8:潜入捜査
部屋に入った瞬間にカイは宣言した。
「……今日は帰る」
すさまじく不機嫌な半裸の女性……頬杖をついてテーブルの端をトントンと指でつついているアンダーテイカーだ。
ここ数年、見たことがない位に不機嫌丸出しでいつもは前髪で隠している目線を晒したまま奥歯が折れんばかりの勢いで噛みしめている。
「それがいいさね……あたしは今日、過去一番に機嫌が悪い」
おかげで彼女の拘束は最高位クラス。
手錠に拘束バンドでぐるぐる巻きにされた腕、椅子の脚と一緒に足にもおもり付きの足かせがはめられていた。
ちなみに口枷はアンダーテイカーさん、噛み千切ったので床に転がっています。
「……一応、聞いても良いか?」
「……そうさね、お前は事情を知らない。その質問は正しいねぇ……言ってみると良いさね」
「原因はマリアだな?」
「正解さ。あの娘、よりによってあの王道組み合わせだと? サトルとライルこそ至高……あの娘は選択を間違えた。胃の中に収める価値も無い……どうしてくれようか」
ぎりり、と拳を握りしめ口惜しそうに呻くアンダーテイカーをカイは冷めた目で見つめる。
「そうか……」
だからマリアは職員を一人拉致した上に、慌てて訓練放り出して出て行ったのか……多分買いに行くんであろう。
それくらいの予想はついた。
「どこかで馬鹿なロウブレイカーが暴れてやしないかね? カイ、今日は特別にお前の指示でお行儀良く働いてやってもいい!」
「……こういう時こそネームドのロウブレイカーにぶち当てたい」
顔にぺたんと手のひらを当ててカイが嘆く。
アンダーテイカーは言動こそ皮肉屋で狂気に満ちているが……反面嘘はつかない。
こう宣言している以上、絶対に暴走しない事は手に取るようにわかる。
わかるだけに過去の自分になんでこういう弱点とか調べなかったんだろうとか、少し考えてしまった。
「それこそコンクヴィトだったら抱き枕の一つや二つ簡単に手にはいるだろうさね……くそ、実物を見ると欲しくなるじゃないか……あの娘、意外とやるねぇ」
そんなところで評価される後輩にもなんかほろりと涙がこぼれそう。
しかもそれを買った時の周りの女性たちの視線を思い出してしまい、ものすごくダメージが累積されていった。
「次回の出撃で申請しろ、一般的に手に入るんだろう?」
それこそたったの数十ドル、おまけで付けてやってもいい位の値段だ。
「くうう、こんなに出撃が待ち遠しいのは初めてさね!!」
がっしゃんがっしゃん鎖と胸を揺らして喚くアンダーテイカー。
「じゃあな、俺はクラリスの所へ行く」
「はいよ!」
静かにアンダーテイカーの収容室を出るカイは今見た事を忘れようと頭を振りながら、自分の担当クリミナルであるクラリスの元へ向かい。
まったく同じような反応をされてげんなりするのであった。
マリアの罪は重い。
そんなトイボックスの緩い一時も、マリアが息を切らせて戻ってくるまでの間だった。
「潜入捜査?」
たっぷりと私用で抜け出したことを所長室で一時間にわたる説教を喰らったマリアに、ぽい、と剃りあがった頭を撫でながら、所長はマリアに紙束を放り投げる。
「ああ、カジノだ……行った事はあるか?」
元々軍人上がりのたくましい筋肉をリラックスチェアに収めてマリアに問いかけた。
「いえ、全く縁が無いです。テレビで見たことくらいしか……」
そもそも貧乏だったし、母親は警察官。
接点が全くなかった世界ではある。
「まあいい、なら店内従業員で潜入だな……アンダーテイカーと明後日からだ」
「何を調べるんです?」
「資料を見て見ろ、二ページ目だ……」
「はい……? 何ですこれ……神父?」
所長に促されるまま投げ渡された資料をめくると、真っ黒なカソックを纏い聖書を携えた黒髪の神父の写真が添付してあった。
