コルクボードの真実⑤
それからアレクサンドルはただ忙しく日々を過ごしていた。男が気づいた真実はいち市民である自分が近づくにはあまりにリスクの大き過ぎる物だった。
自分はただ妻と子供と平穏に暮らせればそれで良い。ルパートたちが未だに沈黙を貫いているように自分もただ沈黙していればいいのだ。
「ねぇ、どうしたの?」
妻であるスカーレットがそんな質問をしたのは子供たちが寝静まってから随分と後の事だった。
「なにが?」
「とぼけないで。何か悩んでるんでしょう?」
ごまかす夫にスカーレットは食い下がる。
「新しい上官の子の事?良い子だって言ってたけど実は違った?」
「いや、彼はよく出来た人だよ」
「じゃあなに?」
アレクサンドルは言い淀む。スカーレットはそんな夫を少しの間見つめると口を開いた。
「正しいと思う事をしなさいアレクサンドル。自分の心に正直に生きるの」
真剣な顔でそう言い、花が綻ぶみたいにクスリと笑う。
「大丈夫よ、私がついてるわ」
そう言ってそっと口付けた。
「おやすみ」
囁くように紡がれた言葉にアレクサンドルも静かに微笑む。
「おやすみスカーレット」
男は進む事にした。正しいと思う事をする為に、自分の心に正直に生きる為に。
質素な無地の壁には似つかわしくない程豪勢な扉を叩く。中に入るととても囚人がいるとは思えないような贅を尽くした空間が広がっていた。
ここは随分と前に訪れたきり来ていなかった貴族の収容される牢獄だった。
「ルパート様」
アレクサンドルはうやうやしく囚人に礼をする。
「本日は聞きたいことがあって参りました」
話しかける大男にもルパートは無視を決め込んでおりこちらを見ようとすらしない。
「貴方様のポケットにカードを入れた人物についてです」
「だから知らないと何度も言ってるだろう!」
ルパートは苛立ったように言う。
「そうですか。では、個人的な事を伺っても?」
アレクサンドルにとってルパートのこの反応は想定内だった。
「私、実はピーストップ家にお仕えしているのです」
ルパートの眉がピクリと動く。
「もう何年もお仕えしているのですが、ご当主を拝見したのはつい先日の事なのです」
アレクサンドルは言葉を続ける。
「実はもうお一方初めて拝見したのです、エリック様です」
ルパートは落ち着かなげに大きく息を吸った。
「お聞きしたいのです、エリック様はどんなお方なのですか?」
「そんなの、知らないっ!僕は何も知らない!」
ルパートはぶんぶんと首を振る。あまりに露骨な動揺の仕方にアレクサンドルはわざとかと疑う程だった。
「そうですか、つかぬ事をお伺いして申し訳ございません。では私はこれで失礼致します」
深々と頭を下げて牢を出る。静かな廊下でアレクサンドルは独りごちた。
「やはりそうか、」
「何がやはりなんです?」
突然の声に大男は弾かれたように顔を上げる。立っていたのはステラだった。
「アモーン中隊長」
アレクサンドルは染み付いた習慣に従って敬礼する。
「こんなところで何を、」
「それは僕のセリフだよ。それで、何がやはりなんです?」
「あ、いえ、やはりルパート様は何も知らないのか、と」
アレクサンドルは彼にしては珍しくモゴモゴと口を動かす。男は嘘のつけない人間だった。
「ベリアモース小隊長、貴方は『星骸』を調べてますね?」
アレクサンドルは小さく首を振った。目は完全に泳いでいる。彼がここまで動揺してしまったのは単に家族を思っての事だった。踏み込むのはマズい。そう思いながらも自身の信じるモノの為に突っ込んだ。
ステラはアレクサンドルにグッと近づいて囁くような小さな声で言った。
「エリック様と言ってたでしょう?」
ステラは真っ直ぐな瞳で男を見上げる。
「なぜ彼の名を?」
アレクサンドルは首を振るだけで何も言わない。若い男はひと息ついて一歩下がる。
「実は僕、彼と同級生なんです。同じ星好きの星仲間でした」
「は、はぁ」
突然の話題転換にアレクサンドルは戸惑ったように瞬きした。
「彼がその時のままならきっと僕に会ってくれる筈」
そう言ってステラは今日一番真剣な表情を浮かべる。
「小隊長が何に気付いたのか、僕には分からない。でも貴方が若くして小隊長にまでなった実力の持ち主だという事は分かる。つまり貴方は優秀だ」
アレクサンドルは自分より年若い上官を見た。
「貴方の勘に僕はついて行きたい」
ステラは覚悟するように息を吸った。
「エリック様に謁見の申し込みをしましょう」
そう言うと質素な廊下を歩いて行ってしまう。一人残されたアレクサンドルは、貴族である上官の素直さと嗅覚の鋭さに感心したのだった。
想像よりずっと豪勢な屋敷の内装にステラはゴクリと喉を鳴らした。
