解放の火 前編⑧
トラウマ表現が含まれます。苦手な方は十分にご注意下さい。
忙しなく歩く足音で目が覚める。真っ先に飛び込んで来た天井に吊るされた小ぶりなシャンデリア。小さな頃はあれが落ちて来るんじゃないかと気が気では無かった。
少年はいつもより数段重く感じる体をゆっくりと起こした。
「う、」
鈍い痛みに少年は小さくうめく。
ーそうだ、確か腹を殴られたんだー
少年は服をペロリとめくって痛みの出どころを見る。そこまで酷くは無いが、アザになるのは間違いないだろう。
あんな風に意識を飛ばしたのは久しぶりだ。ここのところ殴られるようなヘマはしてない。
「お、起きたなサトシ」
スラリと引き戸が空いたかと思えば、ヒョロリと細長い青年が入って来た。サトシは急いで服を引っ張ると警戒心丸出しの顔で後ろに飛びすさる。
「誰?なんで名前知ってんの?」
「ん〜?だってアキーサ様に名乗っただろ?」
そう言いながらニコリと笑った。青年はサトシより五つぐらい年上のように見える。だが、サトシは歳の割には成長の遅い子供だったので実際は三つかそこらかもしれない。
「俺はケイシー。今日からお前の兄さん、よろしく」
ケイシーはそう言うと少年の目の前に腰を下ろした。
「サトシの引き抜かれ方はちょっと特殊だろ?分かんねぇ事も多いだろうけど、俺に聞いてくれりゃあいいから。とりあえず、腹減っただろ?メシが美味いのだけは本当だからさ!」
ケイシーが言うとガチャリと音がなって扉が開く。そこには食事を持った老婆が立っていた。
老婆が持って来たのははおよそ見た事も無いような豪華な食事だった。
量もさることながら、品数まである。
だって三品だ。いつもだったら水一杯と硬くて食えやしないパンが一切れだけ。一日分の食事がいっぺんに出て来たかのようだった。
ーまぁ、それよりも多いがー
「……いらない」
「なんで?」
「帰るから」
サトシは真っ直ぐにケイシーを見るとそう言い切った。
「帰る、ねぇ。どうやって?どこに?」
青年は眉を下げ、仕方ないような表情を浮かべる。
「お前は選ばれたんだ。喜びなよ」
サトシは出入り口を素早く見た。
「良い生活が出来るって事ぐらいお前のいたとこでも聞いた事あるだろ?ほら、この量、向こうじゃ絶対に見れない」
そう言ってケイシーが少年から目を離すと食事を見る。サトシはその一瞬の隙をつくかのように足に力を込めて勢いよく踏み出した。
ペラペラと講釈を垂れる青年の横を通り過ぎ、ピタリと閉まる扉に手を伸ばす。
あと少しで手が届くという時、サトシは背中に急激な重みを感じた。重力に引かれて体は落ちていき鈍い音と共に痛みが走る。
「うぐっ、」
少年が小さくうめくのとほとんど同時にケイシーが口を開いた。
「大人しくしてろよな。お前に逃げられたりしたら俺が罰を食らうんだから」
「離せっ‼︎」
サトシは自身の背中を抑えている人物に向かって叫ぶとジタジタと体をひねる。
「サトシっ、お前その歳で北東地区の出身じゃ無いって事はここの生まれなんだろ?」
青年は暴れる年少の子を力づくで抑え込むと声をひそめた。
「だったらよく分かってる筈だ。ここからは出られないって事を。この部屋から出てどうなる?どこに行こうって言うんだ?どこにも行く所なんて無い。そうだろ?」
少年は話を聞いているのかいないのか拘束を解こうと躍起になって体を動かしている。
「聞けサトシ!逃げたって何にもならない。殴られるだけだぞ!」
「だからなんだよ!殴りたいんなら勝手にすればいいだろ!離せ!俺は春なんて売らない!あの人みたいには絶対ならない!」
サトシはそう叫びながら一層強く抵抗した。