ずいぶんと遠くから写したようで解像度は荒く、口元に笑みを浮かべているくらいしかわからないが……背はカイより高いだろう。
「そいつはザ・ロックの外で活動しているロウブレイカーでジャッジメントと言う。そいつがこの町に入ったという情報屋からのタレコミがあった」
「ジャッジメントって……確か極東で大量殺人を犯した……んでしたっけ?」
「そうだな、活動頻度が低すぎてあまり知られていないが……こいつ一人で町一つ死体だらけにしやがった」
「……一人で?」
マリアがぺらぺらと資料をさらにめくると、そこには当時の交戦記録が書いてあったが……目を疑う内容だった。
「何ですかこれ、警察の特殊部隊員が犠牲者に殺されたって書いてあるんですが?」
「そのままの状況だ。そいつは宣教と言う名の洗脳が得意らしい……犠牲者は嬉々として警察に自殺まがいの特攻を仕掛けた。ひでぇもんで中には子供に硫酸の瓶を持たせてビルから飛び降りしたケースも報告されてやがる」
「……捕まらなかったんですか?」
「捕まえたが……留置所の囚人と守衛が警察の装甲車両を奪って逃がしやがった」
それ以来、表立った事件は起こしていないが捜索は続けられている。
「この写真はいつの?」
「一昨日だ、お前とカイのデートの日だな……」
「……」
一瞬、マリアの脳裏にその時に会った神父の顔がよぎるが……明らかに写真の顔は狂気に満ちた笑顔で……似ても似つかない。
「今回の任務はあいつが潜伏しそうな場所、もしくは宣教の場所になりそうな人が集まる場所の先行偵察だ。お前は経験が浅い、合法で警察の監視も行き届いている高級カジノ。カイはアングラなストリップバーや娼婦街。他の連中は探索側で動かす……わかったらアンダーテイカーと仲直りしろ。良いな?」
「……アンダーテイカーをそんな所連れてったらお客が食べられるんじゃ」
「問題ない、アンダーテイカーは素行はともかく任務自体は真面目だ……報酬がもらえなくなるからな」
「……はいぃ」
逃げ道が無くなって項垂れるマリアだが、お説教の直後だけにあまり食い下がるわけないは行かない。
仕方なく、今日の午後はアンダーテイカーに和解を申し入れる事にしようと決めた。
「話は以上だが、質問はあるか?」
「どれくらいの期間ですか?」
「長くて二週間だ。装備その他は資料の後半を確認しろ……後、お前の銃だが。特別に弾薬はトイボックスで用意してやる……良くあんな珍しい銃を使っているな」
「本当ですかっ!?」
先日初お披露目したマリアの銃は母親の形見として大事に整備して使っていたのだが、型遅れも良い所で弾薬もなかなか取り扱ってないためカイに相談している。
きっと彼が動いてくれたのだろうとマリアは内心感謝した。
まあ、その本人は現在進行形で……絶賛マリアのお仕置き案を考えているのだが。
「ただし、節約しろ。45口径なんざ時代に逆行してるのはお前だけだ……入荷にも手間がかかるから他の連中と同じように撃ってるとすぐなくなるぞ」
所長は裸の女の写真が飾られたデスクの引き出しを開けて、新品の45ACP弾を4ケース取り出す。
「ありがとうございます!」
「高いからな……アンダーテイカーに感謝しろ。あいつがルートの情報を持っていた」
「うげぇ……」
その事実を知らされて、ますます気が重くなるマリアに所長は笑う。
「まあいいじゃないか。お前は珍しいタイプのマリオネットマスターだ……自分から前に出る奴は嫌いじゃない。そういうやつは早死にするが……気をつけろよ?」
「イエッサー……」
なんだかんだ言ってもカイの訓練の後に自主訓練までしているのだ、体力もあれば射撃の腕も良い。
近距離の戦いが得意なアンダーテイカーとは相性がいいだろう。
そう考えている所長はまあ、頑張れとおざなりに応援して所長室からマリアを追い出した。
