コルクボードの真実③
見上げる程高い天井。大きな窓に付けられた長く重厚なカーテン。だだっ広い部屋に唯一置かれていた黒光りする立派なピアノは今は部屋の隅に追いやられていた。
反射するのではと思うぐらいに磨き上げられた床は今は見えない。薄汚れた布を何枚も貼り合わせた即席のカーペットで覆われていたからだった。
「うーん、バランスが難しいよ」
カーペットの上に広げられた巨大な白い布に絵を描いていたエリックが首を傾げる。いくつも置かれたカラフルなバケツに入った絵の具が自分の出番が来るのを今か今かと待っていた。
「『星骸』だって分かればいいんだから大体でいいでしょ」
壁にもたれて絵の進捗を見ていたサトシが言う。
「えー、でももしこの垂れ幕を見た記者が『絵が下手すぎてなんだか分からなかった』って新聞に書いて肝心の『ジュリアの悪事と僕らがやった事』をちゃんと書いてくれなかったら?」
「んな事書く訳ねぇだろ」
「そんなの分かんないじゃないか」
そう言って口をへの字に曲げた。
「ハハハ、それ面白いなエリック!もしそんな記事が出たら切り抜いて額に入れて飾ろうぜ」
「イーサン!」
エリックは冗談を言いながら部屋に入って来たイーサンを睨みつける。イーサンの手にはマグカップが乗ったお盆。
「アハハ、悪かったよごめんエリック。でもそんな記事出ないから安心しろよ。お前、めちゃくちゃ絵が上手いだろ」
そう言っておどけるイーサンをエリックは怪訝な顔で見つめる。
「ほら、紅茶淹れたからこれ飲んで休憩しようぜ。サトシ、お前はコーヒーだよな?」
頷くサトシと不機嫌顔のまま動かないエリック。
「安心しろよ。砂糖はいっぱい入れた」
そう言って笑うイーサン。
「当然でしょ」
エリックはすまし顔でそう言うと次の瞬間にプッと吹き出す。ケタケタ笑う貴族と医者を横目にサトシは渋い顔でコーヒーを啜っていた。
茶色くなって来た芝生を蹄鉄が踏み締める。馬の体高も相まって更に大男に見えるアレクサンドルの元にステラは軽く馬を駆った。
「ベリアモース小隊長」
若い声に振り返ったアレクサンドルは馬首を上官の方へと向ける。
「小隊長、僕は明朝ジュリアの屋敷へ行こうと思う」
ステラの言葉にアレクサンドルはあからさまに眉を寄せた。
「それは、」
「間違っていた時のリスクは承知だ。でもこのまま何も得られずただ時を消費するだけなんて、勇気を出して告発しに来たあの母親に申し訳が立たない」
若い男は真っ直ぐにアレクサンドルを見つめた。
「……分かりました。実は私ももうそれしか方法は無いのではと思っていたんです。隊の者たちに明朝一番に動けるよう準備させます」
ステラは大きく頷く。乗り主の高揚が伝わったのかステラの馬が落ち着かなげに鼻を鳴らした。
酒場での出来事から数日後、空気に冷たいものが混ざり始めた晴れた日に馬車の巻き上げる土煙が風に煽られてもうもうと立ち昇っていた。ガタガタと大袈裟なまでに揺れる馬車に乗っているのは何人かの若い女と不機嫌そうなラミア。
ラミアは巻き上がってパチパチと肌を打つ砂に舌打ちすると、砂から逃れるかのように顔を腕で覆った。だが上手くいかない。手首についた重苦しい鉄が彼女の動きを制限していたからだった。
砂を避けられなかったラミアは、忌々しいといった表情で自分を繋ぐ鎖をジャラジャラと鳴らした。
「おい!静かにしねぇか!」
ラミアや他の女たちを繋ぐ鎖を持っている男が大声で言う。その怒声に女たちは身を固くして小さくなる。だがただ一人、ラミアには効果が無かった。
「あ?うぜーんだよ!奴隷商ごときが誰に向かって指図してんだ!アタシは機嫌が悪いんだよ!」
そう言って一層鎖をジャラジャラいわせる。
「女が口答えしてんじゃねぇ!」
男はそう言うと腰に下げた鞭に手を伸ばした。
「おい、やめねぇか!」
御者台から静止の声が飛ぶ。
「ソイツはジュリア様に献上するオモチャだ。傷付けたりしたら俺らが殺されちまう」
その言葉に男は歯をギリギリと鳴らすと、鞭から手を離す。ラミアはその様子を鼻で笑うと嘲笑うようにベロリと舌を出した。
