解放の火 前編②
七人になった部屋に一瞬だけ沈黙が通り過ぎる。最初に立ち上がったのは緑色の目をした医者だった。
「ちょっと見て来る。具合が悪いかもしれないしな、」
そう言って出て行った男を追う。
残された者たちはゆるゆると視線を彷徨わせた。時たま視線が交わったが、それは何の意味も成さない。
「、、大丈夫かな」
エリックが再び口を開いた。
「イーサンが診る」
ロシュが唸るように言う。
「サトシは案外風邪とか引きやすいタイプですからね。最近寒くなって来ていますし、」
「そーそー。その癖隠して無理すんだからさぁ」
女たちが口々に言った。
「医者に任せておけばひとまず大丈夫だろう。それよりチャック、お前も大丈夫か?」
「へ?」
突然名前を呼ばれた金髪の男は素っ頓狂な声を上げる。
「いつもうるさいくらいのお前がさっきから一言も喋っていない。それは、大丈夫かと聞く理由になると思うが、」
レイはそう言って金髪を見た。
「ああ、いや、別にそんなに喋ってはないけどね?ただ何となくビックリしただけだよ。あんな風に出てったらビビるだろ⁉︎」
チャックは青い瞳をこれでもかと開いて大袈裟に言う。
「そうだな、確かに」
「さっきまでそんな感じじゃ無かったのにね。なんか悪い病気とかじゃ無いと良いんだけど、」
エリックはそう言うと心配そうに眉を下げた。
ー迫り上がって来る物を止める事が出来ない。喉の奥がヒリヒリと痛む。出て来る物などとっくに無いだろうに吐き気が止まらなかった。
頬を伝うのは生理的な涙。
意味なんて無い。
ようやく治まった吐き気に眉を顰めながら口をすすぐ。滴る水が手の平を伝った。
鏡に写った男は酷い顔をしている。げっそりとやつれて死人のようだ。
タイミングがよく無かった。夢見が悪かった。普段はそんな事気にも留めないのに今日に限ってだ。
ツイてない。
それとも予知夢だとでも言うのだろうか。何の因果があって今朝、夢を見るんだー
バシャバシャと乱暴に顔を洗うと適当に拭いて扉を開けた。
「大丈夫か?ほら、吐き気止め」
少し離れたところに座っていたイーサンが近寄りながら薬を差し出す。サトシは男の顔から差し出された手へと視線を移した。
「他になんか症状あるか?腹が痛いとか、頭痛いとか。寒くなって来ると体調崩しやすいからな。あ、それともなんか変な物でも食べたか?ダメだぞ拾い食いは、ロシュもしょっちゅうやるけど、腹が強いから平気だとか意味の分からない事ばっかり、」
「拾い食いなんてする訳ねぇだろ」
サトシはそう言ってさっさと横を通り過ぎる。
「そりゃ、お前はしないとは思うけど、」
イーサンはすっかりいつもの調子を取り戻したように見える小柄な男を追いながら言葉を紡いだ。
「それより大丈夫なのか?他に症状は?」
「無い」
サトシは素っ気なく答える。
「そーか。まぁ、これだけでも飲めよ」
スタスタと歩く男の前に小走りで先回りすると、扉を開けながらもう一度薬を差し出す。扉が開いた事でくつろいでいた男たちが振り返る。
「サトシ!」
「大丈夫だった?」
「イーサンの薬はよく効くぞ」
「隠すなーって言ってんじゃん」
「そうですよ。また看病して差し上げましょうか?」
「大丈夫か?作戦の説明は後日でも構わないが、」
口々に言う仲間の顔を見たサトシは軽くため息をつくと薬を受け取った。
「気ぃ使わせてごめん。俺は平気」
小柄な男はそう言うと机の上にあった水で薬を飲む。
「レイ、続きをお願い」
カツンと音を立てて置かれたグラスから飛び出した小さな雫が、キラキラとした放物線を描いて消えていった。
ネルティブ王国唯一の人工島カガイ。不夜城とも呼ばれるこの小さな島は、上流階級とそれ以外を分けるように流れる大きな川の中心に建造されていた。
カガイに通じる橋は2本のみ。一本は上流階級の暮らす上町もう一本は中流階級や下層階級が暮らす下町だ。
出入り口の限られるこの町は外とは大きく異なっていた。
石造りの建物がほとんどのこの国で、カガイの建物は木造でその建築様式すら違う。
川の上の浮島であるカガイに町を造るほどの大量の石を運び込むのは骨が折れる作業だったのだ。
