支配の首輪を着けられた王太子の偽の愛、公爵令嬢は本物の愛が欲しい。
「アメーリア・アデントス公爵令嬢。貴様との婚約破棄をする」
「お断りします」
ディッケス王太子は夜会にて、アメーリアに婚約破棄を宣言してきた。
冗談じゃない。どうして婚約破棄されなくてはならないの?
怒りで頭が真っ白になる。
でも、ここで取り乱すわけにはいかない。自分は王太子殿下の婚約者なのだから。
アメーリアは、扇を手に優雅に微笑んで、
「お断り致しますわ。王太子殿下。わたくし、貴方様に婚約破棄されるような覚えはありませんもの」
ディッケス王太子は、怒っているのか顔を真っ赤にし、
「お前の可愛げのない態度に私はうんざりなんだ。私は男爵令嬢メリアを愛している。さぁ、メリア、震えていないで傍においで」
ちらりとメリアと呼ばれた女を見やれば、小柄で細身で、色白の女で、目ばかり大きくて、真っ青な顔で震えていて、よろよろと出てくれば、ディッケス王太子にしがみつき、
「私、私、王太子殿下。私っ」
「ヨシヨシヨシヨシ。怖がらなくていい。メリア。私が守ってあげるから」
アメーリアはディッケス王太子とメリアという女の前に進み出て、
「その女に何が出来ると言うのです?その女に王妃になって国を背負う事が出来るというのですか?」
ディッケス王太子は怒りまくり、
「えええいっ。煩い煩い煩い。メリアこそ癒し。メリアこそ私の妻に相応しい。メリアこそこのカレット王国の王妃だ。お前なんぞ、どこかへ行っちまえ。国外がいい。国外へ行って二度と顔を見せるな」
周りの貴族達も、この騒ぎに集まって、何があったかと見物している。
アメーリアはきっぱりと、
「婚約破棄も国外追放を受ける訳にはいきません。ディッケス王太子殿下は具合が悪いのではないですか?お前達。王太子殿下を控室へお連れして」
近くに控えていた近衛騎士達に指図する。
ディッケス王太子は近衛騎士達に、
「私は王太子だ。具合なぞ悪くない。その女を捕まえろ」
その時、ディッケス王太子の背後から冷たい声がした。まるで地の底から湧き出るような。
「ディッケスを控室へ連れて行きなさい」
このカレット王国のシャリア王妃である。
男爵令嬢メリアが、どうしたらよいか解らないように、おろおろしている。
ディッケス王太子は控室へ連れていかれた。
シャリア王妃はディッケス王太子の後に続いて控室へ行ったようだ。
残されたアメーリアは夜会の出席者達に、
「何事もありませんわ。王太子殿下は疲れておいでです。メリアと言いましたね。貴方、家名を名乗りなさい。」
わざとらしく、震えているメリアという女に聞く。
「メリア。マリット男爵家のものです。あ、あの……王太子殿下は?」
「お疲れでいらっしゃいますわ。貴方は彼の何なのです?」
「私は、王太子殿下に愛されているのです。王太子殿下は、いえ、ディッケス様は私といると癒されるって。貴方様といると癒されないと、イライラすると申しておりました。それって将来の王妃様にふさわしくないのではないですか?私みたいな癒されてディッケス様を支えて差し上げられるそんな女性がふさわしいと思うのですけれども。そうですよね」
最初は震えていた。か弱い男爵令嬢なのに、強かに公爵令嬢の自分を王妃にふさわしくないと言う女。
本当に酷い女だと思った。
王妃を何だと、いや、ディッケス王太子殿下は、国王を何だと思っているのだろう。
アメーリアは怒りを感じる。
自分がどれだけ、このカレット王国の為に頑張って来たのか。
王妃様について、慈善の活動を行って来た。
伯父である宰相について、王国の色々な姿を見てきた。
自分が王妃になったら、何が出来るだろう。この王国がよくなる為に何が出来るだろうといつも考えてきた。
それなのに、ディッケス王太子は王太子の執務なんてやりたくはない。
と、さぼりまくり、王国の事なんてさっぱり見もしない。
それでも国王陛下と王妃様の間に生まれた一人息子であり、王位継承権第一位である。
そんな彼だから、必死に注意してきたし、王国の為に何が出来るか共に考えましょうと言ったりもしたのだが、ディッケス王太子はそんな自分の言葉を煩い、うっとおしい、お前なんて大嫌いだと嫌がって……
このカレット王国が愛しくはないの?
国民みんなが笑って暮らせる世を作る為に、働くのが国王陛下の役目ではないの?