男はラミアの挑発に顔を真っ赤にしたがそれ以降は何も言いはしなかった。
馬車が悲痛な表情の女たちを運ぶ。そんな重々しい空気の車内に響くのはいつの間にか上機嫌になったラミアの鼻歌だけだった。
所狭しと立ち並ぶのはキリンのように長い首を伸ばした建物たち。単眼鏡片手にキリンの頭の上から下を見下ろしているのはサトシだ。
「なんか笑ってんな。さっきまで食い殺すんじゃ無いかってぐらい苛ついてたのに」
そう言って単眼鏡越しの視線を右から左へと移す。追い掛けるのは古びた馬車。布が雑に張ってあるだけの馬車の中を覗き見する事は容易だった。
レンズ越しに目が合う。レンズの向こうに居るラミアは肩をすくめるとニヤリと笑った。
「見つけて来るねぇ」
サトシがそう独りごちた時、屋上の扉がガチャリと開いた。
「ラミィ怒ってませんでしたか?」
サトシは単眼鏡をポケットにしまうと振り返る。立っていたのはレンズ越しに見た女と瓜二つの女。
「さっきまではね。楽しくなったのか今は笑ってた」
「そうですか、それは良かった」
リリスは遠ざかって行く馬車を見下ろして笑う。
「イーサンさんを随分と困らせたみたいですから、ふふふ」
「どうせ鎖が重いとかそんなんだろ」
「ええ、よく分かっておいでで。昨日まではあんなにノリノリだったのに、当日嫌になってしまうんですから、全くラミィったら」
二人は屋上から地上へと引き返す。長く続く階段に二人分の足音が鋭く響いた。
「奴隷商人としてラミィを売り込んでるイーサンさんの邪魔までし出すんですから堪ったもんじゃありませんね、うふふ」
「止めろよ」
「あらそれは無理な話です。私はチャックさんの隣で聞いていただけですから。でも結局、イーサンさんが何か言ってラミィを大人しくさせたようです。一体何を言ったのやら、彼は凄いですね」
そう言って扉を開けた。踏み出すのは少し前に馬車が走って行った土の地面。
サトシは三歩程進んだ時、合点がいったとばかりに頷いた。
「なるほどそういう事か」
「なんです?」
「奴隷と見たらその場で助けようと行動しそうなイーサンをなんで奴隷商人役にしたか疑問だったんだ。でもラミア対処の為だった」
サトシの言葉にリリスも小さく頷く。
「レイさんは仲間の関係をよく見ていますね。私以外でラミィの機嫌を取れるのは今のところイーサンさんぐらいですから」
「いい大人なんだから自分の機嫌ぐらい自分で取って欲しいけどね。予測不能な機嫌で作戦がパーになったら……はぁ…」
小柄な男はウンザリしたように言う。
「分かってませんねサトシ、彼女は予測不能だからイイんですよ」
リリスはサトシをチラリと振り返るとどこか誇らしげにそう言った。
日が沈み、煌々と光る満月が頭上で輝く。馬車から追い立てられるようにしてジュリアの屋敷の中へと連れて行かれた女たちは、美しく整えられた広い部屋に並ばされた。
一番後ろを歩かされていたラミアが部屋に入ると扉が重々しい音を立てて閉まる。顔を上げた先に居たのは折れそうな細い腕をした中年の女だった。
「ジュリア様。仰せの通りに見目の麗しい女たちを仕入れて参りました」
鎖を持った男が言う。その言葉に女は痩せて落ち窪んだ目をギョロギョロさせながらラミアたちを見た。
「ふむ、中々良い目利きですわ」
女はキンキン声で言った。
「そっちの女は連れて行って。ちょうどその子のような奴隷が欲しいと言われていたのよ。高く売って来なさい。他は私のモノにしますわ」
「かしこまりました」
男はそう言うと一人連れて部屋を出て行く。ラミアは一連のやり取りに興味が無いのか部屋を見渡しながら耳飾りから聞こえる仲間の声を聞いていた。
顔を見られた事で前線に出して貰えなかったエリックのボヤきと、いつもと変わらないチャックのおしゃべり。ジッと耳を澄ませばロシュの寝息まで聞こえそうだった。
そんな風に軽く意識を飛ばしていたラミアは、右耳に届いた鋭い悲鳴で我に返る。
悲鳴の方に顔を向けるとナイフに付いた血を眺めるジュリアと腕を抑えてうずくまっている女が見える。