「っクソ、大人しくしろって言ってるだろ!」
ケイシーはそう言うと少年の頭を床にガンと叩きつける。
目の前に火花が散った。
ぐわんぐわんと揺れる脳みそが原因の青年の言葉を数秒遅れで処理する。
「自由になりたいか?ここから出たいか?」
青年は力を緩める事なくそう聞いた。
「俺は出たいよ。ここから出て、俺をこんな目に合わせた奴を一人残らず殺してやりたい。まずは俺をこんなトコに売りやがったクソ親からだ。俺が苦しんだのと同じくらい苦しませてやる。どうやってやるか聞きたい?それはさ、それは……」
ケイシーはそこまで言うと苦しげに眉をひそめて拘束を緩める。
そしてそのまま、力が抜けてしまったかのようにサトシの上から退くとガツンと壁にぶつかった。
「無理だ……どうせ、出られないんだからっ………うぅ、」
囁くような小さな声で言うと膝を抱えるようにして座り込んでしまう。
その後に聞こえて来るのはすすり泣くような小さなうめき声。サトシは揺れる頭を押さえながらゆっくりと体を起こすと、つい先程まで自由を奪っていた青年の顔を見た。
さっきとはまるで別人だ。
この部屋に入って来た時の能天気な感じとも違う。
自分よりも年上の男だろうに、まるで小さな少女のように肩を震わせてシクシクと泣いている。サトシは頭の揺れがおさまるまでその様子を無言で眺めていた。
逃げる事も出来た。
頭が揺れているとはいえ抑えつけられていないのだから逃げる事も可能だ。
でもサトシは逃げなかった。
青年の言った通りどこにも逃げられないと分かっていたからかもしれないし、何となく放っておけなかったからかもしれない。
サトシは胡座をかくとそっと口を開いた。
「俺は、この島の外に出てみたい」
ポツリと呟いたその言葉はすすり泣きの中に溶けるように消える。
「あ、いや、出てからやりたい事だったか……」
サトシは考えるように視線を左右に揺らしていた。
「分かんねぇ、出た事ないし…アンタの言う通り、俺はここで生まれたから…」
ケイシーが顔を上げた。
二人の視線が交わる。
「……分かってるよ、出られねぇ事くらい。もう十四年もいるんだ。ここから出る方法が一つしか無い事だって分かってる。それが、」
サトシは言い淀むと、一旦言葉を切った。
「それが…今までの俺には無理で、ここなら…叶うって、事も…分かってる。んな事は知ってんだよ……」
それっきり二人とも何も言わない。
ひっくり返った器からこぼれたスープがじわりじわりと染みていった。
橙色に光るラピスが薄袋に入ってぼんやりと辺りを照らす。その僅かな光源の中でじわりと微笑むのはまだ幼さを残した青年だ。
瑞々しい肌は新雪のように白く、女のような細い腕は柔らかい。耳までの艶やかな黒髪は清らかに流れる川のようで瞳は闇のように暗い。
その髪と瞳の色や質感は大変珍しく隣に座る年配の男を魅了した。
扉が荒々しく開く。バタンと叩きつけられるような音が鋭く響き、閉まらなかった扉がギィギィと悲鳴を上げた。
「最悪」
地を這うような低い声が薄い唇から発せられる。
「サトシ、お前もここに来てもう二年なんだからいい加減慣れろよ」
「慣れる慣れないとかの話じゃない。最悪だから最悪だって感想を言ってるだけ……はっ、感想とかマジでキメェ」
そう言いながら服のあちらこちらを雑に引っ張ってポイポイと適当に脱ぎ捨てる。すると、部屋の隅でジッとしていた茶色の頭をした少年が落ちた衣類をかき集めた。
「服も、脱ぐの手伝ってもらえば良いじゃん。その方がザックも楽だと思うぞ?」
「弟分に楽させてなんか意味あんの?」
「俺はお前に楽させたと思うけど?」
