窓辺④
日付けも変わろうという頃、子供とも大人ともつかない青年たちはいつものようにエリックの屋敷の近くで別れた。
明日はお泊まり会だ、と言う約束をして。
警備の居ない道を選んで通って自分の部屋へ続くパイプにたどり着いた。スルスルと登って音もなくベランダに移る。
イーサンやロシュほど軽やかにとはいかないが、エリックもほとんど音を立てること無く
移動することが出来るようになっていた。
鍵を開けっ放しの窓に手をかけてそっと開ける。
早くベッドに入って眠ったらその分明日が早く来るだろうか。
いや、楽しみすぎて眠れないかもしれない。
自然と上がる口角を誰に隠すでも無く手で覆った。窓をそっと開き、右足を差し出す。
「随分と遅い帰りだな、エリック」
誰も居ないはずの部屋に男の低い声が響いた。
エリックは弾かれたように顔を上げる。声の主は天蓋付きのベッドに腰掛けていた。
「お父様、、」
エリックは呟く。
顔が紙のように白くなっていくのが窓から差し込んでくる月明かりだけの薄暗い中でもよく分かった。
エリックは自身の鼓動が早くなり、全身に力が入るのを感じた。
上手く呼吸が出来ない。
「お前がさっき無断で外に出て、川で遊んでいたと聞いた。だが私は信じなかった、お前は誰より優秀で、良い子だからだ。だがどうだ、部屋に来てみればお前は居なかった。
現れたと思ったらベランダだと⁉︎一体外で何をしていたんだ‼︎」
父親は淡々としていた口調とは一転して、詰問する様に声を荒げる。
エリックは答えない。
なぜなら父親の声が半分も聞こえていなかったからだ。
なぜバレた?、いつ?、これからどうなる?、明日の約束は?
そんなことが頭に次々と浮かび嵐のごとくエリックを襲う。
「誰かと一緒に居たそうだな、一体どこの誰だ?なぜこんなことをした?一緒に居たのは誰だ!答えないかエリック!」
質問に答えないどころか、指の先一つ動かさない息子に父親は腹立たしげに近づいた。
「随分と仲良さげだったと聞いたぞ、いつから知り合いなんだ?ん?」
エリックは答えない。
それを見た父親は先程とは打って変わり優しい口調になる。
「ああエリック、お前が思っているようなことは起きない。お父様はただ挨拶したいだけだ、さぁ名前を教えてくれないか?」
そう言って息子の肩に手を置いた。エリックはゆっくりと父親を見上げる。
イーサンがいつか持ってきた錆びついたブリキのおもちゃのように、ぎこちない動きだった。
僕が思っているようなこととは一体どんなことだろうか、
お父様は僕が何を考えていると思っているのだろう。
どちらにせよこんな言い方をするということは、良くないことを考えていると思っているのだろう。
エリックには分からなかった。
父親の考えはおろか自分の考えすら。
エリックには考えをまとめるための時間も上手く切り抜ける術も何もかも足りていなかったからだ。
「、、、まぁ良い、お前が答えなくても、お前を唆した輩が分かるのも時間の問題だ」
石化したかのように自分を見上げるだけの姿に痺れを切らした父親は、吐き捨てるようにそう言うと扉をバタンといささか乱暴に閉めて出て行ってしまった。
エリックは相変わらず窓辺に立ち尽くす。
と、音を立てて閉まったはずの扉が開き父親が顔を覗かせる。
「言い忘れていた。この扉の外には見張りがいる。お前が二度と勝手によからぬ輩と外に行けないようにだ。もちろん、窓が見える位置にも配置してある、間違っても逃げようなどとは考えないように、」
それだけ言うと再び扉に消えた。
どれぐらい時間が経っただろうか。体の緊張が解けたエリックは窓辺に座り込んでいた。父親は川で遊んでいたのを誰かから聞いたと言っていた、エリックを知る誰かに見られていたのだろう。
なぜ警戒を怠ってしまったのだろう。
なぜもっと慎重に行動しなかったのだろう。
後悔が募るばかりだ。
ぐるぐると同じことを何度も考えて時を過ごしていたが、ふと気にかかることがあった。
イーサンとロシュのことだ。
あの必死の聞き方から察するに、二人を特定出来ては居ないのだろう。
ひとまずそれは良かったが、このままバレることは無いと果たして言い切れるだろうか。
あの二人がわざわざ言うことは無いだろうが、自分を見たことのある街の人間がバラしてしまうかもしれない。
そもそも二人は明日の昼にここへ来るんじゃないだろうか、いや、確実に来る。
そうしたらどうなる?
