表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/36

解放の火 前編⑥

 暖かな陽の光が貧民層の暮らす背の低い町に消えて行く頃、支配層と被支配層とを分ける大きな川の中ほどで、ポツポツとラピスが光り出す。

燃える夕陽の色が乗り移ったようなその光は、川面にゆらゆらと反射していた。

そこは川の中央近くに造られた人工島カガイ。

続く橋は二本だ。

一本は上流階級の住む東側、もう一本は中流、下流階級の住む西側。

人々が家路を急ぐ中この小さな人工島の一日は始まったばかりだ。暗くなる世界と反比例してカガイは賑わいを増して行く。

通りを満たすのはあでやかな高い声。

視界を彩るのは美しく着飾り赤い紅を引いた女たち。

女たちはこの島の外ではおよそ見ないような衣装に身を包んでいた。肌をさらけ出すようなその衣装は非常に蠱惑的だった。

二階建ての建物がズラリと並びんでいる。その多くの一階は酒場、二階は娼館だ。

「ティハ!」

ひとつの酒場から年を重ねて幾分か低くなった女の声が上がる。カツカツという足音が板張りの床に響いた。

「ティハどこにいるんだい!」

「こ、ここに、ここにおります」

「アンタの姉さんが頼んでた白粉はどうした?」

老女は声を上げた少女に詰め寄ると、上から食いつかんばかりに見下ろした。

「!そ、それは、、」

ティハが言い淀む。

「アンタまさかっ!」

老女が声の大きさをさらにひと回り上げた時、それを遮るようにして子供の高い声が響いた。

「ごめんなさい!俺がお姉ちゃんにイジワルして隠したんだ。俺が悪いんだ、だから、、」

狭い廊下の角からピュッと飛び出して来たのは黒いまん丸の目をした男の子。

「サトシ!またアンタかい!そんなに折檻が好きならトコトンやってやるよ!」

「待って!違う!サトシはっ、、」

ティハが慌てた様子で口を開く。しかしその後の言葉が続く事は無かった。

なぜなら怒鳴りつけられた男の子がベッと舌を出したかと思ったら次の瞬間、白粉を床に叩きつけたのだ。

廊下はもうもうと白い煙に包まれる。

「ゴホッ、っ!捕まえな!」

老女のむせ込むような声と男の子の悲鳴はほとんど同時だった。

「ぎゃあ!ごめんなさい!ぅ、やめて!痛い!」

「全く、一番売れる時期に子を産むような女が母なら、その子も子だね。たかが知れてる」

老女は吐き捨てるように言う。

白粉の霧が晴れた向こう側に髪を掴まれた男の子が店の裏へ引きずられて行く姿がチラリと見えた。





 煌々と光るラピスの明かりが少しだけ開いた扉の隙間から漏れていた。

その明るさと対をなすかのように廊下は薄暗く静かだ。ギシギシいう階段をゆっくり、それでいて素早く下る。

ガヤガヤと賑わう酒場を少女は目立たないようにそっと抜けると裏口へと走った。

裏口を開けるとすぐ目の前に男の子が身体中を泥まみれにさせてぐったりと倒れていた。

「サトシっ、、」

少女は声を最大限に落として男の子に呼びかける。

「っっ、、ぅ、姉ちゃん?」

サトシは青黒く腫れ上がったまぶたを億劫そうに持ち上げると、そう囁いた。

「ごめんねサトシ、姉ちゃんが無くしたの見つけてくれたのにっ、、うっ、ごめんね、ごめんね」

「はは、、っ、姉ちゃんアレ、どこにあったと思う?」