「アンタは俺の兄さんだけど、コイツみたいに見習いだった事は無い。だからこの状況とはまるで違う、よって兄さんの主張は間違ってる」
キッパリと言い切ったサトシにケイシーは肩をすくめると三回ほどコホコホと咳をする。
「まぁなんでも良いけど、あと三、四年我慢しな。そうしたら客層も変わる。女相手の方がマシだろ?」
「どっちも変わんないね。男だろうが女だろうが、クソ貴族サマの相手はウンザリだ」
サトシはドカリと腰を下ろして胡座をかいた。
美しく飾り立てられた顔と対照的に優美さのカケラも無いような格好と体勢。そのチグハクさに頭がおかしくなりそうだった。
「兄さんは、もうすぐ違う店に行くんだよね?」
「うん。ここでは身請けしてもらえなかったから、次に期待だな」
服を拾い集めた少年がそそくさと部屋を出て行く。ケイシーがまた咳をした。
「身請けなんて本当にしてもらえると思ってんの?」
サトシは死んだような目で言う。
彼のこの目は初めて会った時からひとつも変わっていない。
背も伸びて声も低くなった。
大人へと確実に変化している彼だったが、この死んだような目はついぞ変わる事は無かった。全てを諦めたような絶望したようなそんな目。
彼の瞳の吸い込まれるような深い深い黒色は彼の内側から滲み出ているのではないかと思わせてくる。
ー本当に、屍みたいな子だー
「さあね。でも、俺たちの見られる夢なんてそれぐらいしか無いだろ?俺たちはまだ良いよ。
叶うかは分からなくても夢が見れるんだからさ。西にいたままじゃそうはいかない。あっちで俺たちの借金分の金が払える訳ねぇからな」
「俺の分の借金は一体いくらなんだろうね、」
サトシは小さく言ったあと鼻で笑う。
「母親の借金の残りを受け継いでんのかな?それとも、借金とか関係無くここで生まれた代償?はは、どっちにしてもとんだ罰ゲームだな」
先程出て行った少年が湯気の立ち昇るバケツとタオルを持って帰って来た。
サトシは絞ったタオルを受け取ると折り畳まれたそれに顔を埋める。
「化粧」
「あとでやり直すから良い」
「違ぇよ。タオルについたら洗濯大変だろ」
「俺が洗うんじゃないし」
「あっそ、」
タオルに埋もれたままモゴモゴと言うと、今度は腕を拭き始めた。ゴシゴシと音がしそうなぐらい乱暴な手つきだ。
薄い肌が赤くなる。
「ゴホッ、ケホッゴホッ……サトシ、強い」
ケイシーはなだめるような口調で言った。
タオルを持って来た少年が不安そうに自分の兄さんを見上げる。だがサトシの乱暴な手つきは変わらない。それどころかますます強くなっているようにも思えた。
「はぁ」
ケイシーは諦めたように深くため息をつく。
「おいザック」
「は、はい」
ピタリと手を止めて自分の名前を呼んだサトシに少年は怯えたように返事をした。
「タオルがぬるい」
「止めろサトシ、」
ケイシーが口を挟む。
「もっと温めて持って来いっていつも言ってんだろ」
「はい、」
「止めろって」
「次失敗したらメシ抜きだぞ」
「はい。ごめんなさい」
「サトシ、」
「謝ってねぇでさっさと持って来いよ!」
「いい加減にしろ‼︎」
ポツポツとたしなめていたケイシーがついに大きな声を上げた。
「なに?兄さんには関係無いでしょ?ザックは俺の弟分なんだからさぁ、俺が教育係なんだよね。口挟まないでよ」
サトシはそう言って相手を睨み付ける。
「……サトシ、もう少し優しくなれ。人にも、自分にも。ザックはよくやってるだろ?たまには褒めてやれよ。言い掛かりをつけて鬱憤を晴らすな」
ケイシーの言葉に俯くとサトシは爪でガリガリと床を掻いた。ザックは逃げるようにお湯を替えに出て行く。
「…ぇだろ、」
小さな音の波が立った。
