1話 大魔王
「我は大魔王ウリフィンクラ!地上のあらゆる栄誉、権力、財宝は全て我のもの!」
『うおおおおおおおおおおお──────!!』
風に靡くたおやかな金の髪。
口から覗く鋭過ぎる牙。
全てを見下す不遜な紅の瞳。
何もかもを嘲るような邪悪な微笑み。
漆黒のドレスを纏った至高の吸血鬼、ウリフィンクラが音頭を取れば、姿形も様々な魔族達が一斉に鬨の声を上げた。
赤い肌を晒した鬼や、槍を高く掲げたリザードマン、一つ目の巨人から全身石でできたガーゴイルまで、ありとあらゆる種族が彼女を讃えている。
「人間共よ、お前達も我を讃えるがいい!」
だがそう言い放った途端、魔王城前の広場は水を打ったように静まり返った。
いつもなら、怯えながらも魔族達の気に障るまいとして、ヤケクソな大歓声を上げるところなのに。
ウリフィンクラが首を捻っていると、魔族の大行列の後ろで跪いていた民衆の中から、ひとりの青年が立ち上がった。
「至高の吸血鬼、王の中の王、大魔王ウリフィンクラよ。恐れながら申し上げます。私達は金輪際、魔族には屈しない。人類はこれより、魔族に対して宣戦を布告します。いずれあなた様をも打ち倒し、世界を人間の手に取り戻して見せましょう!」
『おおおおおおおおおおお──────!!』
民衆の間で魔族のそれに倍するような雄叫びが上がった。
魔族達は今まで下等種族と見下し、酷使してきた人間達の突然の反抗に騒然となった。
血気盛んな者は顔を真っ赤にして怒り、今にも襲い掛かろうとしている。
そんな中、ウリフィンクラは顔を伏せていた。
彼女が肩を震わせていることに気付いた配下の魔族達は肝を冷やす。
歴代最強と謳われた大魔王の怒りの雷が今にも降り注ぐのでは無いかと、人間魔族を問わず一同が固唾を飲んでいると。
ウリフィンクラは到頭、堪え切れなくなったように声を漏らした。
「くっ……くくくっ…………くはははははははは!あーっはっはっはっはっはっはっ!!」
それは笑いだった。
分厚く空を覆っていた雲に穴が開き、煌めく星々が露わになる中、月光のスポットライトを浴びた大魔王は玉座で腹を抱え、高らかに笑い続けた。
実のところ、ウリフィンクラは長らく退屈していたのだ。
生まれつき絶大な魔力量を誇っていた彼女は、幼少のみぎりから海千山千の屈強な魔族達に戦いを挑み、その全てを蹴散らしてきた。
ウリフィンクラは異例の早さで出世街道を駆け上がり、先代魔王を玉座から引き摺り下ろした時、彼女は僅か十才だった。
誰もが彼女を歴代最強と讃え、魔族は崇拝し、人間は恐れ慄いた。
だが生まれながらに絶対強者だったウリフィンクラにとって、容易に上り詰めた玉座から見下ろす世界は退屈のひと言に尽きた。
魔族にとって強くなることは至上命題だが、天性の才覚で魔法も武術も習うまでもなく完璧に使いこなせた彼女は、探究すべき事柄を見出せずにいたのだ。
永遠に近い吸血鬼の時間の中で、ウリフィンクラは端的に言って人生に飽きていた。
だからこそ、さればこそ──。
「よく言った人間!だが脆弱なお前達が我ら魔族とどう戦う?まさかチェスで決着をつけようなどとは言うまいな!」
魔族達がこぞって下卑た笑い声を上げる。
そんな中、人間達は次々と腕を掲げてこちらに向け始めた。
その姿を見たウリフィンクラの顔に失望が浮かぶ。
「どうした?早くも降参の意思表示か?だが一度我に反旗を翻した以上、そう簡単に取り下げることは──」
許さない、と言おうとしたまさにその瞬間。
人間達の手から赤、青、緑、黄、紫の眩い光が放たれ、ウリフィンクラに向けて炎と氷と風と土と雷の魔法が同時に炸裂した。
「魔王様っ!?」
「ご無事ですかウリフィンクラ様!?」
「おのれ人間共、何をした!?」
魔族達の泡を食った声が聞こえてくる。
頭を上半分消し飛ばされた状態で、ウリフィンクラは脚を組んだ。
(今のはなんだ?爆弾でも投げられたのだろうか……)
「貴様ら、人間の分際でよくも魔王様をッ!」
「おいおい、お前らの王様はもうくたばったのか?」
「ハッ、歴代最強の大魔王が聞いて呆れるぜ!」
「くっ、言わせておけば!?」
(しかし奴らは何も持ってはいなかったはず。手をこちらに向けただけで攻撃できるなんて、まるで魔族の使う……)
「今までは我々に労働を捧げるからと生きることを許してやっていたのに、その恩を忘れたか!」
「何が恩よ!」
「そうよ、私達はあんたら魔族の奴隷じゃないわ!」
爆煙に包まれながら思案する間に、広場はみるみる一触即発の空気に満たされていく。
「もう我慢ならねぇ!野郎共、やっちまえ!」
「やってやる!俺たちは自由になるんだ!」
今にも乱闘が勃発しそうな中、ウリフィンクラは優雅に立ち上がった。
「鎮まれ、我が配下達よ」
喧騒の中でもよく通る艶やかでありながら威厳に満ちた声に、人間も魔族も高台にある玉座を振り仰ぐ。
煙が晴れるにつれて、その姿が露わになっていく。
