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白いパン⑤

 星の光すらかき消してしまうほど明るく月が輝く。地上に向かって光線を放つ月は時間の経過と共に少しずつ移動していた。

斜め方向から差し込むようになって来た月光に照らされて庭の陰影が濃くなる。

虫の声も聞こえないような静かな夜に、荒い息づかいが生温い空気を揺らした。顔を涙で濡らし、汗だくになって震えているのは高価な衣装に身を包んだ若い男。

踏み荒らした芝生の青臭いにおいに混じって生臭いにおいが鼻腔をくすぐる。

喉から血が出ているみたいだ。

貴族の男は目を血走らせて辺りを見回す。動く影は見えない。足音も聞こえない。

しかし、あまりの恐怖に切れた喉から声にならない嗚咽が漏れた。

ーどれだけ叫んでも助けは来ない。自分がそう作らせたのだから当然だ。例え聞こえたとしても助けたりして楽しみを奪うなと言ったのも自分だ。

なぜそんな事を言ったのか。

だって、自分が狩られる側になるなどつゆ程思っていなかった。

なぜ?僕は貴族なのに!ー

燃えるような赤毛を思い出して男は忌々しそうに歯軋りした。

ーあと少し行けば屋敷へと繋がる扉がある。そこまで行けば屋敷の者がいる筈だ。そうしたらあの男を殺そう。腕を切り落として、生意気にも抵抗出来ないように殺してやる。ー

「くそっ、絶対に殺してやる」

「殺されるのはお前だ」

唸るような声が正面から聞こえた。

「ウワァァ‼︎」

喉に刺すような痛みが走る。

ーなぜいつも正面から現れるんだ。ー

貴族の男は反対側へと走り出す。一向に屋敷へ近づく事が出来なかった。

ロシュはゆっくり歩く。近づいて来る時は何の音もしないのに、追う時は迫り来る太鼓のように大きく足音を響かせて来た。

ー恐怖で足が上手く動かない。いつまで続くんだろうか。

何度近づいても、絶対に屋敷へは辿り着けない。終わりの見えない無限の中に入れられたかのようで、どうしようもなく怖かった。

なぜ僕が!あんな下民のために!ー

男はあまりの恐怖に吐きそうになりながら体を抱える。

ルパートはどうしてこんな事になっているのか全く分からなかった。

男が歩いていると、曲がり角の向こうから再び誰かが現れた。

「うわぁ、や、やめてくれ!」

ルパートは頭を抱えてしゃがみ込む。

「どうしたルパート?」

「へ、テシュー卿?」

聞き慣れた声に恐る恐る顔を上げるとよく見知った顔。

「誰か狩ったか?私は未だゼロだよ。今日の獲物は隠れるのが上手いな」

痩せぎすの男は呑気な表情で笑う。その、日常を思わせる態度にルパートの肩の力が抜ける。

ーな、なんだ、アレは夢か、、そうか、ー

ルパートは未だ震える足になんとか力を込めて立ち上がる。

「はは、いや、まだです。僕もまだ誰も狩れていない。なんだか悪い夢でも見ていたみたいで、」

「酒でも飲んだのかルパート?」

「ああ、そうかも、」

「それより、君もまだ狩れていないという事はさっきの銃声はエリック殿かシアル嬢のどちらかか、、」

テシュー卿が考えるように腕を組んだ時、悪い夢で聞いた声が二人の鼓膜を揺らす。

「合流したのか、助かるな」

ボソボソと地を這うような低い声にルパートは血が凍り付く感覚を覚えた。

「ひぃっ!」

「おやおや、エリック殿が連れて来た赤毛の男じゃないか」

痩せぎすの男はニヤつきながら手にした銃をロシュへと向ける。空気を裂くような破裂音が庭を満たした。

しかし、それだけで何も起きなかった。悲鳴も上がらなければ人が倒れる音もしない、当然血の匂いが鼻に抜ける事も無かった。

「満足か?」

ロシュが低く言う。

「な、なんだ?」

「ううぅ!やっぱり!やっぱり夢じゃなかったんだっ!」

ルパートは言うや否や脱兎の如くその場から逃げ出した。

「何が起きてる?」

テシューは理解出来ないといった表情で二回三回と続けて引き金を引く。

「お前らは意味の無い事をするのが好きだな」

赤毛は小馬鹿にしたように少し笑った。

「な、どうして死なない!おいルパート!何が起きてる⁉︎君の庭だろう!」

銃を前に全く傷つく事も恐れる事も無く、ズンズンと近づいて来る赤毛の男にテシューは後退りすると、ルパートの後を追って駆け出す。

「あとは女だけか、」

ロシュはそう独りごちると、再びチャックの指示に従って歩き出した。





 ルパートが力の入らない震える足でやっと辿り着いたのは、庭の中央にある女神の噴水だった。