「出来る訳ねぇだろ優しくなんて‼︎自分にも優しく出来ねぇ奴が、人に優しく出来る訳ねぇだろ‼︎」
そう言って手に持っていたタオルを力一杯投げつける。
水を含んだ重たいそれは大きな音を立てて壁に当たったあとべチャリと落ちた。
「俺が何したっていうんだよ。ただ、生まれて来ただけなのに……なんでこんな目に遭わなきゃならない。どうして俺が我慢しなくちゃならない」
言いながら自らを掻き抱くと細い腕に爪を立てる。
「俺が、俺がもっと醜かったら……ユウギリじゃなくて、どこの誰だかも分かんねぇ気持ち悪ぃクズ野郎に似てたら良かったのに…もっとデカい男だったら良かったのに………そしたら、そしたら……」
皮膚に食い込んだ爪が今にもその肌を食い破ってしまいそうだった。
「こんな、女みてぇな格好しなくて済んだのに……」
小さくうずくまる。
ケイシーはそっと息をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「俺たち、生まれて来る場所を間違えたんだな。いや、皆んなか。この島で生きてる奴は皆んな間違えたんだな。貴族の家に生まれて来なきゃなんねぇのに、間違えたんだ」
ケイシーはクスリと笑う。
「いや、違うか。落ちこぼれたんだな。貴族の家って生まれたい奴多くて倍率高そうだし。生まれて来る前から落ちこぼれの出来損ないなんだな、俺たちは。ケホッ、ケホッ、
ズルいよなぁ、貴族ってだけで辛い事なんて一つも無いんだろうな。メシも一杯食えるし、それも美味いやつだ。勉強も出来るし……こんな風に惨めに生きなくていいんだから」
青年は可笑しくてたまらないとでも言うかのようにクスクスと声を上げた。
「何をそんなに必死になって生きてるんだろうな?嫌なら死んじまえば良いのにさ。
ああでも、もし死んだりしたら、俺の人生が死ぬより酷いもんだって認める事になっちまうしなぁ……」
ケイシーは声を震わせる。
「……死ぬのってそんなに酷い事?俺らがメソメソ泣いてる今よりも酷い?」
サトシが掠れた声で問いかけた。
「さぁ?知らね。でも、せめて一矢報いてから死にたいだろ。それをせずに死んだりしたら、俺が怨んでるって事を知らずに俺を売ったあのババア、のうのうと生きてくんだぜ?」
ケイシーはサトシを睨みつける。
だがその瞳はここではないどこかを見ているようだった。
「じゃあまだ死ねないね」
「うん」
二人はぼんやりと宙を見上げる。互いに何も言わずピクリとも動かない。
どれぐらいか経った頃、ザックがお湯を持って戻って来た。
「兄さん、どうぞ」
遠くで丸まっていたタオルを走って取りに行き、湯を絞るとそう言う。
サトシは少年の顔をジッと見つめた。
「ぁ、兄さん…?」
少年は緊張したように身を強張らせる。
「ありがと……いつも、」
そう言うと再び体を拭き始めた。手つきもさっきよりは幾分かマシだった。
ケイシーはフッと笑う。
「なぁ、」
呼び掛けにサトシは顔を上げた。
「ザックお前も聞いとけ、どうせこっち側に来るんだからな。
リチャード・ベドウィン、この名前を忘れるな。お前たちを身請けしてくれるかもしれない奴だ。買って貰えたら全力で媚びろ。何としてでも外に出て、自由になるんだ」
すぐ隣でザックが大きく頷いたのをハッキリと覚えている。
兄さんから貰った最後の言葉だった。
読んで下さりありがとうございます。
つらくてつらくて……ほんとつらくて、
一番辛いのはサトシだけど。
作者の業を感じる回でした。皆んなが幸せになれたら良いのに。自分で書いたんだけどね。
次回も土曜日の21:00です。またお会いしましょう。