「中々良い色をしてますわね」
ジュリアはそう言うと滴る血を自身の肌に擦り付けた。
「ああ、見て!若返ったわ!」
ジュリアはそう言うと腕を掲げながら使用人を振り返る。使用人はただ頷くだけで何も言わない。
「気に入ったわ。この子でバスタブをいっぱいにしましょう」
ジュリアはキンキンする声でそう言うとうっとりしたような表情でナイフを放り投げる。
「やっぱり若くて美しい女の血は美容に良いわね。今日は長く浸かるからぬるめにしてちょうだい」
「は?気持ち悪っ」
たまらず出てしまった言葉にラミアはしまったという顔で口に手を当てた。
「なんです?」
ジュリアがラミアを見る。ラミアは一も百も一緒だと言わんばかりに言葉を続けた。
「キモいって言ったの。だってキモいじゃん!ねぇ?皆んなもそう思うでしょ?」
ラミアの言葉にも女たちは微動だにしない。信じられないものでも見るような目線を送るだけだった。
一方ラミアは答えを聞く気などハナから無いのか、そもままの勢いでまくし立てる。
「血を塗って若返るなんてそんなのある訳無いでしょ。バッカじゃないの?そんな事してもアンタの肌はシワシワのままだわバーカ!」
部屋にいたラミア以外の全員の顔から一瞬で血の気が引く。一瞬の静寂の後に訪れたのはジュリアのヒステリックな金切り声だった。
そこらにある物を手当たり次第に投げ飛ばし、口の端から泡まで滲ませながら発狂している。
放り投げた茶器がラミアに向かって飛んで来た。
「ぅわっ!」
すんでの所で避ける。が、完全には避けきれず左耳に直撃する。その瞬間、耳元から聞こえていたラミアをいさめる仲間たちの声が聞こえなくなってしまった。
仲間と会話する為の音ラピスがはめ込まれた耳飾りが壊れてしまったのだ。
「痛った、マジ最悪。聞こえなくなっちゃったじゃん!」
憤慨したラミアが暴れ出す前に、彼女の動きを制限する鎖が強く引かれた。
今度はラミアを先頭にして鎖で繋がれた他の女たちも使用人によって部屋を出されそのまま牢へと連れて行かれる。
耳を塞ぎたくなるような金切り声と、物を破壊する音が長々と続く。ああなったジュリアを止める方法など誰も持ち合わせていなかったのだ。
肩から袋を下げた小柄な男が屋敷の影を縫って歩く。満月が輝く今夜は辺りがよく見える。明るい月の光でいつもより一層濃くなった影から影へと渡り歩きながら、サトシはやっと目的の塔まで辿り着いた。
サトシは塔を見上げて辺りに誰もいない事を確認すると中に侵入する。ジュリアの屋敷で一番背の高いこの塔が自分の任務を達成するには最適だろう。
たった一人で敵の目を掻い潜りながら上へ上へと登って行く。
耳元で騒がしいチャックの声を鬱陶しく思っていた時、久しぶりにラミアの声が聞こえた。
『は?気持ち悪っ』
紡がれる正直すぎる言葉にサトシは静かな廊下で一人頭を抱える。
きっとラミアの言葉を聞いた全員がそうだっただろう。
続けて聞こえて来たのは女の金切り声。それが数秒続いたかと思ったら、ガチャンッという大きな音を最後に金切り声もラミアの声も聞こえなくなってしまった。
「壊れた?」
『チャックどうなってる、確認しろ』
質問するレイの声の後ろにイーサンの焦ったような早口がわずかに聞こえる。
『確認ったってどうしようも無いよ!きっと本体が壊れたんだ!皆んなも聞いたでしょガチャンって音!』
『音は戻せないのか?』
『本体が壊れてたら無理だよ!どうすんのコレ!どうしたらいいの!』
『チャック、落ち着いて』
恐慌したような声を上げる男にエリックは静かに声を掛ける。サトシからは見えないが、そっと肩にでも手を置いているのかもしれない。
『音が聞こえなくても居場所さえ分かればレイくんたちを誘導出来る、そうでしょう?』
『あ、ああうん。そうだね』
チャックはそう言ってから二、三回深呼吸すると何とか気を取り戻したようだった。
レイたちへの道案内が再開された頃、サトシは塔を登り切る。肩から下げた袋を地面に置くとしゃがみ込んで何か作業を始めた。地面からかなり離れた塔の上は強い風が吹き付ける。