さらに言えば、カガイで暮らす者の生活様式やちょっとした文化はほとんど異国と言っても差し支えない程度には多くのネルティブ王国民とは異なっていた。
それと言うのも、この島を支配しているのは実質的にはネルティブ王国では無いからだ。
この島は遥か昔にネルティブ王国王家のラビドリネス家との盟約によって、ある種の独立国家として治外法権を認められていた。
これは秘められた話であるが、その時の王がカガイの女にえらく入れ込み、女に願われるがまま女を島の主にし、願われるがままに治外法権を認めてしまったのだ。
そういう経緯で半ば独立国家のようなこの島は独自の文化があるのだった。
そんな珍しい町を一目見ようと階級関係なく多くの人間がカガイを訪れる。だが、訪問するのはもっぱら大人の男であった。
なぜならここは大人の男が遊ぶ町。
輝かしい太陽が落ちるとラピスの怪しい光がぽつぽつ灯り、川の中央にぼんやりと島が浮かび上がる。
そこかしこで上がる活気ある声は女の高い声だ。
欲望と憎悪の渦巻く町カガイ。華やかで強い光の裏にはそれだけ色濃い影がある。
階級に関係無く遊べる、この国いちの娯楽施設は大いなる闇を内包していた。
大きな窓から差し込む光の角度が垂直に近くなった頃、朝から続いていた話し合いはかなり進んでいた。
手元にあるカップの水分はとっくの昔にそれぞれの体内へ取り込まれて干上がっている。
「少し休憩にするか」
レイは、枝毛を探し始めたラミアとさっきから大あくびしているチャックを見てそう宣言した。ロシュは座りっぱなしで硬くなった身体をぐっと伸ばした勢いで立ち上がり、そのまま柔らかなソファへとダイブする。
ざわざわと騒がしくなり、団欒とした空気が流れる吹き抜けの広々とした部屋に甘い香りが漂い始めた。
「「良いにお~い」」
口を揃えて言う双子の前にカップがそれぞれ置かれる。
全員に渡ったカラフルなカップの中には黒い熱々の液体が入っていた。
ココアに舌鼓を打つ双子の横で金髪の男が口を開く。
「てかさ、気になってたんだけど、チガイホーケンってなに?」
「お前そんな事も知らねぇでずっと話聞いてたのかよ」
チャックの言葉にサトシが噛み付く。
「そうでーす、文字もマトモに読めないんだから知ってる訳無いじゃん、ねー?」
「ねー」
同意を求められたラミアが元気よく同意した。挑発するような顔で自信満々に言う二人にイーサンはクスリと笑う。
「治外法権っていうのはその国の法律とか統治の支配を受けない事だ。カガイはネルティブ王国の領土に存在しているけど、ネルティブの法律や王の支配は届かないって事だな。
だからカガイには独自のルールがあって、支配者が居る。
今回カガイを狙う理由は治外法権だからなんだと。
俺らが住んでるこのイチア地区を治めてるエリックの家も王の許しがなければ権力を行使できないからってレイが説明してたんだぜ」
「ふーん、なるほどね?」
チャックはコクコクと頷いた。
イーサンは自分の前に置かれたカップにフーッと息を吹きかけてひと口飲んだ後、真面目な顔で口を開く。
「それにしても、今回の作戦は今までの集大成になりそうだな。事前準備も当日の動きも今まで以上にミスれない」
「心を動かすのは難しい」
ロシュが久しぶりに口を開いた。
「確かに、革命の宣言をしても全員シラけてシーンとしてたらって考えるとゾッとするな…」
イーサンが同意する。
「まさにそこだ」
レイが言う。
「今回は俺たちがただ動けば良いという話じゃない。カガイにいる人々の心を動かさなくてはならない」
レイのその言葉に、全員が難しい顔をする。
「だがそういった部分は作戦の最終局面だ。そこに至るまでには今まで通り準備を進めなくてはならない。島の中の構造や建物の配置を調べるとかな。
外観や町の造りは男でも調べられるが、中の細かい所までは無理だろうな。ラミアにリリス、中の調査を頼めるか?」
男はその鋭い瞳で、自身の作ったココアに舌鼓を打つ双子を見た。
「いーよー」
「行きはよいよい帰りは怖い、女は出られない町カガイ。一回入ってみたかったんです」
