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解放の火 後編④

 サトシとロシュが押し問答を始める少し前、監視塔を上りきったエリックは額に冷たい風を感じながら島を見下ろしていた。監視塔の上は想像していたよりも狭くなかった。

仲間たちと交信する為の道具を置いても十分広い。案内人を務めた島主のターウォンと、荷物を運ぶのに長い螺旋階段を上り下りした男たちが去って行くとチャックは早速交信の準備を始めていた。

エリックはその様子を見守りながら監視塔から身を乗り出す。

島の人間か、祭りを楽しみに来た島外の人間かは上から見るとよく分かった。

引き抜きに間に合うようにあくせく歩くのは島の人間。楽しげな表情で右に左にゆっくり歩いているのは島外の人間だ。

エリックが冷たい風に身震いした時、チャックは仕事を終えたようだった。

耳元で響く仲間たちの声とレイとサトシの会話。

エリックはそれらをぼんやりと聞いていた。

『行列開始まで一時間を切った』

その言葉がやけに鮮明にエリックの鼓膜を揺らした。耳元の声が無くなり、全員が静かに“その時”を待つ。

無言で立つ貴族の男に気づいたチャックはラピスに手を伸ばした。今なら交信を切っても問題無いだろう。

「エリック、大丈夫?」

「…え?」

チャックの声にエリックは振り返る。

「今朝迎えに行ってからずっと変だよ」

「…そう?」

エリックはニコリと笑う。隠すようなそれ以上寄せ付けまいとするようなそんな笑顔だった。

しかしチャックはあえてそれを無視した。

「うん。変だよずっと」

チャックはにこやかに言う。エリックは驚いたように口をぽかりと開けた。まさか言及されるとは思わなかったのだ。

「…ふ、ふふ、ははっ、」

エリックは声を上げて笑う。

「はぁ、全く、君たちには僕の常識は通じないんだもんなぁ」

貴族の男はどこか満足げにそう言った。そして観念したように話し始めた。

「まぁそう大した事では無いんだけど…」

エリックはチャックの真似をするかのように、島主が置いて行ったいかにも高級そうな椅子を背もたれにして監視塔の冷たい床に座った。

「実は、君たちが屋敷に迎えに来てくれる前に両親と話したんだよね。たぶんもう会えなくなるから、最後に挨拶しないとって思ってさ」

記憶を辿るようなつたない声だった。

「何を言おうって。ずっと、考えてた筈なのに、いざその時が来ると何を言いたかったのか、分からなくなっちゃって…そうしたらお父様の方から話しかけて下さったんだ。普段は雑談のひとつもしない癖に、何で今日に限って、」

エリックのブラウンの髪がふわりと巻き上がった。

「『療養はどうだ、上手くいってるか』って。そんな、一度も言った事が無いような事を今日は言うんだ。僕を、心配したんだ」

金色の瞳が弧を描く。

「そしてこう続けた。『そもそも何で療養してる?』」

エリックは父親の厳しい声を真似して言った。監視塔に差し込んでいた陽光はどこからかやって来た分厚い雲に覆われて陰ってしまう。

「『身体は元気そうだ。では心か?だが何が原因だ?父に言ってみなさい』そうやってお父様は頼もしい感じでおっしゃった。ホント、頼もしい感じで、」

エリックは監視塔の床のささくれた木をめくりながら言う。

「実はねチャック、僕、本当に療養が必要なんだって。僕が君たちと内緒で会う為に療養って体で屋敷を用意したってイーサンから聞いてるだろうけどさ」

エリックの言葉にチャックは青い目を丸くした。

「え、そうなの?大丈夫なの?」

「ああごめん、大丈夫だよ」

エリックは肩をすくめる。

「ただ僕って、その、すごく嘘つきだから。屋敷とかパーティとかで嘘をついてニコニコし続けてるのって良くないんだって。だからちょっと屋敷から離れて休憩した方が良いって」