ピチャピチャと水飛沫を飛ばす噴水の傍に腰掛ける。

ー動かなければ死ぬかもしれないとは分かっている。だが、もう一歩だって動けなかった。ー

口の中に鉄の味が満ちる。喉が切れている事だけが理由では無かった。

貴族の男は肩で呼吸を繰り返す。吐き出される息は震えており、いっそ哀れなほど汗にまみれていた。

「ルパート!どうなってる!」

痩せぎすの男が恐慌しながらこちらに走って来る。

「知らない!僕に分かる訳無いでしょう!」

「奴はなんで死なないんだ!死神か⁉︎」

「知る訳無いでしょう!だから嫌だったんだ!男なんて!」

「鎖を付けたままなのにどうなってる⁉︎」

男たちは意味の無い押し問答を繰り返す。噴水から流れ落ちる水の音が彼らの声と混ざり合って不協和音を奏でていた。

「もう終わりか?」

地を這うような声に、男たちは仰け反るかのような勢いで顔を上げる。ルパートは噴水に落ちることは辛うじて避けられたようだった。

「ひっ、来るなっ!来るな!」

ルパートは手で掬い上げた水を飛ばす。

「何者だ!何が目的なんだ!私はテシュー卿であるぞ!」

痩せぎすの男は力強い言葉とは裏腹にその声は震えていた。

「もう終わりにしよう」

ロシュは、水に濡れて張り付いた髪を繋がれた手で鬱陶しそうに避けるとそう言った。

「どうせ、何でこうなったのかも理解出来ない馬鹿共だ」

「誰かぁ!コイツを殺せっ!僕を助けろ!」

「近寄るな!私を誰だと思ってる!」

ロシュは、精一杯仁王立ちするテシューを繋がれた両手で殴り飛ばす。痩せぎすなテシューはいとも容易く吹き飛ばされ、噴水に突っ込んだ。

次にロシュは、怯えてもはや動けなくなっているルパートの胸ぐらを掴むと勢いよく水に沈める。ゴバリゴバリとこもった音をさせながらルパートはジタバタと暴れた。

苦痛に歪む顔を赤毛は無感動に眺める。

ルパートの激しい抵抗で服はびしょ濡れだった。

ザバリと音をさせてロシュは男を引き上げる。

ゼェゼェと肩で息をするルパートを三秒ほど見つめると再度水に沈めた。

ロシュは二、三回それを繰り返した後、腕に力を込めてグンと投げ飛ばす。男は濡れた雑巾のような音をさせて投げ出されると、潰れた蛙のような音を漏れさせた。

「次はお前だ」

ロシュは逃げ出すテシューの足を引っぱると、ルパートにしたように男を水に沈めた。

「どうなっていますのこれは!」

背後から聞こえた甲高い声にロシュはゆっくりと振り返る。

立っていたのはでっぷりと肥えた女、シアルだった。隣にはエリックが立っていた。

「やっと連れて来たか」

赤毛はテシューから手を離すと、ズンズンと女に近づいた。

「いやっ!なんですの!こちらに来ないで下さい!エリック様!助けて下さいまし!」

女は隣に立つエリックに縋り付く。だがシアルがエリックを掴むよりも先にロシュが女の肥えた腕を鷲掴んだ。

「きゃああ!!」

ロシュは女にグッと近づくと、半ば担ぎ上げるようにして女を投げ飛ばした。噴水から今日一番大きな水飛沫が上がる。

女は浅い噴水の中で溺れるようにジタバタと身を捩る。どんどんと水を吸い重くなるドレスに絡め取られて上手く抜け出せないようだった。

「おい、逃げるな」

赤毛は転がっているルパートが虫のような体勢で逃げようとしているのを見つけると、のっそりと近づいて、男の薄い胴を踏みつけた。

「う゛ぅ、、」

赤毛は前屈みになるとさらに体重をかけた。ミシミシと嫌な音がし出す。

鬼のような征服者は何も言わなかった。思いなど一切無いような顔で無感動に動く。その人形のような表情が恐ろしかった。

水に浸かっていなかった筈のズボンがいつの間にか濡れている。濡れた頬にも雫が伝う。

男は恐怖のあまり穴という穴から水分を垂れ流していた。

肋骨をミシミシ言わせていた足が一瞬浮き上がる。束の間の解放に大きく空気を吸い込んだ。しかし、それは無慈悲にもすぐさま押し出される事になる。

ドカッ

鈍い音が響く。赤毛の振り上げた足が男の腹を打った音だった。

「かはっ、、」

ルパートはブルブルと震えながら腹を抱えてうずくまる。焼けるような痛みにもう声すら出なかった。

少し間が出来たと思ったら隣から悲鳴が上がる。今度はテシューの番のようだった。

二撃、三撃、

赤毛は続け様に腹を打つ。涙で潤みよく見えなかった視界で見上げた顔は、逆光で黒く沈んでいた。動作をする度に揺れる毛は赤く輝き、チラリと見えた口元は歪な弧を描いている。

