言うと、男の制止を無視して裏口へと直行した。

真っ直ぐに進んで来る人物に衛兵の男は警戒したように体を動かす。しかし、月明かりの中でも分かるぐらいの美女だと気付いた時、男はあからさまに警戒を解いて話しかけて来た。

「こんばんは、何かお探しで?」

「ええ、そうなんですの。実は、、」

女は懇切丁寧な口調で言うと、上目遣いで衛兵を見上げる。

「貴方のような素敵な殿方を探していましたのよ」

そう言うと、ふふっと可愛らしく笑って小首を傾げた。衛兵の男は女のそんな仕草に思わず目を見張る。

「っそれはそれは、、貴族の女性が私のような下賤な者を?」

「ええ、好みに身分は関係ありませんわ」

女の微笑みに男は警備の仕事などすっかり忘れて手を伸ばした。あと少しで女の腰に触れようとした時、暗闇の奥から男の声がした。

「お嬢様、何をなさっておいでで?」

出て来たのは筋骨隆々の大男。坊主頭に浅黒い肌は男の威圧感をさらに高めていた。

「あら残念。うるさいのが来てしまいましたわ」

女はスッと一歩下がると肩をすくめる。衛兵の男はいきなり現れた大男に声も出ないようだった。

「ごめんなさいね。続きはまた今度」

女は衛兵に小さく耳打ちすると裏口からスルリと中に入る。大男はというと、衛兵の男に睨みを効かせながら女の後に続いた。

 長く続く廊下を二人は静かに歩く。行き先はずっと漏れ聞こえている音楽が教えてくれていた。

楽器の音が大きくなり、入って来た扉からかなり離れた時に大男はずっと言いたかった事をぶちまけた。

「ちょっとスカーレット!君は一体何をやってるんだい⁉︎いきなり危ないじゃないか!」

「シィー!声が大きわよ。危なくなんてないわ。だって貴方がベストタイミングで入って来てくれるでしょ?私、信じてたんだから」

女は自信満々で言う。

「だからって、」

「何も伝えてなかったのに、あそこまで出来るなんて思ってなかった。タイミングまで完璧。見事なボディガード役だったわ。さすが私の旦那様ね」

調子を崩さないスカーレットに男は諦めたように深くため息をついた。

「分かってると思うけど一応言っておく。これ、不法侵入だから」

「ええ、分かってるわ」

女は大男を見上げる。

「でもいいじゃない。貴方がここに来たいって言ったのよ。貴方は貴族には見えないし一人じゃとても入れなかったでしょう?」

「それはそうだけど、正体不明の義賊が来るかもしれないってヤマを張りに来た先で俺たちが罪を犯してたら意味がないじゃないか」

「大丈夫よ。貴方が手柄を立てればこの屋敷の主だって私たちの不法侵入に泣いて感謝するもの。それに、何も無かったとしても、こんなに人がいたんじゃ二人ぐらい紛れ込んでいても誰もが気づかないわよ」

スカーレットはそう言うと大きく音楽の聞こえて来る扉をグッと押し開けた。





 音楽がもう何曲目に差し掛かった頃だろうか。ある人物を付け狙う二人の男は中々進展しない現状に苛立って来ていた。

「人が多すぎだろ。いつ一人になんだよ」

ピアスをつけた小柄な給仕が誰にも聞こえないぐらいの音量でグチリと言う。視線の先には人集り。頭ひとつ飛び抜けている端正な顔の男を半ば睨むように見ていた。

“ふむ、これでは埒が明かないな。サトシ、第二でいこう。待っているイーサンもそろそろ限界そうだ”

“主に暇な事がね!”

ピアスの奥から聞こえる落ち着いた声の向こうから、いつもの賑やかな声が聞こえてくる。声の主は一人でも十分に賑やかな人物だった。

“さっきからずっと、暇だ暇だぁ、ってうるさいんだよー”