外にも見張りが居ると言って居た。
つまり警備がいつもより厳しいということだ。
そして二人はそれを知らない。
お父様は僕が唆されて外に出たと思っている、もし二人がそうだと知られればどんな結末が待っているか想像に難くない。
さっきお父様が言っていた“僕が思っている事”とはきっとこの事だろう。
とにかく、何とか誰にも知られずに二人にここへ来てはいけないことを伝えられないだろうか。
エリックは何度も何度も考えた。
数え切れないほどの計画を思いついては穴を見つけ、使えないと捨てる。
そうしてついに、結論が出た。
誰にも知られずにというのは無理だという結論が、
たった一つを除いて。
だがその一つはエリックにとって余りにも耐えがたいものだった。
エリックは悔しくて悔しくて涙をこぼす。
ポロポロとこぼれた涙が、少し荒れた年頃の白い頬を伝い、落ちる。
川で少し濡れていたが、今ではすっかり乾いた服に落ちた水滴が滲み、そのまま吸い込まれていった。
イーサンとロシュに会えなくなるのは耐えられない。
二人が自分にとってどれ程大きな存在なのか、エリックは分かっていたようで何も分かっていなかった。
会えなくなってしまうのでは、と思って初めて本当の意味で分かったのだ。
かつて自分には何も無かった。
友だちも
大口を開けて誰かと笑いあうことも
喧嘩することも
仲直りすることも
ふざけ合うことも
イタズラすることも、全部二人に与えられたものだ。
そしてこれらは二人に会えなくなれば消え失せてしまうものだった。だからこそ、二人に会えなくなるなど考えたくも無いことだったのだ。
だが、エリックにはそれよりももっと耐え難いことがあった。
二人に会えなくなるより、幸せを感じる時間を失うことより耐え難いこと、
それはイーサンとロシュに危害が加わることだった。
普段、割と柔和な父があれほど声を荒げて怒りをあらわにしたのだ。
父には権力がある。
身分の低い二人をどうとでも出来るような権力が、大切な人が自分のせいで傷つくかもしれないのはもっと耐え難かった。
想像すらしたくなかった。
嗚咽をこぼしてさんざん泣いた。
何度かしゃくり上げると赤く泣き腫らした目で、部屋にあるオブジェを見る。エリックは顔を上げて滲む視界を手の甲で拭うと、決意した様に立ち上がった。
ずっと座りっぱなしで痺れた足でゆっくりオブジェに近づく。
暖炉の上に飾られたそれをつま先立ちで取った。
それは斧の形をしていた。
偽物なのでもちろん切れることは無いのだが、重量は本物と大差なかった。
切れずとも、何度か振るえば壊すには十分だろう。
エリックは斧を両手で持ちベランダに出る。三秒程パイプを見つめると、力一杯斧を振るった。
ガーンとすごい音が響く。
パイプは大きくひしゃげた。
外の見張りが声を上げ、扉の向こうの見張りが部屋に入って来るのが聞こえたが、
エリックは構わず何度も斧をパイプへ打ちおろした。
斧は重く、何より視界がぼやけていたので正確に同じ場所に打つことは出来なかった。
「エリック様!何をしておられるのですか⁉︎」
見張りが驚いた声を上げる。
ガーン、ガーン
打ちおろす度にイーサンの顔が浮かぶ。
ロシュの顔が浮かぶ。
笑った顔、怒った顔、悲しい顔、ふざけた顔、悪いことを考えている時の顔。
打ちおろす度に声が聞こえる。
『エリック』
名前を呼ばれる。
「っ、、」
嗚咽を抑え込み、尚も打ち続ける。
エリックが武器を持ち暴れて居るせいで、見張りも迂闊には近づけないでいた。
『俺はイーサン、よろしく』
『貴族の女は自分のこと僕って言うのか?』
走馬灯のように記憶が駆け巡る。
『大人になってもずっと一緒にいるぞー!』
この言葉が現実になったらどんなに幸せだっただろうか、
ガラガラッ、、ガシャーン
一際大きな音を立ててパイプは崩れ落ちた。
その音はエリックの中からも聞こえてくるようだった。
ようやく暴れるのを止めたエリックに見張りは慎重に近づいた。エリックは切れたパイプの断面を呆然と見つめ、ハラハラと涙をこぼす。
癇癪が完全におさまったと判断した見張りは急いでエリックから斧を奪い取った。
複数人に取り押さえられて部屋に入れられる。
その間もエリックは涙をこぼし続け、全く抵抗することなく引き立てられた。
部屋はすごい事になっていた。
騒ぎを聞きつけた使用人に溢れ、父親は勿論のこと母親までもが寝衣のまま集まって来ていた。