サトシの黒い髪が風に吹かれてゆらゆらと波打っていた。
血の匂いの染み込んだ吐き気を催すような牢に押し込められたラミアは、不快だと言わんばかりに鼻に皺を寄せる。
ラミアが腕を抑えてシクシクと無く女の側に寄ると、女は半分ぐらい怯えたような表情でラミアを見た。
「そんな顔しないでよ。アタシがああ言って無かったらアンタ今頃バスタブの湯にされてたよ」
ラミアはわざとあんな発言をしたかのように言う。その恩着せがましい物言いを訂正する者はこの場には一人としていなかった。
ラミアの言葉の意味を理解した女は、恐ろしいとばかりに身震いすると掠れるような声で礼を言う。
「ま、そう悲観的になんなくて良いよ。アタシの仲間が助けに来てくれるからね」
ラミアはそう言って笑う。
彼女のその能天気な言葉と態度に一緒に連れて来られた他の女たちは思わず笑みをこぼした。
「おかしな人。助けが来るなんて気でも触れたんじゃない?」
「あはっ、気が触れてんのはどう考えてもあのオバサンでしょ」
ラミアは楽しげに言う。耳飾りが壊れて仲間の声が聞こえない事など全く心配していないようだった。
「若い女の血で若返るとか完全にイカれてる。確かに女は美に執着するもんだけどさ、頭悪いと救いようが無いよね〜」
ラミアの言いたい放題な言葉に女たちは小さく肩を揺らした。薄汚れた壁にもたれ掛かったラミアは目をつむる。
「ま、もうちょっと待っとけばいーよ。アタシはちょっと眠いから寝るね」
ラミアはその言葉を最後に何も言わなくなる。しばらくして聞こえて来たのは静かな寝息だけだった。
レイを先頭にしてイーサンとリリスが後に続く。耳飾りから聞こえるチャックの声を頼りに屋敷へと近づく。ラミアがジュリアを発狂させた事で屋敷はバタついており、予想よりもずっと楽に進む事が出来た。
目指すはラミアの持つ熱ラピス。
三人が絨毯の敷かれた長い廊下を歩く。
「今まで入って来た屋敷と比べるとここは随分こじんまりしてますね」
リリスが言う。
「貴族の称号が買えるぐらいの金持ちでも、生まれついての貴族と比べたらそう金持ちでも無いという事だろう」
レイが言った。
「まあでも、これより貧乏貴族なんて意外といるぜ。特に地方はな」
イーサンは壁に掛けられた絵画を見上げてそう言う。
「よく知ってますね」
「俺は色んなトコに診察に行くからな」
イーサンはそう言って笑った。リリスもそれに微笑み返す。
「医者の鑑で…」
リリスは言葉を切る。その表情はさっきまでとは打って変わり曇っていた。
「どうした?」
レイが振り返る。リリスは何も言わない。だが眉間に皺を寄せて怪訝な表情を浮かべている彼女はどう考えたってさっきまでの様子とは違っていた。
「……ラミィが」
そう言ってレイを見つめる。要領を得ないリリスにレイは眉間に皺を寄せた。
「ラミィが危険です」
リリスは確信めいた口調で言う。
「何を言ってる、ラミアの様子は耳飾りが壊れて分からないだろう?それにラミアが持ってる熱ラピスに動きは無いはずだ。どこかに連れて行かれている訳でもない。そうだろうチャック?」
『うん。動いて無いよー』
「いいえ、絶対に間違っていません」
リリスは強い口調で言うと足早に移動し始める。その足取りにはわずかな焦りが滲むようだった。普段理性的なリリスの突然の理解不能な言葉にレイはイーサンを見る。
イーサンは訳が分からないとばかりに肩をすくめると、置いて行かれないようにリリスの後を追った。
読んで下さりありがとうございます✨
次回、少し残酷な描写が含まれます!ご注意下さい!
ラミアが現代の日本に居たら絶対にギャルだと思っているのですが、どう思います?
まぁギャルの友人居ないので想像上のギャル像なんですけど笑
ラミアの直情的な所、本当に好きなんです。彼女は相手を見て言葉を選ばない。
気分屋で気まぐれですが、自分の気持ちに誰よりも素直なんですよね。
次回は少々残酷な描写が含まれますが、ラミアは無事に切り抜けられるのか!
結果は土曜日の21:00!確かめに来てね!




