牛丼食って世界が救われた話
「たった一言で、何かが壊れることって、あると思いますか」
──それがはじまりだった。
夜勤明け、いつものようにスマホ片手に横になりながら、俺はその投稿を見つけた。
深夜三時のタイムライン。
どこか重たくて、それでいてやけに静かなそのツイートに、なぜか目が止まった。
@himajin_gohan
「あるある。俺、昨日『飽きた』って言ったら、今日も同じ夕飯出てきたわ。愛ってそういうもんだよね。」
たぶん、寝ぼけてたんだと思う。いつもの調子で、くだらない返事をした。
数分後、通知が鳴った。
@bluespring11
「……愛の裏返しが、沈黙なら良かったのにと思うこともあるんです」
なんか返ってきた。しかも、うっすらと詩的。
数日後、その人の投稿がぽつぽつと流れてくるようになった。
どうやら、わりと真面目な人らしい。
「信じていた人たちの沈黙が、いちばん堪える。」
「“みんなのため”の決断って、いつから“誰のため”のものになってしまったんだろう」
「少しだけ、誰かと話したい夜って、ありますよね」
読みようによっては恋愛ポエムにも見えるし、退職エモにも見える。
でも、なんというか──どこか、決定的に「他人っぽくない」のが引っかかった。
俺は夜勤バイト。昼は寝て、夕方に起きて、深夜に働いて、帰ってXを見ながらカップ麺をすする。
フォローしてくれる人なんてほぼいない。
それなのにこの人は、俺のどうでもいいリプに、毎回律儀に返してくる。
@himajin_gohan
「深夜にそういうこと言われると、なんか泣きそうになるからやめてくれ笑」
@bluespring11
「笑ってくれてありがとう。たぶん、あなたの言葉が、今の私を繋いでます」
──こっちが泣きそうになるわ。
しばらくして、投稿の雰囲気が少しずつ変わっていった。
「そろそろ、自分の選択の意味と向き合う時が来たのかもしれない」
「もし全部をやめてしまったら、少しは楽になれるのかな」
なにかが起きてる。
でも、俺にわかるのは「この人、今めっちゃ追い詰められてるな」ということだけだった。
その夜、DMが届いた。
「もし、明日が“最後”だったとしたら。あなたなら何をしますか?」
俺は少しだけ悩んでから、ちゃんと返した。
「そっか……俺だったら、たぶん牛丼食べて、ゲームして、ちょっと昼寝して、それでもまだ時間があるなら、もう一回牛丼食べます。最後ってのが決まってたら、せめて美味しかったって思いたくない?」
送った後、既読がついたきり、何も返ってこなかった。
次の日。
起きてテレビをつけたら、どのチャンネルも同じ内容を報じていた。
「昨日、未明に予定されていた重要会議が突如中止に──」
「各方面で一斉に方針の再考が始まり……」
「情報は混乱を極めながらも、現地の安定に希望の光が見えつつあるとの声も」
まぁ、よくわからんけど、なんかすごい話らしい。
そんな中、TLに一通の投稿が流れてきた。
@bluespring11
「“腹が満ちれば、心も満ちる”あの夜の言葉を、私は一生忘れません」
それが、最後の投稿だった。
その数時間後には、アカウントごと消えていた。
「なんか急に消えちゃったな、あの人」
そうつぶやきながら、コンビニ裏の休憩スペースで缶コーヒーを飲んだ。
なんだったんだろう。ちょっと、もったいなかったな。もっと話してみたかった。
何者だったのかも、どこに住んでるのかもわからない。
でも、たしかにあの夜、誰かが「生きよう」と思ってくれたなら──
なんとなく、それだけでいい気がした。
スマホの通知が鳴る。
またフォロワーがひとり増えていた。
新しいフォロワー:@nameless_moon
なんかまた、詩的な名前だな。
今日も世界はよくわからないけど、まぁ、夜勤はいつも通りある。
カップ麺を片手に、俺はそそくさと休憩所を後にした。
【その一言が、わたしを止めた】
夜が、来るのが怖かった。
外は静かすぎて、何もないことがすべてを語っていた。
——味方の顔をして、忠誠を誓って、
そのくせ、何も語らない部下たち。
うなずく回数ばかりが増えた会議。
通信に混じる、明らかな監視の気配。
私はもう、自分の声がどこまで届いているのか分からなくなっていた。
心臓の音が聞こえるたび、私は次を恐れていた。
誰にも話せない。
誰にも託せない。
どこにも、本音を置く場所がない。
そんなとき、私は“あの場所”に辿り着いた。
表の名義とは別に作っていた、
誰にも知られない、名もなき片隅のアカウント。
@bluespring11
「たった一言で、何かが壊れることって、あると思いますか」
あまりにも唐突で、暗い投稿だとわかっていた。
それでも、誰かに気づいてほしかった。
誰かが「それでも、生きて」と言ってくれるなら
わたしは、まだ止まれるかもしれなかった。
しばらくして、見知らぬ誰かが反応した。
@himajin_gohan
「あるある。俺、昨日『飽きた』って言ったら、今日も同じ夕飯出てきたわ。愛ってそういうもんだよね。」
……なんて人だろう。
この世界が終わりそうな夜に、夕飯の話。
あまりにも無防備で、あまりにも遠い。
でも、その軽さに私は救われた。
本音を言ってもいいと思えた。
知らない誰かと、知らないふりで話せることの、なんて自由なことか。
「みんなのための決断って、いつから誰のためのものになってしまったんだろう」
「少しだけ、誰かと話したい夜って、ありますよね」
「もし、明日が“最後”だったとしたら。
あなたなら、何をしますか?」
返ってきた答えは、想像以上に軽やかだった。
「そっか……俺だったら、たぶん牛丼食べて、ゲームして、ちょっと昼寝して、それでもまだ時間があるなら、もう一回牛丼食べます。最後ってのが決まってたら、せめて美味しかったって思いたくない?」
私は、声をあげて笑ってしまった。
こんな夜に、牛丼の話を聞かされて。
こんな夜に、笑ってしまえるなんて。
——でも、確かに私はその一言で立ち止まった。
そして、予定されていた“決断”を、ひとつ保留にした。
翌日。
混乱はあった。
私が一言も発さないまま中止を決めたことで、周囲は混乱し、あらぬ憶測も流れた。
でもその空白が、すべてを変えた。
他の誰かが声をあげ、誰かが引き止め、いくつもの歯車が、音を立てて少しだけ軌道を変えた。
誰かにとっての世界が、ほんの少しだけ延命した。
私はもう、あのアカウントを使うことはない。
でも、最後に一言だけ、どうしても伝えたかった。
「腹が満ちれば、心も満ちる。あの夜の言葉を、私は一生忘れません」
彼は、きっと何も気づいていない。
ただの冗談で返していただけなのだろう。
その無邪気さが、どれほどのものを動かしたのかを知らないまま。
でも、それでいい。
わたしは、もう一度歩ける。
あなたの何気ない言葉に、救われた命が、ここにあるから。