エリックは両親に何事かと尋ねられる。
しかし相変わらず答えることはなかった。
酷く怒られた気もするが、そんな事はどうだってよかった。
今やパイプは完全に落ちてしまった。
分かっている、自分で落としたのだ。
あれでは空でも飛べない限り絶対にベランダにたどり着く事は出来ない。
胸のあたりが酷く痛む。
あの有り様を見た二人は何を思うのだろうか、
誰にもバレること無く、二人はいつもの生活に戻れるだろうか、
生き延びて大人になってくれるだろうか、
、、、、、、また窓辺に立って呼びかけてはくれないだろうか。
感じたことのない感情だった。
二人がここに来られないように自らパイプを切り落としたのだ。
なのに、まだここに来て欲しいだなんて、おかしいにも程がある。
二人にはまた知らないことを教えられた。
こんな感情は知らなかった。
知りたくもなかった。
あれからすぐにエリックは全寮制の学校に入れられていた。十三歳から二十二歳までの通う一流校で、エリックが本来なら一年前に入るはずの学校だった。
父親の仕事を近くで学びたいという理由で行かないと両親を説得し、入学を免れたのだ。
本当は全寮制だとイーサンやロシュに会えなくなるので嫌だっただけなのだが。
今回編入したのは二人のことが両親にバレたからでは無い、
むしろその逆で、息子を唆したと思われる奴が一向に見つからないのでこのまま屋敷に居ると、
またいつそういう事態になるかも知れないからという理由だった。
普通はおいそれと編入出来るような学校ではないのだが、そこは父親の権力、
ではなく、ひとえにエリックの優秀さであった。
どちらにせよエリックにとって二人に会えないのには変わりない、
酷くつまらない日々の幕開けだった。
同じ部屋、同じ教室、同じ顔ぶれ、毎日毎日同じことの繰り返し。
エリックは退屈で退屈で仕方なかった。
確かに、ここに来る前も同じ部屋で寝起きし同じ顔ぶれで遊んでいたが同じことの続いた日は一日だって無かった。
ここの人間は教師も生徒もつまらない者ばかりだ。
口を開けば自慢話、自分の家がいかに由緒正しいか自分がいかに優秀な教育者か力のある者と繋がりがあるか、物の価値の分かる人間か見栄の張り合い合戦である。
エリックはそう言った話にはまるで興味は無かったが、どうせ八年は生活を共にすることになるのだ仲良くしておくに越したことは無いだろうと上手く話を合わせた。
エリックは子供の頃からいつも口元に弧を描いているような子だった。
それも嫌らしい笑みでは無い、笑顔を向けられた相手も思わず笑顔になってしまうようなキラキラとした笑みであった。
これはエリックが美しい造形の顔を持っているからでは無い、笑顔だけで人を虜にしてしまう才能はエリックが生まれ持ったものだ。
それによってエリックの周りには性別問わず多くの人が集まった。
おまけにエリックは編入生でありながら非常に優秀な生徒であった為、教師陣からもすぐに気に入られることとなる。
家柄良し、成績良し、顔立ち良し、自慢話の大好きなこの学校の人間にとって関わりを持ってこれほど自慢になるものは他に無かった。
そういうこともあってエリックは常に人に囲まれて過ごしていた。
エリックは初めての友人と星を見に行ったあの夜以来、星を見上げるのが好きだった。
特にここに来てからは、懐かしむかのように毎日ベッド脇の窓から星を見ていた。
今日は数十年に一度の流星群が流れる日だ。
窓越しではなく、どうしても肉眼でそれを見たかったエリックは悪さをしようと思い至る。
一人で悪さをするのは初めてのことだった。寮には当然門限があるので、流星群を見るためにそれを破ろうというのだ。
前々から計画を立てていたエリックはいとも容易く寮を抜け出した。
誰も居ない校舎の屋上を目指す。カツカツと音を響かせながら階段を上り切ると、ガチャリと音を立てて屋上へと続く扉を開けた。
そこには先客がいた。
夜のように黒い髪をもった少年だ。
大きな望遠鏡を空に向けて組み立てている。どうやら彼も自分と目的は同じみたいだ。
少年はエリックが来たことに気付かず黙々と組み立てる。
「あの、」
エリックは少年に近づくとそっと声をかけた。
「ぅわあ!」
少年は驚きの声を上げて飛びすさった。
「驚かせてごめんね、僕はエリック、星を見に来たんだ。君も、だよね?」
エリックは立派な望遠鏡に目をやる。