ーいくら自分が子供だったとはいえ、随分と無礼な物言いで彼と話していたモノだ。かつてのエリックが心の広い人間で良かった。一歩間違えればどうなっていた事やら。今になって、エリックに擦り寄っていた同級生たちの気持ちが分かるなー
ステラはそんな事を思いながら使用人に案内された部屋に入る。
「しばしお待ち下さい」
使用人はそう言うとペコリと頭を下げて去って行った。
牢獄でアレクサンドルと話してから一週間。ステラは取り継ぎに取り継ぎを重ねてなんとかエリックと会う機会を得た。
ー療養中だと言うのによく了承が出たなー
ステラはふかふかのソファの上で背筋を伸ばして座る。ガチャリと軽い音がしてステラが入って来たのとは別の扉が開いた。
ステラは急いで立ち上がるとピシリと敬礼した。
「貴重なお時間を頂きありがとうございます。ステラ・アモーン中隊長と申します」
中隊長の挨拶に入って来た長身の男はクスリと笑う。
「そんなにかしこまらないでよ、久しぶりだねステラ」
心地よいテノール。整った顔に浮かぶ微笑みはかつての面影を残しながらも大人のモノになっていた。
「お久しぶりですエリック様。覚えていて下さって光栄にございます」
「ちょっと、かしこまらないでって言ったじゃないか。僕はステラだから会ったんだよ。昔みたいに友達として話してよ」
エリックは言いながらステラの座っていた正面のソファに腰掛けると、ステラにも椅子をすすめた。
「じゃあ、久しぶりエリック」
ステラの戸惑ったような照れ臭いような言葉にエリックは満足そうに頷く。
「まさか君が僕の家で働いているなんてね」
「ああ、幸運な事にね。中隊長として迎えられたんだ」
「学校を辞めた事、心配してたんだ。今でもあの時の事を思い出すと悔しいよ。君は何も悪く無かったのに」
エリックは唇を噛む。
「あはは、まぁでも辞めたお陰で訓練出来る時間も増えて、結果としてこんなに早く出世出来たから今となっては良かった事だよ。平民出身の貴族の僕がピーストップ家に仕えられるなんて想像もしてなかった」
ステラが、光栄だよと言った時使用人が紅茶を淹れに来た。
「君が良いならそれで良かったんだね」
「うん」
「ふふ」
エリックが思い出すかのように笑う。
「砕けた口調でも、昔と比べると随分丁寧な感じになったね」
「あぁ、やめてくれよ恥ずかしい。あの時はまだ貴族になったばかりで礼儀も何も知らなくて。それに、急に貴族の行く学校に入れられた事もあってイライラしてたし、とにかく
世間知らずだった」
「でも僕はそんな君だから友達になったんだよ」
「はは、じゃあそれで良かったか」
ステラはそう言うとカップで波打つ琥珀色の飲み物を見つめながら少し考える。
ーここにはただ懐かしみに来た訳じゃない。どう不自然じゃなく切り出せるだろうかー
そんな事を考えていると扉の閉まる音が鼓膜を揺らした。用事を済ませた使用人が部屋を出て行ったのだろう。
「まさか、君にも会えるなんて」
「え?」
しみじみとした顔で言ったエリックにステラは顔を上げる。
「君は覚えてるか分からないけど、僕にちょっと変わった友達が居るって言った事覚えてる?」
「あ、ええと確か、使用人の子だったかなんかそんな感じだったよね。とにかく、身分違いの子だった」
ステラは目線を左上に向けながら絞り出すように言った。
「そうそうその友達。長い事会えて無かったんだけど少し前にまた会ってね」
「ええ!そうなの!良かったじゃないか!」
ステラは拍手せんばかりに嬉しそうに言う。
「そうなんだよ。新しい知り合いも出来てさ。彼らと居るとまるで夢でも見てるみたいで、すっごく楽しい。子供の頃に戻ったみたいで」
エリックは今日この部屋に入って来てから一番の笑顔でそう言った。
「へえ良いな。僕も平民だった頃の友達に会いたくなるよ」
「会ってみなよ、絶対に楽しい」
紅茶から立ち昇る湯気を見つめたステラは短く息を吸う。
「療養中だって聞いてたから元気そうで良かったよ」
「ああ、うん。君と懐かしい話をしてると元気が出て来るよ」
「色々大変だろうね。この前もご当主と一緒に出て来てたし、」
「そうだね、いつまでもお父様に任せきりって訳にはいかないんだけど」
エリックは眉を下げる。
「実は、あの日ジュリアの屋敷の前にいた部隊っていうのは僕の部隊なんだ」
「え?」
エリックは目を見張った。
「調査してたんだけど『星骸』に先を越されてしまった」
「そう、だったんだ、」
「うん中々上手くいかなくて。部下が色々聞き込みに行ってくれたんだ。例えば、」
ステラは言葉を切る。真っ直ぐにエリックの金色の瞳を見据える。
「例えば、酒場とか」
「へぇ、でも上手く行かなかった?」
エリックは眉ひとつ動かさずそう聞き返して来た。真っ直ぐにステラを見返す。偽る事など一つも無いと言わんばかりだった。その実直さにステラは視線を外す。