その表情を見てルパートは引き攣ったような悲鳴を上げた。

数秒前まで無表情である事がどうしようも無く怖かったのに、今ではその笑みが何より怖い。

抵抗する気力さえ残って無い男たちはもう小さく丸まる事しか出来なかった。

「もう良いよ」

綿毛のような柔らかな声がスッと鼓膜を揺らす。

その瞬間、全身を襲っていた衝撃はピタリと止んだ。

俯き気味に男たちを見下ろしていたロシュはゆらりと上体を起こす。月明かりだけの頼りない光源の中現れた声の主は光り輝くかのようによく見えた。

もうどこが痛いのかも分からないような世界、霞む視界に映ったのは一際背の高い男。

高い生け垣の横でもやはり大きく見えるその人物は、噴水の女神の如く柔らかに微笑んでいた。

「、、エ、、りっく」

ルパートは血の滲む喉で掠れるように言う。

エリックは慈悲深い笑みを浮かべると赤毛を見た。

「もう良いよ、君がそこまでする価値すら無い。靴が汚れるだけだ」

紡がれる言葉の意味が分からなかった。

月光を受けて光り輝くような長身の男を呆然と見つめる。

ガシャン

赤毛を拘束していた鎖がいつの間にかルパートの両手の自由を奪った。ぽいと鍵を放るのは緑の目をした従者。軽蔑するような目で男を見下ろしていた。

「ルパート、テシュー、それからシアル。君たちがいつか、今日の事を理解出来ると願ってるよ。忘れないで、僕はいつでも君たちを見ているからね」

エリックはそう言うと、ルパートの胸ポケットにカードを入れる。

 長身の男は去って行った。嵐のように恐ろしい男たちを連れて。煌めいていた月は暗雲に包まれる。エリックは月すら連れて行ってしまったようだった。

ルパートは濡れそぼった哀れな鼠のように噴水の横で震える。どれほど時が経っても震えは収まらなかった。誰も何も言わなかった。

繰り返された恐怖が何度も何度も脳裏をよぎる。

どれぐらい経ったのだろうか。暗雲が立ち込めた夜空にチカチカと青と赤の光ラピスが交互に点滅する。遠くの方で警鐘の音も聞こえた気がした。

バタバタと入ってくる軍服をぼんやり見つめる。その後は覚えていない。ただ、暗闇に支配された。





 清涼な空気が辺りを包む。ひんやりと冷たい空気は朝のこの時間だけだ。偉大なる源が昇ってしまえば、鬱陶しいとさえ言える暑さが世界を包むからだった。

九人の少年少女たちは一人ずつ家に返される。

寝ぼけ眼でこっくりこっくりと首の座らない彼らは、悪夢を消し去ってくれた男たちに小さく手を振った。

一人の少女が人差し指と中指を交差させる。

「お兄ちゃんありがとう」

ふわりと笑う顔は大層可愛らしかった。

馬車は遠く離れる。キャビンの中からふりふりと元気よく手を振りかえしていた金髪は、曲がり角を曲がった時にサトシへと目を向けた。

「サトシぃ、お前おまじないとか信じる質だったんだな」

小馬鹿にしたように言うチャックにサトシは面倒そうにため息をつく。

「別に信じてない。それに、あれは穢れを祓う呪いだ。怖いものを祓う力なんて無い。ガキはああやって言った方が扱いやすいから言ったんだよ」

「へぇ〜、信じてない割には細かいトコまでよく知ってんだねぇ〜」

ツンツンと肩をつつく金髪に額に青筋を浮かべたサトシは、左手で男の頭を引っ叩いた。

「痛った!」

「おっと、汚いもん触っちまった祓わないと」

サトシはこれみよがしに指を交差させて相手に突き出す。

「なんだよ!おまじない信じてるガキの癖に!」

「ああ、そうだね、お前の方がオッサンだもんな。オッサンに比べりゃあ俺なんてまだまだガキだよ」

「はぁ?一歳も変わんねぇだろ!ガキが!」

「うるさい騒ぐな。オッサンが喚くのは見苦しい」

ギャーギャーと言い合う二人をレイが後方から眺める。揺れる馬車は森へと入り、石畳の無くなった道をガタガタ進んだ。

この馬車を降りたらもう寝よう。そう決意して男はその鋭い瞳をゆっくりと閉じた。





 重くのし掛かる様に垂れ込めた灰色の雲が女の気持ちまで重苦しく覆ってしまう。

