3話 入門試験
伯爵令嬢マリア・ルーベンスとして勉強してきた知識によれば、人間による革命と魔族の絶滅は実に千年前の出来事らしい。
最後の魔王ウリフィンクラが討たれた後、魔王城が破壊されたことで新たな魔族が生まれなくなり、平和になった世界で魔法はすっかり衰退しているようだ。
文献に記録は残っているものの、魔族も魔法も魔王城も、この時代の人間達にはおとぎ話の類だと思われているらしい。
どれ、試しにやってみようか……!
試験会場に入った私は早速手を前に突き出し、大魔王らしく明快に言い放った。
「冥界の炎よ、我が前にその姿を現せ!」
………………。
ざわついていた会場内がシンと静まり返る。
しかし何も起こらない。
前世ではこうして叫ぶとそれはもうすんごい大きさの火の塊ができあがったものだが。
首を捻って自分の手を見つめていると、後ろから肩をガッと掴まれた。
「マリアちゃん……?何をしているのかしら…………?」
振り返るとそこには、魔族の中でも随一の凶暴さを誇った般若のごとき顔をしたお母様が立っていた。
私は満面の笑みを浮かべて言った。
「試験の前に、景気づけに一発かましておこうかと!」
お母様にぶっ叩かれたのは、記憶にある限り生まれて初めてのことだった。
試験はつつがなく終わった。
なんだか試験中、受験生達がちらちらとこちらを見ていた気もするが、まあ気のせいだろう。
大魔王だったことを思い出す前のマリアはそこそこちゃんと勉強していたようで、割と苦もなくスラスラ解けた。
前世ならあのような小賢しい文字の羅列が書かれた紙など、見た瞬間に机ごと粉微塵にしていたところであったが。
家に帰るとヘリオスお兄様が出迎えてくれた。
「おかえりマリア。よくがんばったね、今日はゆっくり休むといい」
「まあ、ありがとうお兄様。ところで、お兄様は今日はずっと家にいたのですか?」
お兄様は苦笑しながら頷いた。
「入門試験の日には在校生は一日お休みだからね。僕は本を読んで過ごしたよ」
「そうですか。あまりグータラしていると体が鈍ってしまいますから気をつけてくださいね」
お兄様がなんだか物言いたげな顔で私を見てきたが、言いたいことが言えて満足したので、さっさとその場を後にする。
帰ってきたその足で意気揚々と玄関へ向かう私の頭をお母様の手がガッシリと捕まえた。
「マリアちゃん?どこへ行く気なの?」
「街歩きですわ!王都は見所がたくさんあると本に書いてありましたので!」
「…………マリアちゃん、ちょっと来なさい」
お母様の説教は夕食の時間まで続いた。
「マリア、試験はどうだった?」
「完璧でしたわ」
上機嫌で返し、鮭のソテーを口に運ぶ。
実に美味である。
思えば吸血鬼であった頃は動物の血液くらいしか口にしたことがなかった。
食事など下等な人間がすることと思っていたが、やってみると実にいいものだ。
「そうか、流石はお父さんの娘だな」
「そうですわね。セシリー、おかわりですわ」
「かしこまりました」
追加の皿を頼む私を見てお母様はなぜか落ち着かなそうにしているが、お父様はそのことには気付かなかったようでニコニコと頷く。
「合格したら、お祝いにマリアのほしいものをプレゼントしてあげよう。何かほしいものはあるかい?」
「なら、私は本がほしいですわ」
それを聞いたお兄様が眉を上げて私を見る。
お父様も意外そうな顔をしていた。
「てっきり服や宝飾品をほしがると思っていたが……どんなものがいい?マリアもそろそろ年頃だし、流行りの作家が書いたロマンス小説がいいだろうか」
「いいえお父様。歴史や算術について書かれた本を所望しますわ。それと外国語や理学を学べる本も」
家族三人が揃って私をまじまじと見る。
お兄様がナイフとフォークを置いて口を挟んだ。
「マリア。どうせ学園に入学することが決まったら、そういう学問の教科書や参考書をたくさん取り寄せることになるんだ。プレゼントはなにか別のものにしなさい」
「それは初等部のものですわよね?私は貴族令嬢としての一般的な教養ではなく、もっと実践的な知識を身に付けたいのですわ」
「……マリア。伯爵家の娘として気負う気持ちはわかるけど、無理して勉強ばかりしなくても、たまにはお洒落にお金を使ったり、娯楽に時間を割いてもいいんだよ」
「あらお兄様。私、無理なんてしていませんわ。今の私にとっては、知識を深めることがなによりも楽しいことなのよ?」
お兄様はじっと私の目を見つめると、やがて息を吐き出し、いつもの優しい笑みを浮かべた。
「そこまで言うなら、僕はこれ以上口出ししないよ。父さんも、それでいいよね」
「ああ。マリアはとても勉強熱心なんだな」
お父様が感心した様子で頷いた。
「ああ、グランタニア学園に通う日が待ち遠しいですわ……!」
うっとりと空を仰ぎながら呟く私に、お母様とセシリーが不安そうに顔を見合わせていた。