「……うん、上手くいかなかった。市民はほとんど何も話してくれなかったんだ」
紅茶から立ち昇る湯気はいつの間にか消えてしまっている。エリックの残念がる声がステラの耳に届いた時、控え目なノック音が部屋に響く。
ゆっくりとした所作で入って来た老年の使用人がしわがれた声を出した。
「エリック様そろそろお時間が、」
「ああ、そうだね…」
エリックはあからさまに落胆した声で同意する。
「ごめんねステラ、まだまだ話したいことはあるけど、」
「こちらこそ申し訳無い、今日は会ってくれてありがとう。すごく良い時間だった」
「僕もだよ。とても楽しかった」
エリックはそう言うと優雅な所作で部屋を出て行った。ステラも使用人の案内に従って部屋を出る。
ここに入った時に持っていた考えとは随分変わっていた。
ーエリックは何も知らないー
ステラは友人が関わっていなかったと安堵するような明るい気持ちと、『星骸』について何も進展が無かったという落胆する気持ち両方を胸に馬に飛び乗った。
宿舎へと帰って来たステラは手近な兵士に小隊長を呼ぶように命令する。エリックに会う前は雲ひとつ無く晴れ渡っていた空は今は見る影も無い。どこからか湧いて来た雲が重く垂れ込めている。
ステラが中隊長として与えられた部屋に置かれたゆったりとした椅子に腰を落ち着けた時、
「失礼致します」
と低い声が聞こえた。部屋に入って来たのは先程呼び出した大男。
「中隊長、お呼びですか?」
「ああ。例の件で」
アレクサンドルはその言葉を聞くや否や、いつも開きっぱなしの扉を閉める。ステラの表情から思ってた成果が得られなかった事は何となく察されるが、どんな言葉が飛び出すにせよ誰にも聞かれてはならない話だった。
「それで、どうでした?」
「エリックは何も知らないと思う」
ステラは先に結論を言うとさっきの会話を説明し始めた。
「なるほど、話したのはそれだけですか?」
静かに話を聞いていたアレクサンドルが尋ねる。
「あー、ええと、昔の話とかを少し。でもそれだけです。やっぱり忙しいみたいで思ったよりも話せなかった」
ステラの言葉にアレクサンドルは眉を寄せた。ポツポツと降り始めた雨が窓を伝う。
ーあの日コルクボードを前に感じた確信は今まで感じたどの感情よりも強いぐらい強烈なモノだった。それが間違っているとは考えづらい。だが中隊長の勘や目利きが鋭い事はこれまでの事で分かっているしー
大男がそこまで考えた時、ステラはいつに無く優しい声音で言葉を紡ぐ。
「でも彼が元気そうで良かった。療養中だと聞いていたので心配していたんですけど、古い友人に会ったとかで、彼らと会っている時は楽しいんだそうです」
「古い友人?」
「ええ。エリックには身分違いの友人が居たらしくて、学生時代に星を見ながら話してくれたんだ」
ステラは懐かしむように言う。
「その人たちと偶然再会したと言っていました」
自分も昔の友人に会いたくなったと言うステラにアレクサンドルは押し黙る。雨が窓を打ち始めていた。
「身分違いの友人」
大男は静かに繰り返す。思考を整理するかのようにぶつぶつと反芻した。
「でも、星骸の調査は振り出しに戻ってしまいましたね…せっかく尻尾を掴んだかもしれなかったの、」
「中隊長」
「え?」
言葉を遮られたステラは素っ頓狂な声を上げた。
「もしその身分違いの友人がエリック様に不適切な事を吹き込んでいたとしたら?」
アレクサンドルは言葉を選ぶように慎重に言う。
「もし、その友人が『星骸』の一味だとしたら?」
二人の視線が交わる。ステラは思ってもみなかった事を言われて目を瞬いた。アレクサンドルは緊張したような表情を浮かべて唇を舐める。
「…エリック様を監視しましょう」
ゴクリと生唾を飲む音がやけに大きく響く。バチバチと窓を打つ雨音が重苦しい空気の満ちる部屋を包み込んでいた。
5章完結です!週1回の投稿になってしまっていましたがなんとか終わらせられて歓喜!
読んで下さった方本当にありがとうございます!!
6章は前後編になると思います。大きい話だから考える事いっぱいで頭が茹で上がりそうです。
休みの日に何時間も何時間も書いてると知恵熱出たりします笑
あんなに動かず机にかじり付いてるだけなのにめちゃくちゃ疲れるから頭はフル回転してるんだなぁとしみじみ。
知恵熱って勉強以外で出るんですねぇ。
いつの間にかクリスマスも終わり年末だなんて信じられない。時の流れが早すぎる!
自分は今年のクリスマスもエリックたちとランデブーしました。結局これが一番楽しい。
究極の出不精インドアなので笑
年末は少しだけ投稿頻度増やせるように頑張ります。
と言う事で来週一週間だけ週3投稿になります!次回は火曜日の21:00です。
コタツのお供に読んでくれたら最高だなぁ。頑張って書かねば!