スカーレットはやっと静かになった子供部屋の扉を閉める。

女は雨の降らない内に取り込んだままだった洗濯物を畳みながら、最愛の人の帰りを待つ。家の中の仕事をこなしながら旦那の自室にあるコルクボードがふと目に入った。

手のひらサイズの小さなカード。

雲間から僅かに除いた太陽が弱々しくそれを照らす。ここ最近よく見る文字面が目に入った。

これで何枚目だろうか。

主人が今日話を聞きに行っている貴族も『星骸』の餌食になった者らしい。今回もご丁寧に貴族による非道な行いの証拠が沢山あったそうだ。

これでその貴族を拘束しろとでも言いたいのだろうか。

どうやってったって衛兵にはどうしようも出来ないと分かっているだろうに。この国では自らより下の階級にどんな非道な事をしようと罪には問われない。

問えない。

一応、階級制度の復活前の名残りで法律は平等だ。

だがそれは身分制度の無かった時代の話。

埋められない格差が生まれてしまった現代では、階級を超えて起こった事件を正しく平等に裁くのは土台無理な話だった。

下から上への犯罪は罪に問われるが上から下への犯罪は罪に問えない。

それどころか、罪とすら呼ばない始末だ。

つまり『星骸』が寄越して来るような証拠が事件を解決する事は無い。貴族を逮捕するなんて事はあり得ない。

そんな衛兵に一体何を期待して、毎度ご丁寧に貴族の非道な行いに対する証拠を残しているのだろうか。

ブロンドの女は苛立たしげに唇を舐めた。一際赤い口紅が少しだけ薄くなる。

 そろそろ旦那が帰って来る頃だろう。真面目なあの人は本来やらなくても良い仕事まで引き受ける。今回の『星骸』の事にしてもそうだ。

イチア地区を治めるピーストップ家の小隊長である彼が扱う仕事ではない。

でも彼は気になってしまった事を放っておける質ではないのだ。何が起きているのか真相を知りたがっている。

でもそのせいで毎日枯れそうなぐらい疲れきっていた。

せめて温かいスープで迎えて入れようとスカーレットは食事の準備を始める。

それから少し経つと、玄関の扉が静かに開いた。女は素早くそちらに視線をやると足音をカツカツ言わせて愛する人を迎える。

「おかえりなさい」

ニコリと微笑んだブロンドの女が見上げるのは文字通り見上げるほど大きな男だった。

筋骨隆々で浅黒い肌をした大男は、髪を短く剃っており見る者に畏怖の念を抱かせる。

スキンヘッドの大男は女を見下ろすと口を開いた。

「ただいま。その、帰っていきなりで悪いんだが、今日あった事を話しても良いかい?」

遠慮がちにそう言う男に女はコクリと頷く。

「朝言ったように貴族の話を聞きに行ったんだ、正直、混乱してるのか支離滅裂で何が何だかよく分からなかった」

「そうなの」

女は聴きながら上着を受け取ると疲れ切った様子の旦那を椅子に座らせた。

「赤い獣って仕切りに繰り返してたのが気になるが、よく分からない」

大男は眉を下げる。

「制裁だとか、殺すだとか、、、物騒な言葉が飛び出すばかりでね、、犯人の特徴を聞いても三人が三人ともヒステリックに叫んでまるで話にならないし」

「そう、、」

女は湯気の立ち昇るスープを置く。ふわりと香った香りは泣きたくなる程ホッとする。ミルク仕立てのひよこ豆のスープだった。

「ありがとうスカーレット」

アレクサンドルはスープをひと口飲むと、美味しいよと言ってもう一度礼を言う。

「良いのよ。でも胸ポケットにカードを入れられるくらい近づかれたなら、星骸の構成員の顔を見てるかもしれないのに、、歯痒いわね」

「うーん、そこが少し引っかかっててな。カードを入れられた時の話をすると何故かまごついた挙動をみせるんだ。何かを隠してる事は間違いないんだけど、それが何なのか、、大体、ヒステリックに叫ぶぐらい怒り狂っているのにも関わらず、犯人と思われるカードを入れた人物の事は隠すなんて意味が分からない。捕まえて欲しいのかそうじゃないのか、、」