「第二ね、了解」

小柄な給仕はそう言うと、お前が一番うるせぇと呟いて動き出した。

ポケットから取り出した袋の口を素早く切ると、赤紫色の飲み物が入ったグラスに中の粉を入れる。そしてそのままゆっくりと人集りに向かって歩いて行った。





 「マジでやる気なのか?」

若い男が城のように聳える大きな屋敷の塀を見上げてそう言った。

「マジもマジだ。だって今このでっけぇ家には金持ちの貴族サマがワンサカいるんだぜ?狙わない手はねぇだろ」

猫背気味な青年が興奮したように言葉を返す。

「そりゃそうだが、どうやってやる気だよ?」

最初の若い男がその厚い唇を尖らせて言った。

「んなもん簡単だよ。真っ直ぐ入ればいいんだ。こんだけいりゃあ二人ぐらい分かりゃしねぇさ」

猫背の青年はそう言ってニヤリと笑う。説得力も何もあったもんじゃ無いような説得をされた唇の厚い青年は当然断る、かと思いきや、

「たしかに、そりゃそうだな」

そう快諾してしまう。思慮の足りなさは若さ故か。

どっちにしろ後の祭りである。よもやあんな事になろうとは、誰も予想出来まい。





 なんだか、嫌な感じだ。異常にトイレに行きたくなって来た。そんなにたくさんお酒を飲んだ訳でも無いのに、酔いよりも先に尿意がやって来たようだ。先程給仕に渡された赤ワインが半分ほど減ったグラスをまじまじと見た。