貴方は癒されたい。そればかり。
他の人が国王になった方がどれ程よいと思ったか。
でも……ディッケス王太子は王族の義務なんて、執務なんてやりたくないといいつつ、国王になる気は満々で。
メリアという女に向かって一言。
「王国を統べるという仕事をなさる国王陛下の妻である王妃は、癒しを与えるだけでは務まりません。わたくしはこのカレット王国を、未来の王妃の座を貴方に渡すわけにはいかないわ」
部屋から王妃と共にディッケス王太子が出てきて、
ディッケス王太子はアメーリアに向かって、
「アメーリア、すまなかった。私が間違っていた。愛しいアメーリア」
いきなり、謝罪してきたのだ。
アメーリアは驚いた。そして納得した。
ディッケス王太子の首にかかっている首輪のような物。
シャリア王妃はそれをディッケス王太子の首につけたのだ。
支配の首輪。本人の意識はあるのに、意にしない言葉を口にしてしまう。態度に出してしまう。
そう、シャリア王妃が望むように。王家が望むように。理想的な王族になるように。
息子であって、息子でなくなってしまうのだ。
本来の息子の意志は、首輪に封じ込められて、口に出したいのに、出せない。
さぞかし、内心ではイライラしているだろう。
メリアが叫んだ。
「おかしいじゃないですか。ディッケス様。メリアです。メリア怖いですっ」
メリアが抱き着いてきたのをディッケス王太子は身をかわせば、メリアが床にステンと転ぶ。
そんなメリアを見て一言。
「不敬だぞ。そなたとは遊びだった。私が愛しているのはアメーリアだけだ」
「そんなっ」
「さっさと去るがいい」
泣きながらメリアが走り去っていく。
アメーリアに向かって、ディッケス王太子が手を差し出して、
「アメーリア。共にカレット王国の為に頑張っていこう。本当に今まですまなかった」
シャリア王妃が、扇を手にオホホホと笑って、
「ディッケスも反省しております。ですから、アメーリア」
支配の首輪が言わせている事は解っている。
それでも……アメーリアは嬉しかった。
差し出された手に手を添えて、
「ええ、ディッケス王太子殿下。わたくし、貴方を許しますわ」
支配の首輪のせいで、アメーリアは甘い時をディッケス王太子と過ごすことが出来た。
大嫌いだと思っていたディッケス王太子殿下……
それでもわたくしはこの人を必要としていたのだわ。
翌日、王宮の庭のベンチで共に散り行く落ち葉を眺めていれば、ディッケス王太子が
アメーリアの肩を引き寄せて、
「美しい景色だな。アメーリア」
「ええ……そうですわね。ディッケス王太子殿下。明後日からは王妃様と共に、災害のあった西地方へわたくし、参りますの。王太子殿下も共にいらっしゃいますか?」
今までは嫌だと言って一切、このような場に出向かなかったディッケス王太子。
ディッケス王太子は頷いて、
「災害にあった人達を力づけてやらねばなるまい。勿論、支援物資ももっていくのだろう?」
「ええ、それはアデントス宰相が、用意しておりますわ」
「このカレット王国の為に、私も出来るだけの事をしたい」
あああ…なんて嬉しい事を言ってくれるのかしら。
今まで、何度言っても、駄目な人だったのに。
大嫌いだったディッケス王太子。
こうしてみてみると、意外と整った顔をしているのね……
ディッケス王太子が顔を近づけて、唇を重ねてきた。
瞼を閉じて、それを受け入れるアメーリア。
とても幸せに感じた。
シャリア王妃とディッケス王太子と共に、災害のあった西地方へ行き、支援物資を届けて、現地の人たちを力づけるアメーリア。
大雨が降ったせいで、沢山の家が流されたのだ。
炊き出しの人たちと共に、ディッケス王太子も混じって懸命に働くその姿に、アメーリアは頼もしく感じた。
シャリア王妃が声をかけてくる。
「あれは息子であって息子ではない。解っておろう?」
「支配の首輪ですか?」
「そうじゃ。息子の心はイラついているじゃろうの。まぁ仕方がない。アレを国王にするにはこれしか方法がなかったのだから。許しておくれ。アメーリア」
「偽物の愛でもわたくしは構いません。この王国の為に、ディッケス王太子殿下が、先々国王としてふさわしく働いて下さるのなら」
いいえ、本当は愛されたい。
わたくしだって女ですもの。
深く愛されて、志を同じくして生きたい。
そして二人の愛の結晶である子供を授かって……
あああっ…
真実の愛が欲しかった。
ディッケス王太子殿下は支配の首輪のせいで、心の中ではわたくしに対して怒りまくっているわ。
ディッケス王太子の方を見れば、こちらに視線を合わせて、微笑んでくれた。
あれが心の底からの笑みであったらどんなに幸せか……
涙がこぼれる。
それでも、カレット王国の為に、支配の首輪を外すわけにはいかないのだ。