「それは変ね」

女は他の料理も食卓に並べると自らも食事を始める。温かい食事とは裏腹に、窓は強くなって来た風でガタガタと音を立てた。

ポツポツと降り出した雨がガラスを曇らせるのにそう時間は掛からなかった。





 ひやりとした空気の満ちる廊下にわずかに声が響く。ヒステリックな叫びは大男が去ってからも長いこと続いていた。

泣き崩れる雨雲のせいで湿り気を孕んだ空気が石造りの建物の中にこもり、カビっぽい嫌な臭いを漂わせ始めていた。

そんな廊下にコツコツと小さな足音が響く。

軍服のボタンを上まで留めて歩くその男は淀みない確かな足取りで歩いていく。

小柄な男だった。

袖のボタンまでしっかりと留めたその几帳面そうな人物は、少し前に大男が出て来た部屋へと近づいた。ポケットから長い針を二本取り出すとカチカチと鍵穴に入れ込む。

カチリ、

小さな解錠音がすると、その人物は迷い無くその中に入って行く。

ノックもせずに入った先は、勾留されている人間がいる場所とは思えないような豪華絢爛な部屋だった。

敷かれた絨毯はキメの細かい極上のもので佇む家具も申し分ない。壁の塗り方一つをとっても、扉の向こうの無機質さとは大違いだ。

「なんなのだ!言える訳が無いではないか‼︎中位五家であるピーストップの跡取りが関わっているなど!そんな事を言えば、そんな事、、僕たちが不敬罪で罰されるではないか‼︎」

大きな叫び声と共にガタンと激しい音が響く。中にいたルパートが椅子を投げて暴れていたのだ。

「だがあの赤い獣は絶対に殺してやる!絶対にだ!」

勝手に入った男は暴れる貴族を束の間の間見つめると、そっと口を開いた。

「“ルパート、”」

突然の声に暴れていた男は驚いたように声の方を見る。

「なんだ貴様は!平民のくせに僕の名を呼び捨てるなど!」

「“ルパート、君がいつか、今日の事を理解出来ると願ってるよ”」

ヒステリックに叫ぶ男の事などお構い無しに小柄なその人物はそう言った。

「は?」

「“ルパート、君がいつか、今日の事を理解出来ると願ってるよ。忘れないで、僕はいつでも君を見ているからね”」

小柄な男は慈悲深い笑みを浮かべる。その表情にルパートは目を見開いた。

足がガクガクと震える。昨日の出来事が洪水のように溢れ出す。

なぜ?ここは軍機関の筈だ。そんな所に犯罪者の仲間が入れる筈がない。

そのはずなのに、なのに、目の前の男は確かに言った、あの時の言葉を。

一言一句違わずに言ってのけた。

どうして

「嘘だっ」

「嘘じゃない。“忘れないで、僕はいつでも君を見ているからね”」

小柄な男は繰り返す。

「見たもの全て、好きなだけ話せば?もう一度会いたいんでしょ、“赤い獣”に」

男はささやくようにそう言うと、ニタリと笑った。

「“ルパート、君がいつか、今日の事を理解出来ると願ってるよ。忘れないで、僕はいつでも君を見ているからね”」

小柄な男は再度そう言うと、クルリと背を向けて部屋を出て行く。残された男に出来る事はもう何一つ無かった。

読んで下さりありがとうございます。

自分はキャラが皆んな大好きなんですが、やっぱり話してて楽しいキャラというのはあって、それが文章にも出ているみたいで。

「お前、ロシュが好きだろ。文に出てる」って読んでくれた身内に言われた時は本当に赤面モノでした笑

ロシュは本当に突拍子もない事を言ってくるので書いてて楽しくて。

完璧じゃない人間って一番魅力的ですよね。

次回は火曜日21:00の公開です。次も見に来てね。

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