男の子は切れた唇を少しだけ上げると痛そうに眉を顰める。

「菓子屋、俺にお土産くれたでしょ?だから行ってみたの。菓子買って白粉忘れるなんて姉ちゃんらしいよね、ひひっ、」

「ごめんね、ごめんね」

「姉ちゃん、悪いと思ってんなら、俺が隠したって嘘言った時に口挟むのヤメてよ。ここまでボロボロなのは姉ちゃんのせいだよ」

「うぅ、ごめん。姉ちゃんが馬鹿だから、、菓子なんて買わなかったら、、」

「ふっ、くく、そこじゃねぇだろ。いいよ、貴族が来る上町に行くなら馬鹿は一個でも少ない方が良いでしょ?」

「上町なんて、、」

「なってもらわなきゃ俺が殴られてる意味無いでしょ」

男の子はのっそりと起き上がった。





 店のオモテから賑わった声が聞こえて来る。ズキズキと痛む傷をティハが持って来た布で適当に手当てした。

夜空に浮かぶ星は町の明かりでかき消されており気味が悪いほど暗かった。

夜はまだ始まったばかり。

ティハがもう一度ここに来るのはまだまだ先だろう。

「、、ぃ、、」

かすかな声にサトシは振り返る。

音は店の一番奥、裏口の程近くにある倉庫から聞こえていた。サトシは億劫そうに立ち上がるとヨタヨタと部屋に近づく。

「サトシ、」

立て付けが悪いのか開ける度に軋む扉を開けた。

「なに」

薄暗く湿っぽいその部屋にいたのはほとんど骨と皮だけの女だった。薄く固いベッドに寝転んでいるその女はゆっくりと起き上がるところだ。

「ごめんよ」

「なんで謝るの?」

サトシは背中を支えてやりながら問いかけた。

「元気だったら守ってやれたから」

女は悲しそうに眉を下げる。

「俺は男だよ。守って貰わなくたって平気。今だって、歳上の姉ちゃんを守ってやってんだ」

「ふふ、そうね。こんなにボロボロだけど、」

ふざけた調子で言う男の子に女は小さく笑った。

「ババアの用心棒はバカだから加減を知らないのさ。でもそのお陰で今日は仕事を休めてる」

「大きくなったらやり返してやりな」

「今でもやり返すよ。マグカップを隠してやるんだ。アイツそれでしか飲まないから、ずっと探し回るんだよ」

「そう。それは良い案ね」

女はサトシの頭をそっと撫でてコクコクと頷いた。





 男の子が寝起きするのは島の西側の貧相な酒場だった。貧相とは言っても西側にある他の店にしてみればそれなりに大きい。

それもこれも看板娘というか何というか、呼び名はともかく一人の女のお陰だった。

この島では色々な女が働いているが、彼女のように昔を思い起こさせる女はそういない。

つまり、ずっとずっと前にこの島を作り、商売し出した人物の生きた昔。

その当時は遥か遠くから連れて来た神秘的とも言える乙女たちが多くいたのだ。

この貧相な酒場の一番人気もその乙女たちと似たような目鼻立ちをしていた。

 艶やかで癖の無い黒髪、瑞々しく滑らかな肌、そして全てを吸い込む闇ように黒く深い瞳。

剣の切っ先のような目尻と薄い唇には目の覚めるような赤。

面積の少ない服から覗く細い腕が今にもポキリと折れてしまいそうなほどだ。だが、それでいて決して折れないと思わせるような強さがその女にはあった。

まさに、昔を思い出す。

誰もその時代を知る者などいない。それなのにも関わらず思い起こさずにはいられないのだ。子を身籠もりさえしなければ貴族の来る東側の高級娼館に行く事も夢では無かっただろう。