あの女を王妃にするわけにはいかない。
支配の首輪をつけてからのディッケス王太子は、精力的に働いた。
王太子としての執務も今までさぼってばかりいたが、真剣にやるようになり、
アメーリアに対してとても優しかった。
とある日、二人で王宮の薔薇園を散歩していたら、
「アメーリア。美しい薔薇の花を見つけた。ほら、綺麗な青だろう?」
「まぁ、この薔薇だけ青いのね。どうしてかしら。庭師に聞いてみましょうか?」
庭師に聞いてみれば、この青い薔薇は特別な薔薇で、苦労して、品種改良をし、育てたのだという。
アメーリアは、その咲いている薔薇をうっとりと見つめていたら、ディッケス王太子は、
「アメーリアの為に、薔薇の育て方を勉強して、青い薔薇の花束をプレゼントしたい」
「わたくしの為に?」
「そうだ。青い薔薇を増やして、花束にしてアメーリアにプレゼントしたい。いつも君は頑張ってくれているから」
嬉しかった。でも……これは支配の首輪が言わせている事なのだ。
心の中のディッケス王太子は罵詈雑言を叫んでいる事だろう。
幸せな夢から覚めたくない。
夢の中でいい。
そんな気持ちで、アメーリアは、
「嬉しいですわ。ディッケス王太子殿下。青い薔薇の花束を頂いたら、そのまま、保存できないかしら。わたくし、宝物にしたいですわ」
「そのような方法があるか、調べておこう」
幸せだった。ずっとずっとこの幸せが続けばいい。そう、アメーリアは思っていたのだけれども。
とある日、ディッケス王太子と共に夜会に出席していたアメーリア。
例の女が近づいてきて、ディッケス王太子に向かって叫ぶ。
「ディッケス様っーー。正気に戻って。メリアはここにいます。ディッケス様っ」
アメーリアは近衛兵に命じて、メリアを捕まえさせた。
「何するのよーー」
メリアが暴れる。
ディッケス王太子は、
「お前との関係は終わっている。もう、関わらないで欲しい。これ以上、しつこいと不敬罪で牢に入れるぞ」
メリアは泣きながら、
「愛してるって、私だけを愛してるって。この女は癒されなくて大嫌いだって。なんで?なんで?どうして急に変わってしまったの?」
アメーリアは、近衛兵に、
「早く連れていきなさい」
近衛兵達はメリアを連れだしてくれて、
メリアを牢へ入れるように命じる。
そして、夜会が終わった後、王宮の秘密の地下牢へ、ディッケス王太子とアメーリアは共に、降りて行き、閉じ込めておいたメリアに会った。
メリアは喚く。
「出してっーー。怖いっーーー。お願いだから、ここから出してーー。ディッケス様っ」
アメーリアは、牢の中のメリアに向かって、
「ディッケス王太子殿下は、わたくしを愛しているの。貴方なんて愛していないのよ」
「嘘よ。愛しているのは私よね?ディッケス様ぁ」
ディッケス王太子は淡々と、
「君を愛していたのは過去の話だ。私が今、愛しているのはアメーリアだけだ」
「嘘っ。騙されているのよ。そんなのおかしい」
アメーリアは、ディッケス王太子の耳元で囁く。
「始末してしまいましょう。カレット王国の未来の為に、この女は邪魔になります」
そうよ。殺してしまいましょう。この女を殺してしまいましょう。
「それは出来ない」
「何故?どうしてですの?」
支配の首輪がついているはず。この女を始末するのは王族として正しいはずよ。
わたくしの言う事に賛同するはずなのに。
「私が殺したくないからだ」
アメーリアは怒りまくる。
支配の首輪がついていても、そんなにこの女を愛している?わたくしよりも、深く?わたくしは偽の愛でも我慢しているのに。
やっと、偽の愛でも手に入れられたのに。
ああ、わたくしはディッケス王太子殿下の愛が欲しかったんだわ。このカレット王国の未来の為に、必死に生きてきたのだけれども。それでも愛が欲しかった。
この女を殺せないなんて。この女をそれ程、愛していたなんて。
アメーリアは、牢のメリアを睨みつけながら、
「それなら、わたくしが始末します。わたくしがこの女を殺しますわ」
ディッケス王太子はアメーリアに向かって、
「王太子として命じる。メリアの命を取る事は許さない。メリアは国外追放にする」
メリアは泣きながら、
「私は王妃になるの。皆が癒される王妃になるの」
「メリアよ。王妃はアメーリアでないと、務まらない。そして私はこのカレット王国のいずれ国王になる。メリアと結婚する訳にはいかないのだ」
「そんなっ……」
「国外追放とはいえ、隣国の知り合いの貴族に話をつけておこう。そこに身を寄せるがいい。メリアはメリアで、新たなる好きな人を見つけて幸せになって欲しい。」
メリアは外へ連れ出され、馬車に乗せられて去って行った。
アメーリアは疑問に思う。
この人はどこまで支配されているの?この人はどこまで正気なの?
