10:情報とピエロ
「あっはっはっはっはっは!! 愉快痛快とはこの事さね!! 三日でクビだってさ!! あははははは! 腹がよじれちまうよ!!」
「いっそ、殺して……」
「しかも、留置所送りになるマリオネットマスターなんて初めて見たよ!! まさかあたしが他人の保釈金を出す日が来るなんて夢でも見たことないさね、あああ、駄目だ。笑いすぎで酸欠起こしちまうよ」
「ううう……本当に恥ずかしいぃ、アンダーテイカー。墓を掘りなさい」
「誰のさね?」
知っててアンダーテイカーは問い返す、実に底意地の悪い事だが今のマリアに反論できる強さは無い。
だってお金って偉大じゃん? 保釈するのにアンダーテイカーが支払った金額は軽く普通の新車が買える金額だった。
「あたしのよ……そこら辺の道端でいい」
「ひっひっひ、断るさね……借金を完済してからなら格安で掘ってやるよ」
「うぐう!」
お腹を押さえてマリアは崩れ落ちる。
胃が痛い、逆バニーで給仕を初めて三日でマリアの忍耐は限界を迎えた……どう見ても成金のおっさんにおしりを撫でまわされ、チップをくれてやると耳元でささやかれた瞬間。
ヤニ臭い吐息と汗ばんだ手でおしりをまさぐられて嫌悪感が一気に上回り、その後の事はよく覚えていない。
留置所にぶち込まれる際に見せられた防犯カメラの映像には、毎朝鏡で出会う胸を丸出しの東洋系女子が回し蹴りと執拗な踏み付けを続けている光景が映っていたが……認識できなかった。
「全治3か月だそうだよ! 股間は再起不能だろうって周りのバニー全員で笑ったもんさ」
ではなぜ釈放されたのかと言うと、あの客は手癖が悪く。
バニーさん達からすごく嫌われていたのだ。
実際、性的な被害もあったらしくマリアの保釈にかなりのバニーさんがお金を出し合ったのである。
という訳で、実はアンダーテイカーさん。
実質ほんの数百円ほどの出資でマリアに借りを作れたというカラクリだった。
「だって、だって……あの野郎シールはがして、おお、おおおし、し」
「ひっひっひ! よしておくれ!! もうあたしの腹が限界さね!! あははははははは!!」
カジノからほど近い警察署の真ん前で、マリアは羞恥で、アンダーテイカーは笑いすぎでうずくまっている。
門番係の警官二人になんだこいつらと睨みつけられた程度ではどうにもできないコンビだった。
流石に服はマリアは私服、アンダーテイカーも偽装のためお揃いのブラウスとカーゴパンツといういで立ちだが二人の体形のせいかマリアは妹、アンダーテイカーがグラマーなお姉さん……そんな感じに見えてしまう。
「おい、お前たちいい加減に」
流石に深夜、訪れるのは犯罪者だけとは言え入り口の目の前でこれ以上コントをされては威信にかかわる。
一人の警官がマリアとアンダーテイカーを注意しようと前に一歩踏み出した時だった。
「ひゃっはっは! もっともっと笑わないかい? しかめっ面じゃしあわせがにーげちゃーうよーう?」
長身痩躯、原色のペンキをこれでもかと適当にぶちまけたような配色のツナギを着て、真っ白に塗りたくった顔面に星とハートのマークを飾りつけ……ぴょんぴょんと跳ねながら踊るピエロの闖入者。
カジノもほど近いこの付近では大道芸を披露する本職の芸人も多い、チップで生活費を稼ぎ……権力者に目をかけてもらえれば高額のギャラが約束されている仕事にありつく者もいた。
彼もそんな一人だろうとマリアとアンダーテイカーに向かっていた警官は矛先をピエロに向けたが……そんな彼にアンダーテイカーの諦めのつぶやきが投げられる。
「あ~あ、馬鹿だねぇ」
全身を襲い、鳥肌がぶつぶつと立つ……アンダーテイカーさえ飲み込まんとする凶悪な殺意。
それが音を持っていれば……周辺の人間全ての鼓膜を破りかねない勢いで巻き散らかされた。
「は?」
その次元が違う圧力は……同じ壇上に立たない者へは無慈悲な暴力として襲い掛かる。
「ちょっきん! ちょっきん!」
がちゃりと自分の体躯ほどもある二本の剣をピエロは背から抜き放ち、自分の顔の前で掲げる様に両手を合わせ……合体させた。それはまるで裁縫用の裁断ばさみ。明らかにサイズがおかしいがその刃先は鋭く旋回し警官の首の高さで慣性を無視してぴたりと止まった。
「え? はさ」
――じゃきん
「チョンパ! ちょんぱぁぁぁ!」
哀れな警察官が事態を把握する時間も与えられず、まるでマジックショーの演出かと思う現実離れした光景を……アンダーテーカーとマリアの前に気軽に放り込まれる。