「なんだよ、びっくりさせるなよ!教師かと思ったじゃないか、」
少年は怒ったようにそう言った。エリックは少年の荒々しい言葉遣いに一瞬固まる。
「あ、ごめんね、僕も星が見たくてさ」
エリックが気を取り直してそう言うと、今度は少年が固まる番だった。
「お前、うるさく言わないんだな」
少年は意外だと言う感じを言葉に乗せて言う。
「俺はステラ、お前の言う通り星を見に来たんだ」
それだけ言うと組み立てを再開した
流星群が流れるまで後三十分。
「エリックって言ったよな?」
ステラは望遠鏡を組み立て終えると後ろでそれを見守っていた少年を振り返って聞く。
「うん」
エリックは短く答えた。
「お前があのエリック・ピーストップか。編入早々先生からも生徒からも大人気な優等生くんだ」
ステラはエリックを上から下までジロジロと見て言う。
「僕を知ってるの?」
「当たり前だろ?みんながお前とお近づきになりたくて仕方ないんだからな、学校中がお前の話で持ちきりだよ。お前はまさにこの学校そのものみたいな奴だよな、お坊っちゃん?」
「じゃあ、君もそうなの?僕と友達になりたい?」
エリックはステラのバカにしたような言い方にムッとして眉間に皺を寄せながら聞いた。
「さぁ?お前が良い奴だったら友達になりたいと思うだろうけど、今の時点じゃそれは分からないな」
少年は怒っているエリックをもろともせずに堂々と言ってのける。
エリックはステラを見つめると、ふっと頬を緩ませた。
「ふふ、そりゃそうだ。でも少なくとも僕は今の一言で君と友達になりたいと思ったよ」
楽しそうにクスクスと笑う少年にステラは変なものでも見るかのように片眉を上げる。
「あ、見て!流星群が流れ出したよ!」
エリックは漆黒の夜空を横切る無数の光を指差して言った。
その声は興奮したように弾んでいた。
ステラは瞳を輝かせて流星群を眺めるその姿を見つめると、ゆっくりと口角を上げる。
「なぁ、エリック」
ステラの呼びかけにエリックは視線を空から切り離した。
「俺と友達になってくれるか?」
少年は右手を差し出してそう言う。エリックはそれを聞いて少し目を見開いた後、
「もちろん、よろしくね。ステラ」
そう言って差し出された右手を握った。
「よし、じゃあ流星群を見よう!」
エリックは少年の手を離すとゴロンと屋上に寝そべる。それを見たステラはポカリと大きく口を開けた。
「こうやって寝転んで見たらもっと綺麗だ、って」
エリックは言いながらステラを手招きする。
未だ大きく口を開けているステラをよそに、エリックは流星群に夢中だ。
彼の大きな瞳に星が駆け抜ける。キラキラ弾けてしまいそうだ。
「おかしな奴」
ステラは小さく呟くと、幼な子のように瞳を輝かせる少年エリックの隣に寝転んだ。
ステラは思い出の一つとして星が好きなエリックとは違い、純粋に星そのものが好きな子だった。
エリックはステラに色々と質問する。
言葉こそ乱暴だったが少年はその問いかけにひとつひとつ丁寧に答えた。
「正直意外だったよ。お前みたいな優等生が寮を抜け出して来て、まして俺と友達になるだなんて」
少年の質問攻めが一旦止んだ隙に、ステラはしみじみとそう言う。
「だってそうだろ?ここの奴らは抜け出すなんてこと思いつきもしないし、地面に寝そべるなんて言語道断。そもそも、俺のしゃべり方すら気に入らないっていうのに、」
ステラはそう言って肩をすくめた。
「そうかな?僕はただ、、ただ、、」
エリックは言葉尻になるに連れて歯切れを悪くする。その様子にステラは星から目を離して隣を見た。
「ただ、、恋しいだけだよ」
絞り出した声は細かった。
ステラは慌てて空を見上げる。隣の少年の目尻が光っている気がしたからだ。
二人はその後、言葉を交わすことは無かった。光の帯のように降り注ぐ無数の星を黙って見つめる。
ステラは起き上がって望遠鏡を時々覗いたりしていたが、エリックは微動だにせずただ上を見るだけだ。流星群が終わってしまうと二人はそれぞれの寮に帰って行った。
4話も読んで頂きありがとうございます!
エリックにとっては苦しい回でした。少年は青年へと成長していきます。
若い時代の経験は良くも悪くもその人の人生に影響すると思っていますが、貴方様はどう思いますでしょうか?
第1章窓辺、次回で一区切り付きます。1章読み切って頂けると嬉しいです。明日の21:00にお会いしましょう。