顔の左半分を失い、わき腹は抉れ、右腕が千切れていた。
それを見て勝利の笑みを浮かべた男達の顔が、次第に引き攣っていく。
美しい少女の体に残った凄惨な傷口が、ジュウッと音を立てながらみるみる塞がってしまったのだ。
新しく腕は生え変わり、眼球が一から形作られていく様子に、女達は恐怖を浮かべて身を寄せ合う。
「この程度で我が死ぬと思ったのか?侮られたものだな」
吸血鬼である彼女は再生能力を持っており、銀や聖水を用いない限り致命傷を負うことはない。
ウリフィンクラは鼻を鳴らす。
人間達の反応よりも、配下達に今の攻撃だけで倒されたと思われたことが心外だった。
人間達が悔しげに歯噛みする中、当の魔族達は反対に沸き返っていた。
「魔王様……!」
「どうだ、これが俺達の王だ!」
「大魔王ウリフィンクラ様、万歳!」
さて、こうなると困るのは人間達である。
ウリフィンクラが冷酷に見下ろす中、魔族達は如何にも野卑な笑い声を上げながら民衆を包囲し、ジリジリと距離を詰めていく。
女達が絶望した顔で啜り泣く中、男達は悲愴な覚悟を決めた様子で次々と腕を突き出した。
よく注意して見ると、彼らの口はなにかを唱えるように動いている。
(奴ら、まさか……)
男達の手のひらに再び色とりどりの光が点るのを見て、ウリフィンクラは口端を吊り上げた。
巨大な魔王城の前に聳える高台から、真っ黒い蝙蝠の羽を広げた人影が飛び立つ。
「覚悟はいいな、人間共ーッ!!」
「チクショウ、これでも食らえーッ!」
大きさや形も様々な化け物揃いの魔族達がいよいよ走り出し、人間達その手が宿す煌めきが一際眩く輝いた。
ボゥンッッッ!!
広場に七色の爆炎が咲き、到頭人間と魔族による戦争の火蓋が切って落とされた──かに見えたが……。
「えっ……!?」
「ま、魔王様……!?」
民衆も配下も思わず動きを止めて、広場の中心を凝視する。
そこには金髪紅眼の吸血鬼が立っていた。
彼女の前には真っ白い結界が張られ、人間が引き起こした爆煙も、魔族が振り下ろした爪も、等しく遮断している。
誰もが唖然として口を利けないでいる中、ウリフィンクラは顔に今日一番の凶悪な笑みを刻んでいた。
「お前達、魔法を使ったな!」
人間達は冷や汗を垂らしながらも口を閉ざしていた。
だが、魔族としては穏やかではない。
「魔法だと!?」
「馬鹿な、それは魔界より生まれた我々のみに許された権能のはずだ!」
青い肌の鬼や狼の顔を持つコボルドが口々に叫ぶ。
だがウリフィンクラとしては別段不思議でもない。
というかそもそも、魔法の原理自体よくわかっていないのだ。
サラマンダーが火を吐くこと。
グレムリンが雷を起こすこと。
ヴァンパイアが血を操ること。
いずれも本人にとっては生まれつき誰に教わるでもなく自然とできることだ。
どうやってやっているのかと訊かれれば、彼らはこう返すだろう。
『貴様はどうやって自分の手足を動かしているのか、説明できるのか?』
ちなみに魔界とは魔王城の中にある異空間のことである。
黒々とした瘴気が渦巻いており、大魔王ウリフィンクラをして入ることは叶わなかった。
時折扉が開くと新たな魔族が生まれ落ち、時間と共に少しずつ自我を獲得していく。
一体いつからそこにあるのか誰も知らない。
ただ世界の中心に、厳然と聳え立つもの。
それが魔王城だった。
「ウリフィンクラ様、やはり何かの間違いでは……」
「そうだぜ魔王様、あんな猿もどき共に俺達の真似ができるもんかよ……!」
結界を張るウリフィンクラの背後で、配下の魔族達がなおも騒いだ。
ウリフィンクラはそんな彼らを、血のように紅く残忍な瞳で一瞥する。
「ほう?我が間違えたというのか?この絶世の吸血鬼、大魔王ウリフィンクラが間違えたと?」
その言葉に、強靭にして凶悪な魔族達は震え上がり、すぐさま膝を着いて頭を垂れた。
あまりの威圧感に、傍で聞いていた民衆さえも失神する者が相次いだくらいである。
「め、滅相もございません!」
「い、今のはこいつに言えって言われて仕方なく……!」
「あ、おいテメ……!?」
責任のなすりつけ合いを始めた配下達をよそに、ウリフィンクラは結界越しに民衆と向かい合う。
そして固唾を飲む人間達を前に言い放った。
「今のお前達では、我を殺すことはできない」
男達の顔が悔しげに歪む。
「これより三日間、我ら魔族はお前達人間に一切の手出しせぬ」
「……えっ」
「その間にまんまとここより逃げおおせたなら、力を蓄え数多の魔族を打ち倒し、再び我に挑んでくるがいい」
困惑する人間達に向かってウリフィンクラは鋭い犬歯を覗かせ、不敵に笑った。
「我は大魔王ウリフィンクラ!お前達人間の宣戦布告、受けて立とうではないか!我を討ち取った暁には、地上のあらゆる栄誉、権力、財宝は全てお前達のものだ!」
そう言ってウリフィンクラはひとり哄笑した。
誰もが呆気に取られて立ち尽くす中、世紀の大魔王は月光を浴びながら、高らかに笑い続けていた。