その後も、ディッケス王太子は、王太子としての仕事に励み続けて、アメーリアと共に王国の為に必死に働き、兼ねてから予定されていた結婚式が行われる日の前日になった。
王国民全員が集まって、大々的に行われる結婚式。
その日の前日、忙しい中、アメーリアはディッケス王太子に会いに行った。
王宮の庭でディッケス王太子に会うアメーリア。
ディッケス王太子は青の薔薇の花束を差し出して、
「やっと花束に出来たんだ。アメーリア。明日は結婚式だな。末永く王国の為に頼む。愛しているよ。アメーリア」
「わたくしも愛しておりますわ。でも……」
ディッケス王太子の首にかかっている首輪に手をかける。
「偽の愛は誓えないの」
首輪をそっと外した。
決して外してはいけない首輪。全てが終わるかもしれない首輪。
それでも。もう、苦しかった。
神様の前で偽の愛は誓えない。
ディッケス王太子はにっこり笑って、
「本物の愛は誓えるのだろう?」
「え?」
「私は愛しているよ。アメーリアを。実はね。最初の頃は、首輪の支配に抵抗していたんだ。君を、母上を心の中で罵りまくっていた。どうして、こんな首輪をはめてくれたんだ。私は働きたくない。メリアを愛しているんだ。結婚したい。どうしてくれる?ってね。でも、首輪に支配されて、王族としての義務を果たしていくうちに、首輪をしているかどうかなんて、解らなくなる程に、首輪の支配と心が近づいてね。アメーリアの国を思う心が、私へ寄せてくれる心が愛しいと思えるようになったんだ。君は私の為に一生懸命、注意してくれていたんだな。確かにメリアは癒される。でも、私は王族としての心を忘れてはいけなかったんだ。
アメーリアと共に王国の為に働く事がとても気持ちよくて、生きがいを感じて、どうか、これからも我が王国の為に共に働いて欲しい。王国民を幸せにする為に私と共に歩んで欲しい」
嬉しかった。
本物の愛をすでに手に入れていたのだ。偽物の愛ではなかったのだから。
「それじゃ、メリアを殺すなと言った時はどうでしたの?」
「首輪の支配と心が近づいた時、ある程度、自由が利くようになってね。メリアは殺す程の事はしていないだろう?君にはすまないと思っているが、私はメリアを殺したら後悔すると思った。メリアはメリアで幸せになって欲しい。そして、私はアメーリアと共に歩んで、君を愛して、王族として生きていきたい。その気持ちを更に強く持った」
アメーリアは青の薔薇の花束を愛し気に抱きしめて、微笑んだ。
「明日の結婚式の準備がありますの。わたくしそろそろ帰りますわ」
「そうだな。明日、楽しみにしている。愛しているよ。アメーリア」
ディッケス王太子もアメーリアも知らなかった。
二人のそんな様子を見て、シャリア王妃が呟いていた言葉。
「支配の首輪にこのような効果があるとはの。」
傍に控えていたアデントス宰相が頷いて、
「はい。魔導士殿が言っておりました。支配の首輪は心根が改善の余地があるものは良い方へ作用すると。王太子殿下は良い方へ作用したのではないでしょうか。王族の責務への自覚へと。」
「誠によく効くのう。今度は、国王陛下に着けて見るかのう」
ちらりと、側室を数人侍らせて、テラスでお茶をする国王陛下を見やるシャリア王妃。
勿論、側室が何人いようと、子はディッケス王太子一人である。ディッケス王太子以外の子が出来る事をシャリア王妃は許してはいない。
「それとも、ディッケスが次期国王にふさわしくなったからのう。さっさと退位して頂いてもよいか……」
扇の陰でにんまり笑うシャリア王妃であった。
秋の木の葉が舞い散る王宮の庭で、薔薇の花束を両手に抱え、幸せを感じながら、王宮の庭を出るアメーリア。
空を見れば、晴れ渡る秋の空が、アメーリアの心を表すかのように、どこまでも澄み切って青く広がっているのであった。