エリックはめくってしまったささくれた床をポイと投げながら言葉を続ける。

「それをイーサンはお父様に説明してた筈なんだけどね……覚えて無かったみたい」

そう言って手を止めると監視塔の天井を見上げた。

「お父様はもう一回言ったの。『お前は何が不満なんだ、望みは何なんだ?言ってみなさい』って」

エリックは小さく笑う。それはわずかに嘲りを含むような響きだった。

「不満って言ったら大抵の事は不満だよ。お父様が療養の理由を知らなかった事も不満だし、いつも知らんぷりの癖してこんな日にだけ話しかけて来るのも不満だし、父に相談してみなさい、解決してあげるからって態度も不満だし。お母様が何も言わずに黙ってる事も不満。全部不満。でもそんな事、言えないでしょう?」

エリックは隣に座るチャックを見た。エリックの小麦畑のような金の瞳は揺れている。

「だって、お父様が欲しい言葉はそれじゃない」

エリックは深くため息を吐いた。

「でも一番不満なのは、僕が相手の欲しい言葉しか言えない事」

白磁の頬に一筋、涙が溢れた。

「僕は今日、ここで全てを捨てるでしょう?

自由に思った事や感じた事、好きな事を好きだって言いたいから星骸の一員になった。

だから、今日だけは、今日だけは自分の思ってる事を言わないとって。

言わなくちゃいけない日だって。父にすらそれを言えないならこんな、皆んなの前で旗印として言える訳無いって。でもっ、」

エリックの声が震える。完全に曇ってしまった空は今や重苦しい黒雲によって覆われていた。

「でも言えなかったっ!」

エリックは膝を抱えて小さくなる。

「お父様は、何も言わない僕を根気よく待ってた。誰も何も喋らない、動かない、重い空気が部屋を支配してた。僕はますます何も言えなかった。お父様が怖かった。もし僕が期待通りの言葉を言わなかったらどんな言葉を投げかけられるだろうって考えると怖くて、でも、今日だけは言わないといけないって思って…」

チャックはためらうようにエリックに手を伸ばした。だが、それはエリックに届く事なくダラリと落ちてしまう。

「何も言わない僕にお父様はついに怒鳴った。『聞いてやっているんだから何か言いなさい!黙っていたら過ぎると思っているのか?笑って誤魔化そうとしたって無駄だ。逃がさないぞ』って」

チャックは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「そして僕は、僕は…『パーティ続きで疲れてしまって。僕に近づいて来る人間が良い人なのか悪い人なのか分からない。誰も信じられない気がして』って言った。……そう、言っちゃった」

うずくまるエリックのくぐもった声が震える。黒雲の垂れ込める空が運んで来た風は身を切るように冷たかった。

「お父様は『分かるよ』って。『私もそうだったから』って。どうしたら人を信用出来るか教えて下さった。それを聞いて僕は…」

ギリリと歯を食い縛る音が微かに聞こえた。

「『ありがとうございます』って!そう言った!」

エリックはようやく顔を上げる。顔は涙でぐちゃぐちゃで鼻水まで垂れている。とても見れた顔じゃなかった。チャックは持って来た音ラピスを包んでいた布を引っ張り出すとエリックに差し出す。

「お父様は僕のその言葉を聞いて満足そうにお部屋へと帰って行かれた。僕は結局、最後まで…何も言えなかった」

エリックはポロポロと溢れ出て来る涙を乱暴に拭うと勢いよく鼻をかんだ。

「こんなんで、僕は今日、ちゃんと演説出来るのかな。今日を革命の最初の日に出来るのかな」

エリックはそれきり黙ってしまう。鼻をすする音が時折聞こえるだけだ。

遥か下の方から行き交う人々の騒ぎ声が聞こえて来る。段々と増えつつある声は祭りのピークが近づいて来ている事を示していた。

凍てつくような寒さにチャックは身震いすると、意を決したように口を開く。

「あ、その、俺には、分かんねぇ。正直言うと」

久しぶりに話した声はかすれていた。

「エリックの言いたい事は分かる。悔しい気持ちとか、自分が情けない気持ちも分かる。でも、」

チャックは唇を噛んだ。

「でも、それをどう乗り越えりゃ良いのか俺には分かんない。だって俺がその、自分を情け無く思う気持ちを乗り越えた事が無いから」

チャックは眉を下げながらエリックを見る。

「気の利いた事のひとつでも言えりゃあ良いんだけど…」

そう言いながら爪を弾く。

「で、でも、情けない自分でも誰かの役には立つと思うんだ。だって、お、俺は…嘘つきだし、裏切り者だし、卑怯者」

チャックは自己嫌悪するように苦しそうに言った。

「でもレイは頼ってくれるし、イーサンも俺の事友達だって言ってくれる。サトシも、裏切らない俺は俺じゃないって。そう言われんのは複雑だけどさ、でも、それがダメとは言われないんだ」