「ちょっと失礼」

男は自分を取り巻く人々に会釈すると、一歩踏み出す。急に動き出した長身の男に周りの人たちは驚いて、そのまま着いて行こうと遅れて一歩踏み出した。

しかし長身痩躯の男の歩む先にあるものに気がつくと、取り巻きは足を止めて待つ方を選択した。

長身の男は途中、会場内を歩く給仕にグラスを渡すと奥まった部屋に消えて行く。

「行ったよ」

非常に見つけやすい背の高い男を遠くから横目で追っていた小柄な給仕は小さく呟いた。もうすぐ、今回の目的が達成出来そうだ。

あと残っている自分の仕事と言えば、このつまらない給仕の仕事だけだろう。





 広い吹き抜けの会場の中央で優雅に踊る男女を尻目に存在感抜群の二人組がゆっくりと歩いていた。存在感あると言っても誰もが着飾った舞踏会だ。街中ほどではない。

「すごいわね。何?この無駄に広い部屋」

女は天井を仰ぎ見てそう言った。

「招かれてるのも大物ばかりだ。まぁ、貴族の舞踏会なんだから当たり前だけどさ、」

大男も感嘆の声を上げて同意する。

「私たちも着飾って来たけど全然ダメね。装飾もそうだけど、そもそも生地感が違い過ぎる。バレちゃうかも」

女はふざけた調子で言った。だが、その瞳にはわずかに不安の色が乗っている。

「大丈夫だよ。君が言ったんだろう?こんな所まで入れたんだ。怪しい人物がいないか注意して見よう」

「、、ええ、そうね。弱気になったりして悪かったわ。目を光らせましょ、正直私たちが一番怪しい気がしなくも無いけれど、、」

女は緊張の糸を少しだけ緩めた時、

「侵入者だ‼︎捕まえろ!」

響き渡る音楽にも負けないような怒声が響いた。二人は瞬時に身を固くする。騒然とする会場はじわじわと混乱の色を濃くしていった。





 ガチャリと扉が開き、誰かが入って来た。“誰か”など分かりきっている。舞踏会が始まってからずっとここでその“誰か”を待ち続けていたのだから。

仲間からの連絡も入った。間違い無く俺の待ち人だろう。

幸いな事に、今は誰もいない。今回のターゲットと接触するのにこんなに好条件も中々無いと思う。だがすぐに出るのは少し申し訳ない。

いくら作戦のためとは言え、利尿剤を盛ったのだ。トイレぐらい行きたい筈。筈も何も、ここはトイレなので確実に行きたいのだろうが。

それにしても、彼も運が悪い。もし彼に人を惹きつける力が無ければ、人集りも出来ず、シャツにワインをこぼされるだけで済んだのに、、

まぁ、惹きつける力が無ければ、そもそも自分はこんなところで長々と待ってはいないのだが、それは今はさして関係の無い話だ。

頭の中でそんな事をぐるぐると考えていると、水の音がした。ジャッと流される音は、、、手を洗っている音じゃないか⁉︎

下らない事で千載一遇のチャンスを逃したら目も当てられない。並ぶ個室の一つをずっと使用中にしていた男がついに扉を開けた。

勢い余って開いたとびらが壁に当たって跳ね返る。バンッと鳴った大きな音に、待ち続けていた“誰か”が振り返った。

 懐かしい顔だった。背も伸びて、しっかりした顔付きにはなっていたが、あの日見た少年のままだ。

男は懐かしさで思わず顔をしかめる。いきなり顰めっ面を向けられた長身の男は、少しだけ困惑したような表情を浮かべると、ハンカチで手を拭いた。

「エリック!」

発した言葉は自分の想定していたより大きく出た。

それぐらい興奮していたのかもしれないし、単にずっと一人で黙っていたから適切な音量がよく分からなくなっていたのかは、今では定かではない。

「ぇ」

エリックは突然の大声に身を固くするも、困ったように笑っていた。

「エリック!久しぶりだなぁ!あのな、、、」

男はまくし立てるようにそこまで言うと、急に黙りこくる。

「いや、ダメだダメだ、懐かしい話をしてる場合じゃ無いんだった」

「ぇ、、?」

長身の男は眉を寄せて、絞り出すようにそう呟いた。あの柔和な微笑みは鳴りを潜めている。

「あのな、エリック、、、」

男がそう言った時、トイレの扉がガバリと開いた。

「失敗した!逃げるぞ!」

大きな声で入って来たのは小柄な給仕の男。目の前にいる得体の知れない男の腕を引っ張って行く。

「嘘だろ⁉︎あとちょっとじゃないか‼︎もうちょっとだけ!」

「ダメだ!もう衛兵が来てる!早くしないと屋敷自体が封鎖される!」

小柄な給仕はその体格とは裏腹にすごい力で、変な男を引っ張った。

「クッソ!なんなんだ!ごめんなエリック、また今度!」

男はそう言うと、給仕に付いてバタバタと走り去って行ってしまう。後に残されたのは衝撃で揺れる扉と、呆けた顔の長身の男だけだった。





 二人の青年が闇に紛れて全力で走っていた。広い庭を突っ切ると、途中で二手に分かれる。

くそ、失敗した。あんだけ居ればバレないと思ったのに

自分なりの最大限で高級な格好をして来たにも関わらず、一分と騙す事が出来なかった。

「クソっ、グランツのせいだ!」

「うるせぇ!二手に別れるぞ!」

「ああ、いつもんトコで」

「気ぃつけろよフロイデ!」

猫背の青年は、猫のように華麗に街を駆け抜けて姿を眩ます。もう一人も深い闇に紛れてどこかへ行ってしまった。

 




 舞踏会に混乱をもたらした当人たちがいなくなっても、会場はパニック状態だった。

それもその筈だろう。

二人の泥棒を見て貴族のご婦人連中が、ある事ない事言いまくっていたからだ。

不審者は中にまだいるだとか、武器を持っていただとか、既にたくさん盗られているだとかそんな具合だ。

そのほとんどが、パニックから生まれた戯言に過ぎなかったが、一部いただけないところがあった。

自分たちのミスで作戦が頓挫した訳では無いにしろ、異常事態が起こった会場に関係者として閉じ込められるのは何としてでも避けなくてはならない事案だった。

会場内にいた小柄な男と緑の瞳の男は、当初の通り逃げる手筈だった人気の無い通路への扉を開ける。会場内では騎士を名乗る男が何やら大声を上げているようだった。

なぜこんなに早い?

内密に騎士を配置していたとでも言うのだろうか。だとすれば尚更早く出るに限る。顔を見られるのはまずい。

叫び声を後ろに聞きながら二人は通路を抜けて外に出る。隠れるように停まっていた馬車のランプが付いた。突然騒がしくなった事で馬たちは落ち着かなげに鼻息を漏らす。

「ロシュ!退け!」

緑の瞳の男は御者台に座る赤毛にそう言いながら疾走する。一緒に出て来た小柄な給仕は後部座席に一直線だ。赤毛に変わって御者台に座った緑の瞳の男は、全員いるかを素早く確認した。

「行くぞお前ら!しっかり掴まれ!」

グンと一気に加速した黒い馬車は闇の中を突っ走る。警鐘の音が遠く聞こえて来ていた。

ここまで読んで下さりありがとうございます!

たくさんのキャラが動いてくれるのは楽しい!整理するのは大変!でも楽しい!

少しずつ動き出したエリックの運命、一緒に追って頂けると嬉しいです。

続きは明後日の土曜日、21:00を予定しております。明後日またお会いしましょう。

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