◆◇―――◆◇―――◆◇―――◆◇
「で?」
物理的に重いと感じられるような声音でアンダーテイカーは足元で土下座するマリアを見下ろす。
「も、申し訳ありませんでした」
「それだけかい? あたしは今凄く機嫌が悪いさね……珍しくお前を喰いたいとも思えないほどにねぇ」
何したんだお前、と受付の全職員から非難されたマリアは生贄さながらにアンダーテイカーの前に突き出された。
甘んじてそれを受け入れた理由は……
「これを……アンタに買ってきたわ」
小さな枕サイズの小包が二つ。マリアは持ち込んだそれをアンダーテイカーに差し出す。
「なんだい? 枕は足りてるよ……」
「……枕、本当に足りているの?」
「あん?」
「これを見ても……本当に足りているの? そう聞いているのよ」
ぎらり、と眼光鋭くマリアは起死回生の一手としてその小包の圧縮弁をひねった。
――しゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……
二つの小包が空気を得て、見る見るうちに伸びて本来の姿とそこに描かれている二人の姿を二重の意味で取り戻す。
「こ、これは……」
「サトルとライル……限定全裸抱き枕……声優のオリジナルボイスユニット入りよ」
「……な、なんだって。これをどうしようってんだ!」
「すべてを水に流すのなら……アンダーテイカー、お前にこれを提供する」
「なん……だと」
ごくり、と喉が鳴る。
アンダーテイカーがマリアの前で初めて見せる苦悩の表情……正直に言えば欲しい。
とても、欲しい。
「これは交渉ではない、取引だ……アンダーテイカー」
「自腹って事かい……良いさね、マリア神守……乗ってやろうじゃないか」
顔は平静を装っているが、明らかに今日はアンダーテイカーの方が浮足立っていた。
いつもなら皮肉の一つでも飛ばすところを愉悦の眼差しで二つの抱き枕に注いでいる。
「なら、今朝の事は?」
「許そうじゃないか。あたしも大人げなかった」
「今度の任務は?」
「少し協力的になってあげようじゃないか」
「じゃあ、楽しみなさい……」
「良いだろう、この件だけはマリアとあたしは争わない。それだけの価値がある」
ちなみに、監視カメラとマイクで拾った音声は監視室で筒抜けになっているので……
――何の茶番を見せられてるんだ俺たち、私たち
とカイと同じような表情でモニターを見下ろしていたりする。
「じゃあ、この件はこれで手打ち。ここから先は仕事の話よアンダーテイカー」
「くひひ、良いさね……聞こうじゃないか」
内股をすりすりさせて落ち着かない様子でアンダーテイカーはマリアに答えた。
「潜入任務、捜査対象はジャッジメント」
「……あの阿呆が相手かい。苦手なんだけどねぇ」
「知ってるの?」
「神様を冒涜して悦に浸る変態ロリコン野郎さね」
「そ、そう……後で詳しく聞かせなさい。どうせ今日はこれから先、何をするかは分かってるから」
「良いさね、明日はなんでも答えようじゃないか……くふふ、おい、監視室の連中。みているんだろう? 早くこの拘束解いておくれ」
そわそわしてどこからどう見ても上機嫌なアンダーテイカーを目の当たりにして、マリアも引き延ばすことはせずコピーした資料をテーブルに置いた。
「明日の昼にまた来るから、この資料に目を通しておいてちょうだい……大事に使いなさいよ? 枕」
「ああ、任せておくといいさ。潜入でも娼婦でもなんでもしようじゃないか」
だめだこりゃ、と眼が抱き枕に釘付けのアンダーテイカーを残して部屋を出るマリア。
ただし、枕はしっかりとベッドに配置してあげる配慮だけは忘れなかった。
だからこそ、マリアはミスを犯す。
この手の任務にも詳しいアンダーテイカーに潜入の事について質問しなかった事を。