辿々しく言葉を紡ぐチャックをエリックは静かに見つめていた。

「だからエリックもさ、きっとおんなじだよ。情け無くて認めたくない汚い自分も居るけどさ、でも、それがあるからダメって訳じゃない。旗印に相応しく無い訳じゃない」

チャックはエリックを見て肩をすくめると

「たぶん、ね」

そう自信なさげに言った。その頼りなさにエリックは小さく笑う。

「うん。そうだね。きっと、たぶん、そうだよね」

どこまでも曖昧にそう言う。

「ありがとうチャック」

そう言ったエリックはどこか清々しい表情をしていた。黒雲の切れ目から差し込んだ光が監視塔に矢の如く差し込む。その光の中でエリックの金の瞳が柔らかく揺れた。





 重く垂れ込めた黒雲の向こうで日が段々と西に傾き始める。祭りの賑わいは増し、人もどんどん増えていた。

立ち並ぶ酒場の扉が次々と開き、中から女たちがぞろぞろと出て来る。この時期には似つかわしくないぐらい薄着の女たちは皆ギラギラとした目をしていた。

「リリス、そろそろだ」

商人として売り物をさばいていたイーサンは、首から赤布が括りつけられた紐を下げているリリスに声をかける。

その言葉を聞いたリリスは紐を取ってしまうと、着込んでいた分厚い上着を脱いだ。

そこに立っていたのは島の女たちが切るような胸元の大きく開いたドレスを着たリリス。

短く息を吐いて何だか緊張したような表情を浮かべている。それに気づいたのか、イーサンは和ませるように声をかけた。

「リリス、上手く着こなしてんな」

「……娼婦の格好を着こなしていると言われてもちっとも嬉しくありません」

「え、あ、いや、そういう意味じゃ、リリスは美人だから何でも似合うって言いたかっただけだぜっ、」

渋い顔をするリリスにイーサンは両手を振って全力で否定する。

「ふふ、冗談ですよ。面白い人ですね貴方は」

リリスは小さく笑って店の前に並ぶ女たちの方へと一歩踏み出す。だが、その足はわずかに震えていた。

「なぁリリス!」

イーサンの声に振り返る。

「お前は今までラミアと二人だけで生きて来ただろ?女二人でこの世界を生き残って来た。でも今は違う。もう世界にたった二人だけじゃ無い、全員で八人だ」

男の言葉にリリスはポカンとした表情を浮かべた。

「…私が震えてると思って慰めて下さったんですか?」

「また的外れだったか?」

「ええ残念ながら。ただ寒いだけです。この気温にこの格好ですから」

リリスの言葉にイーサンはあちゃーと言う顔で天を仰いだ。そのしぐさにリリスはクスリと笑うと優雅な足取りで店の前に並ぶ女たちの元へ向かってしまう。

「二人だけじゃない全員で八人、ですか。沢山居ると心強いものですねラミィ」

リリスの小さな呟きは誰にも届く事なく祭りの喧騒の中に消えて行った。

ここまで読んで下さりありがとうございます。

今回の話は書くのがかなり辛かったです。自分で書いたのに読むとドキドキします笑


エリックの独白、誰が聞いてくれるんだろうって凄く考えました。皆んな静かに聞いてくれるでしょうけど、エリックが納得出来るというか、少しだけ自分を受け入れられるような言葉を言ってくれるのは誰かなって。

結果、選ばれたのはチャックでした。

チャックは誰よりも弱くて脆い。めちゃくちゃ繊細で自分に自信が無いのに自己愛はとても強い、そしてそんな自分が大嫌い。

チャックはいつも置いていかれないように必死なんです。見捨てられないように必死。

でもそんなチャックにしかエリックは救えないなって。何となく、そう思いました。

この話が少しでも誰かに届いたら良いな。


次回も土曜日の21:00です。お会い出来る事を楽しみにしてます!

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