「ひっひっひ……不味い奴と会っちまったね。マスター、悪い事は言わないさね……逃げようぜ? こいつが来た以上この警察署……サーカス上に変えるつもりさね」
ごろん、と鈍い音を立て……白目をむいた警官の生首が切断面を地面に向け。アンダーテイカーの真正面で止まった。
「……何アイツ。ロウブレイカー……なの?」
「めったにお目にかかれない特級ロウブレイカー……『ラフ・メイカー』だ。ピエロのロウブレイカーやクリミナルは馬鹿みたいに多いが……あのハサミ、見覚えがある……盾程度じゃ防げないから……あたしらが喰らったら即死さね」
「あれれ? あれーれー? わらおうよ! きれいにぽーんと首が飛んだんだよ!?」
首をかしげて赤い飛沫が付いた手袋を口元に持っていくピエロ……まるでいたずらが成功した幼児のような表情で、冷静なアンダーテイカーとマリアを不思議そうに眺めている。
この時、騒いだり悲鳴を上げなかったのは正解だった。
アンダーテイカーは人の生き死に一つで動揺するような人間ではないし、マリアも表には出せない様に訓練は重ねている……過去のクリミナル犯罪の映像や文献を見ている間に、麻痺してきたのである。
「……アンダーテイカー。拘束服は……無いわよね」
「生憎クリーニング中でね……どっかの誰かさんの保釈金払いに来た時において来ちまったよ……ひっひっひ」
マリアがアンダーテイカーに確認するが、その顔には冷や汗が浮かび……ほんの僅かに声が上ずっていた。
軽口を叩けるだけマリアよりは余裕がありそうだが……ただでは済まない事は明白。
「つまんなーい! もうちょっと……泣いて叫んで漏らして……真っ赤に染まろうぜぇええ!」
――バキンッ!
「こ、この!!」
唐突な同僚の死に様を目撃して固まっていたもう一人の警官が銃をラフメイカーに向ける。
ゲラゲラと笑うラフメイカーに発砲、パン! と乾いた銃声が響くと同時に周りの通行人も気づいて悲鳴が上がり始めた。
「ぎゃんっ!?」
警官の射撃は見事で、ラフメイカーの胴体に直撃する。
ゆっくりと仰向けに倒れたピエロの姿に警官が油断せず、銃を構えたまま歩み寄るが……それをアンダーテイカーが手を上げて制止した。
「よしな……今すぐその門を閉じてありったけの銃かき集めて立て籠もるのがいいさね」
「だまれ……民間人はさっさと逃げろ……この野郎、ジャックを殺しやがった! それに見ろ……もう死んでるはずだ」
「忠告はしたさね……マリア、とんずらするよ」
アンダーテイカーとしても多分無理だろうな、と思っていたためそれ以上は言わず。マリアに向けて逃走の意思を示した。
マリアも丸腰の状況ではロウブレイカーと戦えるほど体術に長けているわけではない。
「アンダーテイカー……命令よ。警官の保護と……増援が来るまでロウブレイカーの足止めをするわ……手伝いなさい」
それでも、マリアは断固とした態度をアンダーテイカーに示す……これにはアンダーテイカーも苦笑いを浮かべる。
「馬鹿な事言うんじゃないよ。クソガキ……墓堀道具も無しに万全の状態のロウブレイカーを足止めって……死ねと言ってるようなもんさね」
「そうよ……道具が偉そうに意見するな。あいつを止めろ……命令だ」
「……くっそ、大したマスターだよ」
近づいた警官が、ピエロの頭を軽く蹴って死亡を確かめると……その顔は笑みに代わり。
両手に持った刃物を警官の腹に突き入れた。
「うひひ、うひひひ! しんだふりー! うまい? うまいぃぃ!?」
――パンッ! パパン!!
口から血を垂らしながら、警官は銃をラフメイカーに乱射する。
しかし、今度は当たっているのに僅かに揺れるだけ……むしろ。
「こ、の……うあっ!?」
「かるいかるーい! 半分にしたら……もっと軽いかぁ?」
とんでもない力で人一人を刺したまま、ゆっくりと立ち上がり……腹に刺した刃物をゆっくりと……左右に広げ始めた。
肉が裂け、骨が割れる音がマリアたちの耳にも届き……警官が喉が裂けんばかりの悲鳴を上げる。
「あの野郎、わざとゆっくり……」
その意図に気づいて、マリアの眼に怒りが宿った。
「……マリア、武器の接収を請求する。それ以外に対抗手段はないさね」
「請求を……受諾する」
警官の悲鳴が伝播し、周りの通行人も逃げ惑う中……丸腰の二人は立ち上がる。
警察署の職員も何人かが事態に気づき……銃を片手に警察署の入り口を固め始めた。
「ぎゃらりぃぃ! いっぱいいっぱい! 笑顔のパレードはっじめるよぉぉぉ!!」
両手を広げ、臓腑と血の雨を纏い……絶望的な戦いが始まる。