9話 説得
初等部の前期には運動会なるものが存在する。
お兄様いわく中等部からはその時期、体育祭というものが催されるのそうで、その子供バージョンといったところだろう。
初等部の全生徒はクラスごとに赤組と白組に分けられ、競技ごとに定められた得点が、全課程終了時に多かった方の勝利となる。
本番も間近に迫っているため、体育の授業時間は練習に当てられていた。
「よろしくお願いしますわね、ダニエル君」
「よろしく、マリアさん」
お互いの右足首と左足首を紐で結んだ状態で、私は同じクラスの男子と肩を組み合う。
騒がしいところもなく、かといってすごく大人しい訳でもない、ぱっとしないけど害にはならない普通を絵に描いたような生徒だ。
どっかの王子と公爵令息が人気過ぎるせいで他の男子はいまひとつ影が薄いが、私はその素朴な笑顔、嫌いじゃないぞ。
出場種目はひとり二つまでと決まっており、私はこの男女混交二人三脚と大玉転がしという競技を選択した。
「位置について、よーいドン!」
女子生徒が掛け声に合わせてスターターピストルを鳴らす。
えっほえっほ……!
あら、私達けっこう上手いんじゃないかしら?
他の生徒達は息が合わずにつまずいたり、足がもつれて転んだりしている中、私とダニエル君のペアは一定のリズムで足を出し、なにごともなくゴールまで走り抜けた。
「一着ですわっ!」
「うん、やったね」
紐を解いた後、ふたりでハイタッチする。
「でも、他の方々はどうしてうまくいかないのかしら?」
「僕らの場合、身長が近いから息が合いやすいんじゃないかな」
「なるほど、私が他の女子に比べて大きかったおかげですわね!」
「いや、マリアさんは普通だよ、僕がチビなだけで……」
ダニエル君とは運動会の練習で初めて話すようになったが、年の割に落ち着いているし気のいい少年じゃないか。
女子はレオンハルトとルークばかり見ているが、他にも目を向けるべき男子がいるところにはいるのだ。
ぜひともダニエル君には、あのふたりの人気に呑まれずがんばってもらいたいところである。
「私、応援していますわね、ダニエル君!」
「え?いや、マリアさんも当日一緒に走るんだよ?」
学園を出た私は、伯爵家の持ち馬車に乗り込み、街の中を移動していた。
といっても、屋敷に向かっているわけではない。
実は最近、塾に通い始めたのだ。
普通、貴族の娘が学園に入るのは経歴に箔をつけるためであり、卒業すれば見合いをして嫁入りするのが一般的である。
だが私は貴族の奥方として一生を終えるつもりはない。
だってせっかく転生したからには、人間としてあらゆる経験をしてみたいではないか!
まずは仕事について社会を学び、ゆくゆくは自分で商会を立ち上げたいと思っている。
そして貴族生まれの娘を雇ってもらうためには、大学への進学が必須。
ゆえに私は今から学力を積み立て、来たる将来に備えるのだ。
まあそれは半分建前みたいなもので、塾に行きたい理由は他にもあるのだけど。
しかし私が相談した当初、お母様には反対された。
「マリアちゃんは女の子なんだし、そこまで必死に勉強しなくても……」
「お母様、それは違いますわ。女性であっても、勉強は将来必ず役に立ちますもの」
「でも塾だなんて……。そうだわ、習いごとがやりたいのなら、社交ダンスや華道なんかどうかしら?」
どうやらこの人、ガリ勉は女子力が低いという先入観があるらしい。
まあ、イルダお母様は生まれた時から高位貴族の娘として育ち、ごく当たり前のこととして伯爵家の次期当主だったお父様に嫁入りしたから、そう思うのも無理ないのかもしれない。
どうにかして塾通いを諦めさせようとするお母様に、私はこれ見よがしに暗い顔をしてみせた。
「それに実は私、最近他の生徒より学力が遅れている気がしていますの。もし進級できないなんてことになれば、ルーベンス家の恥ですわ。私、自分の名に泥を塗るような真似はしたくありませんの」
お母様は頬に手を当てて悩んでいる。
うけけっ、娘が有名な王立グランタニア学園のウリフィンクラメンバーであるという名誉を引き合いに出されてしまえば、お母様も否とは言えまい。
「でも、塾って平民の子もいるんでしょう?マリアちゃんをそんなところに行かせるなんて……」
おやおや、選民意識が顔を出しましたわね。
でも、これならもうひと押しすればイケそうだ。
「それなら、家庭教師を雇えばいいんじゃないかな?ちゃんとした人に頼めば、母さんも安心でしょ?」
と、ここでリビングにやってきたヘリオスお兄様が、穏やかな笑みを浮かべてお母様に助け舟を出した。
ま、不味い……!
お母様も「それなら……」と頷きかけている。
ここは、どうにかして塾でなくてはならない理由をでっち上げ、じゃなくて説明して流れを変えなくては……!
「そ、それだと、講師の先生が私に合わせてしまいますでしょうっ?それに平民の方々と同じ授業を受けることで、見識も広がると思いますのっ!」
「ふ~ん?」
どうにか丸め込もうと焦る私に、お兄様は見透かしたような視線を向けてくる。
な、なんですのその目は……?
結局、その後もあれこれと理由をつけてふたりを説き伏せ、なんとか塾通いを認めさせた。
日替わりで他の習いごとも受けるという条件が付けられたのは誤算だったけれども。
ああ、午後のお菓子タイムがぁ……。
ともあれ話し合いを終え、どうにか説得に成功した私がほっと息を吐いていると、通りすがりにお兄様が耳打ちしてきた。
「なにをたくらんでるか知らないけど、あんまり危ないことはしちゃダメだよ?」
げっ、バレてる!?
「な、なんの話でしょー。私にはさっぱり分りませんわー」
「棒読み」
下手な口笛を吹いてすっとぼける私を、お兄様は含み笑いしながら見ていた。
この人、まだ十二才ですわよね?
恐るべし、この時代の中学生……。