だがそんな彼女も今となっては病に臥せり、ただ死を待つのみだ。

 男の子が女をベッドに横たえて窓を開けると、サァッと涼しい空気が通り抜ける。

殴られてジクジクと熱をもった頬に風が心地良かった。

ーこの感じ、澄んだ匂いと触れる空気の肌触りの感じー

男の子は顔を上げる。

ーああ、やっぱりー

空が白み始めていた。

そろそろこの島も眠る時間だろう。

身じろぎするだけで軋むこの体を一刻も早く布団に横たえたい。それがたとえバケットのように固いベッドだとしてもだ。

だが非常に残念なことにきっと今日の寝床は無いだろう。

なにせ開店直前の店で姉さんの頼んだ白粉をぶちまけたのだから。

アザを残しておいて更に寝床まで奪うなんてなんとも非情な仕打ちだが、男の子にとっても少女にとっても至って普通な日常の一部に過ぎなかった。

「サトシ、どこ?」

ひそめた声と共に虫の放つ灯りみたいに頼りない光がふらふらと近づいて来る。

薄布で出来た袋にラピスを入れて光を拡散させているのだ。

下からぼんやりと照らされた顔はまだ年端も行かぬ少女のものだった。

「ここ」

サトシは小さく声を上げる。

少女はその声に小走りで近づいて来た。

「これ、残り物だけど、、」

「っありがと」

男の子は半ば奪い取るようにして少女からパンを受け取ると貪るように食らいつく。

「美味しい?」

「…ん、パサパサ。いつも通り」

「ふふ、言うと思って…ジャーン!お水持って来た」

ティハは得意顔で差し出した。サトシは一瞬ポカンとした表情を浮かべると小さく笑う。

「姉ちゃんにしては気が利くね」

「でしょ?」

「否定しねぇの?」

「しないよ。気が利いたらアンタこんなんになってないでしょ?情けない姉ちゃんでごめんね」

水をゴクゴクと飲み下した男の子はひと息つく。

遥か上空にある月は薄雲に遮られて弱々しく光っていた。

「ひと月後、」

「なに?」

「東の上町から引き抜きが来るでしょ?」

「ああ、うん」

少女は小さく頷く。

「綺麗にしときなよ。連れてって貰えれば今よりいい暮らしが出来るんだから」

「アタシは無理だよ」

「なんで?まだ十になって無いだろ。向こうに行ければこの地獄から抜け出せる」

「そうだけど…でも、私がココに来た時と同じなんだもん、言ってる事が。ここに居るより良い暮らしが出来るよーって、きっとココも向こうも変わらないよ」

「そんな事無い。あっちは貴族様が来てるんだぜ?ココで見習いやってるより向こうが良いに決まってる。ずっとココにいたら、外に出られるようになる前にあそこでボロボロに腐って死んでいくんだぞ」

男の子は少し離れたところにある窓を指差した。

「サトシ!母親に向かってそんな事!」

「母親だからだろ!曲がりなりにも俺を産んだ人が腐って死ぬんだぞ⁉︎ココにいたら姉ちゃんも脳みそまで腐るぞ!」

震えるように言葉を絞り出す。シンと静まり返った二人の間に今日初めての光が斜めに差し込んだ。

「…ごめん。姉ちゃんはそういう意味で言った訳じゃ無かったのに」

サトシは俯く。

「ううん、アタシこそごめんね。うん、うん…そうだね。向こうの方がこっちより良いよ。きっと」

少女はコクコクと頷いた。

「見習いも良い物食べられるよね。姉さんたちはこっちより厳しいかもしれないけど、でも、病気になったら良いお医者さんに診てもらえるよね」

「うん」

「ふふ、ねぇ、もしアタシが向こうで人気者になったらさ、アンタを専属の用心棒にしたげる。だからさ、アンタもいっぱい食べて大きくなってね。立ってるだけで大人の男がビビっちゃうぐらいの大男に!」

ティハは大きく手を動かす。

「まずは姉ちゃんが選ばれなくちゃなんないだろ」

サトシはクスリと笑った。調子が戻って来たみたいだ。

「まぁね。でも、もしアタシが向こうに行っちゃったらアンタはどうするの?」

「殴られる回数が減る」

「え!」

あまりの回復っぷりにティハは驚いたような声を上げる。

ーそんな嫌味を言うぐらいなの?ー

「俺は結構生きるの上手いんだよ?姉ちゃんをかばってついた嘘、バレた事無い」

どこか誇らしげに言った。

「………上手い子は、年上のくせに鈍臭い奴をかばって殴られたりしないよ」

「……鈍臭いのは姉ちゃんの方が俺よりココにいるの短いからでしょ」

「アンタがわざわざ殴られに行く理由にはならないじゃない。上手い子は放っておくもんでしょ?」

「………姉ちゃんのせいだ」

二人はジッと見つめ合う。

と、どちらからともなくクスクスと笑い出した。

「へへ、まぁ任しといてよ。口先だけの嘘じゃなくて、力で姉ちゃんを守ってあげる。その方が俺も痛く無いし、そんな男になるよ」

「うん」

少女はサトシの頭をそっと撫でる。

「期待してるよ」

生まれたばかりの太陽を背にして濃い影になった顔でティハがそっと笑った気がした。

読んで下さりありがとうございます。

サトシがなぜカガイに詳しいのか、やっと理由が分かります。


以前も書いた気がするんですが、サトシって個人的にはイーサンぐらい優しい人間だと思ってるんです。

でも今のサトシって態度悪いし口悪いし皮肉屋だしで優しさってかなり分かりづらい。オマケに人の善意を信じないタイプ。

サトシがなぜ優しいままでいられなかったのか、良かったら読んでやって下さい。

まあサトシは知って欲しいなんて思ってませんけどね。


さて、次回も土曜日の21:00です。また会えますように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