「リリィはダメだよ、私が行く」
「なぜです?」
「同じ顔なんだよ?二人もいけない」
「だからってなんでラミィが行くんです?私の方が作法も芸事も覚えるのが早いので適任です」
「そんなの理由になんないしー」
「あら、私の片割れの頭がこんなに悪いなんて知りませんでした。十分理由になるでしょう、貴方がお客を罵ったらレイさんの作戦が台無しになるんですよ?分かりますか?」
「アンタこそなーんも分かってないね!」
もはや何度目かも分からない姉妹喧嘩がまたもや始まる。
くつろぎながらも困ったように眉を下げるエリック。その肩にソファの後ろから手を置いたサトシが、言い合っている双子の言葉を遮った。
「アンタらどっちもダメだ」
「「なによ!」」
「レイ、島の中の構造にそれぞれの建物の造り、どこに何があるか調べる必要は無いよ。全部知ってるから」
「………つまり?」
「俺が教えてやるって言ってんの。アンタの知りたいこと何でもね」
男はそう言うと、中身の無くなったカップを片っ端から持ってキッチンに消えて行った。
サトシはカガイの島内についてむしろ異常とも言える程よく知っていた。
上流階級だけが遊べる上町から中流、下層が遊ぶ下町。有力な店の名前に小さな裏路地、果ては焼き場の場所まで。その知識はほとんど島中を網羅していた。
「よくそこまで知ってるな」
レイの感心する声にチャックがニンマリと笑う。
「まさかサトシがこーんなに遊び人だったとはなぁ」
「あ?」
「だってそうじゃん?何回も遊びに行ってないとこんなに細かく知らないでしょー」
新しいオモチャを見つけた子供のような顔で言う金髪に、サトシは白けた顔で首を振った。
「はいはい、そうだね」
「えっ!!」
ピアスの男の返答にチャックは驚愕したような声を上げる。
「サトシが怒ってこないっ!!えっ、怖い怖い、、なに?なにごと?すっげぇ怖いんだけど!」
「確かに珍しいな」
「朝から調子悪そうだったけど大丈夫?」
「「大人になったねぇサトシ」」
「やっぱ腹痛の薬いるか?」
「俺が拾い食いを教えたせいか、変な物を食わせてすまないサトシ」
口々に言う面々にサトシは呆れたように深くため息をついた。
「アンタらは俺が怒ってた方がいいの?」
その言葉に、全員ピタリと口を閉じ小さく首を振る。
「だよね?」
それはうっすらと笑いを滲ませた楽しそうな声だった。
バタバタと騒がしいぐらいの足音が遠くから響き、次の瞬間にバンッと大きな音を立てて扉が開く。ギシリとわずかに軋んだ扉の事などお構いなしに足の長い女が焦ったような表情で走って来た。
「編集長ぉ!たっ、大変ですっ!!」
ゼェゼェと息を切らした女は絞り出すように言葉を紡ぐ。
「なんだセレーノ、騒々しい」
「こっ、これ、これこれっ」
セレーノは手に持った紙の束をバラバラと机に置いた。編集長と呼ばれた男は眉をひそめてそれをまじまじと見つめる。疑い深げだったその表情は瞬く間に驚愕したモノへと変わっていった。
「セレーノ!これはっ!お前ぇ!」
「編集長!」
「お前たち!今すぐこれを印刷しろ!」
「え、でも今日の分はもう刷り上がってますけど、、」
少し離れた所から二人の様子を見ていた人物が苦言を呈す。
「黙ってろ!口答えしてねぇでさっさとやらねぇか!」
あまりの剣幕に文句を言った男は机の上の紙の束を引っ掴むと小走りで仕事をしに行った。
「ここに“ネルティブ王国の全ての新聞社様へ”って書いてある、敵方も同じネタを掴んでるに決まってる!俺たちが一番乗りするぞ!」
一気に忙しなくなった室内。その騒がしさは数時間後にはイチア地区全域にまで広がるのだった。
読んで下さりありがとうございます。そして明けましておめでとうございます。
休日はずーっと座って書いてる事もあって本当に腰が痛い。なんなら肩も痛いし首も痛い。満身創痍。
去年旅行に行った時、初マッサージを受けたのですが施術してくれた方が「相当、お辛いと思います」とかなり言葉を選んで言った時は苦笑するしかありませんでした笑
今年は身体を労わる事も視野に入れます。
次は土曜日です。またお会いしましょう♪




